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24分にわたる死闘の末に…

格闘技の世界に生きる者にとってこういう形は、ある意味“宿命”と言えるかもしれません。「どちらが強いか」を決める直接対決です。

12月13日の日曜日午後-。東京五輪の柔道66キロ級代表を決める阿部一二三(23=パーク24)vs丸山城志郎(27=ミキハウス)の注目の対戦が無観客の東京・講道館で行われました。
試合の模様は12月13日午後4時からテレビ東京系で生中継

2017~18年の世界選手権2連覇の阿部。2019年の世界選手権覇者の丸山。新旧世界王者のワンマッチでの五輪代表決定戦は日本柔道史上初。ゆえに「巌流島決戦」とも-。

代表争いは当初、阿部がリードしていました。が、一転、丸山が優位に立ったのは、2018年11月の「GS(グランドスラム)大阪大会」、2019年4月の「全日本選抜体重別選手権」、同年8月の「世界選手権」と直接対決3戦に3連勝したことでした。

ワンマッチ対決は武道家の宿命

2019年11月の「GS大阪大会」で優勝すれば、丸山の代表決定が濃厚になるところでしたが、ここで阿部が意地を見せて勝利。代表争いが混沌となる中、年が明けて新型コロナウイルスの感染拡大がボッ発。大会が開催困難になり、唯一、代表が決まっていなかった66キロ級の代表決定戦が、こういう異例の形で行われるに至りました。

凄い試合でしたね。大会ではなく試合、突き詰めて言うなら果たし合い。“火花を散らす”というフレーズは、スポーツの記事にあってしばしば使われますが、実際、パチパチと音を立てて飛び交うのが聞こえてくるようでした。

試合は、ともに手の内を知り尽くしている相手との戦いだけに慎重な滑り出しとなり、丸山への「指導1」であっという間に4分間が終わり、延長戦に入りました。

そこから延々20分間の死闘が繰り広げられます。全体的な印象としては、決定打が出ない中、阿部“武蔵”の闘魂が全面に押し出され、攻勢点で上回っているようにも見えましたが、丸山“小次郎”の内面に燃やす闘魂、厳しい攻防も十分に阿部を攻めていました。

ともに「指導2」となり、あと一つで反則負けとなる後がない展開。長い長い激闘、終わりも見えず、試合を中継するテレビ東京もやむなく時間切れ。決着は他テレビ局のニュースで知ることになりましたが、延長20分、もつれ合ったわずかなスキに放った阿部の大内刈りで丸山が横倒しにされていました。阿部の技あり、優勢勝ち-。

計24分間の戦いは、大半が目に見えない“気持ちのぶつかり合い”と“駆け引きの凄さ”にあったと思います。

武道家の宿命ともいえるこういう戦い…勝敗が描く明暗、流す涙も2種類のものとなり、厳しいものがあります。が、切磋琢磨があってこその向上。丸山にはこれをバネにさらなる飛躍を期してもらいたいと思います。
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柔道家・岡野功氏の思い出

新型コロナウイルスの感染拡大により来年に延期された東京五輪(2021年7月23日=開会式)ですが、開幕まで1年となったこの時期、新聞各紙はそれぞれ“あと1年”の特集を組んで大会への雰囲気を盛り上げました。

依然として猛威を振るうコロナ禍にあって、延期開催も現段階では確かとは言えない情勢にありますが、そんな中、前回1964年(昭39)東京五輪で金メダリストとなったレジェンドたちが後進にエールを送る某紙の企画に柔道の岡野功さんが登場していました。

1944年(昭19)1月20日生まれ。茨城県龍ケ崎市出身。中大在学中の21歳時にこの年の東京五輪で初採用になった柔道に中量級日本代表で出場。決勝に進み、ホフマン(ドイツ)の左小外刈りを返して横四方固めを決め、金メダルを獲得しています。

