鎌倉散策~東慶寺の「イワガラミ」を観る

イワガラミ」って知っていますか?

鎌倉好きの例の友人Fからメールが入りました。

〈今、東慶寺で「イワガラミ」を特別公開しているよ。行かないか?〉

花好きの方々は、ご存知のことでしょうが、そちらの方面に疎(うと)い私は、ン? 「イワガラミ」って何? ということで百聞は一見にしかず、ヨシ、行こう! と足を運びました。

6月2日午後1時30分-。待ち合わせ場所は、JR横須賀線「北鎌倉」駅の改札口前です。

この日は、天気予報によると“7月上旬の気候”とかで真夏の太陽が照りつける暑さとなりましたが、時折り、サーッと吹き抜ける乾いた風が、心地良さを運んでくれます。

「北鎌倉」駅前から鎌倉街道を八幡サマ(鶴岡八幡宮)に向かって約3~4分ほど歩くと右側に昔・駆け込み寺、今・花の寺「東慶寺」(神奈川・鎌倉市山ノ内)の、手入れが行き届いた山門が見えてきます。

山門をくぐり抜け、拝観料200円を払って境内へ。お目当ての「イワガラミ」は、本堂の裏にある、ということでそちらに向かいました。

私はまず、知ったかぶりはナシに案内係の方に「イワガラミって何なのですか?」と質問しました。案内係の方が、さすがですね、待ってましたとばかり、胸を張って教えてくれます。

〈そうですね~。「イワガラミ」(岩絡み)はですね、学術的に言うと「アジサイ科(旧ユキノシタ科)の蔓(つる)性の植物なんですよ。白い花が可憐です〉

フムフム、そうですか。やっぱり、百聞は一見にしかず、ですね。で、本堂に上がらせてもらいました。

特別公開ということで見物料がまたいるのかな? と思いましたが、無料(昨今の鎌倉各所は、拝観料ばかりでイヤになるときがありますネ)ということで感心感心! でした。

本堂の裏手に壁のような岩があり、その岩肌を「イワガラミ」が覆い尽くしています。その名の通り、もともとは1本の蔓が成長して岩肌に絡みつき、次第に這い上がって一面に広がっていく、という植物なのですね。

岩肌一面を覆う緑の葉と白い花

緑の葉の中に可愛い白い花が浮かび上がり、なるほど、これは見に来て良かったな! の感です。

友人Fに言わせると、毎年6月上旬の季節限定で行われるこの特別公開は人気があり、長蛇の列ができてなかなか入れないといった混雑ぶりとなるのだそうです。そんな中でこの日は、予想外にすいており、ゆったりと観(み)ることができて、ツイていたな、となりました。

それにしても・・・ときの執権・北条時宗の没後、1285年(弘安8)に夫人の覚山尼が創建し、縁切り寺法によって女性を救済してきた駆け込み寺の尼寺「東慶寺」は今、そうした生々しさ、封建時代の女性の悲しさ、がまったく感じられない(当たり前のことではありますが・・・)こぎれいな花の寺として存在感を増しています。

そのせいか、境内にはご婦人たちのグループが、多く見られました。

山門を出て帰り道、じゃ、ちょっと寄ろうか、と近くの「明月院」(鎌倉市山ノ内)に向かいました。“アジサイ寺”としてあまりにも有名になってしまったこの寺は、また長蛇の列でにぎわう季節が近づいて今は、その日に備えているかのように、ひっそりとしていました。

中には入らず、入り口周辺でひと休みした後、テクテクと歩いて八幡サマへ。ここは今、修学旅行の季節なのでしょうか、少年・少女たちの行列で大にぎわいでした。

暑さの中、よく歩き、ノドも渇き、さあ帰ろうか、ともう、目の前にビールがちらついています。鎌倉から私の地元・藤沢に戻り、居酒屋に飛び込んでグビグビと渇きをいやします。

ああ、うまい!

