とことん笑えた「お熱いのがお好き」

映画をどう観(み)るか、あるいは、どう楽しむか、については、もちろん特別なセオリーなどはなく、観る人々の個々の感性に任せて自由です。

この点を以前、ある映画監督に聞いたところ、こんな言葉を頂きました。

〈映画はね、100人100様の見方があっていいんですよ。それで監督だってね、自分の意図と違う見方をされても、ああ、こういう見方もあるんだ、と教えられるわけですからね〉

従って映画館で、1人の観客が大笑いした場面で、隣の席に座った別の観客が涙を流したとしても、それは個々の感性による解釈、受け止め方によるもので、それもアリ! なのが映画なのであり、面白さなのでしょう、と思います。

・・・が、しかし、です。そんな肩の凝る話ではなく、他方には、とにかく皆が、一斉に笑えて無条件に楽しめるコメディ映画もあります。

そんなジャンルの代表作がビリー・ワイルダー監督(製作)の米映画「お熱いのがお好き(Some Like It Hot)」(1959年公開)ですね。過日、映画愛好家が集まった例会で上映され、クスクスだったり、声を上げたり、大いに笑ってきました。

トニー・カーティスとジャック・レモンの芸達者な2人にB90を揺らし、セクシーでキュートなマリリン・モンローが加わってさまざまな騒動を巻き起こす、このドタバタ喜劇の代表作は、名画座だったりテレビだったり、以前にどこかで観たっけなァ、と思い出す方々も多いと思います。

私も数回、観た覚えがあり、筋書きはだいたい頭の中に入っているにもかかわらず、何回観ても面白さが色褪(あ)せず、そのたびに笑いが呼び起こされるのは、やはりこの映画が傑作だからなのでしょう。

ちなみこの映画は、米映画協会が選ぶ「アメリカ映画喜劇映画ベスト100」の第1位に位置づけられています。

ときは1920年代後半、禁酒法時代のシカゴ。もぐりの酒場で演奏することで食いつないでいたミュージシャンの2人、サックス奏者のジョー(トニー・カーティス)とベース奏者のジェリー(ジャック・レモン)は、酒場に警察の手入れが入り逃げ出します。

職を失った2人は、稼ぐために移動用の車を借り、受け取りに行ったガレージでマフィアの虐殺現場(聖バレンタイン・デーの虐殺)に出くわしてしまい、マフィアのボス、スパッツ・コロンボ(ジョージ・ラフト)の一味に追われることになってしまいます。

モンローの魅力満載の傑作コメディ

右往左往する中、2人は苦肉の策でジョーはジョセフィン、ジェリーはダフネ、と名を変え、女装して女性だけの楽団にもぐりこむことに成功。一行は寝台列車でフロリダ(マイアミ)へと向かいます。

車中で出会うウクレレ奏者でボーカル担当のシュガー(マリリン・モンロー)にジョーでジョセフィン“カーティス”は一目ぼれ。しかし、シュガー“モンロー”は、フロリダで成金の金持ちを探そうと目論んでおり、女装ゆえに手が出せないジョセフィンを歯ぎしりさせます。

一方のジェリーでダフネ“レモン”は、マイアミに到着するなり、本物の大富豪のオジさん、オズグッド・フィールディング3世(ジョー・E・ブラウン)に一目ぼれされてしまい、こちらも正体がバレるのを恐れ、逃げまくるのに必死となります。

やがて・・・シカゴから逃げた2人の前にマイアミにやってきたコロンボが姿を見せます。巻き起こるギャング同士の抗争。コロンボが射殺され、それを目撃した2人はまたまた、追われる身に・・・。

ドタバタ! ドタバタ!

エンディングは、ダフネに一目ぼれしたオズグッドに助けを求め、シュガーも合流して、彼が所有するクルーザーに逃げ込みます。助けられて身分を隠すわけにはいかなくなったダフネが、男であることを明かすとオズグットは、ニヤリとして言ってのけました。

〈な~に、人間、誰もが完ペキなんかじゃないさ。(Well,nobody’s perfect)〉

と-。

私は、このドタバタ・コメディを楽しみながら、トニー・カーティスとジャックレモンの達者な演技の2人に囲まれてマリリン・モンローの存在はどうなのだろうか、などと考えていました。

ビリー・ワイルダー監督は当初、シュガー役をミッチー・ゲイナーにしようとも思っていたそうですが、私は、モンロー以外だったら、シャーリー・マクレーンあたりは? などと思いましたが、やはり、この役はモンローでしたね。

