黙祷の季節に伝えるべきこと

黙祷の季節ですね。

1945年(昭20)8月9日午前11時2分、長崎への原爆投下。それより3日前の同年8月6日午前8時15分、広島への原爆投下。そして同年8月15日、太平洋戦争終結-。

私が住む藤沢市(神奈川県)でも、両日の原爆投下時刻、サイレンが鳴らされて黙祷を求めるアナウンスによって人々の姿勢が正されました。

夏休み真っ盛りのこの季節、少年・少女たちは、学校を離れてさまざまな活動に精を出していることでしょうが、やはり、8月のこの両日は〈特別な日〉として大人たちが、黙祷の意味を教え、伝えるべきだろうな、と思います。

終戦直前の1944年(昭19)8月3日生まれの私は、この激動のとき、恐らく母親の背中に落ちないようにくくられていたことだろうし、記憶はまったくありません。

が、後々に資料によって、敗色濃厚の1945年8月4日、日本国民は総武装で竹やりの訓練を開始した、などという悲痛な記述に接したり、原爆投下に関しても、小学生になって新聞社系のグラフ誌により、白いアスファルトの路上に人の影だけがクッキリと黒く残された写真を見たりして、その凄惨な出来事を知らされ、改めて驚きもし、子供なりに心を痛めます。

世代を超えた“継承”こそが大事

〈もう72年も前のこと。昔の話だろ〉と背を向けてしまうのか。あるいは世代を超えて永遠に記憶にとどめておくべき出来事なのか。

もちろん、後者であるべきに決まっていますが、次第に薄く、消えかけていく認識をこれから、戦争を知らない世代ににどう継承していくのかは、大きな課題になるのではないか、と思います。

新聞・テレビの各メディアも、8月を迎えると戦争関連の記述、映像が増えます。

年々、出来事に対する新たな発掘があったり、従来の解釈とは違った新説や背景が新たに浮上したり、それはそれなりに興味深いことなのですが、メディアの役割としては、やはり、この出来事を風化させない、後世に伝える、ということをまず、根底におくことが大事なのではないかと思います。

だいぶ前の話になりますが、終戦記念日の8月15日夜にNHKが放送したスペシャル番組「あなたにとって戦争とは」が、いまだに記憶に残っています。

スタジオに集まった若い世代たちは、実感のない戦争というものを、例えば祖父の体験談から知り、あるいはアジアの人々との交流の場で、考えたこともなかった“傷跡”として知らされ、彼らは、国家の責任をそれぞれが出来る範囲で自分たちも背負いたい、と発言したのです。

若い世代がそう考える姿勢には、観(み)ている側の大人である私も、少なからず驚かされたものでした。

ときをどれだけ経ようと、繰り返し巡ってくる日本の8月が〈平和祈願の原点〉であることが変わることはないでしょう。

世の中に若年層の殺伐とした事件が相次いだりする一方、日本の責任を個人も背負うべきだと真剣に主張する若者もいます。

自らのことしか見えない無責任な若者群とが混(こん)然一体となった戦後72年の社会-。

戦争体験、被爆体験の後世への継承が、8月だけの行事的なものに終わらないよう、願うばかりですね。
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強化される“路上喫煙禁止”に思う

私が住む藤沢市(神奈川県)の街中に、このところ「路上喫煙禁止」の標識が数多く見られるようになりました。

喫煙に関しては、受動喫煙防止の声が社会問題的に高まるにつれ、JR東海道線「藤沢」駅周辺などが、次第に路上喫煙禁止エリアに指定されるようになってきましたが、最近は小田急電鉄・江ノ島線の「鵠沼海岸」駅や「片瀬江ノ島」駅の周辺、さらには江ノ島電鉄(通称・江ノ電)の各駅周辺にも拡大され、路上に描かれた禁止マークが、オッ、こんなところにも! という感じになってきました。

