良き飲み仲間とのひととき~パートⅣ

行きつけの「呑み処(どころ)」に集まる常連客の、このところのブームは〈ステーキ〉です。

肉好きに人気急上昇のステーキ専門チェーン店「いきなり!ステーキ」が、私が住む神奈川・藤沢市内にも開店したことで、呑み処の店主、肉食女子のCちゃんママが、行こうよ、ネ~、みんなで行こっ! ということになり、静かなるブームとなりました。

ン? 静かなる、ですか?

そうです。静かなる、ですよ。なぜ? って常連客の面々、年々、平均年齢がアップする中、医者の指導のたまものか、妙にコレステロール値などに詳しくなってしまい、脂質異常症(高脂血症)がねぇ、とか、血圧が下がらなくてねぇ、LDL(悪玉)コレステロール値が高いんだよ、など、そのテの専門用語を駆使した話題が増えつつあります。

じゃ、夜遅い時間は、アルコール、甘いもの、そして肉食は控えましょうね、と医師にキツ~く言われ、ハイハイと表向き、素直に返事をしながらも、夜な夜な、ここのカウンターに座る呑兵衛(のんべえ)たち。それでも、若いときは分厚いレアの肉にかぶりついていたことを懐かしみながら、まあ、肉は我慢しようか、と遠ざけていたのに、Cちゃんママの“旗振り”で一気に火がつきました。

だから、あまり大っぴらにはできず、女房・子供に、アナタだけいい思いして、となじられるのも嫌だし、ここだけの話だけど実はね、という類の静かなる、なのでした。

他人に厳しく、自らに甘い面々は、こう自己弁護します。

〈悪玉だか善玉だか知らないが、もう、このトシになれば、コレステロールも関係ネーだろ〉

何やら、ステーキひとつ食べるのにも、やけっぱち気味の理由づけがいるトシになってしまった仲間たちでした。

某月某日の午後-。

「いきなり!ステーキ」の店内に面々がそろいました。

だいたい、1グラム=8円、をベースにして客が好みの肉、各種200グラム以上を注文、客の前でカットして焼き上げることをウリにしています。200グラムなら1600円-。

静かに漂う“ステーキ”ブーム

といっても、200グラムを頼んでも、キッチリと200グラムにカットすることは、技術的に難しいようで、190グラムだとか200グラムちょいオーバーくらいの肉が出てきます。

日ごろ、何かとひと言、言いたがり屋のAちゃんが案の定、口を開きました。

〈客が注文した量をカットできないのは技術の問題だろ。だったら、多めに出して(注文した)200グラム分の料金にしたら、この店は良心的だなァ、と思うけどね。少ないってのはヘンだろ〉

いいよ、いいよ、そんなことはどうでも・・・ジュージューと音を立てる肉が目の前に出されれば、もう文句なし、紙のエプロンを首からぶら下げて、理屈抜きに舌なめずり、となってしまいます。

〈もう、イヤ! 薄着になるこの季節、嫌いヨ〉

ちょっぴり太り気味が悩みのタネらしい日本舞踊の先生を務めるKちゃんは、半袖のシーズンが苦手ですが「いきなり!ステーキ」には、しっかり顔を出し、男連中がサーロインやヒレを200グラムなどと控えめに注文する中、じゃ、アタシは・・・リブロース300グラム! などと大胆に注文しています。

まあ、彼女の悩みのタネは、世間体程度のもので実際は、肉が食べられるのなら太ってもいい、と問題外なのかもしれません。たくましいですね~。

それにしても・・・肉好きが肉を食べるときの幸せそうな顔は、店内の雰囲気までも幸せな気分にするものですね。

特に女性が、ガッツリと肉をほおばる姿は、電車内で化粧をする女性やドカッとあぐらをかいて座る女性が「はしたない!」と非難されるのと同様、文句を言う方々もいるでしょうが、それはそれで見事なものです。まあ、それが“時代の流れ”-今ふうのオンナというものでしょう。

ところで「いきなり!ステーキ」藤沢店は、椅子席がメーンとなっていますが、もともとは“立ち食い”でスタートしたのだそうです。

ステーキと言えば、高価格、豪華、のイメージですが、このスタイルを採用したことで、低価格、質素、とイメージをガラリと変えました。

私たちが満腹状態で店の外に出ると、店の前では順番を待つ人たちが行列をつくっています。

それを見てCちゃんママが言いました。

〈結構、若い人たちだよね。ステーキ食べに並ぶんだものね。イメージが変わったよね。半分、ウチの店に並んでくれないかなァ〉

まあまあ、そうした本音はともかく、おいしいものを食べた後は、気持ちが豊かになるものです。

・・・で、面々は、次はいつ? と何やら、クセになりそうな気配-。

まさに静かなるブームでした。
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良き記者仲間“ヤマちゃん”との交流