友人Fの鎌倉への誘いも、それに応える私も、最近は何か、散策を終えた後の、この打ち上げが主目的の様相を呈してきた感じです。

やがて・・・むし暑く、憂鬱な雨の季節となって、それが終われば夏-。着物の四季で言うなら、単衣(ひとえ)から薄物へ、と移り変わっていくのですね。

いやいや、そんな情緒に浸っている場合じゃありません。思い出しました。まだ、たまった冬ものを洗濯屋に出していませんでしたっけ。
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鎌倉散策~日蓮ゆかりの地を歩く

今週末のプロボクシング“世界戦ラッシュ”に向けてこのところ、ボクシング取材に動き回る日が続き、なかなか仕事モードを切り替えられないでいました。

が、気分転換には、ブラり散策が一番! と鎌倉好きの例の友人Fと、例によって例のごとく、JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(八幡サマ側)で待ち合わせました。

私は最近、コンビニの100円コーヒーが、安くて美味(うま)い! と好きになり、早めに鎌倉について、駅近くのコンビニでおにぎり&コーヒーの軽いランチを済ませ、約束時間の午後1時に合流しました。

ところで・・・私の自宅から徒歩10分くらいのところに「竜口寺」(神奈川県藤沢市片瀬)というお寺があります。

処刑場があった竜口寺といえば、伝説として知られているのが「竜ノ口法難」でしょう。私も小学生のころ、この話をよく聞かされたものですが〈南無妙法蓮華経〉の日蓮宗の開祖・日蓮をここで斬首しようとしたところ、海から光るものが飛んできて、刀を振り上げた役人の目がくらみ、目的が果たせなかった、という“天候急変”が原因だろう出来ごとです。

ということで今回の鎌倉散策は、日蓮ゆかりの地をぶらつこうか、ということになりました。

鎌倉駅東口前のロータリーを直進、若宮大路の信号を渡ると正面に老舗書店の「島森」があります。向かって右方向に進むと郵便局があり、その角を左折して歩きます。

このあたり、鎌倉市大町の周辺が、日蓮宗のお寺が多数、点在するエリアです。

まず、日蓮宗の本山「妙本寺」(鎌倉市大町)に足を運びました。

このお寺が建つ地は、現在「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれ、資料には鎌倉時代、源頼朝に仕えた御家人・比企能員一族の屋敷があった、とありました。

素晴らしかった「妙法寺」の苔

一族は北条氏と対立し、返り討ちにあって北条時政に滅ぼされ、難を逃れた能員の末子・能本が日蓮の信者となってこの地にお寺を建てた、とのことでした。

境内の片隅には比企一族の苔むした墓があり、そうした悲劇的な歴史を持つ妙本寺で当時の栄枯盛衰を偲(しの)びつつ、ここの境内は、今の時期、うっそうと茂った新緑に包まれて素晴らしい景観を見せており、楽しむことができました。

このお寺を出た後は、バス道の名越街道をブラブラと歩き、街道横の「安養院」(鎌倉市大町)に寄り道して北条政子の供養塔などを見物。さらに歩くとやがて「安国論寺」(鎌倉市大町)が見えてきました。

ここは日蓮関連エリアとして欠かせないところですね。

日蓮が初めて鎌倉に入った際の拠点であり、入り口で配布されている「境内霊場案内図」には、修行を続けた日蓮岩屋とも呼ばれる岩窟「御法窟」が記載され、あの〈立正安国論〉は、この岩窟で書かれた、とされていました。

〈立正安国論〉は、1260年(文応元年)に著した仏教書で、法華経を信じることなく国の安寧は得られない、とするものですが、強烈な主張ゆえに、それから11年後に日蓮は、竜口寺の処刑場に立たされています。

この安国論寺に近い「妙法寺」(鎌倉市大町)は、日蓮が鎌倉で本格的な布教活動に乗り出したときの拠点と言われています。

このお寺に伝えられているのが「松葉ケ谷の法難」です。

妙法寺が配布している資料によると、日蓮が読経しているとき、一匹の白猿が現れて袖を引き、どこかへ導こうとしています。導かれたところが、安国論寺の裏山にある「南面窟」で、この不思議な避難により日蓮は、反徒からの焼き討ちを逃れた、とされています。

まあ、そうした歴史的な出来ごととは別に「高いなァ」と思った300円ナリの拝観料を「なるほどね~」と納得させたのが、石段を緑の絨毯に変えている苔の素晴らしさでした。

