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芝居の衣装・考

地域の市民文化祭(10月8日開催)で行う演劇に向けて、私も思いもよらず、参加することになってしまった市民演劇集団「湘南座」の稽古は、日々、厳しさを増しています。
(出演することになったいきさつなどは8月24日付&9月2日付&9月12日付の小欄を参照)

まあ、ここでいう厳しさは、当たり前のことですが、プロに求められるようなレベルの高いものではなく、例えば〈数人で立ち話をしているとき、みんな、同じように突っ立っているか?〉など、自然の動作が芝居になると固まってしまって出来てないぞ、など基本的な動作の見直しが中心です。

言われてみれば、その通りであり、何だ、そんなことが出来ないのか、などと思われて当然のことばかりですが、しかし、やってみると動作が出来ると台詞が出てこない、とか、逆に台詞がうまくいっているときは、動作がともなっていない、など、これらはもう、頭の中で考えてできるものではなく、体に覚え込ませるしかないのですね。

ですから、この世界、武道同様に“日々稽古”なのでしょう。

そんなことの繰り返しの中、先日、稽古終了後に衣装の打ち合わせがありました。

私の出番は、全4幕のうち、第1幕での縄文人、第2幕での明治時代の魚屋、第4幕での現代の書道家、です。

第2幕の魚屋は、ステテコにダボシャツ、腹巻きをしてハッピと雪駄、で決まり、決まり過ぎ? だろうし、第4幕の書道家は、作務衣と雪駄、でいいだろう、などとテキパキと決まっていきますが、難解だったのは〈縄文人の衣装〉でした。

海辺で小道具を探すなんて

ウ~ン、どうしようか。いずれ何かの役に立つだろうと自宅の書棚に捨てずに残しておいた、中学生用の歴史参考書を、埃(ほこり)を払ってめくってみると、縄文時代の後にやってきた弥生時代の衣服は、布の真ん中に穴をあけてかぶる〈貫頭衣(かんとうい)〉が一般的だった、とありました。

これは分かりやすいのですが、縄文時代のそれとなると、資料を調べてみても、衣服そのものは腐ってしまうため、遺跡からは判明できず、まあ、何かを纏(まと)っていたことは確かだろう、というところにとどまっているようです。

しかし、発掘された土偶には、明らかに衣装を表現したものらしい文様が刻まれている、との記述があったので、では、上は貫頭衣にしちゃおうか、ということになりました。

下は、ちょうどひざ上くらいの紺色のステテコがあったので、どうだろうか、ということになりましたが、まあ、縄文時代に藍からとる染料技術はなかったろう、とこれはNG。何か布を巻いて小道具で隠そう、ということになりました。

小道具に関する座長の指示は、腰に何やらぶら下げているんだよ、何かは自分で考えてくれ、と突き放され、翌日から私のウォーキング・コースである海岸沿いの歩道は、海辺に何か落ちているんじゃないか、とキョロキョロ目を光らせる場となりました。

縄文時代の生活は、基本的には狩猟が中心であり(稲作は弥生時代から始まります)それも魚や貝の採取が食事の中心だったろうから、海岸に落ちているものは、何かの役に立つだろう、という狙いです。

ある日のこと-。

アッ、何かあるぞ、私の目が光ります。砂浜の片隅に古ぼけた縄が埋もれており、そいつを引っ張り出すと、地引網か何かの浮き用に使われていると思われる木片が3個ほど、その縄についていました。

オイオイ、こりゃ、行けるんじゃないか、私は小躍りする思いでそいつの砂を払い、腰に巻いてしまい、こりゃ、いかにも縄文ふうだぜ、と一人で笑ってしまいます。

・・・ふと、われに返って・・・誰かが見ていたら・・・いったい、オレは何をしているんだろうなあァ、と落ち込み、しかし、めげずにやらなくてはならない、の気持ちも起き、それが交互に出たり入ったりする落ち着かない日々を送っているこのごろです。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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