良き飲み仲間とのひととき~パートⅦ

1月下旬の某日夜-。

行きつけの「呑み処(どころ)」の、8~9人も座ればいっぱいになってしまうカウンター席に5人の熟年男たちが顔をそろえ、静かではあるが、それぞれがまだまだ内に熱いものを秘めて、大人の雰囲気を漂わせながらグラスを傾けていました。

私の横に座っていたのがTちゃん。北海道は室蘭出身の硬派でロマンチスト、いつまでたっても昭和から抜け出せない例のバンカラ男です。

まあ、熟年男たちは、年齢に応じて酔いも早くなり、明日を考えれば・・・と焼酎のお湯割りあたりで塩梅(あんばい)を考慮するようになっていますが、そんな中、Tちゃんは一人、やっぱり酒は日本酒だな、などと言いながら新潟の銘酒「越乃寒梅」を〈お猪口〉でグビグビッとやっています。

そのお猪口に対して、カウンターの面々、なんでこれをお猪口と言うんだろうなァ、という話になりました。

だいたい、熟年男たちの酒を呑みながらのは話題は、ウンチクものが多く、若い連中は、それを“ウザい”などと敬遠しますが、熟年男たちは、なぜかそうした、何ごともアカデミックに由来などを追及するのが好きです。

〈猪口(ちょこ)〉=「チョクの転。さかずき」(広辞苑)

・・・ということで「チョク」を調べてみると-。

〈ちょく(猪口=当て字)〉=「陶磁器で形が小さく、上は開き、下はすぼんだ酒杯」(同)とありました。

カウンターの端に座った一人から「猪口はね、もともと“おちょぼ口(小さくて可愛らしい口)”から来たそうだぜ」との解説が飛んできました。

ヘエ~そうなの? でもね~言葉のニュアンス的には、いかにも、もっともらしく聞こえはしますが・・・猪の口とおちょぼ口とは形が違うのでは?

しかも、辞書には「猪口は当て字」とありますから、この語源説は、あるいは、さまざまな説の一つに入っているのかもしれませんが、疑問符つきとなりました。

お猪口談義から始まった盛り上がり 

であれば、多くの資料に掲載されている「ちょく」は〈飾り気のないことや安直を表す「ちょく(直)」と考えられる〉というのが、イメージ的にはピンときますね。

お猪口やそれよりひと回り大きい「グイ呑み」など、ホント、素朴で愚直。「ちょく」という言葉がピッタリという気がします。

さらに・・・じゃ、お猪口に酒を注ぐ「お銚子」と「徳利」に違いはあるのかい、というテーマとなり、熟年男たちの得意のウンチクもので場はどんどん盛り上がっていきます。

〈銚子(ちょうし)〉=「酒をさかずきに注ぎ移すのに用いる容器で柄を長くしたもの。木製あるいは金属製で近世では多く婚礼用。両口・片口の2種類がある」(広辞苑)

〈徳利(とくり)〉=「陶製、金属製、もしくはガラス製の、細く高く、口のすぼんだ器。酒・醤油・酢などを入れておくもの。特に酒を入れ、さかずきに注ぐ器。とっくり。銚子」(同)

久しぶりに店に顔を出した、中折れ帽子が似合う後期高齢者の紳士Tさんが言いました。

〈銚子と徳利は、もともと違うものなんだよ。銚子はホラ、三々九度などの儀式でさかずき(盃)に御酒を注ぐときなどによく見る、長い柄のついたものね。あれを言うんだよ〉

さすが年の功です。

カウンターの端に座った一人から、また声が飛んできます。

〈そう。徳利はね、貯蔵用の容器を本来の役目としていたんだよね。酒や醤油を保存するための容器だったから、もともとは大きいものだったんだ〉

熟年男たちの、まるで高校生に戻ったかのような、あ~だ、こ~だ、の熱弁を黙って聞いていたカウンターの中のCちゃんママが言いました。

〈いろいろあって面白いね。でも、ウチの徳利も銚子も今、棚に置かれているだけだよ。そろそろ、お話の時間は終わり。呑もッ!〉

・・・ところでこの店の徳利も銚子も、細く高く、ではなく、どこか太く低く、だねェ。これ、ひょっとしたら、蕎麦のツユを注ぐ容器じゃないの?

