高齢者ドライバーについて思うこと

友人というものは、ときにして歯に衣着せず、酷ではあるけれど“いかにも”と思う適切な助言を、ストレートでズバッと投げつけてくれるものです。

その友人が言いました。

〈そうだねェ。そういう段階に来ているんなら、もうひとつ、別の考えが必要なんじゃないか。そう、つまり、手離すか、手離さないか、のほうを・・・ネ〉

車の話です。

私が今、乗っている車は、1998年(平10)7月に購入したものですから、もう18年目、今年の7月で丸19年の長きを迎えるのです。

乗り始めてから通算7台目となるその車は、私が53歳のときに購入、年齢的にこれが最後の車かな? と“乗り潰し”のつもりでいましたから、特に買い替えを考えずにここまで来てしまったのでした。

振り返ってみれば、故障と言えば、エアコンの不具合、Dレンジで動力が伝わらなくなってしまったミッション系の不具合、などがありましたが、おおむね良好状態で今に至っています。

・・・が、車は長く乗ればいいというものではないのですね。当時の排ガス規制は、今に合わないし、とともに古い車は、税金が年々、上がってくるのが、頭の痛いところです。

運転免許証の自主返納を含む試行錯誤

といったことにより、以前に比べて乗る回数も減っており、これからは維持費の削減を優先させたいということで、トヨタのコンパクトカー「ヴィッツ」の1000CCあたりはどうだろうか、思い切って“軽”にしてスズキの「ワゴンR」にしちゃおうか、など、通算8台目に気持ちが傾き始め、しかし、乗り続けている18年目の車には、妙な愛着が沸いており、なかなか決断がつかない状況が続いています。

そんなとき・・・冒頭に記した、友人のキツ~イ、一撃を受けたのでした。

そういうときを迎えているということは、買い替えも結構だがネ、乗る回数が減っているのなら、もう車を手離す、免許証の自主返納も選択肢のひとつなんじゃないか、という考えです。

しかし、この決断も、頭を痛めますよね~。やはり、手元になければ、何かのときに不便が生じるのではないか、ということを考えてしまいます。友人は、慣れだよ、何ごとも慣れ、慣れれば、車などないのが普通になる、といいますが、どうでしょうかね~。

そんな折、加入している自動車保険の担当者から連絡があり、ちょっと相談があるからか・・・ということで会いました。担当者が言うには、対物賠償の項目を厚くしたほうがいいてすよ、というアドバイスでした。

事故を起こしたときの対人賠償は、誰もが“無制限に”など重要事項として考えます。が、対物賠償は、車がぶつかって相手の車を壊してしまった、くらいの意識で、どちらかというと軽く考えがちです。

が、担当者は、それは違いますよ、と言い、一例として、軽乗用車が電柱にぶつかり、跳ね飛ばされて近くにあったコンビニに突っ込んだ、という出来ごとをを挙げ、その賠償金は1億円超えでした、と怖い話? を聞かせてくれました。

昨今、高齢者が運転する車の事故が、いたるところで起きており、社会問題化しています。「ブレーキとアクセルの踏み違え」が原因の多くを占め、コンビニに突っ込んだり、集団登校中の小学生の列に突っ込んだりしています。

私はどうだろうか、と振り返ったとき、ブレーキとアクセルをなぜ踏み間違えるのだろうか、とまだ、その理由が理解できないところがあるものの、うっかりと出合い頭は交通事故の常であり、気をつけなければならないところですね。

あと数年、今の車を走らせ続けるか、維持費がかからない車に乗り換えるか、そうした“車ありき”の生活に別れを告げ、思い切って免許証を返納して車を手離すか、などの様々な問題が加わり、1966年(昭41)に免許証を取得、運転歴51年となる私という高齢ドライバーは、どうやら、車に対する考え方の分岐点にぶつかったようです。
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独善的男乃着物考・其ノ拾九

正月だから改めて・・・ではなく、四季折々、年間を通して日常的に着物を着ていたいなァ、という願望があります。着物好きは常に、あの布の感触を忘れないでいたいのでしょうね。