この石段は歩行禁止となっていますが、その脇に階段を造っており、さまざまなアングルで苔の石段を観(み)ることが出来ます。

写真好きには、たまらない被写体でしょうね。若い人がローアングルで懸命にシャッターを切っていました。

少々、太ももに筋肉痛を感じつつ・・・こうしてブラり散策は終了しました。

そして恒例の打ち上げの楽しみは、蕎麦屋に入り、私はビールとせいろ、友人Fは日本酒とせいろ、です。

気分転換になったいい一日でしたネ~。

新緑の「常立寺」から「大船観音寺」へ

日本の四季は、本当に情緒的で、その都度(つど)人の気持ちを変えるものですね。

「桜」で和(なご)んだ心が、今度は「新緑」のエネルギーに沸き立ちます。

1年の内で一番、心地よく過ごしやすい、この季節-。

吹く風で肌寒さはあったものの、好天に恵まれた4月25日午後、鎌倉好きの例の友人Fと「久しぶりに歩こうか」ということになって小田急片瀬江ノ島線の「片瀬江ノ島」駅前で合流しました。

友人Fの「『常立寺』をのぞいてみたいなァ」との希望で足を運びます。

江ノ島電鉄(江ノ電)の「江ノ島」駅から徒歩で4~5分程度のところに日蓮宗の「常立寺」(神奈川県藤沢市片瀬)はあります。

この地は、私の地元であり、これまでさんざんお寺の前を通りながら、中に入ることもなく“興味の外”にありましたが、友人Fは「季節は終わったが、来年は観(み)に来たい」という梅の下見、そして何よりも、元寇(げんこう)により処刑された「元国史の塚」に興味を引かれていたようです。

〈元寇〉=「鎌倉時代、元の軍隊が2度にわたって日本に来襲した事件。蒙古来襲。文永(1274年)・弘安(1281年)の役」(広辞苑)

すぐ近くに罪人の処刑場があった「龍口(りゅうこう)寺」(神奈川県藤沢市片瀬)があり、処刑された人たちの埋葬地が「常立寺」だったようですが、元国史たちも同様だったことが伝えられています。

そういえば、大相撲の巡業が藤沢市で行われる際、朝青龍(元横綱=引退)や白鵬らモンゴル出身力士が常立寺を訪れ「元国史の塚」を参拝する出来事が話題となっていました。

実はこの「常立寺」の娘さんが、私と高校時代の同級生だった、ということもあって、会ってしまったらなァ・・・などの気遣いもあり、境内散策は友人Fに任せ、私は外の道で待機していましたが、友人Fは「全体的に整っている、いいお寺だよな。梅の季節にはぜひまた来たい」と満足そうでした。

“灯台もと暗し”だった「観音サマ」

さて・・・このあたりは他に特に見るべきものもなく、どうしようか? と、いつものように“足の向くまま”の態勢に入り、その結果、大船に出て「観音サマ」を観(み)よう、ということになりました。

「常立寺」からは目と鼻の先、徒歩1分程度のところに湘南モノレール江ノ島線「湘南江ノ島」駅があります。それに乗って約20分ほどで「大船」駅に着きます。

「大船」駅から徒歩5分程度で「観音サマ」に到着します。拝観料300円を払って中に入り、配布された資料に目を通してみると、私は、近くに住んでいながら、この「観音サマ」について、本当に何も知らなかったことに気づきます。

1960年(昭35)4月に完成したということで、私は15歳のときから、東海道線に乗ったときにたびたび窓の外に見たりしていたのに・・・です。

だいたいこれまで、勝手に「観音サマ」などと呼んできましたが、正式名称は「大船観音寺」(神奈川県鎌倉市岡本)「白衣観音像」であり、配布された〈大船観音寺のあゆみ〉には、1929年(昭4)4月14日、建造に着手されたものの、途中、資金不足でつくりかけのまま23年間放置され、その後、第2次世界大戦後に再出発して完成に至った、という経緯が記されていました。

この「大船観音(白衣観音)像は、近づいてみると凄いですね。高さ25メートルの巨大な胸像、見上げる私たちに柔和な顔が真上からド~ンと迫ってきます。

〈大船観音寺のあゆみ〉に彫刻家・山本豊市氏の寄稿があり、氏はこう記述しています。

〈(略)私は寺に行くたびにの像の前に立つ。立っているとちょっと動けなくなってしまう。(略)〉

実際、その通りで私も、しばらく動けない状態になりました。

今の季節、ソメイヨシノは葉だけになりましたが、八重桜がほっこりした花を咲かせていました。像の白とソメイヨシノの葉の緑、八重桜のピンクの対比・・・。なかなか風情がありましたネ~。