なぜ今、ここで岡野さんを取り上げたか-。

まあ、久々に新聞紙上でお元気そうな顔に接したこともありますが、私はスポニチ本紙に在職中に結構、岡野さんを密着取材しているのですね。そんなことが思い出された懐かしさ、といったところでしょうか。

私と同年生まれ。私も同じ大学に籍を置き、体育会系で汗を流していたという共通項があります。東京五輪開催時、私はまだ20歳。岡野さんの優勝は、外から拍手を送った程度で大きな距離がありましたが、その後、1969年(昭44)にスポニチ本紙に入社してから、その距離が縮まります。

「武道=無差別」への強い思い

岡野さんは五輪後、翌年の世界選手権も制し、押しも押されもしない中量級の第一人者として「昭和の三四郎」の名を世界にとどろかせました。

名声を背に25歳で現役を引退。自らの道場「正気塾」を設立して後進の育成に当たりました。岡野さんとの距離が縮まり、さまざまな話が聞けたのは、この「正気塾」時代だったでしょうか。部屋に上がり込み、何か合宿のような雰囲気の中で取材が進みました。

あの頃の柔道家は…といっていいものかどうか分かりませんが、身長1メートル71、体重80キロ、中量級で活躍した岡野さんも、やはり「武道=無差別」の志向が強い人でした。東京五輪の柔道無差別級決勝でアントン・ヘーシンク(オランダ)が日本の神永昭夫氏(故人)を下して金メダルを獲得したことに対して悔しさがあったようです。

やはり「柔よく剛を制す」は柔道の本質。広義に解釈すれば「体の小さい者が大きい者に勝つ」ということにも例えられるでしょう。富田恒雄著の柔道小説「柔」の中でも、体が小さく非力な主人公の矢野浩(後に正五郎)が大男を理と力の法則で投げ飛ばす術の妙が描かれています。

岡野さんにとっては“無差別の戦い”こそ、格闘技の原点ということなのでしょうね。

東京五輪でホフマンを破った技も、相手を追い込んで技をかけさせ、その力を利用して一本を取るという「後の先」という独自の“岡野流”を実践しています。

現在76歳の岡野さんは、相変わらず元気に後進の育成に励んでいると聞きます。あの頃、岡野さんが目指した「武道=無差別」の理想は、ときの流れとともに進む“スポーツ化”で薄れつつあるかもしれませんが、また、コロナ禍でさまざまな制約が出て来るかもしれませんが、日本柔道が守るべき本質は死守したいものですね。

相撲は国技か? の議論

友人と飲み処(どころ)に出向き、オッ、鍋があるぞ! と寄せ鍋を注文して雑談、そんな中で「日本の相撲は〈国技〉と認識されているのだろうか」という話になりました。

折から、熱戦を展開中の大相撲九州場所(福岡国際センター)の10日目(11月17日)、横綱・白鵬(30=宮城野)が“猫だまし”2発の奇襲を見せて勝利、横綱らしからぬ・・・などの批判を受けました。

相撲を国技と認識しているファンも多いことと思いますが、そういう方々は、国技の頂点に立つ横綱が、など、あるいは眉をしかめたかもしれません。

まあ、常識的には、猫だましなどの奇策は、下位の力士が上位の力士にひと泡吹かせるために用いるものですが、私自身の感想は、別に横綱がやってもいいのでは? でした。

その件は別にして、冒頭のテーマ、友人が指摘した〈相撲は国技なのかどうか〉という判断を起点として、では相撲道に生きるものは、とか、その頂点に立つものとしての矜持は、などの問題が出てくるのではないかと思います。

私自身は、スポニチ本紙に入社したての駆け出し時代、相撲担当記者を命ぜられ、そこから記者人生をスタートさせました。

当時、西も東も分からない相撲界に入り込んで、取材と言うより、分からないことを一から十までがむしゃらに聞き回っていましたが、そうした中で〈相撲が国技である〉という、ハッキリとした文言を関係者から聞いたことはありませんでした。

