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“野望”成し遂げられず~嗚呼

5月の大型連休もこの5日で終わりました。

私が住む神奈川県(藤沢市)は、コロナ禍により「蔓(まん)延防止等重点措置」の対象エリアとなっており、同県・黒岩祐治知事は、強く自粛を要請、昨年に続き「苦渋のGW(我慢のウイーク」を宣言しました。

では…と私自身、実は今回のステイホームを嫌がらずに生かし、この機に「外郎売(ういろううり)」を一気にモノにしてしまおうか、という野望? が胸中に沸き起こっていました。

「外郎売」は、市川家(成田屋)の七代目・團十郎が“家の芸”として選定した「歌舞伎十八番」のひとつ。「勧進帳(かんじんちょう)」や「暫(しばらく)」などと並ぶ演目です。

見せ場は「拙者親方と申すは、お立会の中(うち)にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発(た)って二十里上方…」で始まる、途中で難解な早口言葉も加わってくる口上、だいたい早口でも8分前後はかかる長台詞です。

まあ、知る人ぞ知る…といったところですが、演劇関係者や声優、アナウンサーたち言葉(声)を仕事とする方々は、ほとんどが、発声や滑舌の練習のための教科書としており、それぞれがこの難関突破に汗を流した経験を持っていることと思います。

以前「結婚できない男」というテレビドラマがフジテレビ系で放送されました。阿部寛演じる偏屈で皮肉屋、独善的な建築家・桑野信介が、接触する女性たちにあきれられ、愛想をつかされながら、どこか憎めずに見守られるコミカルなドラマです。

お菓子の「外郎」を選択しよう

その続編の「まだ結婚できない男」にこんなシーンがありました。同じマンションの隣室に住む女優のタマゴ・戸波早紀(深川麻衣)がある日、信介に台詞の稽古の相手を頼みます。「そんなことできるか」といつものように薄笑いを浮かべた信介は、いったん部屋に戻り、そこで始めたのが「外郎売」の口上だったのです。

何やら脚本家のマニアックなイタズラ風の1シーンでしたが、私は思わず「ここで外郎売か」と腹を抱えて大笑いしてしまいました。しかし、阿部寛はさすが鍛えられています。流暢で上手でしたね。

私も、まあ、茅ケ崎市(神奈川県)を拠点に活動を展開させている茅ヶ崎市民劇団「湘南座」の一員として末席を汚しており、一時期の稽古で「外郎売」に取り組みましたが、だいたいこの口上は、台本を見ながら読んでも途中でつっかえてしまう難しさがあり、暗唱などはとても…と半ば、あきらめの状態にありました。

そんなときに衝撃的な出来事が起きました。2019年7月4日、東京・歌舞伎座で開催された「七月大歌舞伎」(同日初日)で市川海老蔵(当時=後に十三代目・市川團十郎白猿を襲名)の長男・堀越勸玄(かんげん)クンが、わずか6歳にして約4分間の短縮版ながら、つっかえることなくやり遂げたのですね。

〈(略)…来るわ来るわ何が来る。高野の山のおけら小僧。狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。武具、馬具、ぶぐ、ばぐ、三(み)ぶぐばぐ。菊、栗、きく、くり、三(み)菊栗、合わせて菊、栗、六(む)菊栗…(略)〉

こういうのをペラペラとやってしまうのですからやはり“異能”です。

…で、こちらの野望は予定通り成し遂げられたのかって?

だいたいね~オレたちの時代はね~「外郎」は、口上で述べられている薬ではなく、あの羊羹状の和菓子なんだよ。資料には「薬の外郎は、仁丹のように味が苦く、口直しの菓子が必要となり、薬と菓子が混同された」とあるんだよね。ならばオレは菓子のほうを選択するね。さっそく小田原外郎家の「お菓子のういろう」を買いに行こうかな。

そう開き直るなって…こんな調子では、いつまでたっても…ですね。
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「朗読劇」~“自分の声”の不思議

私もメンバーの一人として末席を汚している、茅ヶ崎市(神奈川県)を拠点として活動する市民劇団「湘南座」は、毎年秋に開催される同市の文化祭で演劇などを上演してきました。

が、今回(昨年秋)は新型コロナウイルスの感染拡大のため、有観客の舞台公演が出来ず、苦慮の末に無観客のスタジオで「朗読劇」を行い、それを収録してYouTubeなどで映像を配信する「オンライン放送劇」の形を選択することになりました。