この日は、スタートが午後3時と遅かった分、夕暮れが早く来ました。

では・・・といつもの通り、藤沢に戻り、打ち上げは“ちょい飲み”と終わりなき歓談です。

ビールのうまさが、ことのほかノドにしみわたる、いいひとときとなりました。

“もうひとつ”の鎌倉の魅力

“竹の寺”として人気のある「報国寺」(鎌倉市浄明寺)に沿った道を奥に進むと、風格のある木造建築の洋館が見えてきます。

それが「旧華頂宮(かちょうのみや)邸」(鎌倉市浄明寺)ですね。

「報国寺」へは、JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(鶴岡八幡宮側)前から出ている京急バス「金沢八景行き」に乗り「浄明寺」バス停で下車、で行くことが出来ます。そこから「旧華頂宮邸」までは徒歩約4~5分です。

3月8日午後、どちらかというと季節感は桜に向かっている雰囲気の中、ノーテンキな私たちは「梅を観(み)に行こうか」と「瑞泉寺」(鎌倉市二階堂)に向かいました。

ブラブラと歩いて「瑞泉寺」に着き、入り口で200円の拝観料を払おうとすると、何と受け付けのオヤジさんは、ノンキなものです、机の上に両足を投げ出して居眠りの真っ最中でした。

声をかけても目を覚まさず、この状態だけでも、今は梅の最盛期が過ぎて訪れる人たちが少ないのだろう、花の寺も小休止に入ったんだろうな、ということが分かり、まあ、拝観料など払わないで入っちゃおうか、とも思いましたが、一応ルールは遵守しようと、オヤジさんを起こしたところ、何やら不機嫌そうに「梅? もう終わったよ」と鼻先で笑われてしまいました。

まあ、ある程度は予想して来ているので別にガッカリもしませんが、この「瑞泉寺」はどうやら私たちにとって鬼門のようで、これまで再三、訪れていながら、前回は早過ぎて“もうちょいだな”と言われるなど、ここで見頃の梅を観たことがありません。

・・・で、そこから戻って金沢街道を歩き、なぜか和服姿の娘さんが多かった「報国寺」をのぞいた後、足を延ばして「旧華頂宮邸」に向かったのです。

点在する「旧宮邸」「旧侯爵邸」

ここの見どころでもあるフランス庭園の一般公開は、3月まで「午前10時~午後3時」とあり、私たちが着いたとき、ちょうど管理人さんが、門を閉めようとしているときでした。

声をかけると「瑞泉寺」のオヤジさんとは、こうも違うものか! の応対。イヤな顔もせず、いいですよ、庭を見てきて下さい、門は開けときますから、と言われ、思わずうれしい気持ちになりました。

「華頂宮」は、資料によると、大政奉還後の慶応4年(1868年)に伏見宮邦家親王の第12王子・博経親王によって設立された宮家、とあり、その「旧華頂宮邸」は1929年(昭4)に元皇族・華頂博信侯爵邸として建てられたもの、とありました。

現在は、鎌倉市が1996年(平8)に建物を譲り受け、庭園部分を一般公開、建物内部は春と秋の年2回、それぞれ2日ずつの計4日間、公開されています。

昨今、ここを訪れる人たちが多くなったのは、やはり、テレビドラマの舞台になったことが影響しているようです。昨年10月からTBS系列で放映された織田裕二主演の「IQ246~華麗なる事件簿~」で、この「旧華頂宮邸」が主人公の邸宅、という設定になっていました。

こうした「旧宮邸」「旧侯爵邸」は、鎌倉市に結構、点在しています。

江ノ電(江ノ島電鉄)の「長谷」駅から由比ヶ浜大通りを鎌倉方面に向かい、途中、案内板のある交差点を左折した奥に「鎌倉文学館」(鎌倉市長谷)があります。

この建物も、その一つですね。3階建ての本館と敷地は、加賀百万石藩主・前田利家の系譜である旧前田侯爵邸の鎌倉別邸としてあり、1890年(明23)ごろ、第15代当主の前田利嗣(貴族院の侯爵議員)によって建てられた、と記されていました。

この建物の、知る人ぞ知る快感? は、夏の暑い日、2階のベランダに出ると、目の前に広い庭園とバラ園が広がり、遠くには海が見渡せますが、そこから吹いてくる風の心地よさ、にあります。

