「字幕版」か「吹き替え版」か?

映画好きの友人との雑談で「字幕版」と「日本語吹き替え版」の話になりました。

友人が言います。

〈吹き替え版でもいい映画と、どうしても字幕版でなくては・・・に分かれると思うんだよな。このあたりの微妙な匙(さじ)加減を、つくる側は重視するべき、軽く考えてはいけないと思うな〉

例えば・・・と言って友人は、ハワード・ホークス監督の米西部劇「リオ・ブラボー(Rio Bravo)」(1959年4月公開)を挙げました。

ジョン・ウェイン主演の「リオ・ブラボー」は、理屈抜きに楽しめる痛快西部劇、という点で名作「駅馬車」(ジョン・フォード監督=1940年公開)や「荒野の決闘」(ジョン・フォード監督=1947年公開)「OK牧場の決斗」(ジョン・スタージェス監督=1957年公開)などと並んで西部劇の歴代傑作ベスト10に入ってくるでしょうし、私も好きな西部劇の一つです。

彼が「リオ・ブラボー」を出してきた時点で言わんとすることは分かります。

某日、テレビでこの映画が放映され、彼は何度観(み)ても・・・とテレビの前にかじりつきましたが、不運にも日本語吹き替え版と分かり、ガックリして観る気を半減させた、というのです。

〈分かるだろ。声優がどんなにジョン・ウェインのイメージを損なわないように熱演しても、そりゃ、興醒めだよな。リッキー・ネルソンがジョン・ウェインにライフルを投げて渡すシーン。最後のジョン・ウェインとアンジー・ディキンソンの無骨な愛のシーン。これを日本語でやられちゃ~だよな〉

まったく。確かに・・・です。ところで「ライフルと愛馬」はまさか、日本語吹き替えじゃなかったろうねェ。そりゃ、まあ、そこだけは突然! といった形でトーンが変わり、原語(元の言葉)になっちゃうんだけどね。それがまた、わざとらしくて良くないんだよね。

原語の感性を失いたくない~吹き替え版

メキシコとの国境に近いテキサスの町「リオ・ブラボー」で取り囲む敵に立ち向かう保安官ジョン・T・チャンス(ジョン・ウェイン)を中心にアル中の保安官補佐デュード(デーン・マーチン)、牢屋番のスタンビー老人(ウォルター・ブレナン)、さらに早撃ちの若者コロラド・ライアン(リッキー・ネルソン)らが結束を固めて銃撃戦を繰り広げます。

無骨な男どもに・・・というより、無骨なテキサス男のチャンスに恋心を燃やす女賭博師でダンサーのフェザーズ(アンジー・ディキンソン)が花を添え、魅力的な脚線美を披露して観る側の心を癒します。

全編を通して不気味に流れる「皆殺しの歌」。そしてディーン・マーチン、ロック歌手のリッキー・ネルソン、とくればその歌声が聞きたいもの、それに応えてくれたのが、2人で歌う「ライフルと愛馬」でした。

随所にこういう、迫力ある銃撃戦のほかに、恋あり、歌あり、の見どころ、聞きどころ、を盛り込んだこの映画にやはり、日本語吹き替えは似合わないでしょうね。

映画ファンは、その心理として自分が大事にしたい映画には、独特のこだわりを持つもののようで、その傾向は概して頑固です。

が、が、が・・・この話とは別に最近、家のテレビで映画を観るとき、字幕版の場合、加齢による視力の低下のせいか、画面の下部に出る台詞が読みにくく、読み切らないうちに次の場面に移ってしまうとか、こりゃ、ひょっとして画面の下部より、画面の右横に縦に出してくれたほうが読みやすいのでは? など、どうも字幕版がすべてに良いのだ、という考えが薄らいできつつあるような気がするのですね。

だからといって、様々な視聴者がいるテレビの場合は、日本語吹き替え版がベストかというとそうでもなく、一方には、最近はどうも耳が遠くなったようで・・・などという、字幕のほうがいいね、などという友人もいて、ものごと万事、すべてに良し、とはなかなかいかないようです。

とはいえ、この「リオ・ブラボー」やビリー・ワイルダー監督のお洒落なコメディー「お熱いのがお好き」(1959年公開)など、どうしても字幕版でなければ収まりがつきにくいものもあります。

「お熱いのがお好き」で好演したマリリン・モンローのキュートな言葉のイメージを声優さんがカバーするのは、どう考えても至難の技のような気がします。

字幕版にするか、日本語吹き替え版にするか-。

その判断は、簡単なようで結構、難しいものがありますね。
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あゝエキストラ~その悲哀

