“神風が吹いた”数的優位

何がどうあれ、とにかく勝たなくてはならない試合にあって、それはまさに“神風が吹いた!”といった類(たぐい)の出来ごとだったかも知れません。

連日、熱戦を展開させるサッカーのW杯ロシア大会-。

満を持して6月19日に出撃した日本代表の1次リーグ(H組)初戦、対コロンビア戦は、開始早々の前半3分、いきなり相手の反則(選手は退場)で「11対10」の数的優位に立ち、この反則で得たペナルティエリアからのPKをMF香川真司(29=ドルトムント)が決め(前半6分)南米の強豪相手に日本が主導権を握る立場となりました。

ちなみにコロンビアは、FIFAランク16位の格上チーム。前回のW杯ブラジル大会1次リーグで対戦した日本は、1-4と歯が立たず惨敗しています。

さて、この開始早々の出来ごと-。

ゴール前になだれ込んだ日本の予想を超えた攻撃に、コロンビアが、エッ、以前と違うな、と思ったかどうかは分かりません。しかし、そうしたことが思わず、ハンドを誘ってしまった、という、物わかりのいい説明より、ここはむしろ、神風が吹いた説のほうが、南米チーム初撃破を成し遂げた格下・日本の大金星に似合っているのではないでしょうか。

かつて・・・今もそうかもしれませんが、日本代表の致命傷的な「決定力不足」が指摘されていたとき、どんなに“どうして?”が叫ばれても改善できず、相変わらず点が取れない試合が続いて観(み)る側をもイライラさせました。

サッカーは「個」か「組織」か-。

まず欧米に比べて体力差(身体能力の差)がある日本(広くアジア勢全般)は、個のぶつかり合いより組織での戦いをを重視。特に日本は、日本人の国民性もあるのでしょうか、組織に関しては他の追随を許さない緻密性があり、かなりのレベルの高さにまで上り詰めたことは周知のことです。

“獲物を狙う個の姿勢”が見えた西野ジャパン

が、一方、ゴール前まで攻め込んでまだ、パスを回しているのはどうしたものか、という見方が、決定力不足ゆえに批判としてあったことも確かでした。

ゴール前に攻め込んだとき、そこでのやりとりは、個か組織か、と問われれば、やはり、個の技術のぶつかり合いでしょう、とするのが一般的だと思います。

それが出来ない日本勢は、これはもう、民族の差、狩猟民族である欧米勢と農耕民族である日本勢の“獲物を捕る姿勢の差”・・・つまり、だから、日本人にサッカーは合わない、という極論まで飛び出したものでした。

これも点が取れない日本代表への、日本のサッカーを愛するサポーターのイラ立ち-。

実際、今回のW杯、各国の戦い方を観ていると「個の重視」が目立ちます。それゆえに私のところに掛かってきた友人からの電話にこんな意見がありました。

〈サッカーの格闘技化は、もはや動かせないね。個々のぶつかり合い、そこで起きているダーティーなプレーは、何とかならないかとも思うがね・・・〉

もちろん、フェアプレー精神は絶対的です。が、サッカーのW杯は、国と国との意地のぶつかり合い、そこでの削り合いには、相手を壊滅させる気迫に満ち溢れます。それを含むのがW杯のサッカー・・・。

日本代表の選手も応援するサポーターも、優等生過ぎて狡(ずる)さが見えないプレーが決定力不足を生んでいるなら、やはり農耕民族の悲哀か・・・となってしまいます。

さて・・・対コロンビア戦に戻って-。

戦半39分に1点を奪われて同点とされて迎えた後半28分。FW大迫勇也(28=ブレーメン)のヘディングによる勝ち越し点は凄かったですね。

MF本田圭佑(32=バチューカ)のCFを、大迫が競り勝って頭で一発! 私はこの勝ち越し弾を見て、日本の選手もようやく、獲物と戦う個の姿勢を身につけた、と“脱・農耕民族”を思い浮かべました。

この「勝ち点3」は大きいですね。次のアフリカ勢セネガル戦(6月24日深夜=日本時間同25日)に向けて日本代表チームは、世界最高峰の舞台で点を取るための「個人技勝負」にどう挑むことでしょうか。
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混迷深める悪質反則事件

記者会見の場で、記者たちを最もイラ立たせ、憤慨させるのは、会見を仕切る第三者(司会者など)が一方的に質疑応答を打ち切ってしまうことです。

そういうケースは再三あり、それは答える側が不利になったときとか、あるいは会見が長引いて単純に会場の使用時間が迫ったときとか、理由はさまざまですが、出来事を解明できないままの会見打ち切りは、その後に不透明感を残します。