スーッと引いていく汗の気持ちよさに当時の生活をしのびながら、さすが、こういう人たちは、いいところに居を構えるものだなァ、とつくづく感じるひとときでもあり、一瞬の贅沢に浸るのも悪くはありません。

さすがにまだ早かった鎌倉の梅

厳しい寒さが続くこのごろ。「寒いネ~」が挨拶代わりにもなっていますが、そんな中にも、何となく「冬萌(ふゆもえ)」の気配を感じます。

「冬萌」は冬の季語。歳時記に〈木の芽や草の芽が、早くも冬の日を浴びて萌え出していることをいう〉とありました。

・・・ということで1月23日午後、冬萌を体感しようじゃないか、と鎌倉好きのいつものメンバー、FとS、それに私、のオヤジ3人がJR横須賀線「鎌倉」駅の東口(鶴岡八幡宮側)に集まりました。

さて・・・どこへ行こうか、と相変わらずの無目的、足の向くまま、気の向くまま、行き当たりばったりのスタイルです。

だからといって昼日中、では、とりあえずビール! というわけにもいかず、マジメに、とりあえず八幡サマに新年のご挨拶だろう、と敬意を表すべく、若宮大路のド真ん中、改装された段葛(だんかづら)をブラブラと歩き、鶴岡八幡宮に向かいました。

私自身は新春1月3日、ブラリと鎌倉に出掛けました。しかし、予想はしていましたが、このときの混雑ぶりはすさまじく、八幡サマの境内は人、人、人・・・で動きが取れないほど。これは・・・と退散して、この日が出直しとなりました。

例年、1月いっぱいは、何となく混雑する八幡サマですが、この日は結構、すいていてゆとりが感じられます。それにしても・・・本宮の前に控える60段の石段は、訪れるたびにきつくなり、途中で休んだりする始末。オヤジ連中の会話は、いずれ上まで行きつけなくなるなァ、と冬萌どころか冬枯れで寂しい限りです。

今年もヨロシク、と勝手なお願いをして八幡サマを後にし、足の向くままになぜか、流鏑馬(やぶさめ)馬場の通りを左折、源平池の源氏池に沿って歩きます。

「冬萌」の情緒を求めてブラブラと・・・

ふと見上げると、梅の木にポツポツと小さな花が咲いています。なるほど。これぞ冬萌・・・。

梅は健気(けなげ)でいいですね。一瞬の華やかさを誇って散る桜も、それなりの良さがありますが、梅には寒さに耐え忍ぶ我慢が感じられ、いとおしさがあります。

我慢とか忍耐とかで生きてきた昭和のオヤジ3人。そのあたりは気味の悪い以心伝心があり、よし、本日のテーマは“耐え忍ぶ梅”で一致。では、と梅の名所「荏柄天神社」(鎌倉市二階堂)梅を中心とする花の寺「瑞泉寺」(鎌倉市二階堂)へと行く先を定めました。

バスに乗れば、鎌倉駅前から「岐(わか)れ道」を経て「鎌倉宮」へと向かう表の道に沿った裏の路地をテクテクと歩き、健気な梅を見ながらの優雅な鎌倉散策です。

そのうち「荏柄天神社」に着き、まずは入り口付近にある、お休み処の「天満亭」で一杯320円ナリの甘酒を注文してひと休み・・・これはおいしかったですねェ。

学問の神様・菅原道真公が祭神の「荏柄天神社」の境内は、受験シーズンとあって、受験生を持つ親御さんの“神頼み”でにぎわっていました。梅? 何やらそれどころではない雰囲気がそこかしこに漂っており、どうにも居心地の悪さを感じ、早々の退散となりました。

また歩き、鎌倉宮を経て次の目標「瑞泉寺」へつきました。入り口で拝観料200円を払いながら、管理人さんに、どう? と聞くと、まだだね、と返ってきました。

さすが花の寺。訪問する人々が、何を求めているのか熟知している様子です。確かに境内に入ると、まだまだ冬枯れで冬萌には至っていません。

やっぱり、ひと月早かったね、2月中旬ころかな、と帰路につきます。帰りは鎌倉宮からバスに乗り、楽ちんのひととき。

歳時記には、春の季語に「寒の明(かんのあけ)」がありました。2月の3~4日ころ、節分・立春の時期をいうのだそうです。

「寒の明」-いい言葉ですね。本当に暖かさが待ち遠しい季節です。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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