藤沢市によると、2007年(平19)に施行された「藤沢市きれいで住みよい環境づくり条例」により、年々、路上喫煙禁止への取り組みを強化・拡大している、とのことですが、夏場のこの季節、長時間、電車に揺られて海辺の駅に着き、ちょっと一服、もできなくなった愛煙家たちには、元愛煙家の私としては、ちょっぴり同情もしたくなるところです。

神奈川県は2010年4月、当時の松沢成文・県知事が、全国に先駆けて「受動喫煙防止条例」を施行した県です。

条例は、学校、病院、公共交通機関などの施設(第1種施設)での禁煙、また飲食店、宿泊施設、娯楽施設など(第2種施設)は、施設管理者が「分煙」か「禁煙」のどちらかを選択する、などとされ、第2種施設に関わる違反に対しては、罰則も設けられることになりました。

厳しい条例の背景に〈健康を害する煙草の煙から子供たちを守る〉がありますが、それはそれで立派なことですが、この条例施行に対して私がまず思ったことは、喫煙という個人の嗜好の問題を行政が条例で縛るのはどうしたものだろうか、という疑問でした。

失われる“公共的マナー”の意識

だいたい、第1種施設での喫煙禁止など、昔ならいざ知らず、今どき、どんなヘビースモーカーでも病院の待合室で紫煙を吐き出すなど常識的にあり得ないでしょう。

それは、個人の公共的マナーの問題であり、もし、行政が条例でそれを規制しなくてはならないのなら、人ってそんなにいい加減なものなのかなァ、と情けない気持ちになってしまいます。

多いときで1日3箱(20本入り)のヘビースモーカーだった私は、2010年9月、喫煙をやめました。

長年の不摂生がたたり、動脈閉鎖で左足が動かなくなり、入院を余儀なくされたときがあったのですが、退院時、今後の生活面での注意事項を医師に仰ぎ、喫煙を聞いたところ、医師はこう言いました。

〈喫煙ねェ。いいですよ。どんどん吸って下さい。ムリにやめるとストレスになりますからね。でもね、サトーさん、なぜこんなことになって痛い思いをしなくてはならなかったのか、そのあたりを自分でよく考えてみて下さいね〉

どちらかというと束縛されるのが嫌いな私は、医師がもし、喫煙? とんでもないことです。やめなさい! といったら吸い続けていたことと思います。

しかし、私は、医師の自分で考えてみろ、という言葉に“御意?”とばかり、素直に反応、それを機にやめてしまったのです。

まあ、お上の仕事も、上から押しつけるのではなく、できるならこうであってほしい、と個人的には思います。

友人は私の考えに“それは甘い”と言い、人は罰則を設けて規制しないと守らないんだよ、と悲しいことを言います。

そういえば、歩きスマホに関しても、ホノルル市(米ハワイ州)が、道路横断時に限って禁止とし、初回の違反者には最大35ドル(約3900円)の罰金を科す条例を制定した(施行は10月25日から)ことが報じられました。

まあ、摘発される人たちが、日本人ばかりとなって国際問題化しないことを祈るばかりですが、私たちは、こうした世の流れの中、もう一度、公共的マナーは、行政によって規制されるものではなく〈個々の内面が自らを律するもの〉と真剣に考えたいものです。

ロマンチックな七夕行事の中で・・・

私が住む藤沢市(神奈川県)のJR東海道線「藤沢」駅から小田原方面に下って3駅目が「平塚」駅です。

この時期の平塚市は、毎年〈七夕祭り〉でにぎわいます。同市が開催する今年の「第67回湘南ひらつか七夕まつり」は、7月7日から3日間にわたって行われ、またまた若い女性たちの浴衣(ゆかた)姿が街中にあふれることになります。

ちなみに平塚市の七夕祭りは、宮城県仙台市、愛知県安城市(他地区にも候補はあるよあですが・・・)と並んで〈日本の3大七夕祭り〉とされており、1951年(昭26)から始まって今年で第67回を迎える「湘南ひらつか七夕まつり」は、実行委員会が公表している過去の人出によると、1993年(平5)の第43回では、延べ361万人を数えた、とありました。