映画愛好家たちが集まった研修会に私もメンバーとして加わっているのですが、過日、研修会を主宰するF氏を通して映画の〈エキストラ募集〉がメンバーに伝えられました。

〈エキストラ〉=「余分のもの、番外のもの、の意。演劇や映画の撮影で端役を演ずる臨時雇いの俳優」(広辞苑)

映画は、11月下旬に撮影が開始された若手の気鋭・三澤拓哉監督(28)による「落葉のころ」というタイトルの青春もの、とのこと。F氏の視線は、私とやはりメンバーである友人O君に向けられ、無言ながら“やってくれるよな”と、その目が強く語りかけてきました。

というのも私たち2人は、昨年12月に公開された〈劇団横濱にゅうくりあ〉による映画「横濱の空の下」(泉谷渉監督)に台詞つきのエキストラで参加しており、F氏にしてみれば、まあ、経験者だから、という安心感のようなものがあったからかもしれません。

私たち2人、もとより望むところ、とまではいかないまでも、ひたすら旺盛な好奇心あるのみ、といったいつもの姿勢、こちらも無言でOKをその視線に返していました。

・・・ということで12月3日午後1時、集合場所に指定された高野山真言宗の「安楽寺」(神奈川県高座郡寒川町)というお寺に向かいました。

この日の撮影は、亡くなった中学校の先生の葬儀のシーン、ということで喪服の着用です。「安楽寺」は、JR東海道線「茅ケ崎」駅からJR相模戦に乗り換えて3駅目の「寒川」駅で下車、そこから徒歩約5分程度のところにありました。

到着すると寺の境内には、約50人ほどの喪服姿の人たちが集まっていました。観察すると、どうやらエキストラにも、オーディションでの採用組と一般組があるようで、オーディションでの採用組には台本が手渡されたりしています。私たち一般組は、出演料も交通費もなし(別に期待はしていませんが・・・)の完全なボランティア・エキストラで、ただひたすら待機する中、ときおり、助監督が忙しそうに「ハイ、あなたとあなた、そこの列に並んで」などと場面ごとに引っ張っていきます。

映画「落葉のころ」の撮影に参加して・・・

私は、といえば突然、年配の女性とペアを組まされ、夫婦で参列したと思って下さいネ、アクション! の声が掛かった後、3つ数えて歩き出して下さい、などと言われます。

ところが、アクション、ではなく、テスト、ハイッ、などの声が掛かるものですから、歩くに歩けず止まっていると、ホラ、歩かなくちゃ、などと苦言を呈され、指示が違うじゃないか、と心の中で文句をいっても声には出せず、少々、不満の滑り出しとなりました。

その後も2~3のシーンに、ただ並んだり歩いたり、だけで引っ張り出され、O君ともども、ったくなァ、とエキストラの悲哀をイヤというほど味わわされながらの4時間拘束となりました。

それにしても・・・上記したエキストラの意味である〈余分なもの〉扱いは別にして、この日の日中は暖かく、小春日和に恵まれて助かりましたが、これが寒かったり、雪や雨が降っていたりしたら、スタッフもキャストも皆、どうするんだろうなァ、と思ってしまいます。

撮影要綱には「雨天時には傘をさすなど少し変更しながら撮影します」とあったものの、終始、屋外の作業につくづく、映画づくりの、忍耐なくしては出来上がらないだろう、一つ一つを手作業的につくり上げる大変さを知らされた次第でした。

まあ、私たちのことはともかく、地元の神奈川・高座郡寒川町出身の三澤監督は、今回の作品で香港のプロデューサー・黄飛鵬(ウォン・フェイパン)氏と手を組み、カメラマンも香港のティム・リン氏が手がけています。また、モンゴルのスタッフも加わっているとのことでした。

確かに撮影現場には、英語、日本語、中国語が飛び交うなど国際色の濃いものになっており、若いパワーがみなぎっています。

この青春映画が、どんな出来栄えになるのか、来年が予定される公開が楽しみになりました。

映画「競輪上人行状記」を観て・・・

ちょっと面白い映画に出会いました。

私もメンバーの一人になっている映画愛好家たちの集まりで上映された日活作品「競輪上人行状記」(西村昭五郎監督=1963年10月公開)です。

冒頭で“面白い”と書いたのは、学校の先生→寺の住職、そして最後は競輪の予想屋、と山あり谷ありの人生悲喜劇を、しかし、めげずにふてぶてしく生きる主人公を演じる小沢昭一(故人=出演時34歳)の達者な芸。そして、後に日活(にっかつ)ロマンポルノで名を馳せた西村監督(故人)の、これが監督デビュー作という、スタッフ&キャストの組み合わせの妙に“面白さ”を感じたからでした。

