良き飲み仲間とのひととき~パートⅤ

藤沢市内(神奈川県)でにぎやかに夏祭りが開催された先週末の土曜日夜、見物が一段落したところで行きつけの「呑み処(どころ)」にいつものメンバーが顔をそろえました。

例年、この祭りでは、尺八の名手として大活躍する、歌もシロウト離れしていて、カラオケが始まったら後に続くものがいなくなる、あの困った人のAさんも、浴衣を汗で濡らしながら大役を無事終え、店ではカウンターのいつものポジションに座り、にこやかな笑顔を見せています。

「まあまあでした」は、暑さの中で演奏がうまくいった、ということなのでしょうね。

まあ、それはそれでいいのですが、このAさん、その後、喉が渇いていたのか、どうにも似合わないことをポツリ、つぶやきました。

ああ、マックの「マックシェイク・カルピス」が飲みたくなったなァ

カウンターを埋めた常連客の面々、それぞれがあちこちで、いつものように言いたい放題、丁々発止! の状態でしたが、Aさんのこのひと言で静まり返ってしまいました。

このうるさい常連客を日々、巧みに操る敏腕店主のCちゃんママが言いました。

〈何よ~Aさん、そんなの飲むの? ひょっとして甘党?〉

すかさず大手出版社勤務の、最近長きにわたったお勤めをようやく終えたことによってでしょうか、持ち味の毒舌がますます冴えわたり始めたMさんが続けます。

〈長澤まさみのカルピスなら、甘酸っぱい爽やかさ、を感じるけどね~。どうも、オヤジの「マックシェイク・カルピス」ってのは、気持ち悪りィだけだよな。だいたい、シェイクってのは飲むの? 食べるの?〉

ン、エエッ、ムフ~っ・・・これら総攻撃にあって、言葉を詰まらせるAさん。では“百聞は一見にしかず”です。皆さんの認識を変えるために買ってきましょう、これはもう、飲むにしろ、食べるにしろ、口にしたとたんに長澤まさみになってしまいますから・・・とAさんは店を出ていきました。

時計を見ると午後9時過ぎ-。

「マックシェイク・カルピス」を巡る小事件

しばらくして手ぶらで戻って来たAさんは、残念! 「マックシェイク・カルピス」は本日、もう、終わってしまった、とのことでした。

北海道は室蘭出身の硬派オヤジ、昭和大好き人間のバンカラTちゃんが冷やかします。

〈だいたい、そんな“おこちゃま”モノは、もう売ってる時間帯じゃないんだよ〉

悔しそうなAさん。そう言いますがね~。皆さんにはホント、一度、食してもらいたい一品ですよ。

Aさんの解説によると、この一品は、夏に向けた期間限定品なのだそうで、Sサイズが120円、Mサイズが200円、あの爽やかさは120円だ、200円だ、では買えないですよ、と力説です。

そうかな~。昨今、コンビニの100円コーヒーもバカに出来ない美味(うまさ)たぜ。だいたい、いいオヤジが店のカウンターでよく「マックシェイク・カルピス」下さいって言えるよな。

そうそう、店の女のコは、カウンターの向こうでオヤジの下心を察知してるんじゃないの?

いやはや「マックシェイク・カルピス」を巡る事件は、とんでもない方向に進んでしまいそうな気配にすかさず、Cちゃんママが中に入ります。

〈ホラホラ、みんな、じゃ、ソフトクリームにしようよ。アタシがおごるよ〉

ということで本日終了の時間が近づく近くの店で、1個230円が180円に値引きされたソフトクリームをCちゃんママが持って帰ってきました。

しかし・・・それにしても、です。店のカウンターに日本酒だ、焼酎だ、ウイスキーだ、の瓶が立ち並ぶ中、客たちはそろって「ウメ~」などと言いながらソフトクリームを舐めたりかじったりしています。

これは実際、奇妙な光景であり、新たに店に入ろうとしたお客さんが見たら、びっくりしてしまうに違いありません。

吞んだ後のラーメンの美味さは、既に皆さん、ご承知のことでしょうが、呑みの合間のソフトクリーム、いずれはここに「マックシェイク・カルピス」も入ってきそうですが、この流れは、何やらこの店に足しげく通う常連客の、新たなマイブームに発展しそうな気配です。