日大アメリカンフットボールの悪質反則問題で5月23日夜、内田正人前監督(62)と井上奨コーチ(30)が開いた緊急会見は、当事者の保身・釈明発言にもイラつきましたが、何よりも、ア然としてしまったのは、第三者の司会者が途中、打ち切り、終わります、と“強制終了”を宣言したことでした。

私はこの会見の模様をテレビの夜のニュースで観たのですが、現場で憤る記者は当然として、画面を通して観る側も、このお粗末な出来事に、この会見は何のために開いたの? と首をかしげざるを得なくなりました。

悪質タックルで関学大QBを負傷させた日大・宮川泰介選手(20)が、前日5月22日に行った会見を受けた形で5月23日夜、日大首脳の緊急会見が開催されました。同日午後7時ころ、開催がマスコミ各社に連絡されたとのことで、質疑応答は午後8時から都内の日本大学会館で始まりました。

一般的に記者会見は、出来事を報告したり、出来事に問題があるなら、その“なぜ?”を当事者と記者たちの質疑応答で解明していったり、という場となります。

首脳陣にない選手を守る姿勢

会見を開く側、また会見に出席する記者側、の双方にとって、お互いの役割は、ここでの出来事が報道され、一般の知る権利を満たすことにあります。

この会見が終了まで約2時間余の長時間を要したのは、選手を守ることより、自身の保身を第一に宮川選手の証言をことごとく否定、言葉の解釈の違いを主張し続けたことに記者たちの不満が爆発。新聞読者やテレビ視聴者のまず、知りたい「出来事の経緯や“なぜ”が起きた理由」が少しも解明されないイラ立ちからだったでしょう。

だから各社、あの手この手の質問で聞き出そうとしますが、それに対して司会を務めた日大広報部職員は、同じ質問の繰り返しだから会見を打ち切る、と言い、記者の「(会見を)皆が見ていますよ」との怒りの声に、この広報部職員は何と「見ていようがいまいがどうでもいい。迷惑だ」と答えたのです。

形だけの会見を行ったのか? まったく、その意味を理解していない言葉ですね。

その間、マイクを握った内田前監督が発言しようと口を動かそうとしますが、広報部職員の「終わらせます」に発言できずじまいの場面も・・・。「会見を終わるか終わらないか(前)監督に決めてもらいたい」にも「終わります」の繰り返しで最後は日大広報部職員vs報道陣のバトルが繰り広げられていました。

まあ、こうした「言った言わない」の水掛け論的なやりとりや「潰せ」の意味は「ケガをさせることを目的としていない」などと言われても、やはり、心情的には20歳の若者が単身、記者会見に臨み、出来事を話し、謝罪した姿に誰もが真実味を感じたことと思います。

何が正しく、何が間違っているか、はおいおい解明されていくことと思いますが、この出来事で腹立たしいのは、指導者に選手を守ろうとする姿勢が少しも感じられないことです。

大学の体育会系スポーツは、依然、厳しい上下関係など、かつての軍隊方式が残っているところもあるでしょうが、それを支えるのが愛情であり、信頼関係でしょう。

少なくとも今回の出来事にそれは感じられず、こうした中で戦い、大事な青春のひとときを過ごす選手たちが気の毒にも思います。

選手の解釈と首脳陣の主張が平行線をたどり、混迷を深めるこの出来事の早期解決を願うばかりですが・・・どうなるでしょうか。

記者は“ナマ”で試合を観られない?

5月20日、25日とプロボクシングの世界戦計4試合が行われることで、このところ、出場選手たちの事前公式行事(公開練習など)が立て込んでおり、それが行われるジムや会場通いが続いています。

そういう話を友人たちにすると、決まって返ってくるのが、記者っていいね、いつもナマで選手たちの姿を見たり、接したり、出来るんだものね、といった言葉です。

それは試合当日にも及び、記者の人たちは皆、あのリングサイドの席に座って観ているんだろ、うらやましい、などとも言われます。

まあ、それは私も現役時代を含めて、ボクシングに限らず、相撲やゴルフ、野球など、担当を命ぜられた種目を年がら年中、現場に行ってナマで観ていることは確かです。記者というのは、それが仕事なのですからね。