携帯電話にメールが入りました。4月16日の日曜日、午前10時30分-。

送信者は“ヤマちゃん”です。

〈おはようございます。4月18日に「NHK BSブレミアム」で「クラッシュ・ギャルズ」特集があり、ちょっと出ます。見れたら見て・・・〉

-とのことでした。

放送開始時間が記されていないのが、いかにも、ヤマちゃんらしい、アバウトなところですが、そこはいつも通り、こちらの手間。調べてみると、ああ、これかな? 同局で4月18日放送の「アナザーストーリーズ」(午後9時~)です。

記者仲間のヤマちゃんは、私より年齢が3つ下なのでこんな呼び方をしていますが、実は山崎照朝さん、そうです、極真空手の「第1回オープントーナメント~全日本空手道選手権大会」(1969年9月)を制覇した伝説の男〈極真の龍〉なのです。

過去にあった一つの出来事を軸にして、それが及ぼした側面を追っていく「アナザーストーリーズ」の今回のテーマは、女子プロレスの会場を、10代の少女たちが熱狂する、まるで宝塚の会場のように変えたクラッシュ・ギャルズに焦点を当てていました。

1980年に「全女(全日本女子プロレス)」入門の同期生、長与千種とライオネス飛鳥は当初、単独で点と点の活動していました。

しかし、強くはないが、何か新しいことをやりたい、と悶々とする長与。強いけど面白くない、と評価の低い飛鳥。この2人が対戦することになり、点と点が線で結ばれたことを機にコンビを組むことになり、1983年、今では伝説と言われるクラッシュ・ギャルズが生まれました。

2人を結びつけたアイディアは、全女の先見の明だったでしょうが、クラッシュ・ギャルズのファイト・スタイルをその名の通り、激しい衝突、流血も辞さず! に導いたのは、コーチ役を要請された山崎さんでした。

山崎さんがインタビューに答えます。

〈2人の良さは、純粋さ、素直さ、でしたね。私は、極真で教えられた稽古をそのままやってもらいましたが、それは大変だったと思いますよ。でも、2人は“聞く耳”を持っていましたね〉

“極真の龍”とタイソン報道で競り合う

もっとも、特訓中の2人は「もう限界というところから本格的な稽古が始まるんですよ」(飛鳥)「明日(山崎さんを)殺してやろう、と毎日思っていました」(長与)と相当にきついものだったようです。

空手着に“風林火山”の4文字を縫い込んだ山崎イズムを全女のリングに持ち込んだクラッシュ・ギャルズは、ダンプ松本らの「極悪同盟」とシ烈な抗争を展開させ、それはついに1985年8月大阪城ホールのダンプ松本vs長与千種の敗者髪切りマッチへと至ります。

負けた長与。ダンプの非情な髪切りに会場を埋めた少女たちの悲鳴と涙・・・。

誰がそういうストーリーを仕組んだか。ブームをつくったか。そしてその熱狂は、私も強くなりたい、という少女たちの志願者を生み、底辺の拡大という意味で今の日本の女子レスリングの強さにも結びついている、と番組は、クラッシュ・ギャルズへの熱狂を軸とした「アナザーストーリーズ」を力説します。そうした流れにひと役買った山崎さん-。

私が、それまでのゴルフ担当からボクシング担当を命ぜられたのは、1987年(昭62)のことでした。その年の7月、プロボクシング界は、WBC世界ジュニアウエルター(現スーパーライト)級王者・浜田剛史(帝拳)が、王座を奪ったレネ・アルレドンド(メキシコ)と再戦して返り討ちに合い王座を陥落しています。

ボクシング取材の現場で「トウチュウ(東京中日スポーツ)」のボクシング記者として活躍していたヤマちゃんに会い、初対面時の名刺交換で、ああ、この人が“極真の龍”と呼ばれた山崎さん、と知り、ビックリしたことを覚えています。

1988年(昭63)3月に当時、統一世界ヘビー級王者として全盛を誇ったマイク・タイソン(米国)が東京で防衛戦をすることが決まり、このタイソンを巡る各社担当記者の取材合戦は、かなり激しいものになりました。