凄い人出、まったく大にぎわいですね。

七夕行事の由来は、もともと織物の上達を願う中国の宮廷行事「乞巧奠(きっこうでん)」を起源としている、と資料にあります。

宮廷夫人たちが7月7日の夜、祭壇に針を捧げ、庭にはムシロを敷いて酒、さかな、果物などを並べ、星を眺めながら、機(はた)織りの上手な「織女星」に織物など針仕事、手作業が上手になるように祈ったのですね。

よく知られている織姫&牽牛の〈七夕伝説〉は、機織りに牛飼いに、ともに働き者だった2人が、結婚して夫婦になったとたんに楽しい生活のほうが先になり、仕事が後回しになってしまったことに腹を立てた“天の神”が2人を分けてしまい、会うのは年に一度だけだぞ、という厳しい仕打ちを受けた、という悲しみのストーリーとなっています。

背景に、年に一度だけの逢瀬となってしまったことを悲しむより、年に一度会えることを励みに、楽しみに、それまでは以前にも増して日々の仕事に精を出そうではないか、という教訓も隠されているようです。

年に一度のデートなんか耐えられな~い!

まあ、夏の夜空の星を見上げながら、恋人同士が「あれが『織女星』(こと座のベガ星)でこっちが『牽牛星』(わし座のアルタイル星)かな。近づけるといいね」などの語らいにはピッタリのロマンチックな七夕行事ですが、しかし、今どき、そんなことを言っている情勢ではないようです。

なにしろ、七夕祭りを機に花火大会のときなど、街中に増える若い女性の浴衣姿は、もはや私たちの年代層、旧世代の常識を超えています。

着物好きの私の常識としては、そもそも浴衣などというものは、その名の通り、入浴後の汗取り、風呂上がりのくつろぎ着と位置づけられており、家の近隣での夕涼みならともかく、浴衣姿で電車に乗って遠出などありえない、というのが最初にあります。

ですから、女性が浴衣姿で遠出するなら、せめて半襟をつけた夏着物ふうに着こなしてもらいたいなァ、と思いますが、浴衣が夏のファッションとして一人歩きしている今、そんな意見は、まったくもう、通用しないようです。

私は以前、浴衣の片方の衿、もっと極端に両方の衿を肩までずらして胸元を開けて、こともあろうに帯を前で締めた女性に会ってしまったのです。

実に今の世の中、浴衣を花魁(おいらん)ふうに着せてほしい、という注文に応じる着付けどころがあるのだそうですが、まあ、営業を妨害するわけではありませんが、店の方々も、お嬢さん、それはちょっとやめたほうが・・・とアドバイスすることも必要ではないのかな? と思ってしまいます。

そうした浴衣ファッションを楽しむ彼女たちは、織物や針仕事の上達を願う七夕祭りをどう受け止めていることでしょうか。

「織女星」と「牽牛星」の年に一度だけの逢瀬など「それって超遠距離恋愛じゃん」「そんなのマジ、耐えられない」と一笑に付されるだけでしょうね。

何しろ昨今、会社の人事異動に伴う転勤さえ、それが単身赴任を強いられるならなおさら、誰もが従順に受諾するとは限らない時代なのですから・・・ね。

まあ、折からの梅雨空の中、こんな地球を見下ろす、健気(けなげ)な2つの星の涙雨で曇ってしまわないことを願うばかりです。

「海開き」の季節に思うこと

6月30日の関東地方南部は、厚いグレーの雲に覆われ、ときどき雨も落ちてくる、あいにくの梅雨空となりました。

そんな中で私が住む湘南エリアの海水浴場は、この時期、続々と〈海開き〉となり、ああ、今年もまた、にぎやかな夏の2カ月が始まるのだなァ、と、ときの流れる速さを感じます。

