高齢者の車運転に思うこと

車を持つか持たないか、あるいは車の免許証を返納するかしないか、の問題はこれまで、まったく他人(ひと)ごとと思っていました。

車? あって当たり前だろ、の感覚-。

が、この問題は、ある程度の年齢に達すると、う~ん、ちょっと真剣に考えざるを得ないなァ、に変わってくるものですね。それを最近、感じます。

というのも、身近に起きた出来事として、同年齢の友人が、いろいろ考えたけど免許証を返納することにしたよ、と言ってきたし、私が住む集合住宅の隣りの住人が、ついに車を手離しました、と話し、居住者用の専用駐車場も、車を手離す人が多くなったのでしょうか、年々、空き区画が出て申し込み者を募る回数が増えつつあります。

私自身に、車をどうしようか? というテーマが急浮上してきたのは、まだまだ手離せない、と思う気持ちが色濃い一方、乗る回数が減っている割には維持費がかかり過ぎ、こりゃ最近、合わなくなってきたなァ、という“損得勘定”によるものでした。

今の車は、1998年7月に登録ですから、もう19年にもなります。購入した当初、これが最後の車、ダメになるまで乗り切る、というつもりでいましたから、それを守って結構、大事に扱いながら今に至ったものの、車というのは、ただ長く乗ればいい、というものではないのですね。

それをつくづく感じたのが、今夏の車検でした。

見積もりを出してもらって“まあ、これくらいなら”とOKしたのはいいのですが、車を預けてから連絡があり、ダメです、もう中がボロボロです、ということで何だかんだと結構な整備代を支払うことになってしまったのです。

まあ、こういう事態になると、毎度のことですが、こりゃ合わない、軽(自動車)に代えるか、もう手離すか、どっちかだなと思うのですが、長く乗っているだけに愛着があってまた、2年後の車検を迎えることになってしまいます。

思い切って免許証の自主返納を決意した前述の友人が言いました。

迫りくる“自主返納”の時期

〈軽だ何だと車を代えることを考えるより、もう免許証の返納を考えるほうが先なんじゃないか。世の中、高齢者の事故が激増していることだし、起こしてからじゃ遅いよ〉

私は、そうだね、とうなずきながらも、心の中では、オレの運転はまだまだ大丈夫、何でこれだけ高齢者の事故が多いのか不思議でならない、などと思っています。

だいたい「人は老いゆえに遊びをやめるのではない。遊びをやめるから老いるのだ」(バーナード・ショウ)に“そうだそうだ”などと拍手を送っているわけですから、そうそう簡単に老いを先走りさせるわけにはいきません。

しかし、高齢者による交通事故激増の原因は、実はこの意識にあるのだそうですね。つまり、自身の老いを第三者的に見られず、自覚できていない、というところに事故が発生するということです。

私は既に高齢ドライバーの講習を行っていますが、実地運転の際、教官に注意されたのが〈運転する姿勢の悪さ〉でした。右肩が多少、前に出ていて体がハンドルと正対していない、というのです。

高齢者たちは、この種の指摘に対して反発します。長い間にはクセが定着して、しかし、それが各々の一番運転しやすい姿勢ということだろ、と-。だいたいオレたちは、キミ(30代と思われる教官)が生まれる前から運転しているんだぜ!

あるいは、その素直でない、自分の状態を自覚できない頑固さが、高齢者事故の多発を生んでいるのかもしれませんね。

参考までに運転免許証を手離した場合~運転免許証の自主返納~について調べてみました。

いやいや、びっくりしましたよ~。

私が住む神奈川県では、県警と連携して「神奈川県高齢者運転免許自主返納サポート協議会」を発足させており、自主返納者は、交付される「運転経歴証明書」を提示することで数々の特典を受けられるのですね。

例えば、食事の割り引きとか、協力企業に出向く際の交通費支給とか、行動の足をなくしたことに対する不便の解消を図ってくれているのです。

「運転経歴証明書」は、本人確認の身分証明にも使える、とのことでこれは、一考の余地がありそうですね。

とはいえ、まだまだ地域によっては〈生活の足〉としての車は欠かせず、一概に年齢によって線引きするわけにはいかないというのが実情のようです。

私自身、ああ、曲がり角に来ているかもなァ、と思いますが、手離す、運転免許証を自主返納する、という決断を下すには、もう少し、時間がかかりそうです。
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「心が折れる」について・・・

「(相手の)心を折る」あるいは自身の「心が折れる」-。

こうした表現は、普通の会話で日常的に使われることは、あまりないと思いますが、スポーツの世界~特に柔道やレスリング、ボクシングなどの格闘技、また自分の内面との戦いとなるゴルフなどでしばしば、選手の口から聞かれます。