その本番収録をようやく終えたのが3月21日の日曜日夜。ここに至るまでの“苦戦”を振り返って見ると-。

昨年10月から開始された稽古は、順延されて年が明けた今年1月17日実施となった本番に向けて次第に熱を帯び、軌道に乗りつつあるように思われました。が、1月7日、1都3県(東京都、千葉・埼玉・神奈川の各県)に対する緊急事態宣言が再発令されて中断。先行きが見えなくなりました。

朗読劇の題材は、茅ヶ崎市に伝わる昔話を1話15分程度にまとめて3話取り上げ、劇団員総出で分担。私は友人のO君ともども「車地蔵」という昔話に出ることになりました。

ストーリーをざっとまとめると…「おかね」という清らかで純真無垢な美しい娘がいて、彼女は村の若者たちの憧れの的でしたが、プレイボーイの「新吉」と結婚の約束を交わし、しかし、新吉が他の娘たちとも仲良くなっていたため、おかねは狂乱、新吉の家に火を放ち、火あぶりの刑に処されてしまう、という悲しいいきさつがあり、そこで村人たちが彼女の霊を弔うためにお地蔵様を立てて祀ったというお話です。

エッ? こんなに違うの? でも同じ

私とO君の役は、農民の「聡太(O君)」と「与根造(私)」。幼馴染で仲良しの2人が、いろいろと会話を交わしながら、ストーリーを解説、展開させていきます。

さて…1月7日以降、稽古の見通しが立たなくなり、劇団員たちの間に「今回は中止か?」の声も出始めます。特に16歳を想定する「おかね」役の女性Aさんからは「一気にやっちゃわないと…16歳を維持し続けるのは難しい」(ごもっともです=筆者)と、中断中のブランクに歳が元に戻ってしまう、との愚痴も聞かれました。役者の役づくりは大変なのです。

そんな経緯があり、3月15日に稽古再開の連絡が入り、慌ただしく3月21日に収録を終えるに至りました。

どんな出来になったのかなァ、などと不安半分でいた中、演出を務めた元松竹カメラマンのN氏から「やっと出来上がった。YouTubeに上げる前に試写会をやろう」と声が掛かり4月25日、茅ケ崎市内のファストフード店に計5人(男2人、女3人)の「車地蔵」出演者が集まりました。

さすがに元映画カメラマンとして活躍してきたN氏とあって映像の効果的なつくり方、レイアウトなどうまくまとめ上げてあります。問題は、私はどうだったか? ですね。

開始されたとたんに耳をふさぎたくなったのは“自分の声”でした。もともとドラ声的で声質が悪く、こもりがちで通りが悪く、滑舌も悪い、という悪いもの尽くしなのですが、何よりも、マイクを通すとこんな声になっちゃうの? という日頃、抱いている自分の声とのイメージの違いの大きさに冷や汗がにじみ出てしまいます。

友人の0君が言いました。

「違わないんだよ。あの声がサトーの声なんだよ。誰もが違和感を持つんだけど、自分が話したとき、自分に聞こえる声とマイクやレコーダーを通したときの声は、自分には別人のように聞こえるものなんだよな。でも他人が聞けば同じなのさ」

いやはや…であればまたまた無口になってしまいそうです。私が恥も外聞もなくこの市民劇団「湘南座」にこれからも籍を置くには、今回明らかになった“自分の声コンプレックス”をまず乗り越えなければならない、ということが分かった次第でした。

“やっと”開催できた「朗読劇」

私も団員の一人として末席を汚している茅ヶ崎市(神奈川県)の市民劇団「湘南座」による「朗読劇」が3月21日、やっと本番にこぎつけることが出来ました。

“やっと”と書きましたが、その経緯を振り返ってみると-。

茅ヶ崎市を拠点として活動を続ける「湘南座」は毎年、同市の秋の市民文化祭に演劇を開催してきました。が、今年は新型コロナウイルスの感染拡大のために中止を余儀なくされ、苦慮の末に「湘南座」は、無観客の「放送劇」(朗読劇)を企画・制作することになり、DVDに収録して「YouTube」などでオンライン配信する方法を選択することになりました。

昨年10月から始まった稽古は、新年を経て1月17日の収録に向けて熱を入れてきましたが、同7日の1都3県(東京都・千葉・埼玉・神奈川の3県)に対する緊急事態宣言再発令のため中断。1月17日の収録も宙に浮いた形となり、成り行きを見守る情勢となりました。

一つのことを目標に進んでいたときに突然、その目標が消え、続けていた稽古も中断の状態となると「水をさされる」という言葉がありますが、ホント、ガックリ来るものですね。こういうことはやはり、勢いと流れに乗って…を感じます。私たちのこの事態とは比較にもなりませんが、五輪をやるとかやらないとかの開催危機を迎えたときの選手たちの気持ちは、いかほどのものだったか、ということが実感として伝わってくるような出来事でした。

