モテモテの人気ロケ地「旧華頂宮邸」

鎌倉市(神奈川県)の浄明寺エリアに“竹の寺”として人気のある「報国寺」(鎌倉市浄明寺)があります。

JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(鶴岡八幡宮側)前から出ている京急バスを利用するなら「金沢八景行き」に乗り「浄明寺」バス停下車ですぐです。

・・・といった書き出しにすると、いつもの〈鎌倉散策シリーズ〉になってしまいますが、今回はそれではありません。

「報国寺」に沿った道を約4~5分、奥に進むと、風格のある木造建築の洋館が見えてきます。それが「旧華頂宮(きゅうかちょうのみや)邸」(鎌倉市浄明寺)ですが、この建物がこのところ、結構な話題となっていることにちょっと触れたかったのです。

何を今さら・・・と言われそうです。知っている方はもう、とっくに! いったところでしょうね。そうです。私自身はうっかり知らず、小欄〈鎌倉散策シリーズ〉に毎回登場の鎌倉好きの友人Fに教えられたのですが、何とこの建物が目下、2本のテレビドラマに使われているのです。

ともに4月にスタートした、ひとつがテレビ東京系の「執事 西園寺の名推理」(毎週金曜日20時~)、もうひとつがフジテレビ系の「モンテ・クリスト伯~華麗なる復讐~」(毎週木曜日22時~)です。

「執事・・・」は、主演の上川隆也が、資産家夫人の伊集院百合子(八千草薫)に仕える“完ペキすぎる執事”西園寺一に扮して数々の事件を名推理で解決していくストーリー。「モンテ・・・」は、ディーン・フジオカ扮する主人公の柴門暖が復讐劇を展開する、フランスの小説「巌窟王」を原作としたドラマです。

テレビドラマ2本に登場

改めてこの邸宅の歴史をたどってみると、資料には「華頂宮」は、大政奉還後の慶応4年(1868年)に伏見宮邦家親王の第12王子・博経親王によって設立された宮家、とあり、その「旧華頂宮邸」は、1929年(昭4)に元皇族・華頂博信侯爵邸として建てられた、とありました。

現在は、鎌倉市が1996年(平8)に建物を譲り受け、庭園部分を一般公開、建物内部は春と秋の年2回、それぞれ2日ずつの計4日間、公開されています。

私たち“鎌倉散策好き”も、この浄明寺エリアに出向いたとき、きまってこの邸宅に足を運び、一般公開されているフランス式庭園から建物を眺め、こうした「旧宮邸」とか「旧侯爵邸」で特権階級が優雅な日々を過ごした昭和初期の時代はどうだったんだろうなァ、などと思い浮かべたりしたものでした。

建物内部には、公開日しか入ることはできませんが、柱や梁などの骨組みを外に出し、その間を壁で埋める〈ハーフティンバー〉という西洋式の建築様式が大きな特徴となっているそうです。

テレビドラマの舞台といえば、この「旧華頂宮邸」は2016年(平28)10月にもTBS系で放映された織田裕二主演の「IQ246~華麗なる事件簿~」で主人公の自宅に使用されています。

現在、この建物は鎌倉市によって管理されていますが、せっかく残されているのなら、人知れずひっそり、ではなく、多くの人たちに知られたほうがいいでしょうね。

まあ、あまり、俗化されない程度に・・・ですが。

「報国寺」を拝観の後、ちょっと、この「旧華頂宮邸」も観ておこうか、と足を延ばす人が多くなったのは、やはり、テレビの影響も少なくないことでしょう。

それにしても、現在放送中のテレビドラマ2本に同時に使われている「旧華頂宮邸」は、モテモテの人気ロケ地として何やら一気に鎌倉の名所として格上げされそうです。
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映画「太陽がいっぱい」を観に行く

1960年(昭35)というと、日本は“高度経済成長期”の始まりに当たり、世の中には転換期特有の過激な出来事が多発した時代でした。

60年安保闘争の激化で当時、デモ隊に加わっていた東大生の樺美智子さんが死亡した事件。高度経済成長の象徴として石炭から石油へと変わる“エネルギー革命”を背景とした炭鉱業界の合理化(北九州の三井三池炭鉱の労働争議)。さらには社会党の浅沼稲次郎委員長の右翼少年による刺殺事件などなど・・・。