では、私も・・・とこっそり、カウンター前の列に並んでみようか、とも思いますが、Aさんとハチ合せしてしまってはバツが悪いですねぇ。

Aさんならまだいいか。毒舌Mさん、バンカラTちゃんだったら、こりゃもう、言い訳のしようがありません。

もっとも、向こうも! ですがね。

まあ、年齢も高くなると、何だかんだとすべてに理由をこじつけなければならなくなってしまうのでしょう。

皆、胸中は、オッ、そんなにいいなら食べて(飲んで?)みようか、と素直で実に単純なのに、です。
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包容力あふれる映画人・脇田茂氏に感謝

映画好きが集まって定期的に開催される研修会があり、その席にいつも“重鎮的”な存在で顔を見せてくれていたのが脇田茂氏でした。

元松竹の敏腕プロデューサー。今年に入って体調を崩し、5月18日逝去。享年89。7月18日に開かれた研修会は、脇田氏を偲ぶ追悼特集で故人が最も愛した木下惠介監督作品「日本の悲劇」(松竹=1953年公開)が上映されました。

脇田氏は1927年(昭2)9月1日生まれ。兵庫県出身。東大教養学部卒業後の1954年、松竹大船撮影所に入社しています。

翌1955年に企画部に配属され、プロデューサーとして映画製作に関わることになり、特に木下惠介監督、山田洋次監督のプロデューサーとして腕を振るっています。

その歩みを振り返ると、脇田氏を知る松竹関係者の話では、1953年に公開された「日本の悲劇」を脇田氏は、26歳のときに観て、その感動が動機付けとなって翌1954年の松竹入社となり、さらには木下恵介監督のプロデューサーとしての活躍に結びついている、とのことで、脇田氏の一本筋の通った映画人としての人生が偲ばれるものとなりました。

1953年公開の「日本の悲劇」の最初のシーンは、1945年夏の終戦後から8年を経た、その間の出来事がニュース映画ふうに並べられていきます。

映画界入りを決めた「日本の悲劇」

8年間の出来事~終戦直後の混乱による食糧事情の悪化、さらに東京裁判、労働争議、戦後最大の謎とされた下山事件、さらには“血のメーデー”事件~などなど、そこから入る社会性の後、木下監督は、しかし、一方、これもまた戦後の混乱を生きるひとつの姿である、と1人の戦争未亡人が、2人の子供たちを必死に育てながらも、そのために手を汚さざるを得ない事情に子供たちが背を向ける庶民の苦闘に焦点を当てます。

当時、若かった脇田氏は、木下監督が描く、こうした社会性、悲劇性に胸を打たれ、結局、敗戦は、日本の悲劇であるとともに、その重さをまた、日本人の一人一人が背負わざるを得なかった、という悲しみを描き出す映画に無限の可能性を感じたのかもしれませんね。

生きるために苦悩する戦争未亡人の井上春子を演じる女優・望月優子は、まさに“日本の母”的な、悲しみを内に隠して生きるたくましさを感じさせて、素晴らしい演技を見せていましたね~。

井上〈望月優子〉春子は、2人の子供たち、長女の井上〈桂木洋子〉歌子に洋裁を習わせ、英語塾にも通わせ、長男の井上〈田浦正巳〉清一を医大に通わせ、それを生きがいに熱海の旅館で仲居として働いています。

生きるため、子供たちを育てるため、母親は、ときに酔客に媚態を見せたりしながら、身を粉にして働きますが、子供たちは、そうした母親の姿に嫌悪感を抱きます。

そうした母と子の亀裂は、次第に深まり、ついには清一に「ふしだらだ」とののしられた母親は、子供たちに見捨てられた絶望感から、熱海への帰路、途中の湯河原で降り、列車に飛び込んでしまいます。

何かと春子に目をかけられていた流しの艶歌師・達也〈佐田啓二〉が「いい人だったのに・・・」と偲んでつまびくギターの音色が、最後の最後、淡々と非情に「日本の悲劇」を描き続けた木下監督の唯一、センチメンタリズムでもありました。

この映画をきっかけに映画界に入った脇田氏は、さまざまな要職を経て1980年、シナリオライター養成の名門と言われた「松竹シナリオ研究所」の所長も務めたりしています。

映画界を志す後輩たちを指導し、多大な影響を与え、また私たち、単なる映画好きのシロウトにも、研修会後の飲み会には、杖をつきながらも姿を見せ、気軽に分け隔てなく接してくれた重鎮の包容力に今、感謝の気持ちしかありません。

良き飲み仲間とのひととき~パートⅣ

行きつけの「呑み処(どころ)」に集まる常連客の、このところのブームは〈ステーキ〉です。

肉好きに人気急上昇のステーキ専門チェーン店「いきなり!ステーキ」が、私が住む神奈川・藤沢市内にも開店したことで、呑み処の店主、肉食女子のCちゃんママが、行こうよ、ネ~、みんなで行こっ! ということになり、静かなるブームとなりました。

ン? 静かなる、ですか?

