独善的男乃着物考・其ノ廿壱

1月中旬くらいまでは、やはり、新しい年を迎えたということでまだ、新年会や飲み会など知人・友人たちとの集まりが、何かと続いている時期ですが、着物好きの私は、場に応じて和服を着用したりして出掛けていました。

そんなときの失敗の多くは、洋服にはない和服独特の「袖」が起こします。

ある新年会でのこと-。

着物の袖については、普段は片手で袖を押さえて手を伸ばすなどの注意を心掛けているのですが、そのときはつい、ザバッとやってしまい、置いてあった紹興酒のグラスを派手に倒して袖に浴びてしまいました。

ア~ア、と嘆いても、後の祭り、まったく自分の不注意です。

袖は、その他にも、着物に慣れないときによくやってしまったものですが、狭い通路を歩くときに袖口を何かに引っかけて袖口の下の部分を破ってしまったり、特に他人の家におじゃましているときなど、こんなところにあったのか、とドアノブに引っかけてやってしまうことは多かったですね。

そんな反省があり、狭いところを歩くときは、両手で袖を押さえるなどしていますが、酒の席などになるとどうしても酔いで頭が回らなくなり、袖が原因でこぼしたり、浴びたりする失敗は、なかなか直ることがありません。

まあ、そういうことが繰り返されれば、洋服にはない着物の袖は、何かと邪魔な存在であり、実用的ではないなァ、とも思います。

が、最近のマンション暮らしにあっては、もはや死語となっているかもしれない〈床の間〉同様に、無駄と思われることがあってこそが日本の美。着物の袖も、あるいはその類(たぐい)なのかもしれません。

実際、実用性を求めるなら、動きに邪魔にならない〈筒袖〉もあるわけですから・・・。

袖をポケット代わりにしないほうがいい

私は、和装のとき、出来るならバッグ類を持たず、手ぶらでありたいと思っています。しかし、最近は男でも、携帯電話や財布などの必携品、タバコを吸う人なら一式、などと、なかなか手ぶらにはなれません。

そんなとき、男の着物の袖は、女のそれが「身八ツ口」で開いていて役に立たないのとは違い、閉じている分、ポケット代わりになるだろう、と思っていました。

使いようによっては、なかなか便利じゃないか、と-。

しかし、それは以前までのことですね。

確かに袖の中に身近なモノを入れておくことは便利ですが、そのまま人込みの中を歩いたりすると、揺れる袖がゴツンと行き交う人に当たったり、例えばファミレスなどでは、通路を歩いているときに椅子に座っている人の頭にぶつかったりもします。

・・・ですから、この部分を“便利なポケット”と思わないほうがいいですね。

第一、袖の中に重いものを入れ過ぎて垂れ下がっている状態では、ダンディズムに反します。

やはり、着物の醍醐味は、袖の部分にしても裾の部分にしても、風が吹けば揺れ動く状態でなければダメですね。

着物は、立体裁断の洋服と違って“直線裁ち”の分、着物を“着る”というより、むしろ、布を“巻く”というイメージが強く、だからこそ、風が吹けば、その風が巻きつけた布の中を通り抜け、また布をひるがえす、着物好きには、それを楽しむ、という自己満足があります。

・・・などなどを考えると、まあ、どうにも邪魔で役に立たない着物の袖は、やはり、ファッション性のものなのですかねェ。

厄介は厄介で注意を要しますが、しかし、それには、実用的な筒袖では味わえない情緒がありますね。

そういうのが、もちろん「独善的」ですが、私は好きなのです。

注=「独善的男乃着物考」シリーズは「日常」の項に収めています
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独善的男乃着物考・其ノ廿

11月下旬の晩秋のころから、新年を経て2月の晩冬のころまでは、着物が最も活躍するときですね。

着物好きにとって、気候は寒くても、気持ちが躍り、楽しいときです。

日本の衣替えは、6月1日と10月1日、となっています。由来は、中国の宮廷で旧暦の4月1日と10月1日に冬服と夏服を着替えていたことにならったもの、と資料にあり、日本では明治維新の際に新暦が採用され、現在の6月1日と10月1日になった、とのことでした。