ちなみに私の1960年は16歳の高校生でした。仲間には横須賀の軍港に石を投げに行ったヤツもいて、この時代の高校生活3年間は結構、多感に揺れ動いたことを記憶しています。

前置きが少々、硬くなりましたが、1960年に焦点を当てたのは、ルネ・クレマン監督の仏・伊合作映画「太陽がいっぱい」が同年に公開されたからです。

かつての名画を上映してくれている「午前10時の映画祭」は、映画好きの友人Oクンともども、いい映画を見逃したくないネ、と常に上映作品をチェックしているのですが、オッ、今「太陽がいっぱい」をやっているぞ、行こうか、ということで5月4日、上映館に足を運びました。

この映画は、言うまでもなくアラン・ドロンの魅力が詰まった作品です。始まる前、ロビーで雑談していた高齢の女性グループは、その話の内容から、アラン・ドロンがお目当てのようでした。

確かに1957年、22歳でデビューした当時は、甘いマスクの好青年役をあてがわれ、ハンサムの代名詞のような存在でしたが、25歳で臨んだ「太陽がいっぱい」の、貧しく孤独で内面に黒い野心を秘めたトム・リプリー役で見せた“翳(かげ)りのある美貌”は、アラン・ドロンの新しい魅力として観る側をホレボレさせてくれました。

スクリーンに映し出された青年2人は、1人が富豪の息子フィリップ・グリンリーフ(モーリス・ロネ)と、もう一人が貧しく孤独な青年トム・リプレー(アラン・ドロン)です。

アラン・ドロンに溢れる悪の魅力

リプレーは、グリンリーフの父親から息子のフィリップを、謝礼金付きでアメリカに連れ戻すように依頼されていますが、フィリップにその意志はなく、リプレーに対しては、金目当てだろ、と常に“上から目線”の物言い、行動で、リプレーの内面にくすぶる怒りが、次第にどす黒い渦に変わっていきます。

ある日、フィリップの恋人マルジュ・デュヴァル(マリー・ラフォレ)を加えた3人でヨットに乗り、フィリップとマルジェが船上で交わす傍若無人な態度にリプレーの怒りが爆発、フィリップをナイフで刺し殺し、錨とともに死体を布で巻いて海に投げ捨ててしまいます。

そこから、フィリップになりすますためのリプレーのさまざまな工作~例えばパスポートの偽造やサインを模倣するための練習、またフィリップの友人フレディ・マイルズ(ビル・カーンズ)が不審をかぎつけたところで撲殺してしまう第2の殺人などが、スリリングに緊迫感を持って描かれます。

このあたりの作業をクールにテキパキとこなすリプレー、いやアラン・ドロンには“悪の魅力”が溢れ、観る側の心をもせかせてしまうところがありました。

やがてリプレーはマルジュと恋仲になり、自殺したことになっているフィリップの、全財産をマルジュに贈るという遺言状を偽造してマルジュに送り、それを受け取ったマルジュは、例のヨットを売却するために陸に上げたところ、布に包まれたフィリップの遺体がロープでつながれたまま一緒に陸に上がってきてしまった、という結末です。

要所で流れるニーノ・ロータのあの名曲「太陽がいっぱい」の哀愁のある旋律が、大仕事を終えて一人、浜辺で「太陽がいっぱいだな。最高の気分さ」と完全犯罪に酔いしれるリプレーを包みつつ、刑事たちの包囲網もまた、リプレーを包んでくるのでした。

振り返ってみて高校生のころ、この映画をライブで観たかどうかは記憶にありません。が、どこかで数回は観ている記憶はあります。しかし、あの旋律、哀愁に満ちた「太陽がいっぱい」が、いつまでも鮮明に記憶に残っているのは、あの当時、私たち高校生の間ではギターが流行(はや)り、私もその一人として夢中になっていた時代があったのですね。

今も書棚の隅に埃まみれになって保存されいるギター用の楽譜は、数冊の中に「鉄道員」や「夜霧のしのび逢い」などがあり「太陽がいっぱい」もありました。

それらの懐かしさ・・・対照的に長い年月を経た今なお、上映時間118分が短く感じられたほどの、この映画の面白さ-。

やはり名作だね、よかったねェ、と友人0クンと昼のビールで乾杯! となりました。

「字幕版」か「吹き替え版」か?