先陣を切ったのが、この日6月30日海開きの「逗子海水浴場」(神奈川県逗子市)。7月1日には、鎌倉市の「材木座&由比が浜」両海水浴場、そして「江の島」を中心とする藤沢市の「片瀬海岸東浜&西浜」さらに「鵠沼海岸」と各海水浴場が海開きとなります。

ところで昨今、開放的になる海水浴場でのマナーが大きく乱れ、酔客同士のケンカや大音量で音楽を流す海の家の“クラブ化”などが社会問題となり、条例による規制の強化と営業に係わる海の家業者の間で激しく“綱引き”が行われていました。

実際、逗子海水浴場では2013シーズン、暴力団関係者による殺傷事件までもが勃発。同年41万7000人(逗子市公表)だった利用者が、翌2014年シーズンは、20万1300人(同)と激減してしまっています。

そりゃそうですね。海水浴場は誰のもの? 夏のある日、家族そろって海水浴を楽しみに来たのに、その場で酔客のケンカや入れ墨を見せつけられるなどしたら、もう来ない。どこかのプールのほうが安心・安全でいいや! となってしまうでしょう。

海水浴場の一連のマナーの乱れを引き起こす“引き金”となったのが、片瀬海岸西浜の一部海の家が始めた“クラブ化”でした。

大音響で音楽を流し、水着姿の男女が体をすり寄せて踊る光景-。

これは本当に異様といえますよ。何しろ私がウォーキングのコースとしている海沿いの道に並ぶ海の家が、まだ陽が高い昼日中から、ガンガンとやっているのですから・・・。

規制は砂浜から海の上にも、ああ・・・

私も含めて地元住民は皆、湘南海岸も地に落ちたものだ、と嘆いたものでした。

この騒ぎに規制が入り、海岸での音楽が禁止されると、それではつまらない海水浴客は、規制がまだない、お隣の鎌倉~逗子~葉山、へと流れていき、結局、そこでのマナー違反が規制を生むことになります。

結果、逗子市は、飲酒禁止や入れ墨の禁止などを盛り込んだ「(全国で)最も厳しい条例」を施行するに至ってしまいます。

海の家を営業する業者にとっては、痛い条例ですが、それに腹を立てる前に、そうさせているのは、業者の一部行き過ぎた旺盛な営業とそれに乗る利用客のマナー違反なのでしょうし、見方を変えれば、人はマナーまで規制されないと守ることが出来ないのか、と情けない気持ちにもなってしまいます。

逗子市が配布する「逗子海・浜のルールブック」の2017年版は、水上バイクに関しての項目を一部改訂しています。危険操縦やマナー違反に対する規制の強化です。

規制、また規制により、海岸の砂浜がやっと静かになったと思ったら、今度は海の上にも規制が伸びて行きます。

水上バイクは結構、スリリングで波を蹴散らす爽快感が得られるマリンスポーツでしょうが、エンジン音が大きく、蛇行運転によって起きる波の影響はどうなのだろうか、という疑問は常にありました。

実際、私の家の前を流れる川にも、最近は水上バイクが爆音を立てるようになりました。

やはり、海の上では〈風と波〉が原則でしょう。動力系に対する嫌悪感はあり、仲間たちと競り合えば当然、暴走に至るだろうことは想定内のことです。

こうした問題への規制・・・。

嫌ですね~。これらの規制のすべては、人が公共的なマナーを身につけていれば、いらないものばかりなのではないでしょうか

夏場の2カ月-。

家族を軸に老若男女、誰もが楽しめる海であってほしいですね。

“イチ たす イチ”は「に~」の笑顔

自宅から歩いて約10分ほどで「江の島」(神奈川県藤沢市)を中心とする片瀬海岸に出ます。

乾いた風が吹き、梅雨どきとは思えない心地よい気候となった6月の某日-。

午後からウォーキングに出かけると、愛称「エノスイ」(新江ノ島水族館)前の片瀬海岸西浜には、遠足で訪れたのでしょうか、大勢の小学生たちがにぎやかに砂浜を走り回っていました。