〈いいのよ。うるさいこと言わないのよ。中の酒に変わりはないのだからね~〉

いつも通りのCちゃんママ。

何だかんだと言い合いながら、あっという間に時間が過ぎてお開きのとき・・・。

ああ、外は寒いだろうね、出たくないね、とボヤきながら、店を後に・・・。深夜の空気は冷え切っていて、いつまでこの寒いのが続くのかね~とブルルッとなりました。
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良き飲み仲間とのひととき~パートⅥ

12月の某日-。

行きつけの「呑み処(どころ)」で焼酎のお湯割りをチビリチビリとやっているとカウンターに1枚のメモが置かれました。

〈12月23日の土曜日。「M楼」にて午後4時~〉

メモに書かれた文字。そうです。日ごろ、ここに集まる常連客の忘年会のお知らせです。

師走の慌ただしさに何かと追われ、飛ぶように過ぎ行く日々。ああ、もうそんなときなのか・・・メモを差し出した店主のCちゃんママともども、ときの流れの速さを“怖いくらいだね”と嘆きつつ、天皇誕生日の日~12月23日を迎えました。

会場の中華料理店「M楼」は、昨年の忘年会でも利用しており、料金が安くて量が多いのがウリの店。そこの円卓に、昼食を控えてお腹を空(す)かせ、さあ、たっぷり呑んで食べようか、という面々が集まりました。

大手出版社を定年退職して今は少々の余裕ができ、得意とする落語のうんちくと、持ち前の毒舌にますます磨きがかかった感じのMちゃん-。

北海道は室蘭出身の硬派でロマンチストのTちゃん。いつまでも昭和の男から抜け出せず、カラオケのお得意は、実に五輪真弓の「恋人よ」とあって、どうにも似合わネーなあ、とからかわれますが、本人は大真面目-。

そして歌自慢のAさん-。十八番(おはこ)の山本譲二「奥入瀬」は、常に90点台を連発しており、最近は加山雄三に固執して「海・その愛」を〈海に~抱かれて お~とこならば~〉と声量豊かに熱唱。相変わらず、この人が歌った後は、続くものがいなくなり、困った人ぶりにますます拍車がかかっています。

こうした、一筋縄ではいかない、個性的な男たちの丁々発止を交通整理するCちゃんママのご苦労も大変なものとお察ししますが、この日の忘年会には女性2人も参加して、男たちの角を丸める役目を果たしてくれて約2時間、良きひと時を過ごすことができました。

さて・・・「M楼」を後にした面々は、行きつけの「呑み処」に戻り、本番はこれから、いった意気込みです。

カウンターは「人生の交差点」

抱える仕事などで忘年会に参加できなかった常連組も、徐々に集まってきてカウンターは次第に満杯状態となり、店内に外の寒さを吹き飛ばす熱気が立ち込め始めたころ、ビッグなサプライズが勃発しました。

毒舌Mちゃんの顔の広さを象徴するかのように、彼の友人だという女性ジャズシンガーのCちゃんが、東京から駆けつけて輪に加わったのです。

歌自慢の困った人Aさんにとって幸いだったのは、彼女が到達する前にひと通りの歌を歌い終わっていたことでしょうか。

プロ・シンガーのCちゃんに歌ってもらうということは、こちらからはお願いできませんが、彼女はニコやかに、あくまでざっくばらんに自らマイクを握ってくれたのです。

そのうちのひとつ。山口百恵の「さよならの向こう側」-。

プロというのは凄いですね。

「何億光年 輝く星にも・・・」の滑り出しで思わず、鳥肌が立つほどの感動に見舞われ、そして後半の「あなたの燃える手 あなたの口づけ あなたのぬくもり あなたのすべてを きっと私 忘れません 後ろ姿 見ないで下さい」と来たとき、またまた思わず、目頭を熱くしてしまうほどでした。

彼女に話を聞くと、しばらく地方を回ってきて帰京、Mちゃんの誘いに“来ちゃいました”とこの店に駆けつけ、またまた年末・年始は、まざまなところに出向いてジャズを披露するとのことでした。

日ごろ、常連客によって(もちろん店主の意向もあって)店の雰囲気がつくり上げられ、私たちは、そんな心地よさの中で次第に酔いながら、心地よい時間を過ごすわけですが、店のカウンターというものは、つくづく〈人生の交差点〉だなァ、と感じます。