映画好きの友人との雑談で「字幕版」と「日本語吹き替え版」の話になりました。

友人が言います。

〈吹き替え版でもいい映画と、どうしても字幕版でなくては・・・に分かれると思うんだよな。このあたりの微妙な匙(さじ)加減を、つくる側は重視するべき、軽く考えてはいけないと思うな〉

例えば・・・と言って友人は、ハワード・ホークス監督の米西部劇「リオ・ブラボー(Rio Bravo)」(1959年4月公開)を挙げました。

ジョン・ウェイン主演の「リオ・ブラボー」は、理屈抜きに楽しめる痛快西部劇、という点で名作「駅馬車」(ジョン・フォード監督=1940年公開)や「荒野の決闘」(ジョン・フォード監督=1947年公開)「OK牧場の決斗」(ジョン・スタージェス監督=1957年公開)などと並んで西部劇の歴代傑作ベスト10に入ってくるでしょうし、私も好きな西部劇の一つです。

彼が「リオ・ブラボー」を出してきた時点で言わんとすることは分かります。

某日、テレビでこの映画が放映され、彼は何度観(み)ても・・・とテレビの前にかじりつきましたが、不運にも日本語吹き替え版と分かり、ガックリして観る気を半減させた、というのです。

〈分かるだろ。声優がどんなにジョン・ウェインのイメージを損なわないように熱演しても、そりゃ、興醒めだよな。リッキー・ネルソンがジョン・ウェインにライフルを投げて渡すシーン。最後のジョン・ウェインとアンジー・ディキンソンの無骨な愛のシーン。これを日本語でやられちゃ~だよな〉

まったく。確かに・・・です。ところで「ライフルと愛馬」はまさか、日本語吹き替えじゃなかったろうねェ。そりゃ、まあ、そこだけは突然! といった形でトーンが変わり、原語(元の言葉)になっちゃうんだけどね。それがまた、わざとらしくて良くないんだよね。

原語の感性を失いたくない~吹き替え版

メキシコとの国境に近いテキサスの町「リオ・ブラボー」で取り囲む敵に立ち向かう保安官ジョン・T・チャンス(ジョン・ウェイン)を中心にアル中の保安官補佐デュード(デーン・マーチン)、牢屋番のスタンビー老人(ウォルター・ブレナン)、さらに早撃ちの若者コロラド・ライアン(リッキー・ネルソン)らが結束を固めて銃撃戦を繰り広げます。

無骨な男どもに・・・というより、無骨なテキサス男のチャンスに恋心を燃やす女賭博師でダンサーのフェザーズ(アンジー・ディキンソン)が花を添え、魅力的な脚線美を披露して観る側の心を癒します。

全編を通して不気味に流れる「皆殺しの歌」。そしてディーン・マーチン、ロック歌手のリッキー・ネルソン、とくればその歌声が聞きたいもの、それに応えてくれたのが、2人で歌う「ライフルと愛馬」でした。

随所にこういう、迫力ある銃撃戦のほかに、恋あり、歌あり、の見どころ、聞きどころ、を盛り込んだこの映画にやはり、日本語吹き替えは似合わないでしょうね。

映画ファンは、その心理として自分が大事にしたい映画には、独特のこだわりを持つもののようで、その傾向は概して頑固です。

が、が、が・・・この話とは別に最近、家のテレビで映画を観るとき、字幕版の場合、加齢による視力の低下のせいか、画面の下部に出る台詞が読みにくく、読み切らないうちに次の場面に移ってしまうとか、こりゃ、ひょっとして画面の下部より、画面の右横に縦に出してくれたほうが読みやすいのでは? など、どうも字幕版がすべてに良いのだ、という考えが薄らいできつつあるような気がするのですね。

だからといって、様々な視聴者がいるテレビの場合は、日本語吹き替え版がベストかというとそうでもなく、一方には、最近はどうも耳が遠くなったようで・・・などという、字幕のほうがいいね、などという友人もいて、ものごと万事、すべてに良し、とはなかなかいかないようです。

とはいえ、この「リオ・ブラボー」やビリー・ワイルダー監督のお洒落なコメディー「お熱いのがお好き」(1959年公開)など、どうしても字幕版でなければ収まりがつきにくいものもあります。