こうしたことがあると、記者の間に紙面上の競り合いはあっても、そのひとときが過ぎれば、お互い、ねぎらいのようなものが生まれ、私とヤマちゃんの間にも、何か連帯感のようなもの、親しみがあったかもしれません。

お互いに現役を終え、紙面で競り合った日々が懐かしくなった今、ヤマちゃんとは定期的に横浜でランチタイムを持ち、あ~だ、こ~だ、と相変わらず、言いたい放題の歓談のひとときを過ごしています。

いろいろな意味で精神論を尊ぶ空手家ゆえに政治的なことが嫌いな人です。そうでなければ、とうの昔に極真会館の要職に就いていてもおかしくない人・・・でしょう。

もっとも、だからこそ・・・色に染まらない記者の立場を貫いているからこそ、2020年東京五輪で初採用された空手の競技成功、そして継続に向けて関係者から相談を持ちかけられることも多いのではないかと思います。

それに応えつつ、ヤマちゃんは、いつまでも私たちの、良き記者仲間でいてほしいですね。

良き飲み仲間たちとのひととき~パートⅢ

歌わせればプロ顔負けの上手さです。

彼がカラオケのマイクに向かった後は、誰もがビビって尻込みしてしまう、という“困った人”がAさんなのです。

日ごろ、行きつけの「呑み処」-。

カウンターにいつもの顔ぶれがそろって、相変わらずのにぎやかさ。そんな中、そのAさんが一人、落ち込んでいる様子で柔和な笑顔が消えています。

〈歌? オレはもう、歌わないよ。歌ってる場合じゃないだろ。オレはネ~もう、みんなの冷たさが分かった。今日は寒い。体の寒さ以上にオレの心は凍っている〉

何? オイオイどしたの? 何、スネてるの? ・・・そうです。実はあのとき・・・衝撃的な“置き去り事件”が起きたのです。

2月の某日-。

店主のC子ママが企画する、恒例となった、スーパー銭湯でノンビリ湯に使った後、飲んでしゃべって楽しいひとときを過ごそうよ、の会が開催されました。

今回は9人が参加。いつものように小田原(神奈川県)のスーパー銭湯に向かい、冷えた体を温め、食事をし、その後は居酒屋に場所を移してひとときを過ごし、いい一日だったねェ、とお開きになりました。

帰路、一行は駅に向かいました。その駅でAさんは、ちょっとトイレに・・・とグループを外れます。

人の習性とでも言うのでしょうか、不思議なものですね。例えば電車が来るのをホームで待っている状況だったら、電車が来ても、まだAさんが来ていないよ、と恐らく、合流を待ったことと思います。が、階段を下りているときに電車が入ってきたときはどうでしょう。みんな、来た来た急ごう、と駆け足で飛び乗ってしまったのです。

出すものを出したAさんが、さっぱりしてホームに姿を現したときは、すでにみんなの姿はなし! 一人、呆然と次の電車を待ちつつ、この裏切りモノたちめ! とAさん、恨み節になった次第でした。