突然、思いもかけなかった女性ジャズシンガーと出会い、凄い歌を聴かせてくれて、点と点が点線で結ばれた程度の交流が生まれます。

「呑み処」のカウンターは、ただ酔いつぶれて突っ伏す場だけではなく、様々な人と出会い、少しの間であっても、長年の友であるかのように会話を交わせる場なのですね。

「皆さんのおかげです。皆さんが場をつくり上げてくれている」とCちゃんママ。が、それを呼び込んでいるのは店主の力です。

・・・であることはだね。この店の一番の変人はママ、ということになるぜ。

女性ジャズシンガーを横に座らせたMちゃんの毒舌は、ますます冴えわたり・・・そして、今年も残り少なくなりました。

良き飲み仲間とのひととき~パートⅤ

藤沢市内(神奈川県)でにぎやかに夏祭りが開催された先週末の土曜日夜、見物が一段落したところで行きつけの「呑み処(どころ)」にいつものメンバーが顔をそろえました。

例年、この祭りでは、尺八の名手として大活躍する、歌もシロウト離れしていて、カラオケが始まったら後に続くものがいなくなる、あの困った人のAさんも、浴衣を汗で濡らしながら大役を無事終え、店ではカウンターのいつものポジションに座り、にこやかな笑顔を見せています。

「まあまあでした」は、暑さの中で演奏がうまくいった、ということなのでしょうね。

まあ、それはそれでいいのですが、このAさん、その後、喉が渇いていたのか、どうにも似合わないことをポツリ、つぶやきました。

ああ、マックの「マックシェイク・カルピス」が飲みたくなったなァ

カウンターを埋めた常連客の面々、それぞれがあちこちで、いつものように言いたい放題、丁々発止! の状態でしたが、Aさんのこのひと言で静まり返ってしまいました。

このうるさい常連客を日々、巧みに操る敏腕店主のCちゃんママが言いました。

〈何よ~Aさん、そんなの飲むの? ひょっとして甘党?〉

すかさず大手出版社勤務の、最近長きにわたったお勤めをようやく終えたことによってでしょうか、持ち味の毒舌がますます冴えわたり始めたMさんが続けます。

〈長澤まさみのカルピスなら、甘酸っぱい爽やかさ、を感じるけどね~。どうも、オヤジの「マックシェイク・カルピス」ってのは、気持ち悪りィだけだよな。だいたい、シェイクってのは飲むの? 食べるの?〉

ン、エエッ、ムフ~っ・・・これら総攻撃にあって、言葉を詰まらせるAさん。では“百聞は一見にしかず”です。皆さんの認識を変えるために買ってきましょう、これはもう、飲むにしろ、食べるにしろ、口にしたとたんに長澤まさみになってしまいますから・・・とAさんは店を出ていきました。

時計を見ると午後9時過ぎ-。

「マックシェイク・カルピス」を巡る小事件

しばらくして手ぶらで戻って来たAさんは、残念! 「マックシェイク・カルピス」は本日、もう、終わってしまった、とのことでした。

北海道は室蘭出身の硬派オヤジ、昭和大好き人間のバンカラTちゃんが冷やかします。

〈だいたい、そんな“おこちゃま”モノは、もう売ってる時間帯じゃないんだよ〉

悔しそうなAさん。そう言いますがね~。皆さんにはホント、一度、食してもらいたい一品ですよ。

Aさんの解説によると、この一品は、夏に向けた期間限定品なのだそうで、Sサイズが120円、Mサイズが200円、あの爽やかさは120円だ、200円だ、では買えないですよ、と力説です。

そうかな~。昨今、コンビニの100円コーヒーもバカに出来ない美味(うまさ)たぜ。だいたい、いいオヤジが店のカウンターでよく「マックシェイク・カルピス」下さいって言えるよな。

そうそう、店の女のコは、カウンターの向こうでオヤジの下心を察知してるんじゃないの?

いやはや「マックシェイク・カルピス」を巡る事件は、とんでもない方向に進んでしまいそうな気配にすかさず、Cちゃんママが中に入ります。

〈ホラホラ、みんな、じゃ、ソフトクリームにしようよ。アタシがおごるよ〉

ということで本日終了の時間が近づく近くの店で、1個230円が180円に値引きされたソフトクリームをCちゃんママが持って帰ってきました。

しかし・・・それにしても、です。店のカウンターに日本酒だ、焼酎だ、ウイスキーだ、の瓶が立ち並ぶ中、客たちはそろって「ウメ~」などと言いながらソフトクリームを舐めたりかじったりしています。

これは実際、奇妙な光景であり、新たに店に入ろうとしたお客さんが見たら、びっくりしてしまうに違いありません。

吞んだ後のラーメンの美味さは、既に皆さん、ご承知のことでしょうが、呑みの合間のソフトクリーム、いずれはここに「マックシェイク・カルピス」も入ってきそうですが、この流れは、何やらこの店に足しげく通う常連客の、新たなマイブームに発展しそうな気配です。