男の着物に関する書物にも、着物で暮らそう、という和服生活をテーマにした項目があり、そのためのアイディア、工夫などを教えてくれていますが、やってみようか、と思いつつも、やはり、実際はムリですね。

独断と偏見で言わせてもらえば、私の場合、男の着物姿には“凛々しさ”こそが不可欠、という絶対的な見栄があり、寝転がってテレビを見たりする日常生活の緩んだ姿を和装で、などはとんでもない! となってしまうわけです。

1月3日午後、箱根駅伝の復路をテレビ観戦した後、初詣でもしようか、とブラり、鎌倉に出かけました。

江ノ電(江ノ島電鉄)の最寄りの駅「江ノ島」駅から「鎌倉」駅までは約25分。三が日はやはり、江ノ電の車中から混雑しています。

「鎌倉」駅から向かった鶴岡八幡宮は、大混雑で延々、長蛇の列。こりゃダメだ、と参拝は後日とあきらめ、無目的に周辺の散策となりました。

目につくのが、着物姿の女性の多さです。対照的に男の着物姿は、まったくといっていいほど見かけず、おいおい、ニッポン男児の心意気はどこへ行っちまったんだよ! と、ちょっぴり寂しい気持ちにもなりました。

色とりどりの女性の着物は、華やかで美しく、言葉通り「晴れ着」ですね。混雑の中でその存在が輝きます。

が、男の着物は「晴れ着」であってはダメですね。やはり、地味で渋く質実剛健、あくまで〈いぶし銀〉の魅力、輝くのは表に見えず、内面に秘めた“裏勝り”の反骨美学でなければならない、というのが私の“独善的”持論です。

木綿の絣で始まった着物への興味

つまり、後染めの「染め」より、格下でも先染めの「織り」のほう-大島紬や結城紬などの紬類-が、素朴さという意味では、男の着物に似合い、着る側がそれを引き立たせる、ということですね。

私の家には、私が子供のころから、着物が身近なところにありました。父親が東京・日本橋の某百貨店で呉服関係の仕事をしていたせいでしょう。父親は、私が高校生になったとき、木綿の絣(かすり)とウールの袴(はかま)をつくってくれて、それが私が着物好きになる発端となりました。

木綿の絣といえば、久留米絣に代表されるように丈夫で長持ち、いわゆるバンカラ学生の定番的な着物です。

さすがに学校に着ていくことはありませんでしたが、何かの集まりなどのときには、好んで着ていったことを覚えています。

着物を着始めのとき、何に引っかけて裂けてしまうのが、手の出る袖口と袖下口の縫い目の部分、そして無理にしゃがんだとき、ビリビリッとくるのが、背縫いのお尻の部分です。

今は心得ているので、狭いところや出っ張りがあるところを通るときは、必ず袖が引っかからないように注意していますが、高校生のころは、着るたびに引っかけて、またやっちゃった! を繰り返していたものでした。

引っかけて破れたところは、もちろん自分で修繕します。難しいのは、袷(あわせ)で裏があるため、糸がそこまでいかない工夫です。当然、うまく、きれいには縫えず、しまいには、まあ、そのあたりの破れ具合、裂け具合も男の着物の魅力の一つか、と放っておき、弊衣破帽的バンカラにすり替えてしまう始末でした。

若いころのそんな思い出があって今、街中で男の着物姿を見なくなったなァ、と寂しい思いをしつつ、では! と突っ張り続けています。

紬のバサッとした長着に角帯を締め、羽織は必ず着用します。足元の足袋は、4枚小鉤(こはぜ)の黒繻子でキリリと地味に締め、雪駄の金具をチャラチャラと鳴らして歩きます。

「独善的男乃着物考」としては、意地とヤセ我慢なくして男の美学は貫けない! というところにこだわりつつ、肩ひじ張ってムリを通していますが、ああ、それにしても・・・王者のまま現役を引退するような長谷川穂積の気負わないカッコ良さは、いつになったら得られることでしょうか。