それを記事にする私たちスポーツ記者たちも、勝敗の要因として結構、迫力のある表現、と受け止め、よく使わせてもらっています。

このほど文化庁が発表した平成28年度の「国語に関する世論調査」では、1980年代(昭55~平1)に登場した表現の使用状況も調査され〈新しい表現や慣用句などの意味の使い方〉として上記の「心が折れる」や「目が点になる」「背筋が凍る」「毒を吐く」「あさってのほうを向く」が調査されています。

その中で「心が折れる」の使用率は〈使ったことがある=43・3%〉となり、年齢別では、高齢者より〈40代以下の世代が使う傾向がみられた〉とのことで、70歳以上の世代では「聞いたことがない」という回答もあったようです。

かといってこの表現は、単純に“若者言葉”の分類に収まるものではなく、私自身、立ち技打撃系格闘技の「K-1」や総合格闘技の「PRIDE」などを取材していたとき、このジャンルでは、当たり前のように聞かれており、そうした表現を多用する記事の影響もあって次第に一般にも広がっていったように思えます。

語源は“ミスター女子プロレス”のニックネームを持つ女子プロレスラー・神取忍(52)にある、というのが一般的です。

柔道家として活躍した神取は、1986年(昭61)8月17日に旗揚げされた女子プロレスの新団体「ジャパン女子プロレス」に参加。デビュー戦で元全日本女子プロレスの「ビューティー・ペア」で人気を誇ったジャッキー佐藤とシングル・マッチでぶつかります。

その戦いを機に2人の間に確執が生まれ、それがあの女子プロレス史上に残る伝説の“ケンカ・マッチ”へとつながっていきます。

格闘技ならではのインパクトの強さ

1987年(昭62)7月18日の神奈川大会(大和車体工業体育館)での戦い。

神取はきっぱりと言い切りました。

〈(ジャッキーの)心を折る〉

と-。

因縁のケンカ・マッチは、神取がジャッキーをボコボコにして勝利・・・。

神取は今でも、自身のブログのタイトルを「ミスター女子プロレス 神取忍の心が折れないブログ」としています。

格闘技系のジャンルでは、頻繁に使われるこの表現は、またゴルフの世界でも結構、多く使われるようになりました。

ゴルフは、自身のメンタルとの戦いとしての要素が強く、従ってこちらは、相手の心を折る、のではなく、自身の心を最後まで折らない内面の強さ、を言い聞かせるのですね。

優勝した選手が、途中でピンチに陥って乗り切ったときなど〈心が折れそうになった〉などの表現は、よく聞かれます。

まあ、しかし、心を折る、という表現には、深いものがあります。

例えば、足を折る、など骨を折られたりするケースは、いってみれば体の負傷で、これはときが解決しますが、心を折るケースは、精神的に強いダメージを与えることになり、折られたほうは、状況によっては立ち直れないケースも出てくることでしょう。

神取がこの表現を使ったのは、やはり、柔道の世界でガチンコの勝負を続け、心を折る、折られる、のやりとりをしていたからだと思いますが、今では普通に使われるようになった〈リベンジ〉など、格闘技の世界からは結構、多くインパクトのある言葉が生まれるものです。

黙祷の季節に伝えるべきこと

黙祷の季節ですね。

1945年(昭20)8月9日午前11時2分、長崎への原爆投下。それより3日前の同年8月6日午前8時15分、広島への原爆投下。そして同年8月15日、太平洋戦争終結-。

私が住む藤沢市(神奈川県)でも、両日の原爆投下時刻、サイレンが鳴らされて黙祷を求めるアナウンスによって人々の姿勢が正されました。

夏休み真っ盛りのこの季節、少年・少女たちは、学校を離れてさまざまな活動に精を出していることでしょうが、やはり、8月のこの両日は〈特別な日〉として大人たちが、黙祷の意味を教え、伝えるべきだろうな、と思います。

終戦直前の1944年(昭19)8月3日生まれの私は、この激動のとき、恐らく母親の背中に落ちないようにくくられていたことだろうし、記憶はまったくありません。

が、後々に資料によって、敗色濃厚の1945年8月4日、日本国民は総武装で竹やりの訓練を開始した、などという悲痛な記述に接したり、原爆投下に関しても、小学生になって新聞社系のグラフ誌により、白いアスファルトの路上に人の影だけがクッキリと黒く残された写真を見たりして、その凄惨な出来事を知らされ、改めて驚きもし、子供なりに心を痛めます。

世代を超えた“継承”こそが大事

〈もう72年も前のこと。昔の話だろ〉と背を向けてしまうのか。あるいは世代を超えて永遠に記憶にとどめておくべき出来事なのか。

もちろん、後者であるべきに決まっていますが、次第に薄く、消えかけていく認識をこれから、戦争を知らない世代ににどう継承していくのかは、大きな課題になるのではないか、と思います。