では、私も・・・とこっそり、カウンター前の列に並んでみようか、とも思いますが、Aさんとハチ合せしてしまってはバツが悪いですねぇ。

Aさんならまだいいか。毒舌Mさん、バンカラTちゃんだったら、こりゃもう、言い訳のしようがありません。

もっとも、向こうも! ですがね。

まあ、年齢も高くなると、何だかんだとすべてに理由をこじつけなければならなくなってしまうのでしょう。

皆、胸中は、オッ、そんなにいいなら食べて(飲んで?)みようか、と素直で実に単純なのに、です。

包容力あふれる映画人・脇田茂氏に感謝

映画好きが集まって定期的に開催される研修会があり、その席にいつも“重鎮的”な存在で顔を見せてくれていたのが脇田茂氏でした。

元松竹の敏腕プロデューサー。今年に入って体調を崩し、5月18日逝去。享年89。7月18日に開かれた研修会は、脇田氏を偲ぶ追悼特集で故人が最も愛した木下惠介監督作品「日本の悲劇」(松竹=1953年公開)が上映されました。

脇田氏は1927年(昭2)9月1日生まれ。兵庫県出身。東大教養学部卒業後の1954年、松竹大船撮影所に入社しています。

翌1955年に企画部に配属され、プロデューサーとして映画製作に関わることになり、特に木下惠介監督、山田洋次監督のプロデューサーとして腕を振るっています。

その歩みを振り返ると、脇田氏を知る松竹関係者の話では、1953年に公開された「日本の悲劇」を脇田氏は、26歳のときに観て、その感動が動機付けとなって翌1954年の松竹入社となり、さらには木下恵介監督のプロデューサーとしての活躍に結びついている、とのことで、脇田氏の一本筋の通った映画人としての人生が偲ばれるものとなりました。

1953年公開の「日本の悲劇」の最初のシーンは、1945年夏の終戦後から8年を経た、その間の出来事がニュース映画ふうに並べられていきます。

映画界入りを決めた「日本の悲劇」

8年間の出来事~終戦直後の混乱による食糧事情の悪化、さらに東京裁判、労働争議、戦後最大の謎とされた下山事件、さらには“血のメーデー”事件~などなど、そこから入る社会性の後、木下監督は、しかし、一方、これもまた戦後の混乱を生きるひとつの姿である、と1人の戦争未亡人が、2人の子供たちを必死に育てながらも、そのために手を汚さざるを得ない事情に子供たちが背を向ける庶民の苦闘に焦点を当てます。

当時、若かった脇田氏は、木下監督が描く、こうした社会性、悲劇性に胸を打たれ、結局、敗戦は、日本の悲劇であるとともに、その重さをまた、日本人の一人一人が背負わざるを得なかった、という悲しみを描き出す映画に無限の可能性を感じたのかもしれませんね。

生きるために苦悩する戦争未亡人の井上春子を演じる女優・望月優子は、まさに“日本の母”的な、悲しみを内に隠して生きるたくましさを感じさせて、素晴らしい演技を見せていましたね~。

井上〈望月優子〉春子は、2人の子供たち、長女の井上〈桂木洋子〉歌子に洋裁を習わせ、英語塾にも通わせ、長男の井上〈田浦正巳〉清一を医大に通わせ、それを生きがいに熱海の旅館で仲居として働いています。

生きるため、子供たちを育てるため、母親は、ときに酔客に媚態を見せたりしながら、身を粉にして働きますが、子供たちは、そうした母親の姿に嫌悪感を抱きます。

そうした母と子の亀裂は、次第に深まり、ついには清一に「ふしだらだ」とののしられた母親は、子供たちに見捨てられた絶望感から、熱海への帰路、途中の湯河原で降り、列車に飛び込んでしまいます。

何かと春子に目をかけられていた流しの艶歌師・達也〈佐田啓二〉が「いい人だったのに・・・」と偲んでつまびくギターの音色が、最後の最後、淡々と非情に「日本の悲劇」を描き続けた木下監督の唯一、センチメンタリズムでもありました。

この映画をきっかけに映画界に入った脇田氏は、さまざまな要職を経て1980年、シナリオライター養成の名門と言われた「松竹シナリオ研究所」の所長も務めたりしています。

映画界を志す後輩たちを指導し、多大な影響を与え、また私たち、単なる映画好きのシロウトにも、研修会後の飲み会には、杖をつきながらも姿を見せ、気軽に分け隔てなく接してくれた重鎮の包容力に今、感謝の気持ちしかありません。

良き飲み仲間とのひととき~パートⅣ

行きつけの「呑み処(どころ)」に集まる常連客の、このところのブームは〈ステーキ〉です。

肉好きに人気急上昇のステーキ専門チェーン店「いきなり!ステーキ」が、私が住む神奈川・藤沢市内にも開店したことで、呑み処の店主、肉食女子のCちゃんママが、行こうよ、ネ~、みんなで行こっ! ということになり、静かなるブームとなりました。

ン? 静かなる、ですか?