注=「独善的男乃着物考」シリーズは「日常」の項に収めています

またせっせと年賀状を書く年の暮れ

郵便ポストに2つある差し入れ口の左側に「年賀郵便」が表示される時期となりました。

12月15日の年賀状受け付け開始-。

例年、早めの注文で年賀ハガキは出来上がっているのですが、着手となると、まだいい、まだいい、と伸ばし伸ばし・・・。結局、いつものことながら、元日に配達してもらうための12月25日に向けて“滑り込みセーフ!”状態となってしまいます。

この年末恒例の行事のようになっている年賀状書き、皆さんは、その是非をどう受け止めているでしょうか。

というのも先ごろ、同年齢の友人との雑談で〈年賀状をもう辞めようかな〉との話題が出てきたからです。

友人は私同様、既に勤務は定年退職して今、フリーの立場にいますが、会社勤めをしていたころの儀礼的な年賀状のやりとりは、もう卒業してもいいのでは? 親しい仲間にはメールで・・・というのがその理由でした。

まあ、しかし、こちらが儀礼的と思っていても、あちらはそう思っていないこともあり、そのあたりの兼ね合いは、極めて微妙であり、なかなか卒業には至らないのが、延々と続く、この日本的な行事なのではないか、と思います。

今年の正月、私のところに届いた年賀状の中に“これを最後にしたい”という旨を記したものが3通ありました。後輩からの1通には、最近、手が震えるし目もかすんで・・・などジョークまじりの中止理由を記したものもありましたが、先輩と同期生からの他の2通の中止理由は、上記の友人が話した内容に似通ったものでした。

年々減少傾向の中で・・・・

日本郵便の発表によると、2017年用年賀ハガキの発行枚数は〈28億5329万6000枚〉で前年比5・6%の減少となった、とありました。

発行枚数のピークは2004年用の〈44億5000枚〉で、同年は追加発行を含めると〈44億5936枚〉だったそうですが、以後は年々、減少傾向が続き、2017年用の枚数は、2004年用以降、最少となったのだそうです。結構な枚数の差ですね。

確かに時代が変わり、年始の挨拶は、年賀状以外に電子メールなどの各手段で手をかけずにできるようになりました。

私は、2000年から始まった大みそかの格闘技興行(最近はボクシングの世界戦ラッシュですが・・・)で毎年、現場に出ていますが、カウントダウンが始まるころの会場周辺は、メールの送受信ラッシュとなり、こちらの原稿送稿にも通信の支障をきたすほどとなります。若い人たちは、それで十分なのでしょうね。

他方、現実的な問題として、年賀ハガキには、近況の連絡も含め、変更した携帯電話や固定電話の番号やメールアドレス、マンションの部屋番号など、詳細な個人情報を記す場合が多く、それが今に即さない、というシビアな考えもあるようです。

年賀状のやりとりをぜひとも必要とする年代としては、私もそうでしたが、やはり、働き盛りの40~50歳代でしょうね。この年代は、もちろん儀礼的なものも当然あり、メールなどで済ますというわけにはいきません。

そして、その当時の習慣が、今なお、残っていて、なかなか年賀状を辞めるというわけにはいかず、日本郵便を支える年代層ということがいえますね。

ただ、年始の挨拶をメールで済ますことが多い、20代の「あけおめ」「ことよろ」世代が、年齢を経てどういう受け止め方をしていくのか、それが年賀状の今後の動向を左右することになるのでしょう。

〈出すのはめんどくさいけどネ~。もらうのは嬉しい〉

そんな本音もある中、元日に届く年賀状は、やはり、消え去ってほしくないものの一つだと思います。

高齢者と帽子の密接な関係

店の女のコが言いました。

〈皆さん、帽子なんですね~。お好きなんですか?〉

過日、私を含む大学時代の友人3人と東京・新宿の、友人の行きつけの店でチョイ飲みと食事、歓談を楽しみ、さあ、ボチボチ、と帰り支度を始めたときのことです。

3人はそれぞれ、キャップ、アルペン・ハット、ハンチング(私)と、それぞれ愛用の帽子を一斉に被(かぶ)り、立ち上がりました。

別にどうということはない動作だったとは思いますが、傍(はた)でその光景を見ていた女のコにしてみれば、何とも不思議な、思わずプッと吹き出してしまいたくなるようなシーンだったのかもしれません。