なぜなら、あの場面、あの歌・・・もう、モンローなくして成り立ちません。

そうです。

I wanna be loved by you

ですね。

Boo boo bee doo

悲惨だったと言われる私生活面はともかく、スクリーンの中のモンローは、ひたすら「可愛らしさ」で観る側を魅了してくれました。
スポンサーサイト

映画「浮雲」を観て・・・

映画好きの友人O君に「久々にどうだい」と声をかけたところ「“午前十時・・・”で〈浮雲〉をやってるよ」ということで足を運びました。

過去の名画を全国展開で上映してくれている「午前十時の映画祭」は、映画ファンには人気のイベントですね。私が住む湘南エリアでは、神奈川県平塚市の「シネプレツクス平塚」で実施されています。

原作・林芙美子の「浮雲」は、脚本を水木洋子が手がけて映画化され、1955年(昭30)に製作・公開(成瀬巳喜男監督=東宝)されています。

ヒロインを演じた高峰秀子が、強烈な愛憎劇をとことん見せつけて堕(お)ちていく姿が話題となった映画でしたね。

映画の最後を、林芙美子が好んだという「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の文字で締めくくった124分を観(み)終えて友人O君が「あ~あ、だよなァ」と溜息をつきました。

〈男も女も、あんな愛ってのがあるかなァ。何とも言いようがない、疲れる映画だよなァ〉

まったく・・・成瀬監督も、らしい、といえば、らしいのか、罪つくりな人ですね。

昭和21年-。

終戦直後の荒廃した日本に、外地から引き揚げてきた幸田“高峰秀子”ゆき子が降り立ち、富岡“森雅之”兼吾を訪ねるところから映画は始まります。

それよりさかのぼって戦時中の昭和18年、日本の占領下にあった南方(ベトナム方面を想定)で農林省の技師として働いていた富岡は、タイピストとして赴任してきたゆき子と、やがて愛し合うようになってしまいます。

戦争が終わり、引き揚げてきたゆき子は富岡の家を訪ね、そこで富岡の妻・邦子“中北千枝子”に出会います。富岡が妻帯者であることを、もちろん承知の上で関係を持ち、妻とは別れるという富岡の言葉を信じたゆき子でしたが、やはり顔を合わせ、加えて富岡の優柔不断な態度にも触れてゆき子は絶望的となり、そこから“苦しきことのみ多かりき”の失意の人生がスタートします。

“苦しきことのみ多かりき”の悲哀

戦後の混乱にあって、皆が生きていくのが精いっぱいの中、ゆき子は一人、バラックに住み、米兵のオンリーにもなり、その日を暮らします。

スクリーンの中の、そんな高峰秀子に感じたことは、女優・高峰秀子の演技でのものなのか、あるいは、高峰秀子という人が持つ本来のものなのか、それはわかりませんが、ちょっと近寄りがたい〈眼の冷たさ〉でした。

ヒトミの奥に青白い炎がのぞかれるような〈眼の冷たさ〉は、ゆき子ならそうならざるを得ないだろうし、それが“デコちゃん”の愛称で親しまれる、柔和な丸顔とは対照的な、様々な意味での強さを感じさせていました。

ゆき子と煮え切らない富岡とのズルズルとした関係。2人で出かけた伊香保温泉で向井“加東大介”清吉の若い妻・おせい“岡田茉莉子”とデキてしまう富岡。さらにゆき子と、かつて犯された義兄・伊庭“山形勲”杉夫との関係。向井がおせいを殺してしまう事件・・・。

まったく、友人のO君ならずとも、男と女っていったい何なんだ! とワケが分からなくなってしまうようなドロドロとした関係です。

ちなみに富岡は「すべて敗戦が悪いのだ」とつぶやいていました。まったく、情けネーなァ、ですね。

やがて・・・富岡の新任地・屋久島に同行したゆき子は、旅の途中で体を壊し、屋久島に到着早々、富岡の留守中に吐血して死んでしまいます。

あの〈冷たい眼〉をやっと閉じることができたゆき子。その唇に口紅を塗り、死化粧を施す富岡。富岡がここで流す涙は、いったい何に? だったのでしょうか。

優柔不断な男の身勝手に翻弄される女の悲しさ-男のエゴと女の愛が生々しくぶつかる展開は、東宝(豊田四郎監督)と松竹(大場秀雄監督)でそれぞ映画化された川端康成原作の「雪国」や松竹(吉田喜重監督)の「秋津温泉」などに見られますが、この「浮雲」は究極的? とでもいえるのでしょうかね~。