新聞・テレビの各メディアも、8月を迎えると戦争関連の記述、映像が増えます。

年々、出来事に対する新たな発掘があったり、従来の解釈とは違った新説や背景が新たに浮上したり、それはそれなりに興味深いことなのですが、メディアの役割としては、やはり、この出来事を風化させない、後世に伝える、ということをまず、根底におくことが大事なのではないかと思います。

だいぶ前の話になりますが、終戦記念日の8月15日夜にNHKが放送したスペシャル番組「あなたにとって戦争とは」が、いまだに記憶に残っています。

スタジオに集まった若い世代たちは、実感のない戦争というものを、例えば祖父の体験談から知り、あるいはアジアの人々との交流の場で、考えたこともなかった“傷跡”として知らされ、彼らは、国家の責任をそれぞれが出来る範囲で自分たちも背負いたい、と発言したのです。

若い世代がそう考える姿勢には、観(み)ている側の大人である私も、少なからず驚かされたものでした。

ときをどれだけ経ようと、繰り返し巡ってくる日本の8月が〈平和祈願の原点〉であることが変わることはないでしょう。

世の中に若年層の殺伐とした事件が相次いだりする一方、日本の責任を個人も背負うべきだと真剣に主張する若者もいます。

自らのことしか見えない無責任な若者群とが混(こん)然一体となった戦後72年の社会-。

戦争体験、被爆体験の後世への継承が、8月だけの行事的なものに終わらないよう、願うばかりですね。

強化される“路上喫煙禁止”に思う

私が住む藤沢市(神奈川県)の街中に、このところ「路上喫煙禁止」の標識が数多く見られるようになりました。

喫煙に関しては、受動喫煙防止の声が社会問題的に高まるにつれ、JR東海道線「藤沢」駅周辺などが、次第に路上喫煙禁止エリアに指定されるようになってきましたが、最近は小田急電鉄・江ノ島線の「鵠沼海岸」駅や「片瀬江ノ島」駅の周辺、さらには江ノ島電鉄(通称・江ノ電)の各駅周辺にも拡大され、路上に描かれた禁止マークが、オッ、こんなところにも! という感じになってきました。

藤沢市によると、2007年(平19)に施行された「藤沢市きれいで住みよい環境づくり条例」により、年々、路上喫煙禁止への取り組みを強化・拡大している、とのことですが、夏場のこの季節、長時間、電車に揺られて海辺の駅に着き、ちょっと一服、もできなくなった愛煙家たちには、元愛煙家の私としては、ちょっぴり同情もしたくなるところです。

神奈川県は2010年4月、当時の松沢成文・県知事が、全国に先駆けて「受動喫煙防止条例」を施行した県です。

条例は、学校、病院、公共交通機関などの施設(第1種施設)での禁煙、また飲食店、宿泊施設、娯楽施設など(第2種施設)は、施設管理者が「分煙」か「禁煙」のどちらかを選択する、などとされ、第2種施設に関わる違反に対しては、罰則も設けられることになりました。

厳しい条例の背景に〈健康を害する煙草の煙から子供たちを守る〉がありますが、それはそれで立派なことですが、この条例施行に対して私がまず思ったことは、喫煙という個人の嗜好の問題を行政が条例で縛るのはどうしたものだろうか、という疑問でした。

失われる“公共的マナー”の意識

だいたい、第1種施設での喫煙禁止など、昔ならいざ知らず、今どき、どんなヘビースモーカーでも病院の待合室で紫煙を吐き出すなど常識的にあり得ないでしょう。

それは、個人の公共的マナーの問題であり、もし、行政が条例でそれを規制しなくてはならないのなら、人ってそんなにいい加減なものなのかなァ、と情けない気持ちになってしまいます。

多いときで1日3箱(20本入り)のヘビースモーカーだった私は、2010年9月、喫煙をやめました。

長年の不摂生がたたり、動脈閉鎖で左足が動かなくなり、入院を余儀なくされたときがあったのですが、退院時、今後の生活面での注意事項を医師に仰ぎ、喫煙を聞いたところ、医師はこう言いました。

〈喫煙ねェ。いいですよ。どんどん吸って下さい。ムリにやめるとストレスになりますからね。でもね、サトーさん、なぜこんなことになって痛い思いをしなくてはならなかったのか、そのあたりを自分でよく考えてみて下さいね〉

どちらかというと束縛されるのが嫌いな私は、医師がもし、喫煙? とんでもないことです。やめなさい! といったら吸い続けていたことと思います。

しかし、私は、医師の自分で考えてみろ、という言葉に“御意?”とばかり、素直に反応、それを機にやめてしまったのです。

まあ、お上の仕事も、上から押しつけるのではなく、できるならこうであってほしい、と個人的には思います。

友人は私の考えに“それは甘い”と言い、人は罰則を設けて規制しないと守らないんだよ、と悲しいことを言います。

そういえば、歩きスマホに関しても、ホノルル市(米ハワイ州)が、道路横断時に限って禁止とし、初回の違反者には最大35ドル(約3900円)の罰金を科す条例を制定した(施行は10月25日から)ことが報じられました。