着物もそれに合わせ、10月1日〈神無月は着物の正月〉とされていました。それまでの「単衣(ひとえ)」から「袷(あわせ)」に変わり、さあ、本格的な着物のシーズンが始まる、心が改まる、という意味合いもあるのでしょう。

が、日本の10月は、まだまだ残暑の気配が漂う日も多く、やはり11月下旬くらいからが、袷の着物を心地よく纏(まと)えるシーズンではないか、と思っています。

そんなある日、心地よく、気持ちよく、歩き過ぎていたために罰が当たったのか、とんでもない失態を演じてしまいました。歩道で滑り、仰向けに思い切り、スッテンコロリン! をしてしまったのです。

駅前の歩道橋を歩いており、下る段になって、階段とバリアフリー用の緩やかな下り傾斜の道があり、和装は裾が開きにくいために安全を期して下り傾斜のほうを選んだのですが、左足を踏み出した途端、雪駄の裏底、かかと部分に打ち込んである金属製の鋲が、タイル仕様の歩道の上で滑り、やっちまった! となったのです。

最近は、和装で雪駄姿の人もほとんど見かけなくなり、問題視されなくなっていますが、かつては、雪駄の裏底につけた鋲がチャラチャラと音を立てるのを嫌った人々がいる一方、履く側にしてみれば、このチャラチャラなくして雪駄にあらず、の気概があったものですが、何ごとにもリスクはあるもの、図に乗っていると、滑って転びますよ、という警告もあり、実は私、それを聞いていたのです。

転んで開脚したときに見えるものは?

私が、このお気に入りのエナメル素材の雪駄を見つけたのは数年前のこと、鎌倉の由比ヶ浜通りある古い履物店で、でした。フラリと入ってこれに目が行き、店主のおばあちゃんが鼻緒の留め金などを底革に打ち込みながら、雨の日は絶対に履かないこと、底の革がすぐダメになるからね、などの注意とともに〈かかとの鋲ね、滑るから気をつけるのよ〉と言われていたのです。

まあ、転んだ姿は見るに忍びないものがあったことでしょうし、それを見ていた人は、大丈夫ですか? などと同情しながらも、恐らく腹の中は笑っていたに違いありません。

とはいえ、転んだ私にも意地がありますよ。

前に出した足が滑り、仰向けに転んだ場合、どうしても両足が開きます。当然、裾部分の上前、下前も左右に開きます。

と、どうなるか。そこに見えるものは何か?

何が見えるって・・・下着ですよ。下着に決まっているでしょ。

日ごろ、見せない下着は、こういうときのために気を遣っているのですよ。知っていましたか?

ここで見える下着が、いつものボクサーパンツだったり、ガラパンだったりしたら、興醒めでしょ。ここは洗いざらした純白の越中フンドシでなければいけませんね。

そんなの誰も見ていやしネーだろ、と言われても、これは男の矜持、というか、自分自身の内面の問題としてなおざりにするわけにはいきません。

転んだ。足が開いた。裾が割れた。その間にのぞく越中フンドシの前垂れこそが、最悪の事態にあって、なお、へこたれない男の反骨魂というものなのですよ。

それにしても・・・何ごともなかったかのように再び歩き出したときの、ウッ、ちょっと打ったかな? と思える腰の痛さ・・・。

「男はいつだって、辛(つ)れ~もんよ」-。

まあ、このご時世、男が着物を楽しむなどということは・・・つまり「独善的男乃着物考」としては、ヤセ我慢、こそがイコール「男の美学」といったところで、いまだ右往左往しつつ、といったところでしょうかね。

あゝ・・・。

(注=「独善的男乃着物考」シリーズは「日常」の項に収めています)

「迷わずに逃げる」ことの難しさ

11月5日は「津波防災の日」なのだそうです。ご存知でしたか?