が、一方、相撲は〈国技というイメージの中に置かれているなァ〉ということは、ことあるごとに感じさせられたものでした。

国技というイメージの中にある相撲

新聞報道にしても、例えば2011年2月、大相撲界の八百長問題が発覚して大騒ぎになったとき、記事の中に「国技・大相撲が・・・」などの記述はなかったし、また2013年1月、元横綱・大鵬の納谷幸喜氏が他界したときも、記事にはやはり〈国技を支えた大横綱〉などの記述はありませんでした。

国技の意味として広辞苑には-。

〈国技〉=「一国の特有な技芸。一国の代表的な競技。わが国の相撲など」

とあります。

ここでは相撲を国技としていますが、その認識がなぜ、まちまちなのでしょうか。

元日刊スポーツ記者で私の記者仲間でもあるスポーツ・コラムニストの工藤隆一氏は、自著「大相撲のなぜ?がすべてわかる本~力士はなぜ四股を踏むのか?」(日東書院刊)で、そこに触れています。

同氏は〈日本相撲協会の寄附行為(公益財団法人の根本規則)には「国技」の文字はどこにもありません〉としたうえで1909年(明治42)、東京・両国に初の屋内相撲常設館が開設されたことで-。

〈(略)完成するまでは単に「常設館」と呼ばれていたが、いよいよ完成する段になって、きちんとした名称をつけなければ、ということになり、当初は「尚武館」「武道館」などが候補に挙がっていた。そんな中、当時の作家・江見水蔭が起草した、常設館開設の挨拶文の文言にあった「相撲は日本の国技にして・・・」のくだりを発見した年寄・尾車親方が「国技の館で国技館というのはどうだろうか」と思いついた(略)〉

同氏は、つまり「相撲=国技」は、この「国技館」の名称から広がったもので、相撲という競技自体が、それ以前から「国技」と呼ばれていたわけではなく(略)・・・ちなみに両国国技館に先だって開設された柔道の常設館は「講道館」と名付けられたが、このときもし「国技館」の名称が使われていたら「相撲=国技=国技館」は存在しなかった、としています。

面白いですねェ。

従って厳密な定義としての「相撲=国技」はないようで、アバウトではありますが“事実上の”とか“国技的な”といったところに位置づけされるのが無難なようですね。

武道柔道vs競技JUDO

9月に東京で開催された柔道の世界選手権を振り返りながら先日、スポニチ本紙の柔道担当記者と雑談していたところ、あの「指導」が、今後の国際大会でもっと厳しく強化されるだろう、という話になりました。欧州勢を軸に「競技JUDO」化が進む中、これはいったい、何を意味するのでしょうか。

「指導(教育的指導)」とは、柔道の試合での反則判定ですが、国際柔道連盟(IJF)ルールによると、指導が出される基準としては①約20秒間、相手と取り組まず、勝負をしようとしないとき、また②スタンドで約60秒間以上、防御姿勢を取り続けるとき、など競技者の“消極性”について科されるペナルティで、2度受けると「有効」が、3度受けると「技あり」が、相手のポイントとして入り、4度受けると本人の「反則負け」となってしまいます。

私自身は、この「指導」という反則判定に接するたびに、それを受けた選手がどうにも気の毒になってしまいます。もちろん、ものものしい名称である「教育的指導」に値するだけの消極的な選手はいて、ぺナルティを受けても仕方ないという状況もあるのですが、私が気の毒だと思ってしまうのは、どうしてもこの「指導」という反則判定の基準が、試合の迅速化、つまり「競技JUDO」のためにあるのでは? あるいは対戦者の勝負のためではなく、観戦者を楽しませるためにあるのでは? とちょっぴり、うがった受け止め方をしてしまうからです。

「指導」が奪ってしまうもの

人対人、1対1の格闘技であれば、相手が出てきたときにこちらは引く、あるいは機を待つ、というやりとりは、しばしば起きるでしょう。引きながら、待ちながら、どう対処するか。それが日本の守りたい「武道柔道」でしょうし、その矢先の「指導」宣告、つまり、ちょっと(指摘が)早いのでは? というケースが結構、あったように思われました。