まあ、摘発される人たちが、日本人ばかりとなって国際問題化しないことを祈るばかりですが、私たちは、こうした世の流れの中、もう一度、公共的マナーは、行政によって規制されるものではなく〈個々の内面が自らを律するもの〉と真剣に考えたいものです。

ロマンチックな七夕行事の中で・・・

私が住む藤沢市(神奈川県)のJR東海道線「藤沢」駅から小田原方面に下って3駅目が「平塚」駅です。

この時期の平塚市は、毎年〈七夕祭り〉でにぎわいます。同市が開催する今年の「第67回湘南ひらつか七夕まつり」は、7月7日から3日間にわたって行われ、またまた若い女性たちの浴衣(ゆかた)姿が街中にあふれることになります。

ちなみに平塚市の七夕祭りは、宮城県仙台市、愛知県安城市(他地区にも候補はあるよあですが・・・)と並んで〈日本の3大七夕祭り〉とされており、1951年(昭26)から始まって今年で第67回を迎える「湘南ひらつか七夕まつり」は、実行委員会が公表している過去の人出によると、1993年(平5)の第43回では、延べ361万人を数えた、とありました。

凄い人出、まったく大にぎわいですね。

七夕行事の由来は、もともと織物の上達を願う中国の宮廷行事「乞巧奠(きっこうでん)」を起源としている、と資料にあります。

宮廷夫人たちが7月7日の夜、祭壇に針を捧げ、庭にはムシロを敷いて酒、さかな、果物などを並べ、星を眺めながら、機(はた)織りの上手な「織女星」に織物など針仕事、手作業が上手になるように祈ったのですね。

よく知られている織姫&牽牛の〈七夕伝説〉は、機織りに牛飼いに、ともに働き者だった2人が、結婚して夫婦になったとたんに楽しい生活のほうが先になり、仕事が後回しになってしまったことに腹を立てた“天の神”が2人を分けてしまい、会うのは年に一度だけだぞ、という厳しい仕打ちを受けた、という悲しみのストーリーとなっています。

背景に、年に一度だけの逢瀬となってしまったことを悲しむより、年に一度会えることを励みに、楽しみに、それまでは以前にも増して日々の仕事に精を出そうではないか、という教訓も隠されているようです。

年に一度のデートなんか耐えられな~い!

まあ、夏の夜空の星を見上げながら、恋人同士が「あれが『織女星』(こと座のベガ星)でこっちが『牽牛星』(わし座のアルタイル星)かな。近づけるといいね」などの語らいにはピッタリのロマンチックな七夕行事ですが、しかし、今どき、そんなことを言っている情勢ではないようです。

なにしろ、七夕祭りを機に花火大会のときなど、街中に増える若い女性の浴衣姿は、もはや私たちの年代層、旧世代の常識を超えています。

着物好きの私の常識としては、そもそも浴衣などというものは、その名の通り、入浴後の汗取り、風呂上がりのくつろぎ着と位置づけられており、家の近隣での夕涼みならともかく、浴衣姿で電車に乗って遠出などありえない、というのが最初にあります。

ですから、女性が浴衣姿で遠出するなら、せめて半襟をつけた夏着物ふうに着こなしてもらいたいなァ、と思いますが、浴衣が夏のファッションとして一人歩きしている今、そんな意見は、まったくもう、通用しないようです。

私は以前、浴衣の片方の衿、もっと極端に両方の衿を肩までずらして胸元を開けて、こともあろうに帯を前で締めた女性に会ってしまったのです。

実に今の世の中、浴衣を花魁(おいらん)ふうに着せてほしい、という注文に応じる着付けどころがあるのだそうですが、まあ、営業を妨害するわけではありませんが、店の方々も、お嬢さん、それはちょっとやめたほうが・・・とアドバイスすることも必要ではないのかな? と思ってしまいます。

そうした浴衣ファッションを楽しむ彼女たちは、織物や針仕事の上達を願う七夕祭りをどう受け止めていることでしょうか。

「織女星」と「牽牛星」の年に一度だけの逢瀬など「それって超遠距離恋愛じゃん」「そんなのマジ、耐えられない」と一笑に付されるだけでしょうね。

何しろ昨今、会社の人事異動に伴う転勤さえ、それが単身赴任を強いられるならなおさら、誰もが従順に受諾するとは限らない時代なのですから・・・ね。

まあ、折からの梅雨空の中、こんな地球を見下ろす、健気(けなげ)な2つの星の涙雨で曇ってしまわないことを願うばかりです。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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