〈オジさんたちって何でみんな、帽子を被っているのかしら〉

と-。

確かに・・・ですね。私自身もつくづくそう思います。

街中で見かける高齢者の方々は、男女を問わず、ほとんどが帽子を被り、また両手を自由に使えるように小ぶりのバッグを肩から斜めにかけ、そうでなければ背中にパックパック、が定番のスタイルとなっているようです。

私自身、振り返ってみると、現役の記者時代は、パソコンやらデジカメやら、あるいは周辺機器やらを詰め込んだ、異常に重いバッグを常に持って歩き回っており、いずれこれから解放されたときは、何も持たずに手ぶらで両手をポケットに入れて歩きたい、というのが、ある種“夢”みたいになっていました。

・・・が、いざ、そうなってみると、男でもいまどき、手ぶらというわけにはいかず、何やかやと小物を所持して外出しなければならないことに気づきます。

戦後しばらくは定番だった「背広と帽子」

財布や小銭入れは当たり前のことですが、他にスマホやガラケーなどの携帯端末ツール、だんだん物忘れが多くなってるためにメモ帳とペンの類、タバコを吸う人はライターなど一式、も必携品となります。そのために小型のバッグが必要となり、そして・・・なぜか帽子です。

気持ちとしては、帽子を被り、小型のバッグを肩から斜めにかけた、あのスタイルはしたくないなァ、と思いつつ、私自身も今や、そのスタイルが定番となってしまっています。なぜ? と言われても、今のところそれが、一番機能的だから、でしょうか。

まったく考えもしなかった帽子を被り始めたのは、60歳代の前半くらいからだったと思います。

直接的な理由は、髪の毛が相当になくなり、冬場など自転車に乗っていると、頭の寒さがブルルッと感じられるようになったことにありました。

防寒用の毛糸の帽子でも何でも、帽子は被り始めるとクセになり、次第に被らないと何かが欠けているような気持ちになるものですね。

また、被り始めると、外出のたびに帽子店をのぞくようにもなります。私はもっぱらハンチング党ですが、5~6個はたまってしまっています。一方、中折れ帽も魅力があり、夏場にワンランク上のパナマ帽を被ってみようか、とか、思い切ってボルサリーノも・・・などと手を出そうとしたこともありましたが、ふと、トレンチコートを肩にかつぎ、ボルサりーノを斜めに被った、ナンとかという政治家の姿が思い浮かび、あれはちょっとやり過ぎだな、と私の衝動買いにストップをかけてくれる役目を買ってくれました。

高齢者と帽子の間柄は、髪の毛が薄くなったり、薄い髪の毛が風で乱れたり、あるいは私のように冬場の寒さがむき出しの頭にこたえるようになったり、理由は様々でしょうが、私の別の理由としては、被ったほうが何となく、若く見えそう、ということもあります。

それは何も私だけではなく、誰にもあるわけですから、どうせ被るのなら、何でもかんでも野球帽、などではなく、ちょっぴりオシャレ心も持ちたいものです。

女性はともかく、男性の高齢者は、もう服装にはそれほどお金をかけなくなっているのですから、高齢者になってから被り始めた帽子に、一点豪華主義的に、多少のお金をかけてみるのも、こだわるオジさん的で悪くはないと思いますが、どうでしょうか。

もっとも、帽子を取った後、急に老け込んで見えたり(それが本当の姿なのですが・・・)また、薄い髪の毛が張りついて元に戻りにくくなったりするのが、常に気にかかることですが・・・。