この映画が公開された1963年(昭38)の世相は、高度経済成長が長期化する中、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で爆発事故、一方、神奈川県横浜市では国鉄(現・JR)東海道線が鶴見区で二重衝突事故を起こしています。

であるからか、映画の中も、さあ、大変! で始まります。

ごった返す上野駅。かつての教え子である小酒井“伊藤アイ子”サチ子が、度重なる義父の暴力、あげく義父の子を孕んでしまい、先生の伴“小沢昭一”春道を頼って上京してきます。

その春道先生と言えば・・・寺の住職を嫌って中学の教師になったものの、兄・伴“河合健二”玄道の死により、ついに貧乏寺の宝寺院を引き継がざるを得ない事態に追い込まれてしまいます。

なにせこのオンポロ寺、不景気でやりくりもままならず、兄嫁の伴“南田洋子”みの子は、犬の葬式を引き受けるばかりでなく、その犬の肉を飲み屋に売って稼ぐ始末。寺は「犬寺」と後ろ指をさされているのですから・・・。

このあたりの壮絶さ描けるのは、さすが原作・寺内大吉、脚本・今村昌平、ならばこそ、ですね~。

鳥肌が立った最後の辻説法

凄さは、そればかりではありません。義父に当たる伴“加藤嘉”玄海とみの子の関係、みの子のマゾ志向・・・と生々しい今村節の面目躍如。そんな生き地獄の中、渋々、寺を継いだ春道は、本堂再建のための資金集めもままならず、やっていられるか! とやけっぱちで松戸競輪場に入り、1枚買った車券がビギナーズラックで大当たり、競輪に取りつかれていく、というのが物語の概略です。

西村監督は、京大文学部仏文科を卒業後に日活に入社。この「競輪上人行状記」が監督デビュー作となりましたが、その名はむしろ、日活が経営不振により、路線を「ロマンポルノ」に転換した1971年(昭46)以降のほうが知られています。

まあ、その歴史的瞬間? はちょっと大げさですが、1971年11月20日封切りの第一弾となった「団地妻 昼下がりの情事」は、日活再建の救世主としてピンク映画のスターだった白川和子を主演に起用、京大出の俊才・西村監督がメガホンを取ったものでした。

ロマンポルノ草創期のスタッフ&キャストは、とにかく何をどうしていいものか、と暗中模索の中、少ない製作費で皆が真剣に取り組んだと言われています。

それゆえに名作も出て「キネマ旬報」ベストテンのランク入りするなど高評価されるものもありました。

「競輪上人行状記」で西村監督が何を言わんとしていたか、それは何といっても最後のシーンに集約されていました。

青森の競輪場-。

行き場所のない教え子のサチ子(この子は純粋の象徴です)を連れた春道が、今は予想屋となりながら、競輪場に集まる迷える人々を相手に大声で辻説法を垂れまくります。

このバカ者どもが! どういうつもりで大事な金をドブに捨ててるんだ。汗水たらして1日働いて、やっと500円しか稼げないお前たちが、ドキドキ震えながら1000円、2000円で車券買って、それで儲かると思ってるのか!

延々と続く客寄せの口上・・・いや辻説法。そして、その日が終われば、サチ子を連れて胸を張って次に向かう予想屋・春道。その姿は、まさに「競輪上人」の、小沢昭一の、面目躍如でした。

いや~この映画は面白かった、というより、最後の場面は、鳥肌が立つほどの凄さでした。

映画「汚れなき抱擁」を観て・・・

C・C」と聞いたとき、何を思い浮かべるでしょうか。

若い女性なら夏の暑い日、汗をかいた後に喉をうるおす、ちょっぴり酸っぱい炭酸飲料の「C.C.レモン」でしょうか。

酒飲みのオジさんならさしずめ、カナディアン・ウイスキーの代表的銘柄「カナディアン・クラブ」といったところかもしれません。

・・・が、ここはひとつ、あの情熱的でメリハリのきいた野生美が若い連中をシビれさせた、イタリアの女優クラウディア・カルディナーレを思い出して下さい。懐かしいですね~。私も思い切りシビれた中の一人でした。