資料によると「東日本大震災」(2011年3月11日)後の同年6月、津波被害から国民の生命、身体・財産を保護することを目的に「津波対策の推進に関する法律」が制定され、この法律により毎年11月5日を「津波防災の日」にすることが決められた、ということでした。

ちなみに11月5日は、1854年(安政元)の〈安政南海地震(M8・4)〉発災日=発生は前日の11月4日=にあたり、和歌山県が大津波の被害を受けています。

〈関東大震災(M7・9)〉が、1923年(大12)9月1日に発生したことにより、防災意識を高めるために同日を「防災の日」(その日を含む一週間を「防災週間」)としたことは、多くの人々に認知されていることと思います。

が、まだ新しい「津波防災の日」は、それほど浸透していないのでは?

実際、私が住む藤沢市(神奈川県)では先日、同市の防災安全部危機管理室から「津波避難訓練」を11月12日に実施する旨の知らせが届けられましたが、私の受け止め方は、アレッ、確か春ごろにやったはずなのにまたやるの? といった感じでした。

まあ、それは私の甘いとらえ方であり、こうしたことは別に何度やってもやりすぎということはありません。「・・・訓練」の内容は、地震発生の放送=ここで身を守る行動を起こす、大津波警報のサイレン・放送=ここで避難行動開始、といった段取りでそれぞれ、居住するエリアごとに指定された避難所に向かいます。

「津波防災の日」にちなんで・・・

日ごろ、自然災害発生時の心構えは出来ており、避難所への向かい方も、勝手知ったる道、と熟知していても、肝心なのは、パニック状態の中でそれが冷静に行えるかどうか、ということでしょう。「・・・訓練」は、それが目的であり、普通でない事態の中で何かを行えるかどうかは、つまるところ、訓練で体に覚え込ませていなければ行えない、ということなのですね。

スポーツ選手は、練習でやっていないことを試合でやれない、と言いますが、それと同じことです。

だから、訓練を甘く見てはダメですね。

東日本大震災以降、自然災害に対する備え方が人々の生活の中に入り込み、私が住むマンションの居住者による管理組合にも「防災を考える会」が発足、随時の会合で備えの意識を喚起し合うようになりました。

さまざまな意見の交換があり、発生時にお互いの助け合い、支え合いは大事なこととはいえ、やはり「自分たちの生命・財産・生活は自分たちで守る」ことが被害を軽減させるのではないか、と個々の自覚を促すことなどが確認されています。

市の担当者を交えた会合では、津波対策は〈とにかく高いところに逃げること〉とされました。

「津波防災の日」が11月5日となった「安政南海地震」発生の際、大津波が和歌山県を襲い、そのときの「稲むらの火」は、後々まで語り継がれる逸話になった、と伝えられています。

暗闇の中、逃げ遅れていた人々を、稲わらに火をつけて高台に誘導させて命を救った、というエピソードです。

とにかく「迷わずに逃げろ」-。

口で言うのは簡単なことですが、これが、果たして出来るかどうか、を考えた場合、どうしても「迷わずに逃げる」事態が日常的にないだけに、起きたときに“迷い”がでるだろうな、と思ってしまいます。

これは、なかなか難しい行動でしょうね。単純に、何を持っていこうか、だけで既に迷ってしまっているのですから・・・。

行政主導のたび重なる訓練も「迷わずに逃げる」ためのものでしょうし、私たちはこれから「迷わずに逃げる」ことを普通に行えるように整えておかなければならないのかもしれません。

ウォーキングについてのあれこれ

日課にしたい(したときもあったのですが・・・)日々のウォーキングを諸事情で、いやいや勝手な都合で中断してしまっていました。

が、やはり“薫風5月”-。気候が良くなるとともに体がムズムズしてきて再開。毎日というわけにはいきませんが、時間を見つけてはまた、せっせと歩き始めました。

私のウォーキングのコースは、ほぼ決まっています。

自宅から徒歩10分程度で「江の島」を中心とする片瀬海岸に出ますが、江の島に向かって右側(西方向)に片瀬海岸西浜、鵠沼海岸、辻堂海岸・・・と広がる海沿いの歩道がだいたいのコースです。