コロナ禍に阻まれ続けた中で…

中断状態は長引き、3月を迎えて7日、首都圏の緊急事態宣言もさらに延長された中で「湘南座」から3月21日に収録を行う旨の連絡が入り、急きょ、3月15日と前日の20日に最終チェックの稽古を行い、なまった発声を元に戻しつつ、当日に備えることになりました。

いやはや…です。コロナ禍に見舞われた今回のイベントは、何やら最後まで暗雲に包まれます。3月20日夕刻、宮城県沖を震源地とする宮城県の最大震度5強の地震は、神奈川県南部もユラユラと不気味に揺らし、ちょうど稽古中だった私たちをも身構えさせました。

そして…当日3月21日は朝から台風並みの強風、横殴りの豪雨です。幸い、集合時間の午後8時には、何とか雨風とも収まり、座長を務める演出家のI氏ともどもホッと一息といったところとなりました。

「朗読劇」の内容は、茅ケ崎に伝わる昔話を面白おかしく“外伝”ふうにつくり上げた1話約15分くらいの話を3話読み上げるもので私は、そのうちの2話に出させてもらいました。

いずれも農民役とか伊豆の漁師役とか、まあ、雰囲気的に合っていると言えば合っているのかもしれませんが、マイクの前でしゃべっているうちに出来の良し悪しは別にして、突っかかることもなく無事に終えることが出来ました。

政府の緊急事態宣言は、その日3月21日をもって解除されました。まだまだ要警戒状態は続くことでしょうが、コロナ禍にあって演劇に限ったことではありませんが、音楽関係や舞台関係のイベント開催がいかに制限されてしまったいたかを身をもって味わった感じでした。

「言葉だけ」で場面を伝える難しさ

ラジオを聴いているとさまざまな「声(言葉)」が耳に入ってきます。

アナウンサーがニュースを読む声、インタビューもの、落語や講談、朗読などエンターテインメントもの…などなど。聴く側はそのたびに聞こえてくる「言葉」が表すそれぞれの「場面」を感じ取ります。

つまり、ニュースを読み上げる声なら、淡々として感情が入らず、出来事だけを伝えていることを感じ取り、インタビューものなら聞き手の聞き方によって問答が盛り上がったり、つまらなくなったりしていることを感じ、また落語や講談、朗読などは、演者が発する言葉がさまざまな場面を聴き手に伝えられていれば聴く側はそれにのめり込んでいきます。

ラジオから聞こえてくる声に耳を傾けている聴き手が「その声(言葉)だけで場面に入れるかどうか」-演者にとって“勝負どころ”はそこにありますね。

私もメンバーの一人として末席を汚している、茅ヶ崎市(神奈川県)を活動の拠点にしている市民劇団「湘南座」の稽古が熱を帯びてきています。

今年は新型コロナウイルスの感染拡大のために秋恒例となっている同市の市民文化祭が中止を余儀なくされ、苦慮の末に「湘南座」は、無観客の「放送劇」(朗読劇)を制作することになり、DVDに収録して「YouTube」などを利用してオンライン配信する方法を選択することになりました。

10月から週1~2回ペースで始まった稽古は、早くも年末を迎え、来年1月中旬を予定している収録に向けて追い込みの段階に入ってきました。

熱が入る「放送劇」の稽古

とともに細部のチェックも次第に厳しくなりました。

冒頭、ラジオの放送について記述したのは、それらがそのまま私たちの稽古にも当てはまる事柄だったからです。

先日の稽古で「湘南座」の座長を務める演出家の、いつものI氏にこっぴどく指導(相変わらずです)されたのは「台本の台詞を読んでいるだけ。芝居になっていない」ということでした。

私を含めて3人でケンカごしの台詞を言い合う場面があります。私としては結構、大声でケンカごしになっているような声を出しているのですが、うつむいて目をつぶって聴いていたI氏が「ダメダメ。ケンカになっていない」ということになってしまったです。

I氏が言いました。

〈放送劇は難しいんだよ。演技が出来る芝居なら、台詞が未熟でも動作でカバーできるでしょ。“声だけ”で状況を表し、何を目的に何を言っているのか、行っているのか、などを聴き手に伝えなくてはならないんだからね〉

大声で怒鳴るだけなら、聴き手は、何でこの人は大声を出しているの? ケンカをしているようだけど原因は何? などと状況がつかめず、その人にとってこの朗読劇はつまらないものになってしまいます。