「刑事」(1959年公開)「山猫」「ブーベの恋人」(ともに1963年公開)などなど。公開時、中~高校生だった私は「M・M(マリリン・モンロー)」ですか? 「B・B(ブリジット・バルドー)」ですか? いやいや、やっぱり「C・C」でしょ、と、あの魅力にぞっこんでしたっけ。

かつての名画を上映してくれている鎌倉(神奈川県)の「鎌倉市川喜多映画記念館」(鎌倉市雪ノ下)は10月下旬、企画ものの「かまくら世界映画週間〈イタリア編〉」を実施しており、21歳の若き「C・C」が出演している「汚れなき抱擁」(1960年製作=マウロ・ボロニーニ監督)をやっている、というので足を運びました。

今回は「C・C」ファンの私の強引な誘いにより、いつもの映画好きの友人O君、所属している映画研究会のメンバーであるO女史も加わって3人・・・相変わらず大混雑の小町通りをなかなか進めずに歩きながら「・・・記念館」に向かいました。

この映画は「男の葛藤を名優マストロヤンニが演じた文芸映画の名作」と紹介されています。

モノクロの画面で何やら、重々しい雰囲気で始まったストーリーを紹介すると-。

ローマでモテモテ男だった美男子のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)が故郷のシチリア島に帰ってきます。ここでも彼の美貌は注目の的。隣りの夫人は、長い睫(まつげ)はまるで扇のようね、と目を熱く潤ませ、町中の女が彼に熱視線を送ります。

そんな中、アントニオの父親アルフィオ(ピエール・ブラッスール)が、バルバラ(クラウディア・カルディナーレ)との縁談を持ちかけ、彼女の清純さに打たれたプレイボーイのアントニオは、ここに真の愛を求めて結婚へと至りました。

まあ、しかし、男と女の愛、特に男の愛は複雑でまた、悲しいものなのですかね~。

ローマであれほど浮名を流したアントニオが、バルバラの純粋さゆえ、どうしてもセックスが出来ません。映画は、いやボロニーニ監督は、夫婦のセックスレスは“妻への冒涜”ひいては“神への冒涜”という、これはシチリア島の特殊な信仰に関わっているのでしょうか、そのあたりに焦点を当てて夫婦の苦悩を描いて行きます。

出来なくなった“美しき男”の苦悩

“手つかず”でいつまでも処女のままのバルバラは町のウワサとなり、アントニオもまた、不能? とのウワサに包まれます。やがてこの2人の結婚は無効とされ離別。不本意な父親は、家系が健在であることを証明するため、娼婦の家に出かけて頑張りますが、歳には勝てず死んでしまいます。

夫の遺影を前に悲しむ妻のロザリア(リナ・モレリ)でしたが、そんな矢先、小間使いの妊娠が発覚、ロザリアは、ああ、アントニオがお手つきしたの? やればできるじゃない! と喜び、隣近所に響く大声で、やった! やれた! と叫びます。

そして・・・エンディングは、大写しのアントニオの顔、頬を伝わるひと筋の涙-。

映画を終えて-。

これは果たして紹介欄にある「文芸映画の名作」なのかどうか。背景に宗教的なものがあるとなると分かりませんが、私としては、むしろ「イタリア式艶笑話」のほうがピンとくるように思えましたが・・・。

いやいや、と友人Oが言いました。

〈わかるなあ、アントニオの気持ち。遊びと愛は別もの。遊ぶ男ほど、愛する女に対しては、触れてはいけないもの、プラトニックに、という純な気持ちが芽生えるんじゃないかな。男は繊細なんだよ〉

ウ~ン、深い。

で、O女史の意見は?

〈そうねェ。小間使いのお腹のコは、きっと父親がつくったんじゃないかしら。それを見届けて後々、勘繰られないように娼婦の家で死ぬなんて、子を思う父親、やっぱり凄い。エンディングでのあの涙をどう解釈するか・・・〉

ウヘッ、もっと深い。さすがの深読みですね。

O君の純粋さとO女史の、いかにもありそうな話・・・。

これが男と女の違い。いつもボタンの掛け違いを生んでいるのでしょうか。

そうした議論の中、ねえねえ、ちょっと「C・C」の存在感が薄くなかった?