今回の東京大会で日本勢の活躍はめざましく、男子勢は金ゼロの低調に終わった前回オランダ大会の雪辱を果たしたと評価されましたが、一方、その背景にある地元開催のホームタウンデシジョン的なルール改正が味方をした、という声が上がったこともまた確かです。つまり、勢いづく欧州勢が得意とするレスリング的なタックル、あるいは足取りなどを、組む前に行ってはならない、というルールが、組んで投げる日本の「武道柔道」にどれだけ味方をしたか、ということです。

しかし、そう考えてみると、日本が本家として掲げる一本勝ちの武道柔道も、結局はルールの中で成り立っているのか、と思わざるを得ません。日本が欧州勢の競技JUDO、つまり、組まずにいきなりのタックルとか、あるいは投げられながらの返し技などを“邪道”と批判するのは勝手ですが、武道としての本質で言うなら、それらのすべてを含めて一本勝ちすることが、本家・柔道の強さといったところではないでしょうか。

柔道担当記者が指摘した「指導」の強化の可能性は、次回の世界選手権、フランス大会での欧州勢の巻き返しを意味しています。つまり、武道的思考の排除。日本が本家を貫くためには、相当な覚悟が必要となりそうな情勢です。




枠内の強さと枠外の強さ

私は進んだ大学で空手をやっていました。
所属した中央大学空手部には、かつて先輩たちがやってのけた「山中湖畔の乱闘」などという不祥事が伝説として語り継がれており、上級生からそんな話を聞かされるたびに新入部員たちは、こりゃ、えらいところに来てしまった、とビビり、尻込みしたものでしたが、それでも何とか四年間をまっとうすることができました。

昨年秋のある日、高校(神奈川県立鎌倉高校)時代からの友人I氏に誘われて「躰道(たいどう)」という武道の大会を見に行きました。躰道は祝嶺正献氏が興した「玄制流」という空手を進化させたもので、空手の直線的な本来の動きに円運動、さらには空中での回転なども採り入れ、三次元の運動空間に適応できる実技、とした画期的な武道です。

友人のI氏は大学時代、これを導入して部として設立させ、やはり高校時代の同期生U氏が初代主将を務めた、といういきさつがありました。

躰道ルールの中で若い武道家たちは、日ごろの稽古の成果を思い切り発揮し合っていましたが、ものの見方というのは面白いもので、若いときとは違い、この歳になって久々に接した武道にあって、私が感じたことは「枠内の強さと枠外の強さ」でした。

つまり、私が大学空手部でやってきたことは「松涛館」という流派の中での稽古であり、それは高校時代に町道場で「剛柔流」を学んでいたこともあり、やり方の違い、解釈の違い、などが随所にあり、その区別がはっきりと分かります。

躰道に励む若者たちも、トーナメントの上位に上がってくる面々はそれぞれ、立派な力量の持ち主ぞろい、豊富な稽古量を感じさせてくれましたが、では一方、その枠を出たときにどうか、別ジャンルとの“異種格闘技”戦には、どう臨むだろうか、などということを考えてしまうのです。

例えば、顔に防具をつける、あるいは顔への打撃は禁止する、などのルールがあるとします。この枠内での彼らは、顔への心配がないために思い切り前に出られます。が、そのルールに守られないとき、どれだけ前に出られるか、どう対応するか、ということです。

これは何も空手などという狭い世界の問題だけではなく、人の生き方にもつながってくるのではないでしょうか。社会人となり、企業という枠内で胸を張っていた人たちが、では、会社を離れて肩書きを外し、枠外に出たときにどうか、ということです。

私自身、守られていた会社組織を離れ、徒手空拳のフリーとして活動するこのごろ、異種格闘技戦に臨むにあたって欠けているものの多さをつくづくと感じるのです。

プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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