I氏が続けます。

〈小さな声だってケンカの場面は表現出来るんだよ。台本の台詞から離れて場面に入っていかなければ…ネ〉

「放送劇」と聞いたとき、当初は有観客の場で演じる舞台や朗読劇と違い、基本的には、顔も出ず、台本も持てるし、台詞を上手く読めばいいんだろ、などと気楽に考えていましたが、それがまったく安易な考えだったことを知らされました。

言葉に場面を乗せる難しさを今、つくづく思い知らされている次第です…ああ~。

「放送劇」の難しさ

私もメンバーの一人として末席を汚している茅ヶ崎市(神奈川県)の市民劇団「湘南座」の稽古が熱を帯びてきています。

茅ヶ崎市は例年、この時期に市民文化祭を行い、同市を拠点に精力的に活動する「湘南座」も舞台での公演が恒例となっていましたが、今年は新型コロナウイルス禍のため無観客を余儀なくされ、苦慮の末に「放送劇」(朗読劇)を制作、DVDに収録して「YouTube」などを利用してオンライン配信する方法が取られることになりました。

収録は来年1月中旬を予定しており、朗読劇の題材は、茅ヶ崎市に伝わる昔話を1話15分程度で3話取り上げ、劇団員総出で分担、10月から始まった週2回ペースの稽古が次第に本格化し始めたといったところです。

私は友人のO君ともども「車地蔵」という昔話に出ることになりました。

「おかね」という清らかで美しい娘がいて、彼女は村の若者たちの憧れの的でしたが、プレイボーイの「新吉」と結婚の約束を交わし、しかし、新吉が他の娘たちとも仲良くなっていたため、おかねは狂乱、新吉の家に火を放ち、火あぶりの刑に処されてしまう、という悲しいいきさつがあり、そこで村人たちが彼女の霊を弔うためお地蔵様を立てて祀ったというお話です。

私とO君の役は、農民の「聡太(O君)」と「与根造(私)」。幼馴染で仲良しの2人が、いろいろと会話を交わしながら、ストーリーを解説、リードしていきます。

「放送劇」ですから、有観客の場で演じる朗読劇とも違い、基本的に「声」が主役となります。台本も持てるし、顔も出ないんだから、台詞を上手く読めばいいんだろ、などと考えていましたが、それがまったく安易な考えだったことを稽古開始早々から思い知らされます。

声だけで状況を見せられるか

「湘南座」を率いる座長で演出を務める、相変わらず厳しいI氏が言いました。

〈“声だけ”を甘く考えちゃいけない。舞台なら演者が見えるから、誰が何を目的に何を言っているのか、など観客も理解できますね。姿かたちが見えない声だけの場合、聴き手は演者の声だけで状況とか言葉の目的や誰が話しているのかなどを判断しなくちゃならない。その区別が出来るかどうかを勉強してください〉

つまり、私とO君の場合、声だけ聴いているとリズムも強弱などの変化も次第に似てきてしまい、聡太だか与根造だか分からない、という難問が最初から浮上してきたのです。

これはなかなか難しいですね。指摘され意識して、滑り出しは何とか“別々的”にはなります。が、それは言葉のやりとりを交わしていると次第に同化してきて最後は同じになってしまうのです。

これが第1の関門。そして…第2の関門は、言葉だけで状況が表現できるか、ということです。

台本の導入部分は、聡太と与根造が畑仕事をしながら世間話をするのですが、この場面は、青空にスズメの鳴き声が聞こえているような何とものんびりとした風景、幼馴染の2人が、ときにはケンカごしも含めて遠慮のないやり取りを繰り広げます。

聴き手は、その光景が声だけで“見えて”くるか、という問題です。

そんなこんなの課題が次々に指摘され…いやはや、これは舞台で身振り手振りしているほうが楽かも、などと思ってしまいます。

それとは別に稽古風景も厳重警戒下で行われています。

3密(密閉・密集・密接)の回避を徹底させ、飛沫感染によるクラスター(集団感染)を防ぐため、稽古では、飛沫の元となる余計な私語禁止、マスク着用、ソーシャルディスタンスの確保などなど…。稽古後には使用した椅子などの消毒が義務付けられています。

I氏の激励-。

〈こんな中ですが、茅ヶ崎から“文化の火”を消さないために「湘南座」は頑張りましょう〉

後ろ向きになっていたのでは始まりませんね。ウィズ・コロナの時代、不便を前向きに…チャンスに変えられれば、やった甲斐があるというものですね。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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