映画館を出てしばらく、重く暗い気持ちは晴れない状況・・・春近しの気候もこの日は三寒四温で寒さぶり返しの日。

どうにも身も心も寒い日となってしまいました。

深作作品の映画「道頓堀川」を観て

先日、映画愛好家たちが集まった例会(研修会)の新年初開催があり、上映された「道頓堀川」(1982年=昭57=6月公開、松竹)を観(み)てきました。

同作品は、宮本輝氏の同名小説を映画化したもので、深作欣二監督が宮本文学を松竹で撮った、という、いってみれば“未知の分野”に挑んだ、とされた注目作です。

映画はこんなシーンから始まりました。

美術系の大学に通う安岡“真田広之”邦彦が、道頓堀をスケッチしているとき、足を1本失(な)くした「小太郎」と名付けた犬を散歩させている、元芸者で今は小料理屋「梅の木」を営むまち子“松坂慶子”と出会い、言葉を交わします。

原作を読んでいる人々はまず、この冒頭のシーンで、アレレッ? となります。

私自身、宮本作品は好きで結構、読んでおり、この「道頓堀川」は、お気に入りの一つなのですが、原作での冒頭は、こう記述されています。

〈(略)邦彦は「リバー」の店先を掃きながら、三本足の犬を見ていた。バーや料理屋の密集する通りの真ん中を浮浪者が歩いていて、その影が犬のところまで伸びてくる。犬は、遅れてついてくるまち子姐さんの姿を認めると、安心したように宗右衛門町筋へと道を折れ・・・(略)〉

文中にある「リバー」は、邦彦が住み込みで働く喫茶店の店名です。

原作への“忠実性”を考えれば、絵筆を持たせようが、箒(ほうき)を持たせようが、特に状況に変わりはないシーン、変えなくても・・・と思いつつ、脚色性の許容範囲が頭の片隅をよぎります。ちなみに映画の脚本も、深作監督が手掛けています。

それは、話が進むにつれてどんどんふくらんでいきます。

脚色の許容範囲はどこまで?

道頓堀川が走る歓楽街にある喫茶店「リバー」のマスターで、かつてはビリヤード「スリークッション」の名手として鳴らし、戦後を生き抜いた劇的な過去を持つ武内“山崎努”鉄男と、ハスラーに憧れる息子の政夫“佐藤浩市”親子の葛藤、とともにそのネオンの地に生きるゲイボーイやストリッパーたち、男と女が、頼るものもなく、ひたすら生きる姿を、原作は淡々と描写します。

宮本イズムに惹かれるのは、こういうところですね。

が、映画の深作イズムは、ビリヤードの「スリークッション」を「ナインボール」に変えたり、戦後を生き抜いた武内のドラマチックな人生より、まち子と邦彦の恋愛模様を重視、2人が結ばれるシーンでは、まち子“松坂”の乳房が揺れる大胆シーンまで繰り広げられ、観る側の手に汗を握らせます。

映画の最初に、アレレッ? がありましたが、最後にまた、アレレッ? となります。

まち子と邦彦が、気持ちを確認し合って添い遂げ、まち子が夕食の支度をして邦彦の帰宅を待ちわびる夜、ネオン街ではゲイボーイのかおる“カルーセル麻紀”が裏切った幇間の石塚“柄本明”を包丁を持って追いかける修羅場が繰り広げられ、騒動の間に入った邦彦が刺されてしまうのです。

これも原作にはない場面・・・観る側にしてみれば、えっ、刺しちゃうの? とビックリし、生死の結末は描かれていませんが、死んだのなら、何も殺さなくても、というのが正直なところでしょう。

原作の宮本「道頓堀川」とは、大きくストーリーを変えた深作「道頓堀川」は、映画としては面白いものでした。

しかし、映画づくりに際しての〈原作への忠実性〉と映画を面白くするための〈脚色性〉との兼ね合いはどうなのだろうか、という疑問が残ります。

この日の例会には、この映画の製作に当たった織田明プロデューサーが出席していたので聞いてみました。

私「原作があり、それを映画化するにあたって脚本が書かれ、配役が決まれば、台詞もさまざまに変わり、原作とは異なる部分が出てくると思います。原作への忠実性と脚色性との兼ね合いをどうお考えですか?」