そうです。静かなる、ですよ。なぜ? って常連客の面々、年々、平均年齢がアップする中、医者の指導のたまものか、妙にコレステロール値などに詳しくなってしまい、脂質異常症(高脂血症)がねぇ、とか、血圧が下がらなくてねぇ、LDL(悪玉)コレステロール値が高いんだよ、など、そのテの専門用語を駆使した話題が増えつつあります。

じゃ、夜遅い時間は、アルコール、甘いもの、そして肉食は控えましょうね、と医師にキツ~く言われ、ハイハイと表向き、素直に返事をしながらも、夜な夜な、ここのカウンターに座る呑兵衛(のんべえ)たち。それでも、若いときは分厚いレアの肉にかぶりついていたことを懐かしみながら、まあ、肉は我慢しようか、と遠ざけていたのに、Cちゃんママの“旗振り”で一気に火がつきました。

だから、あまり大っぴらにはできず、女房・子供に、アナタだけいい思いして、となじられるのも嫌だし、ここだけの話だけど実はね、という類の静かなる、なのでした。

他人に厳しく、自らに甘い面々は、こう自己弁護します。

〈悪玉だか善玉だか知らないが、もう、このトシになれば、コレステロールも関係ネーだろ〉

何やら、ステーキひとつ食べるのにも、やけっぱち気味の理由づけがいるトシになってしまった仲間たちでした。

某月某日の午後-。

「いきなり!ステーキ」の店内に面々がそろいました。

だいたい、1グラム=8円、をベースにして客が好みの肉、各種200グラム以上を注文、客の前でカットして焼き上げることをウリにしています。200グラムなら1600円-。

静かに漂う“ステーキ”ブーム

といっても、200グラムを頼んでも、キッチリと200グラムにカットすることは、技術的に難しいようで、190グラムだとか200グラムちょいオーバーくらいの肉が出てきます。

日ごろ、何かとひと言、言いたがり屋のAちゃんが案の定、口を開きました。

〈客が注文した量をカットできないのは技術の問題だろ。だったら、多めに出して(注文した)200グラム分の料金にしたら、この店は良心的だなァ、と思うけどね。少ないってのはヘンだろ〉

いいよ、いいよ、そんなことはどうでも・・・ジュージューと音を立てる肉が目の前に出されれば、もう文句なし、紙のエプロンを首からぶら下げて、理屈抜きに舌なめずり、となってしまいます。

〈もう、イヤ! 薄着になるこの季節、嫌いヨ〉

ちょっぴり太り気味が悩みのタネらしい日本舞踊の先生を務めるKちゃんは、半袖のシーズンが苦手ですが「いきなり!ステーキ」には、しっかり顔を出し、男連中がサーロインやヒレを200グラムなどと控えめに注文する中、じゃ、アタシは・・・リブロース300グラム! などと大胆に注文しています。

まあ、彼女の悩みのタネは、世間体程度のもので実際は、肉が食べられるのなら太ってもいい、と問題外なのかもしれません。たくましいですね~。

それにしても・・・肉好きが肉を食べるときの幸せそうな顔は、店内の雰囲気までも幸せな気分にするものですね。

特に女性が、ガッツリと肉をほおばる姿は、電車内で化粧をする女性やドカッとあぐらをかいて座る女性が「はしたない!」と非難されるのと同様、文句を言う方々もいるでしょうが、それはそれで見事なものです。まあ、それが“時代の流れ”-今ふうのオンナというものでしょう。

ところで「いきなり!ステーキ」藤沢店は、椅子席がメーンとなっていますが、もともとは“立ち食い”でスタートしたのだそうです。

ステーキと言えば、高価格、豪華、のイメージですが、このスタイルを採用したことで、低価格、質素、とイメージをガラリと変えました。

私たちが満腹状態で店の外に出ると、店の前では順番を待つ人たちが行列をつくっています。

それを見てCちゃんママが言いました。

〈結構、若い人たちだよね。ステーキ食べに並ぶんだものね。イメージが変わったよね。半分、ウチの店に並んでくれないかなァ〉

まあまあ、そうした本音はともかく、おいしいものを食べた後は、気持ちが豊かになるものです。

・・・で、面々は、次はいつ? と何やら、クセになりそうな気配-。

まさに静かなるブームでした。

良き記者仲間“ヤマちゃん”との交流

携帯電話にメールが入りました。4月16日の日曜日、午前10時30分-。

送信者は“ヤマちゃん”です。

〈おはようございます。4月18日に「NHK BSブレミアム」で「クラッシュ・ギャルズ」特集があり、ちょっと出ます。見れたら見て・・・〉

-とのことでした。

放送開始時間が記されていないのが、いかにも、ヤマちゃんらしい、アバウトなところですが、そこはいつも通り、こちらの手間。調べてみると、ああ、これかな? 同局で4月18日放送の「アナザーストーリーズ」(午後9時~)です。