そう言われれば、確かに薄かったようにも思えましたが、まだ年齢的に若いときの作品だからですよ。3年後の「ブーベの恋人」では、圧倒的にいい女を演じていました。

でも、やはり「C・C」は、ときを経て観ても魅力的でした。

任侠映画とダブる「冒険者たち」

映画関係者や一般の映画ファンが集まった会合の例会が、このほど開催され、ともに参加している映画好きの友人O君が推薦したフランス映画「冒険者たち」(ロベール・アンリコ監督=1967年公開)が上映されました。

フランス映画を観(み)るたびに思うことは、といってもそうそう多く観ているわけではありませんが、例えば、男同士の固く結ばれた友情の中に女の恋愛感情を立ち入らせない、など、何やら昔シビれた日本の任侠路線、やくざ映画的な構図が結構あり、日本人のウエットな感性と、どこか共通点があるなァ、ということです。

「冒険者たち」は、映画好きの皆さんが、恐らくかつて観たことがあって“よかったなァ”という感想を持ったことと思いますが、それはやはり、アメリカ映画などは構えて、分かろうとする必要性も出てくる一方、こちらは全編を通して〈日本人の感性〉で素直に観られたことにあったからではないかと思います。

レーシング・カーの強力エンジン開発に夢を託す自動車技師のローラン(リノ・ヴァンチュラ)と友人であるパイロットのマヌー(アラン・ドロン)の間にある日、若き女性彫刻家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)が加わってきます。

イケメンで遊び慣れしていそうなマヌーと中年の堅物エンジニアのローラン。男2人にはさまれてレティシアは、心地よく通じ合う友情の中に身を置き、ともに抱く夢に向かって突き進みます。

・・・が、それは次々に挫折-。

マヌーは凱旋門の下を飛行機でくぐり、それを撮影するという企画に乗り失敗。危険飛行を理由にライセンスを剥奪され、あげく、あの企画は冗談だったのさ、と冷笑され、冷たい視線を浴びます。

レティシアは、自身開催した彫刻の個展で、その出来栄えをマスコミに叩かれ、失意のドン底に突き落とされます。

さらにローランまでも・・・新型エンジンを搭載した車の試験走行でエンジンが爆発して夢が砕け散りました。

なぜかフランス映画に合う日本人の感性

それぞれが傷つき、心の痛みを抱え、3人は、聞き込んだコンゴの海に沈んでいるという財宝探しに新たな夢を託しました。

そうしたストーリーを進めながら、アンリコ監督は背景に〈男と女の友情はあるのか!〉を問いかけ、あるいは、硬軟タイプが違いながらも固い友情で結ばれているマヌーとローランの間にレティシアの愛はどう入り込むだろうか、という興味を観る側に問いかけてきます。

この三角関係の行方は、レティシアが、やはり財宝を狙って争う別の男たちの銃弾に倒れ、幕を閉じます。死んだレティシアの面影を脳裏に刻みつつ再び、男2人となった映画の後半は、一転、男の熱い友情がセンチメンタルに描かれます。

財宝を狙った男たちとの戦い。銃撃戦で倒れたマヌーへの怒りを爆発させたローランは、手投げ弾を投げまくって敵を撃退させ・・・そして今は虫の息となったマヌーの耳元にささやきます。

〈レティシアは、お前と一緒に暮らしたがっていたんだぞ〉

かすかに笑みを見せたマヌーがつぶやきました。

〈このウソつきめ・・・〉-。

ああ。何という男気あふれるシーン。

レティシアがかつて、ローランに〈一緒に住むならあなたがいい〉と言ったのを知っていたかのようなマヌーの最後の言葉。おいおい。ちょっと・・・あんまり泣かせないで下さいよ。これって日本のやくざ映画のエンディング、泣かせる場面でしょ!

義理だ、人情だ、ということになれば、それを象徴するこんな男気のシーンもありました。

3人の財宝探しに、財宝を積んで墜落した飛行機の生き残りのパイロット、ヴェルタン(ポール・クローシェ)が加わりますが、後に敵につかまり、銃を突き付けられながら、マヌーが共犯であるかを聞かれながら、最後まで白状せず、撃たれて命を亡くします。

これも日本の任侠映画に描かれる義理の世界-。

こうして「冒険者たち」は、男も女も悲しみに包まれながら“アン・ハッピーエンド”で幕を閉じました。

・・・にもかかわらず、皆がこの映画を〈永遠の名作〉と称えるのは、とどのつまり、日本人は誰もが、何だかんだと言いながら、こういう〈義理と人情のこの世界〉が大好きだからなのではないですかね。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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