日本人の帽子の歴史は、戦後しばらく、サラリーマンでも背広に中折れ帽が当たり前のスタイルだったのですから、帽子の魅力については、一考の余地あり、でしょう。

マンション暮らし考⑭

10月29日の土曜日午前-。

管理人室からの、早い時間に入ってきた連絡事項で起こされました。ご丁寧にも2度、3度と繰り返しのアナウンスです。

この日は午前10時から〈マンション防災講習会〉が開催されることになっており、居住者に出席を求める再三の連絡。オイオイ、分かっているよ、この集まりには出席するつもりでいるんだから、と“止められない目覚まし時計”のおかけで起床となりました。

私の現在のマンション暮らしは、2002年(平14)8月竣工の、5階建て計53戸の中規模・新築マンションを購入して始まり、もう14年が経過しました。

その間、地震発生関連は「十勝沖地震」(2003年)「新潟・中越地震」(2004年)などが起こり、そして、2011年3月11日に「東日本大震災」が発生、その後も「熊本地震」(2016年)「鳥取地震」(2017年)・・・とまさに〈揺れる列島〉状態が続きました。

東日本大震災の年、私は、そこに住む居住者(区分所有者)によって構成される管理組合の、輪番制による役員(5人=理事4、監事1)の“お役目”が回ってきて、なぜか、新役員間の互選によって決められる「理事長」の大役を仰せつかってしまいました。

自然災害への対応は、戸建て住宅なら、基本的に“個”に委(ゆだ)ねられますが、マンションのような集合住宅では“共同”となってくるため、管理組合としても、しっかりと方針を立てておかねばね、など、真剣に取り組まざるを得ない情勢となってきたのが、その頃でした。

その流れが、ここに来て居住者有志による「防災を考える会」が設立されるなど対応に拍車がかかり、この日の講習会初開催へと至ったのです。

初開催された「防災講習会」

集合住宅に居住する住人は、私は3階に住んでいますが、上の4階や下の2階に住んでいる人たちとの交流が薄い、などのことが起こりがちですが、やはり、災害時など何かのときには横のつながりが大切なものになってきます。

講習会は、市の防災危機管理室から担当者も出席し、巨大地震が発生した際の備え、市内の被害想定、など概略が説明され、さらに配布された居住者用の防災マニュアルに記された各項目の説明などが行われました。

一般的に昨今の地震続きに対し、テレビ・新聞など各メディアによる、自然災害に対する心構え、は、本当にこと細かく、伝えられるようになりました。

が、備える側にとって、もう一つ不満が残るのは、概略は理解できても、でも実際はどうしたらいいか、という具体的な説明が欠けていることですね。

例えば、この日の講習会では、市の担当者から、地震が発生、イコール津波、の意識で警報が鳴らされたらとにかく逃げる、高台や指定された津波指定ビル、津波避難マップに記された浸水区域の外までとにかく逃げる、が強調されましたが、説明の中で逃げ方の具体性は示されません。

逃げ方に具体性などなく、そんなものは状況に応じた個人の判断じゃないのか? という意見もあるでしょうが、混乱の中で明確な目安があり、それが頭の中にインプットされていたとしたら、逃げ方も効率になるような気がします。

最近は、電信柱などに貼り付けられた「海抜○○メートル」の標識を見かけますが、とりあえず、この標識にある「海抜××メートル」まで逃げればひと息つける、などの目安はないものなのでしょうか。そうした目安は、子供たちに有効な気がしますが、この質問に市の担当者から、明確な答えは得られませんでした。

まあ、しかし、他に管理組合が準備した防災備蓄品の紹介や出席した居住者たちとの意見交換などが行われ、約1時間半にわたった初開催の〈防災講習会〉は終了しました。

奇しくも、市が11月中旬に行う津波避難訓練の連絡も入ってきており、何やらここにきて、防災意識が一気に高まったような気がします。

しかし・・・です。そんなことは起きてほしくないのが正直な気持ちですが、こればかりは、予測がつかず、やはり、今の時代、備えあれば憂(うれ)えなし、にしておかなければならないのでしょうね。

注=「マンション暮らし考」は「日常」のカテゴリに収めてあります
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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