記者仲間のヤマちゃんは、私より年齢が3つ下なのでこんな呼び方をしていますが、実は山崎照朝さん、そうです、極真空手の「第1回オープントーナメント~全日本空手道選手権大会」(1969年9月)を制覇した伝説の男〈極真の龍〉なのです。

過去にあった一つの出来事を軸にして、それが及ぼした側面を追っていく「アナザーストーリーズ」の今回のテーマは、女子プロレスの会場を、10代の少女たちが熱狂する、まるで宝塚の会場のように変えたクラッシュ・ギャルズに焦点を当てていました。

1980年に「全女(全日本女子プロレス)」入門の同期生、長与千種とライオネス飛鳥は当初、単独で点と点の活動していました。

しかし、強くはないが、何か新しいことをやりたい、と悶々とする長与。強いけど面白くない、と評価の低い飛鳥。この2人が対戦することになり、点と点が線で結ばれたことを機にコンビを組むことになり、1983年、今では伝説と言われるクラッシュ・ギャルズが生まれました。

2人を結びつけたアイディアは、全女の先見の明だったでしょうが、クラッシュ・ギャルズのファイト・スタイルをその名の通り、激しい衝突、流血も辞さず! に導いたのは、コーチ役を要請された山崎さんでした。

山崎さんがインタビューに答えます。

〈2人の良さは、純粋さ、素直さ、でしたね。私は、極真で教えられた稽古をそのままやってもらいましたが、それは大変だったと思いますよ。でも、2人は“聞く耳”を持っていましたね〉

“極真の龍”とタイソン報道で競り合う

もっとも、特訓中の2人は「もう限界というところから本格的な稽古が始まるんですよ」(飛鳥)「明日(山崎さんを)殺してやろう、と毎日思っていました」(長与)と相当にきついものだったようです。

空手着に“風林火山”の4文字を縫い込んだ山崎イズムを全女のリングに持ち込んだクラッシュ・ギャルズは、ダンプ松本らの「極悪同盟」とシ烈な抗争を展開させ、それはついに1985年8月大阪城ホールのダンプ松本vs長与千種の敗者髪切りマッチへと至ります。

負けた長与。ダンプの非情な髪切りに会場を埋めた少女たちの悲鳴と涙・・・。

誰がそういうストーリーを仕組んだか。ブームをつくったか。そしてその熱狂は、私も強くなりたい、という少女たちの志願者を生み、底辺の拡大という意味で今の日本の女子レスリングの強さにも結びついている、と番組は、クラッシュ・ギャルズへの熱狂を軸とした「アナザーストーリーズ」を力説します。そうした流れにひと役買った山崎さん-。

私が、それまでのゴルフ担当からボクシング担当を命ぜられたのは、1987年(昭62)のことでした。その年の7月、プロボクシング界は、WBC世界ジュニアウエルター(現スーパーライト)級王者・浜田剛史(帝拳)が、王座を奪ったレネ・アルレドンド(メキシコ)と再戦して返り討ちに合い王座を陥落しています。

ボクシング取材の現場で「トウチュウ(東京中日スポーツ)」のボクシング記者として活躍していたヤマちゃんに会い、初対面時の名刺交換で、ああ、この人が“極真の龍”と呼ばれた山崎さん、と知り、ビックリしたことを覚えています。

1988年(昭63)3月に当時、統一世界ヘビー級王者として全盛を誇ったマイク・タイソン(米国)が東京で防衛戦をすることが決まり、このタイソンを巡る各社担当記者の取材合戦は、かなり激しいものになりました。

こうしたことがあると、記者の間に紙面上の競り合いはあっても、そのひとときが過ぎれば、お互い、ねぎらいのようなものが生まれ、私とヤマちゃんの間にも、何か連帯感のようなもの、親しみがあったかもしれません。