“置き去り事件”顛末記

後日のこと-。

〈イヤ~実はね、駅のトイレで最初、間違えて女性用に入っちゃったんだよ。冷たい目で見られてね。慌てて男性用に行ったんだけど、その分、遅くなった〉

-とAさん。

そんなことを言うものですから、さあ、大変! です。何しろ、聞く耳持たず、曲者ぞろいの常連軍団、一斉に総“口”撃の開始です。

口火を切ったのが、昭和の香り漂う室蘭出身の硬派、こわもてのTちゃんでした。

〈酔って間違えたって? イヤイヤ、フリして意図的だったんじゃないの。危ネ~なァ〉

さらに・・・。

〈そう言えば、女性用の表示は「赤」だね。Aさん、日ごろ、赤でも進め! の反骨性が、こういう事態を生むんだよ〉

また、さらに・・・。

〈ひとつ間違うと、今は大変だよ。痴漢だって何だって、やってません、間違えました、と言ったって、冤罪だろうが何だろうが捕まっちゃう時代なんだからネ~〉

次第に話があらぬ方向に進み、いつも通りにかんかんがくがく-。

一筋縄ではいかないこんな連中の間をいつも、うまく取りなしているのがC子ママなのですが、ここでも力量を発揮しました。

〈ホラホラ、悪いのは電車でしょ。何たってみんなを急がせた電車が悪い!〉

鮮やかな“大岡裁き”に面々の顔がほころびます。一件落着-。

それでは一曲、とAさんのご機嫌も直った様子。十八番(おはこ)の山本譲二「奥入瀬」が始まりました。

立春も過ぎ、暦の上では「寒の明(かんのあけ)」ですが、まだまだ寒さが続く日々・・・。

しかし、この「呑み処」のカウンターは、日々、熱い連中の熱気にあふれています。

還暦を迎える“邪道”最後の戦い

「オーニタです」-。

1月23日夕、携帯電話の着信音が鳴り、耳を当てると、受話器を通して野太い声が聞こえてきました。

「サトーさん、ご無沙汰してます。オーニタです」

声の主はプロレスラーで元参議院議員の大仁田厚(59)でした。

そのとき、私は友人たちと、ちょい飲み&食事でにぎやかなひと時を過ごしており、大仁田からの突然の電話にびっくりしてしまいましたが、用件は、ボクも今年の秋(10月25日)に還暦を迎えます、ついてはこれまでやってきたことに区切りをつけたい、スポニチにご挨拶したいので段取り頼みます、ということでした。

・・・ということで段取りをつけ、1月27日午後、スポーツニッポン新聞東京本社(東京・江東区越中島)の編集局に大仁田が足を運び、編集局長、担当記者、そして、間に入った私も加わり、対応するに至りました。

スポニチと大仁田とは、不思議と言えば不思議な縁があるのです。地元・長崎の中学を卒業した大仁田(当時)少年は、日本一周徒歩旅行を計画、出発時にふと「スポーツニッポン新聞社」(当時の西部本社でしょうね)の看板が目に入り、編集局をぶっつけで訪ねたそうです。

なかなかできないことですが、大仁田少年の話を聞いて、それを記事にした西部本社もユニークですね。大仁田の、新聞と言えばまずスポニチ、の意識は、ここから始まっています。

私自身は、1993年に米国で総合格闘技リング「UFC」が始まり、日本では同年に立ち技打撃系格闘技の「K-1」が産声を上げ、1997年には総合格闘技リング「PRIDE」が立ち上げられ、格闘技の人気が高まるにつれ、このジャンルも専門誌だけでなく、スポーツ紙にも欠かせなくなり、私が担当を命ぜられました。

関連してプロレスの興行も取材するようになり、こんなときに接触したのが、プロレス団体「FMW」を率いる大仁田だったのです。

根底に脈打つ“弱者へのエール”

あるときの東京・後楽園ホールでの興行-。

リング上の過激なパフォーマンスに目を奪われていた私は、ふとリング下に目をやると車椅子の少年が目を潤ませ、両手を突き上げていました。

リング上の“邪道”大仁田は、既成の理不尽な体制を打破すべく、一寸の虫にも五分の魂、の戦いを見せています。

なるほど。大仁田ワールドは“弱者へのエール”なんだな。あの車椅子の少年は、大仁田に勇気をもらい、大仁田厚になって帰っていくんだな。これは、我慢に我慢を重ねた末に「死んでもらいます」と堪忍袋の緒を切らす、唐獅子牡丹の高倉健ワールドじゃないか、と一気に大仁田の目指すものに興味が沸いてきてしまったのです。

ちなみに大仁田の好きな言葉は〈少年よ 大志を抱け〉なのでした。

まったく、いろいろなことをやってくれる人でした。1999年(平11)4月に駿台学園高校(東京・北区王子)の定時制第3学年編入試験に合格して“41歳の高校生”になったり、2001年(平13)には、7月に実施された参院選に当選してしまったり・・・このとき、私が当選に至る苦労話を手記にまとめ上げたことを覚えています。

売り物とした「電流爆破マッチ」の集大成は、私自身は、2000年7月30日に行われた「新日本横浜アリーナ」大会での長州力とのノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチだった、と思っています。

「インディーはプロレスにあらず」との長州の発言で勃発したポリシー戦争は、4年のときを経てやっとたどりつき、邪道は容赦なく巨大な体制の壁に叩き潰され、虫の息となりました。