高校時代に山岳部に所属していた友人が言いました。

海沿いの道? そんな平坦な道を歩いたところで効果はないぞ! 体を鍛えるなら山道をジョギングだな

バッ、バカなことを言うものではありません。彼が山岳部時代に丹沢のバカ尾根を走って登る特訓で悲鳴を上げ、涙を流したからといって今、それを思い出されてはたまりません。

まあ、しかし、歩き方としては、ブラブラではなく、やや早足で汗をかくこと、などスポーツ的な歩き方を心掛けていますが・・・。

世の中、本当に健康志向ですねェ。海岸に出て歩き始めると、ゆっくりと散歩をしている老夫婦(と思われます)や、ダダッと駆け抜けていく陸上競技部員と思われる若い人、さらにベビーカーを押しながらジョギングする若いママさんもいます。

ところで〈1日1万歩〉と言われます。

かつて、多くの医師を取材している友人のメディカル・ライターに「なぜ1万歩と言われるか知ってるかい?」 と聞かれたことがありました。

なぜ“1日1万歩”なのか?

彼の著書「不健康習慣チェックBOOK」にこんな記述があります。

〈例えば1日の活動に必要なカロリーとして2100キロカロリーを摂ったとします。個人差はありますが、このうち、じっとしていても消費される基礎代謝量は約1400キロカロリー、仕事や家事で消費されるのが、せいぜい400キロカロリー、合計しても300キロカロリーほど足りません。余ったエネルギーは、脂肪などになって体内に蓄積し、肥満や生活習慣病の原因になってしまいます。実は、この300キロカロリーを消費するために必要な運動量が、ウォーキングの場合、1万歩に相当するのです〉

なるほど。さすがですね。分かりやすい解説です。

ところで・・・雨降りの日など私は歩こうなどとは思いませんが、自宅の窓から外を見ると、傘を持ったり、レインウエアを着込んだりして歩いている人たちがいます。

ウォーキングは、日々の習慣になってしまうと、休めなくなってしまうもののようですが、メディカル・ライターの友人は、まあ、体にいいからといって義務化したり、雨の日や気が進まないときに無理して歩くのは、ストレスの原因にもなるから、そんなときはやらないほうがいいと思うよ、と話していました。

年齢的にもう、100メートルをダッシュ! など、短時間に大きなエネルギーを消費する「無酸素運動」が出来にくくなっています。一方、長時間に少しづつエネルギーを消費しながら多くの酸素を摂り入れる「有酸素運動」の代表がウォーキングやジョギンクと言えるのでしょうか。

ウォーキングは、たかがウォーキング、されどウォーキング、で「散歩の延長だろ」などとバカにできません。生活習慣病の予防、血圧の改善、心肺機能の向上、ダイエット効果・・・など数多くの健康効果がある、とされています。

私の目的は、まず「運動不足の解消」が最初にあり、次に「下半身の老化防止」といったところでしょうか。

もっとも「不健康習慣・・・」には、脚の筋肉は一定以上の負荷をかけた運動をしなければ鍛えることができず、有酸素運動だけでは強化できない、と記述されています。

なるほど。その意味では、前出の元山岳部員の言い分にも一理あるようです。

結局、とちらか一方だけではなく「無酸素+有酸素」の運動が必要となるのですね。

まあ、しかし、私の今のレベルでは、何よりも、汗ばみながらせっせと歩き、歩き終えたときの爽快感がいいですね。たまったストレスが飛んでいくような気がします。

5月下旬のこの時期、海岸では早くも、海の家の建設準備が始まっています。ああ、もうすぐ梅雨の季節、そしてまた、暑い夏が来てにぎやかになるのだなァ、などとつぶやきながら歩いているのですが、何とかこれを習慣化したいもの、と思う日々です。