お互いに現役を終え、紙面で競り合った日々が懐かしくなった今、ヤマちゃんとは定期的に横浜でランチタイムを持ち、あ~だ、こ~だ、と相変わらず、言いたい放題の歓談のひとときを過ごしています。

いろいろな意味で精神論を尊ぶ空手家ゆえに政治的なことが嫌いな人です。そうでなければ、とうの昔に極真会館の要職に就いていてもおかしくない人・・・でしょう。

もっとも、だからこそ・・・色に染まらない記者の立場を貫いているからこそ、2020年東京五輪で初採用された空手の競技成功、そして継続に向けて関係者から相談を持ちかけられることも多いのではないかと思います。

それに応えつつ、ヤマちゃんは、いつまでも私たちの、良き記者仲間でいてほしいですね。

良き飲み仲間たちとのひととき~パートⅢ

歌わせればプロ顔負けの上手さです。

彼がカラオケのマイクに向かった後は、誰もがビビって尻込みしてしまう、という“困った人”がAさんなのです。

日ごろ、行きつけの「呑み処」-。

カウンターにいつもの顔ぶれがそろって、相変わらずのにぎやかさ。そんな中、そのAさんが一人、落ち込んでいる様子で柔和な笑顔が消えています。

〈歌? オレはもう、歌わないよ。歌ってる場合じゃないだろ。オレはネ~もう、みんなの冷たさが分かった。今日は寒い。体の寒さ以上にオレの心は凍っている〉

何? オイオイどしたの? 何、スネてるの? ・・・そうです。実はあのとき・・・衝撃的な“置き去り事件”が起きたのです。

2月の某日-。

店主のC子ママが企画する、恒例となった、スーパー銭湯でノンビリ湯に使った後、飲んでしゃべって楽しいひとときを過ごそうよ、の会が開催されました。

今回は9人が参加。いつものように小田原(神奈川県)のスーパー銭湯に向かい、冷えた体を温め、食事をし、その後は居酒屋に場所を移してひとときを過ごし、いい一日だったねェ、とお開きになりました。

帰路、一行は駅に向かいました。その駅でAさんは、ちょっとトイレに・・・とグループを外れます。

人の習性とでも言うのでしょうか、不思議なものですね。例えば電車が来るのをホームで待っている状況だったら、電車が来ても、まだAさんが来ていないよ、と恐らく、合流を待ったことと思います。が、階段を下りているときに電車が入ってきたときはどうでしょう。みんな、来た来た急ごう、と駆け足で飛び乗ってしまったのです。

出すものを出したAさんが、さっぱりしてホームに姿を現したときは、すでにみんなの姿はなし! 一人、呆然と次の電車を待ちつつ、この裏切りモノたちめ! とAさん、恨み節になった次第でした。

“置き去り事件”顛末記

後日のこと-。

〈イヤ~実はね、駅のトイレで最初、間違えて女性用に入っちゃったんだよ。冷たい目で見られてね。慌てて男性用に行ったんだけど、その分、遅くなった〉

-とAさん。

そんなことを言うものですから、さあ、大変! です。何しろ、聞く耳持たず、曲者ぞろいの常連軍団、一斉に総“口”撃の開始です。

口火を切ったのが、昭和の香り漂う室蘭出身の硬派、こわもてのTちゃんでした。

〈酔って間違えたって? イヤイヤ、フリして意図的だったんじゃないの。危ネ~なァ〉

さらに・・・。

〈そう言えば、女性用の表示は「赤」だね。Aさん、日ごろ、赤でも進め! の反骨性が、こういう事態を生むんだよ〉

また、さらに・・・。

〈ひとつ間違うと、今は大変だよ。痴漢だって何だって、やってません、間違えました、と言ったって、冤罪だろうが何だろうが捕まっちゃう時代なんだからネ~〉

次第に話があらぬ方向に進み、いつも通りにかんかんがくがく-。

一筋縄ではいかないこんな連中の間をいつも、うまく取りなしているのがC子ママなのですが、ここでも力量を発揮しました。

〈ホラホラ、悪いのは電車でしょ。何たってみんなを急がせた電車が悪い!〉

鮮やかな“大岡裁き”に面々の顔がほころびます。一件落着-。

それでは一曲、とAさんのご機嫌も直った様子。十八番(おはこ)の山本譲二「奥入瀬」が始まりました。

立春も過ぎ、暦の上では「寒の明(かんのあけ)」ですが、まだまだ寒さが続く日々・・・。

しかし、この「呑み処」のカウンターは、日々、熱い連中の熱気にあふれています。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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