この兼ね合いは流動的で明確なものは決められませんでしたが、原作の活字を映画の映像に置き換えるとき、忠実性では折り合いがつかない場合がある、というのが関係者の見解でした。

宮本氏は、この作品に対し、さすがに最後の邦彦が刺されるシーンには抵抗があったそうですが、全体的には“面白いのでは”という感想を口にしたそうです。

一般公開された映画「横濱の空の下」

JR根岸線「石川町」駅の中華街側改札口から、山下公園に向かって徒歩約15分のところに「横浜人形の家」(横浜市中区山下町18)があります。

11月26日(土)と27日(日)の両日、その建物の4階にある「あかいくつ劇場」で“ある映画”が上映(各日とも午後3時~と同6時~の計4回)されました。

“ある映画”とは?-。

私が今年の夏、元松竹のカメラマンとして数々の映画製作に携わった知人のNさんに「サトーさん、ちょっと協力してよ」と声をかけられ、Nさんが目下、撮影している映画製作に思いもかけず、加わることになってしまったことは、この欄にも以前、書かせてもらいました。

まあ、単なる、その他大勢のエキストラだろ、と気軽に承諾し、撮影日の7月10日、指定された場所に出かけたところ、何とその場で新聞記者役、津川、稲村、藤原(女性)の3人のうち、稲村を命ぜられ、ひと言ながら、台詞(せりふ)もあり、という、とんでもないことになってしまったのです。

ちなみにそのシーンは、主人公が重大決意をしそうだという情報をキャッチした広告代理店、新聞社、出版社など各メディア関係者が、主人公の住む家に押しかけ、真意を正すという場面でした。

その中で新聞記者役3人の台詞は、主人公が復活すればニュースになる、大騒ぎになる、という状況を受けて-

津川「いや、もうなってますやん。そろそろ取材もやらせてくださいよ」

稲村「おいおい、抜け駆けはやめろよな」

藤原「そうよ。ちゃんと正式な記者会見を開いて下さいよ」

-といったものでした。

スクリーンの中に自分を見る不思議

午前10時から午後5時まで、昼食はコンビニのおにぎりのみで、台本の読み合わせ、台本なしのテスト、と何度も繰り返され、本番! となる中、私は、私の台詞である「抜け駆け・・・」の「ぬ」の発音がなぜか明確にならず、日ごろ、普通にしゃべっているときの言葉と、台詞として構えたときの言葉との違い、難しさを痛感したものでした。

・・・という出来ごとがあり、その映画「横濱の空の下」(脚本・監督=泉谷渉)が、冒頭に記した2日間、ついに一般公開されることになったのです。

となると・・・黙っていてくれないのが、いつもの〈呑(の)み処〉で顔を合わせる常連客の面々です。

旗振り役はもちろん、店を仕切るママです。頼むからやめてくれよ、という私の懇願を無視して「“御一行サマ”の旗持って、みんなで観(み)に行くからね~」と何やら、私にしてみれば相当、プレッシャーのかかる? 雰囲気になってしまいました。

この季節の横浜はいいですね。街路樹の銀杏が散って歩道に黄色の絨毯(じゅうたん)を敷き、集まった私たち5人は、11月26日の土曜日午後、会場に向かいました。

会場で出迎えてくれたカメラマンのNさんが「出番は始まってから1時間2分後だからね。寝てちゃダメだよ」と教えてくれます。

物語は、描く詩の力が労働者層を中心に生きる希望を与えていた、かつては反社会勢力にも身を置いていた伝説の詩人、主人公の〈斎藤のぼる〉が、もう2度と書かない、とペンを折り、引退を宣言しつつも、みんなが望んでいる、という周囲の説得で復帰を決意、しかし、生き方が真っ直ぐゆえに想いを果たせないまま死んでしまう、という結構、重い話~夢はかなえるためにあるんじゃない、夢は追いかけるためにあるんだ~という哀感を全編に漂わせていて余韻を残す内容となっていました。

私は、といえば、一瞬の出番でしたが、客席から見るスクリーンの中の私には、やはり奇妙な感じを抱いてしまいます。そういう姿を直視できない、当たり前のことですが、シロウトの域・・・。