そうです。静かなる、ですよ。なぜ? って常連客の面々、年々、平均年齢がアップする中、医者の指導のたまものか、妙にコレステロール値などに詳しくなってしまい、脂質異常症(高脂血症)がねぇ、とか、血圧が下がらなくてねぇ、LDL(悪玉)コレステロール値が高いんだよ、など、そのテの専門用語を駆使した話題が増えつつあります。

じゃ、夜遅い時間は、アルコール、甘いもの、そして肉食は控えましょうね、と医師にキツ~く言われ、ハイハイと表向き、素直に返事をしながらも、夜な夜な、ここのカウンターに座る呑兵衛(のんべえ)たち。それでも、若いときは分厚いレアの肉にかぶりついていたことを懐かしみながら、まあ、肉は我慢しようか、と遠ざけていたのに、Cちゃんママの“旗振り”で一気に火がつきました。

だから、あまり大っぴらにはできず、女房・子供に、アナタだけいい思いして、となじられるのも嫌だし、ここだけの話だけど実はね、という類の静かなる、なのでした。

他人に厳しく、自らに甘い面々は、こう自己弁護します。

〈悪玉だか善玉だか知らないが、もう、このトシになれば、コレステロールも関係ネーだろ〉

何やら、ステーキひとつ食べるのにも、やけっぱち気味の理由づけがいるトシになってしまった仲間たちでした。

某月某日の午後-。

「いきなり!ステーキ」の店内に面々がそろいました。

だいたい、1グラム=8円、をベースにして客が好みの肉、各種200グラム以上を注文、客の前でカットして焼き上げることをウリにしています。200グラムなら1600円-。

静かに漂う“ステーキ”ブーム

といっても、200グラムを頼んでも、キッチリと200グラムにカットすることは、技術的に難しいようで、190グラムだとか200グラムちょいオーバーくらいの肉が出てきます。

日ごろ、何かとひと言、言いたがり屋のAちゃんが案の定、口を開きました。

〈客が注文した量をカットできないのは技術の問題だろ。だったら、多めに出して(注文した)200グラム分の料金にしたら、この店は良心的だなァ、と思うけどね。少ないってのはヘンだろ〉

いいよ、いいよ、そんなことはどうでも・・・ジュージューと音を立てる肉が目の前に出されれば、もう文句なし、紙のエプロンを首からぶら下げて、理屈抜きに舌なめずり、となってしまいます。

〈もう、イヤ! 薄着になるこの季節、嫌いヨ〉

ちょっぴり太り気味が悩みのタネらしい日本舞踊の先生を務めるKちゃんは、半袖のシーズンが苦手ですが「いきなり!ステーキ」には、しっかり顔を出し、男連中がサーロインやヒレを200グラムなどと控えめに注文する中、じゃ、アタシは・・・リブロース300グラム! などと大胆に注文しています。

まあ、彼女の悩みのタネは、世間体程度のもので実際は、肉が食べられるのなら太ってもいい、と問題外なのかもしれません。たくましいですね~。

それにしても・・・肉好きが肉を食べるときの幸せそうな顔は、店内の雰囲気までも幸せな気分にするものですね。

特に女性が、ガッツリと肉をほおばる姿は、電車内で化粧をする女性やドカッとあぐらをかいて座る女性が「はしたない!」と非難されるのと同様、文句を言う方々もいるでしょうが、それはそれで見事なものです。まあ、それが“時代の流れ”-今ふうのオンナというものでしょう。

ところで「いきなり!ステーキ」藤沢店は、椅子席がメーンとなっていますが、もともとは“立ち食い”でスタートしたのだそうです。

ステーキと言えば、高価格、豪華、のイメージですが、このスタイルを採用したことで、低価格、質素、とイメージをガラリと変えました。

私たちが満腹状態で店の外に出ると、店の前では順番を待つ人たちが行列をつくっています。

それを見てCちゃんママが言いました。

〈結構、若い人たちだよね。ステーキ食べに並ぶんだものね。イメージが変わったよね。半分、ウチの店に並んでくれないかなァ〉

まあまあ、そうした本音はともかく、おいしいものを食べた後は、気持ちが豊かになるものです。

・・・で、面々は、次はいつ? と何やら、クセになりそうな気配-。

まさに静かなるブームでした。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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