が、しかし、正確に言うと、現場での仕事は、友人たちが言う“いつもナマで・・・”というのとは、ちょっと違ってきます。

例えばプロボクシングの世界戦の場合、会場内には記者用のワーキング・スペースが設けられます。それは記者室とリングサイドの記者席の2カ所です。

記者たちがどちらに陣取るかは、やるべき仕事によって変わってきます。

試合は横目で・・・主眼は人間ドラマ

ボクシングの試合はたいてい、夜に行われますから、新聞製作上、早い版(早版=地方など遠隔地に配布する新聞)をつくる必要があり、それは試合終了を待っていては間に合いませんから、早版を受け持った記者は、リングサイドの記者席に座り、ゆっくりと試合を観ている暇もなく、ガンガンと途中経過をパソコンに打ち込んで本社に送り込む作業を行います。

他方、遅い版を受け持った記者は、途中経過より、勝ったり負けたりした選手の人間ドラマをメーンの記事にしようとしますから、ほとんどが記者室にこもり、設置されたテレビで観戦、試合はざっと把握する程度で選手が控室に戻ってくるのを待つ、というのが常です。

つまり、試合をナマで観ていない状況-。

ですから・・・記者たちは現場に出ますが、実際は友人が自宅でテレビ観戦するのとあまり変わらない状況下に置かれます。

友人がうらやましがった、リングサイドの記者席に座ろうものなら、試合は横目、こちらは時間との戦いでパソコンのキーを叩きっ放し、うらやましがられる要素はほとんどないのが実情です。

私のスポーツ記者としてのスタートは、相撲担当からでしたが、この分野も“いつもナマで・・・”がなかったところでしたね。

“相撲場”と呼ばれる国技館の記者用のスペースは、記者室と土俵に近いところに机が設置され、掘りごたつのように足を入れて座れる“ドブ”と呼ばれる記者席の2カ所です。

“ドブ”に座って相撲観戦などというのは、よほどのベテラン記者か、お前、取りあえず相撲をよく観て勉強しろ、と先輩記者に言われた駆け出し記者くらいのもので、だいたいは東西の支度部屋に入りびたり、勝負の模様はそこでのテレビ観戦、後は帰ってくる力士にへばりついて談話の聞き取りに専念します。

従って記者自身も不思議に思うことですが、そういえばオレたち、じっくりナマで試合を観たことってあまり記憶にないよね~といった日々です。

ある意味、記者たちのこうした日常は、試合が行われている会場にいるのにナマで観ている時間が少なく、、どこか寂しいというか、情けないという感じもしますね。

まあ。しかし、それが日々、時間に追われながら新聞記事を送り込む記者たちの宿命でもあるのでしょうね。

カーリングはスポーツか?

JR横須賀線「鎌倉」駅の西口-。

地元の人たちには「裏駅」のほうが馴染み深いと思いますが、八幡サマ側の東口とは反対側の出口です。

そこから正面に見える「御成トンネル」に向かって歩き、左側に建つ鎌倉市役所の、ほぼ向かい側にコーヒー・ショップ「スターバックス 鎌倉御成店」(神奈川県鎌倉市御成町)があります。

店舗の敷地は、漫画「フクちゃん」で知られる漫画家・横山隆一氏の邸宅跡、であることはよく知られています。そうしたこともあり、近年は結構な人気店となっており、席が空くのを待って並ぶこともしばしばです。

寒い日々から一転、早春の気配が漂い始めた3月3日午後、私は鎌倉在住の友人Kクンと、そこでコーヒーを飲みながら、雑談に花を咲かせていました。

Kクンが言いました。ちょっと専門家に聞くけどねェ、と。

エッ、専門家ってオレのこと? いえいえ、専門家ではありません、ただの記者ですが・・・Kクンが続けます。

〈スポーツの定義、というか、ここからがスポーツ、ここからがスポーツではない、という線引きはあるのだろうか〉

ウ~ン、難しい問いかけですね~。

ちなみに-。

〈スポーツ〉=「陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレースなどから登山、狩猟に至るまで遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称」(広辞苑)

-というのが一般的です。

頭脳スポーツとの狭間で・・・

Kクンの問いかけの意味は、先に終了した平昌冬季五輪で日本中を沸かせたカーリング女子日本代表(LS北見=銅メダル獲得)の活躍に接し、あれも、やはり、スポーツの分野に入るものなのだろうか、というところにありました。ちなみにKクンは高校時代、水泳選手です。

確かにカーリングは“動”より“静”のゲーム。広辞苑による「肉体的鍛錬の要素を含む・・・」に当てはめると~もちろん、あの長時間の勝負に耐えうる肉体的鍛錬に日々、取り組んでいることと思いますが~スポーツ的な戦いとしてのそれは、表面的には見えません。