やがて“集合!”の声が掛かり、ワイワイ・ガヤガヤと集まった小学生たちは、江の島を背景に記念撮影タイムとなりました。

カメラマンが「ハイハイ、行くよ。“イチ たす イチ”は~?」の掛け声に小学生たちは大きな声で「に~」と応じ、カシャッ! とシャッターが切られました。

歩いていた私は、この光景と集合写真を撮る際の掛け声に思わず、笑ってしまい、ヘエ、今は「ハイ チーズ」じゃないんだなァ、と感心しながら、皆、楽しげな笑顔の、いい記念写真が撮れたことだろうな、と心の中で拍手をしてしまいました。

帰宅した後、写真撮影時の掛け声が気になり、近くに住む、保育関係の仕事で日々、忙しくしている娘と連絡を取り、子供たちを相手に今ふうの掛け声ってどんなのがあるの? と聞いてみました。

娘が言いました。

〈今ふうって、特にないけど“イチ たす イチ”は、別に新しいわけではなく、昔からある鉄板ヨ。ただし、足し算を覚える年齢ね。それ以下のチビちゃんたちは、やっぱり、ハイ チーズ が一般的かなァ〉

私は、初めて聞いた“イチ たす イチ”に新鮮さを感じてしまいましたが、フ~ン、そう、以前からある掛け声だったのですね。

様々に変化する写真撮影時の掛け声

では、と娘の子供たち(私の孫たちですが・・・)にも聞いてみました。

今春に高校に進学したばかりの上の女の子は、配属されたクラスが「1年D組」だったことで、クラスメートと写真を撮るときは「たいてい“ワン・ディー”ね」と教えてくれました。

やはり今春、中学に進学した下の男の子のほうは、目下、バドミントンの選手を目指して頑張る日々を送っていますが、この年代の男の子は、笑顔の写真などダサいそうで、バドミントン仲間と写真を撮るときは“バッドー”で口をとがらせたヘン顔をつくるのだそうです。

いかにも、この年代の男の子らしいですね。テレかな?

ヘンなヤツだな~とも思いますが、まあ、しかし、私たちの思春期を振り返ってみても、写真撮影でニコやかな笑顔などを見せるヤツなどはいなかったですねェ。たいてい皆、胸の前で腕を組んで斜めに構え、顔はできるだけ強面(こわもて)に、硬派に、写るように眉間にシワを寄せたものでしたっけ・・・。

こっちのほうが、ヘンですか?

ところで定番の“ハイ チーズ”が日本で一般化したのは、1963年(昭38)にテレビで放映された〈雪印乳業のチーズのCM〉がキッカケになった、と言われています。

資料には、日本人の女性モデルが笑顔をつくれないでいると、カメラマンが「チーズって言ってごらん」といい、その結果、いい笑顔がつくれたことで〈あなたもチーズと言いましょう。チーズは笑顔をつくります〉のキャッチフレーズとなった、とありました。

ちなみにこの年、1963年は、フジテレビが元日から手塚治虫作の初の国産連続テレビアニメ「鉄腕アトム」をスタートさせており、高視聴率を記録するなどテレビの影響力が高まっており、CM製作にも力が入っていたのでしょうね。

面白いですね。「チーズ」の「チー」あるいは「イチ たす イチ」の「にー」など、最後に「イー」と伸ばす音が来ることで〈口角が上がり〉笑顔が生まれます。

最近は「飲みに行こう」「ウィスキー」「ビー(ル)」や「何食べる?」「キムチー」あるいは「どこに行く?」「ディズニーシー」などもあるそうで、これからもどんどん増えていきそうですね。

そして・・・いい笑顔が撮れれば、最高! でしょう。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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