「お熱いのがお好き」で好演したマリリン・モンローのキュートな言葉のイメージを声優さんがカバーするのは、どう考えても至難の技のような気がします。

字幕版にするか、日本語吹き替え版にするか-。

その判断は、簡単なようで結構、難しいものがありますね。

あゝエキストラ~その悲哀

映画愛好家たちが集まった研修会に私もメンバーとして加わっているのですが、過日、研修会を主宰するF氏を通して映画の〈エキストラ募集〉がメンバーに伝えられました。

〈エキストラ〉=「余分のもの、番外のもの、の意。演劇や映画の撮影で端役を演ずる臨時雇いの俳優」(広辞苑)

映画は、11月下旬に撮影が開始された若手の気鋭・三澤拓哉監督(28)による「落葉のころ」というタイトルの青春もの、とのこと。F氏の視線は、私とやはりメンバーである友人O君に向けられ、無言ながら“やってくれるよな”と、その目が強く語りかけてきました。

というのも私たち2人は、昨年12月に公開された〈劇団横濱にゅうくりあ〉による映画「横濱の空の下」(泉谷渉監督)に台詞つきのエキストラで参加しており、F氏にしてみれば、まあ、経験者だから、という安心感のようなものがあったからかもしれません。

私たち2人、もとより望むところ、とまではいかないまでも、ひたすら旺盛な好奇心あるのみ、といったいつもの姿勢、こちらも無言でOKをその視線に返していました。

・・・ということで12月3日午後1時、集合場所に指定された高野山真言宗の「安楽寺」(神奈川県高座郡寒川町)というお寺に向かいました。

この日の撮影は、亡くなった中学校の先生の葬儀のシーン、ということで喪服の着用です。「安楽寺」は、JR東海道線「茅ケ崎」駅からJR相模戦に乗り換えて3駅目の「寒川」駅で下車、そこから徒歩約5分程度のところにありました。

到着すると寺の境内には、約50人ほどの喪服姿の人たちが集まっていました。観察すると、どうやらエキストラにも、オーディションでの採用組と一般組があるようで、オーディションでの採用組には台本が手渡されたりしています。私たち一般組は、出演料も交通費もなし(別に期待はしていませんが・・・)の完全なボランティア・エキストラで、ただひたすら待機する中、ときおり、助監督が忙しそうに「ハイ、あなたとあなた、そこの列に並んで」などと場面ごとに引っ張っていきます。

映画「落葉のころ」の撮影に参加して・・・

私は、といえば突然、年配の女性とペアを組まされ、夫婦で参列したと思って下さいネ、アクション! の声が掛かった後、3つ数えて歩き出して下さい、などと言われます。

ところが、アクション、ではなく、テスト、ハイッ、などの声が掛かるものですから、歩くに歩けず止まっていると、ホラ、歩かなくちゃ、などと苦言を呈され、指示が違うじゃないか、と心の中で文句をいっても声には出せず、少々、不満の滑り出しとなりました。

その後も2~3のシーンに、ただ並んだり歩いたり、だけで引っ張り出され、O君ともども、ったくなァ、とエキストラの悲哀をイヤというほど味わわされながらの4時間拘束となりました。

それにしても・・・上記したエキストラの意味である〈余分なもの〉扱いは別にして、この日の日中は暖かく、小春日和に恵まれて助かりましたが、これが寒かったり、雪や雨が降っていたりしたら、スタッフもキャストも皆、どうするんだろうなァ、と思ってしまいます。

撮影要綱には「雨天時には傘をさすなど少し変更しながら撮影します」とあったものの、終始、屋外の作業につくづく、映画づくりの、忍耐なくしては出来上がらないだろう、一つ一つを手作業的につくり上げる大変さを知らされた次第でした。

まあ、私たちのことはともかく、地元の神奈川・高座郡寒川町出身の三澤監督は、今回の作品で香港のプロデューサー・黄飛鵬(ウォン・フェイパン)氏と手を組み、カメラマンも香港のティム・リン氏が手がけています。また、モンゴルのスタッフも加わっているとのことでした。