・・・さて、元に戻り、スポニチの編集局-。

1階下の会議室に向かうとき、階段を下りる大仁田は、ヒザが痛むようでスムーズに足が運べませんでした。長年の酷使がズシリと重い還暦間近の体・・・。

「年内、頑張ります。そして・・・辞める。引退します」

これまで何度となく聞かされた引退発言。そのたびに現役復帰。「いやいや、こんどこそホントに辞めますヨ」

確かに・・・“涙のカリスマ”は、やっと、それこそやっと、辞めどきを見極められたのかもしれませんね。

良き飲み仲間たちとのひととき~パートⅡ

日曜日となったクリスマスの12月25日午後-。

ブラリと散歩に出た自宅から近い「江の島」の海岸は、若いカップルでにぎわっていました。「新・江ノ島水族館」(藤沢市片瀬海岸)周辺に立ち並ぶラブホテルを横目に皆、何やら楽しそうに歩いています。

同日午後4時-。

そんな若い連中に負けない熱気が、藤沢市内の中華料理店に醸(かも)し出されます。円卓を囲む中・高年齢の男女各5人、計10人の面々・・・そうです。この日は、日ごろ、行きつけの例の「呑(の)み処」に集まる常連客の忘年会が、にぎやかに開かれたのです。

この店は、料金が安く、料理の量が多い、ということで評判を高めており、腹が減っては戦が出来ぬ! まずは、腹ごしらえから、とビールだ、紹興酒だ、料理だ、有馬記念を取った、取れなかった、などとワイワイガヤガヤ、始まりました。

そんな中でも、この会の主催者である「呑み処」の肝っ玉ママさん、しっかりとプラスチック製の容器を持参、量が多いから残るだろう料理のテークアウトに備えているのが、さすがしっかり者! といったところでした。

「まあ、しかし・・・」大手出版社に勤務する定年間近の毒舌Mさんが言いました。「“類は友を呼ぶ”とはよく言ったものだね。この店にはホント、個性的な連中が集まるよなァ」

北海道・室蘭出身の、昭和のカオリ漂う硬派のTさんが応じました。「まったくなァ。皆、自分がまともで他のヤツらがおかしい、と思ってるから、始末に負えネーんだよな」

クリスマスの夜の忘年会

何だかんだ言いながら、しかし、店のカウンターに座った彼らは、それなりに話が合い、正義感が強く、熱く、連帯感も強く、そうした厄介な連中を束ねる“扇の要”的存在のママさんの、さっぱりとした男気が、言葉の行き違いなどをうまい具合に交通整理しています。

が、しかし、振り返ってみれば、いろいろありました。奥にボックス席はあるものの、カウンターに8~9人も座ればいっぱいとなってしまう藤沢の“ゴールデン街”的な店は、日々、ドラマチックです。

今年は幸いにしてなかったものの、ここ数年、続いた常連客の死去。それらの思い出話に及ぶたびに涙ぐむママさん。一方、灰皿を投げつけた客に、もう来なくていいよ! と“出禁”を宣言したこともありましたっけ・・・。

今年、ちょっぴり痩せて往年の勢いが感じられなくなったのは、やはり、昨今の不景気のせいでしょうか。店にしてみれば、やはり、常にカウンターが満杯状態にあることこそ、元気の源なのでしょう。「弱者に厳しいアベノミクスはダメだね」なんていう愚痴も時々、聞かれるようになりました。

まあ、一年の終わりの年の瀬は、愚痴やボヤキが不思議に似合うもの、だから、新年への期待感が沸き起こるのでしょうね。

料理を堪能した後は、毒舌Mさんの「クリスマスの夜だっていうのに皆、結局、集まるところはここなんだよなァ」の言葉通り、本拠地の店に場所を変え、問答無用のカラオケ合戦、10人を5人づつに分け、年忘れの紅白歌合戦となりました。

案の定、アタシはこっちのグループはヤダよ、などというワガママも出て、しかし、ママさんは、そんなことは日常茶飯事的な対応で、ホラホラ、どっちに行くの、そっち、イケメンいないよ、さあ開始! の号令で歌自慢たちがマイクを握り始めました。

私は、と言えば、順番が来てヘタクソな歌を歌いつつ、フト頭をよぎる、年末に控えるボクシングの“世界戦ラッシュ”取材の重さ・・・まあ、皆がさまざまなことを胸に抱きながら、忘年会のにぎやかさの中に身を置き、一瞬の解放感に浸るのでしょうね。

やがてお開き-。

このところ日中と夜の気温差が大きく、もう人気が減った外に出ると、日中に合わせた薄着に夜風が冷たく入り込んできました。

ブルルッ・・・。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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