プロの俳優は、そういう自分を直視しながら、第三者的にあ~だ、こ~だ、と修正を加えられる人たちなのだなァ、とつくづく思う、映画出演初体験の恥ずかしさでした。

映画「情婦マノン」に見る愛のかたち

映画愛好家たちが集まって開催される研修会の11月例会があり、上映されたフランス映画「情婦マノン」(1948年製作=日本公開1950年9月)を観(み)てきました。

フランス映画「恐怖の報酬」(1952年製作=1954年7月日本公開)を観たのは、いつのことだったでしょうか。日本で公開された1954年(昭29)当時、私はまだ10歳の小学生、そのとき観たとは思われないのですが、マリオ役のイブ・モンタン(シャンソン歌手)ら4人の男たちが、トラックでニトログリセリンを運ぶスリリングな展開に息を飲み、終始、手に汗を握っていたことを覚えています。

そんな“恐怖”を生みだした硬派のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督が、それ以前に手がけていたのが、奔放な女と彼女に惚れて夢中になった実直な男の恋の行く末を描いた「情婦マノン」でした。

「恐怖の報酬」で手に汗を握った者にとっては、エエッ! サスペンス映画の巨匠は、こうしたものも創り上げていたんだ、と少々、意表をつかれた感じでしたが、それでも背景には、第二次大戦末期~終戦直後の混乱した世相を随所に描き入れており、そこに硬派クルーゾー監督の面目躍如があり、1949年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞にも結びついたのでしょうね。

大戦末期、レジスタンス活動をしていたロベール〈ミシェル・オークレール〉デグリューは、ある日、ドイツ兵相手に売春をしたということで人々のリンチを受けようとしていたマノン〈セシル・オーブリ〉レスコーを救います。

それをきっかけに恋に落ちた若い2人は、ジープを盗んでパリに向かいます。レジスタンス活動を捨ててまでマノンに夢中になった実直な青年ロベールは、その地で貧しくとも、好きなマノンと地道な生活をしたいと望んでいましたが、マノンはパリの華やかさに魅せられ、次第に贅沢な生活を捨てられなくなり、ついにはまた、身を売ることも平気でやってのける日々となってしまいます。

それが、パリに住み、闇屋で生計を立てるマノンの兄レオン〈セルジュ・レジアニ〉のお膳立てだった、と知ったロベールはレオンを絞殺し逃亡。後を追ってきたマノンとともにユダヤ人の一行を乗せてマルセイユからパレスチナに向かう貨物船に潜り込みます。

その途中で発見され、2人は密航に至った経緯を船長に話し、人情家の船長は2人に同情、密航者2人を発見したが海に逃亡し溺死、と航海日誌に記し、逃がしてやります。

クルーゾー監督が意図した究極の愛の怖さ

さて・・・ここからですね、見どころは・・・。そうです。あの、壮絶! というか、凄絶! というか、2人の究極の愛が描かれた、映画史に残る衝撃的なシーンが繰り広げられます。

パレスチナに到着した2人は、他のユダヤ人たちとともに用意された車に乗りますが、途中、車の故障により砂漠を歩き始め、そこでアラブ人に襲われます。マノンも撃たれて死亡。

ロベールは、マノンの両足を肩にかつぎ、遺体を逆さにしてさまよい歩きます。ロベールの服は破れ、逆さまゆえに両目も白目をむいてしまいます。

有名なシーンですね。

やがて力尽きたロベールは、砂漠に穴を掘り、マノンを埋めながらつぶやきました。

〈やっとボクのものになったね〉

と-。

この言葉で私の頭に唐突に思い浮かんだのが「阿部定事件」でした。1936年(昭11)5月、愛人を絞殺し局部を切り取るという猟奇的殺人で逮捕された阿部定は、こう書かれた遺書をしたためていたと言われています。

〈あなたは死んで初めて私のものになった〉

と-。

究極の愛の末にもたらされるこうした共通項は、今も昔も洋の東西を問わず、といったところなのでしょうか。

それにしても・・・と、ともに研修会に参加した映画好きの友人Oクンが言いました。

〈“情婦”のイメージがないんじゃないのかなァ。あのマノン役のオーブリはロリ顔過ぎるよ。もうちょい、男を惑わす妖艶であってほしいよな〉

確かに私もそう思いはしましたが、ロリだからこその世間知らず、奔放さにも限りがない、という、男にとっては、どうにもならないやっかいさ、を生んでいる存在という狙いがあったのかもしれません。

ちなみにセシル・オーブリという女優は、この映画のためにクルーゾー監督が発掘した新人、とあり、小柄な体とロリ顔、そして性的早熟-つまり“小悪魔”的な魅力をウリにした、とのことでした。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
ランクアップにご協力下さい
↓↓↓↓クリック↓↓↓↓
QRコード
QR