確かに撮影現場には、英語、日本語、中国語が飛び交うなど国際色の濃いものになっており、若いパワーがみなぎっています。

この青春映画が、どんな出来栄えになるのか、来年が予定される公開が楽しみになりました。

映画「競輪上人行状記」を観て・・・

ちょっと面白い映画に出会いました。

私もメンバーの一人になっている映画愛好家たちの集まりで上映された日活作品「競輪上人行状記」(西村昭五郎監督=1963年10月公開)です。

冒頭で“面白い”と書いたのは、学校の先生→寺の住職、そして最後は競輪の予想屋、と山あり谷ありの人生悲喜劇を、しかし、めげずにふてぶてしく生きる主人公を演じる小沢昭一(故人=出演時34歳)の達者な芸。そして、後に日活(にっかつ)ロマンポルノで名を馳せた西村監督(故人)の、これが監督デビュー作という、スタッフ&キャストの組み合わせの妙に“面白さ”を感じたからでした。

この映画が公開された1963年(昭38)の世相は、高度経済成長が長期化する中、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で爆発事故、一方、神奈川県横浜市では国鉄(現・JR)東海道線が鶴見区で二重衝突事故を起こしています。

であるからか、映画の中も、さあ、大変! で始まります。

ごった返す上野駅。かつての教え子である小酒井“伊藤アイ子”サチ子が、度重なる義父の暴力、あげく義父の子を孕んでしまい、先生の伴“小沢昭一”春道を頼って上京してきます。

その春道先生と言えば・・・寺の住職を嫌って中学の教師になったものの、兄・伴“河合健二”玄道の死により、ついに貧乏寺の宝寺院を引き継がざるを得ない事態に追い込まれてしまいます。

なにせこのオンポロ寺、不景気でやりくりもままならず、兄嫁の伴“南田洋子”みの子は、犬の葬式を引き受けるばかりでなく、その犬の肉を飲み屋に売って稼ぐ始末。寺は「犬寺」と後ろ指をさされているのですから・・・。

このあたりの壮絶さ描けるのは、さすが原作・寺内大吉、脚本・今村昌平、ならばこそ、ですね~。

鳥肌が立った最後の辻説法

凄さは、そればかりではありません。義父に当たる伴“加藤嘉”玄海とみの子の関係、みの子のマゾ志向・・・と生々しい今村節の面目躍如。そんな生き地獄の中、渋々、寺を継いだ春道は、本堂再建のための資金集めもままならず、やっていられるか! とやけっぱちで松戸競輪場に入り、1枚買った車券がビギナーズラックで大当たり、競輪に取りつかれていく、というのが物語の概略です。

西村監督は、京大文学部仏文科を卒業後に日活に入社。この「競輪上人行状記」が監督デビュー作となりましたが、その名はむしろ、日活が経営不振により、路線を「ロマンポルノ」に転換した1971年(昭46)以降のほうが知られています。

まあ、その歴史的瞬間? はちょっと大げさですが、1971年11月20日封切りの第一弾となった「団地妻 昼下がりの情事」は、日活再建の救世主としてピンク映画のスターだった白川和子を主演に起用、京大出の俊才・西村監督がメガホンを取ったものでした。

ロマンポルノ草創期のスタッフ&キャストは、とにかく何をどうしていいものか、と暗中模索の中、少ない製作費で皆が真剣に取り組んだと言われています。

それゆえに名作も出て「キネマ旬報」ベストテンのランク入りするなど高評価されるものもありました。

「競輪上人行状記」で西村監督が何を言わんとしていたか、それは何といっても最後のシーンに集約されていました。

青森の競輪場-。

行き場所のない教え子のサチ子(この子は純粋の象徴です)を連れた春道が、今は予想屋となりながら、競輪場に集まる迷える人々を相手に大声で辻説法を垂れまくります。

このバカ者どもが! どういうつもりで大事な金をドブに捨ててるんだ。汗水たらして1日働いて、やっと500円しか稼げないお前たちが、ドキドキ震えながら1000円、2000円で車券買って、それで儲かると思ってるのか!

延々と続く客寄せの口上・・・いや辻説法。そして、その日が終われば、サチ子を連れて胸を張って次に向かう予想屋・春道。その姿は、まさに「競輪上人」の、小沢昭一の、面目躍如でした。

いや~この映画は面白かった、というより、最後の場面は、鳥肌が立つほどの凄さでした。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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