高齢者ドライバーについて思うこと

友人というものは、ときにして歯に衣着せず、酷ではあるけれど“いかにも”と思う適切な助言を、ストレートでズバッと投げつけてくれるものです。

その友人が言いました。

〈そうだねェ。そういう段階に来ているんなら、もうひとつ、別の考えが必要なんじゃないか。そう、つまり、手離すか、手離さないか、のほうを・・・ネ〉

車の話です。

私が今、乗っている車は、1998年(平10)7月に購入したものですから、もう18年目、今年の7月で丸19年の長きを迎えるのです。

乗り始めてから通算7台目となるその車は、私が53歳のときに購入、年齢的にこれが最後の車かな? と“乗り潰し”のつもりでいましたから、特に買い替えを考えずにここまで来てしまったのでした。

振り返ってみれば、故障と言えば、エアコンの不具合、Dレンジで動力が伝わらなくなってしまったミッション系の不具合、などがありましたが、おおむね良好状態で今に至っています。

・・・が、車は長く乗ればいいというものではないのですね。当時の排ガス規制は、今に合わないし、とともに古い車は、税金が年々、上がってくるのが、頭の痛いところです。

運転免許証の自主返納を含む試行錯誤

といったことにより、以前に比べて乗る回数も減っており、これからは維持費の削減を優先させたいということで、トヨタのコンパクトカー「ヴィッツ」の1000CCあたりはどうだろうか、思い切って“軽”にしてスズキの「ワゴンR」にしちゃおうか、など、通算8台目に気持ちが傾き始め、しかし、乗り続けている18年目の車には、妙な愛着が沸いており、なかなか決断がつかない状況が続いています。

そんなとき・・・冒頭に記した、友人のキツ~イ、一撃を受けたのでした。

そういうときを迎えているということは、買い替えも結構だがネ、乗る回数が減っているのなら、もう車を手離す、免許証の自主返納も選択肢のひとつなんじゃないか、という考えです。

しかし、この決断も、頭を痛めますよね~。やはり、手元になければ、何かのときに不便が生じるのではないか、ということを考えてしまいます。友人は、慣れだよ、何ごとも慣れ、慣れれば、車などないのが普通になる、といいますが、どうでしょうかね~。

そんな折、加入している自動車保険の担当者から連絡があり、ちょっと相談があるからか・・・ということで会いました。担当者が言うには、対物賠償の項目を厚くしたほうがいいてすよ、というアドバイスでした。

事故を起こしたときの対人賠償は、誰もが“無制限に”など重要事項として考えます。が、対物賠償は、車がぶつかって相手の車を壊してしまった、くらいの意識で、どちらかというと軽く考えがちです。

が、担当者は、それは違いますよ、と言い、一例として、軽乗用車が電柱にぶつかり、跳ね飛ばされて近くにあったコンビニに突っ込んだ、という出来ごとをを挙げ、その賠償金は1億円超えでした、と怖い話? を聞かせてくれました。

昨今、高齢者が運転する車の事故が、いたるところで起きており、社会問題化しています。「ブレーキとアクセルの踏み違え」が原因の多くを占め、コンビニに突っ込んだり、集団登校中の小学生の列に突っ込んだりしています。

私はどうだろうか、と振り返ったとき、ブレーキとアクセルをなぜ踏み間違えるのだろうか、とまだ、その理由が理解できないところがあるものの、うっかりと出合い頭は交通事故の常であり、気をつけなければならないところですね。

あと数年、今の車を走らせ続けるか、維持費がかからない車に乗り換えるか、そうした“車ありき”の生活に別れを告げ、思い切って免許証を返納して車を手離すか、などの様々な問題が加わり、1966年(昭41)に免許証を取得、運転歴51年となる私という高齢ドライバーは、どうやら、車に対する考え方の分岐点にぶつかったようです。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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