一方・・・昨今、注目を集めているのが、従来の「スポーツ=運動競技」とは別に、頭脳を体の一部とみなし、高い思考能力を用いて競い合うゲームをスポーツとしてとらえた「マインドスポーツ」です。

つまり、チェスや囲碁・将棋などがそれに当たり、2010年広州(中国)アジア大会では、囲碁が正式種目として採用されています。

疑問を呈したKクンの中には、これは私も含めて誰でもそうでしょうが、肉体を酷使して競い合うのがスポーツという概念があり、それとは別にもうひとつ、こちらは頭脳を酷使して競い合うのもスポーツの分野に入れ、マインドスポーツとして捉えようじゃないか、ということだと思います。

さて・・・では、カーリングはどちらのスポーツに入るのか、という位置づけは、どうでしょうか。

平昌冬季五輪でメダルを獲得して帰国したLS北見のメンバーの1人は、これを機にカーリングを国技のようなものにまで高めたい、と将来の夢を口にし、まだカーリングをスポーツとは思っていない人たちも多い、とも言いました。

私自身はカーリングというゲームを、どちらかというとマインドスポーツ的な受け止め方をしていますが、1998年長野冬季五輪で正式種目に採用されたカーリングは、まだまだ観(み)る側を〈面白さの入り口に立たせたばかり〉といっていいでしょう。

これが、マインドスポーツとして、またスポーツとしての魅力をも浸透させるのは、これからだと思います。

平昌五輪~最後まで“魅せた”JAPAN勢

カーリング女子の銅メダル獲得。スピードスケートの新種目マススタート女子の金メダル獲得。

日本勢が最後の最後まで活躍したことにより、これほど“中だるみ”を感じさせない、手に汗握る日々となった冬季五輪は珍しいのではないでしょうか。

2月23日までに金3、銀5、銅3の計11個のメダルを獲得、これまで最多だった1998年長野五輪の計10個を超えた、と満足感が漂っていたのに、最終日(2月25日)を前にした2月24日、それに金1、銅1が加わりました。計13個のメダル獲得-。

カーリング女子の3位決定戦(日本vs英国)は、まさに奇跡的な日本の勝利でした。

日本代表「LS北見」が4-3の1点リードで迎えた最終第10エンドは、後攻の英国が有利な展開。スキップ・藤沢五月(26)の最後の1投はミスショットとなり万事休す。英国の逆転勝利が濃厚となる中、こちらもミスショットで日本にまさかの1点が追加され、勝利の女神のイタズラ的な微笑みで日本に勝ちが転がりました。

マススタート女子の激しい戦いに挑んだ高木菜那(25=日本電産サンキョー)も凄かったですね。7人に絞られた残り3周の攻防。高木菜は満を持して3番手→2番手につけ、最終周の最後のコーナーでインからトップに立ち、そのまま逃げ切りました。

実る「ナショナルチーム」の強化策

チームメートの佐藤綾乃(21=高崎健康福祉大)が転倒して脱落したことで孤軍奮闘の戦いとなる中、最後まで冷静に勝機をうかがった高木菜の戦略の勝利といえたでしょうか。

ところで・・・過去最高となる13個のメダル獲得の原動力は何か? を考えてみました。

長野五輪以降、最低の大会だったのが、金1だけだった2006年トリノ五輪です。さらに金なしの銀3、銅2だった2010年バンクーバー五輪-。

この前後の時代、日本のアマスポーツ界には逆風が吹き荒れていたことを覚えている方は多いのではないかと思います。

各企業の経営不振による「企業スポーツ」の衰退ですね。

日本のアマスポーツ各界は長年、企業の部活動によって支えられ、成長してきています。企業もその意義を理解しながらも、経営の合理化を考えるとき、真っ先に切り捨てるのはスポーツの部活動であり、強豪、名門の廃部・休部が相次ぎました。

潤沢な資金に支えられていた企業の部活動から、活動の場を失い、クラブチームなどへの移行。窮地にあって方向転換が迫られ、そうした企業依存の形からの脱却は、所属の壁を超えて育成・強化する「ナショナル・チーム」としての組織です。

その成果が感じられる今回の冬季五輪。もちろん冬季五輪に限らず、2020年東京五輪に向けて、強化システムは充実の度合いを増してくることでしょう。

今回の冬季五輪での日本勢の活躍は、確かな手応えにつながったのではないかと思います。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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