鎌倉散策~義経・弁慶 ゆかりの寺へ

「江の島」(神奈川県藤沢市)に向かう弁天橋をはさんで左側の海辺が「片瀬海岸東浜」です。ここは海水浴のシーズンが終わると一転、ウインドサーフィンでにぎわうエリアです。

その先は鎌倉市となり「腰越(こしごえ)海岸」「腰越漁港」(鎌倉市腰越)を経て「小動岬(こゆるぎみさき)」(同)へと至ります。

「小動岬」の先は、江ノ島電鉄(通称・江ノ電)の線路に沿った、いい波が来てサーファーでにぎわう七里ケ浜の海岸→稲村ケ崎、そして鎌倉です。

〈腰越って面白い地名だよね〉

友人が言いました。

地元の人間は、昔から馴染んでいる地名で“面白い”とも思いませんが、そうですね、言われてみると“面白い”かもしれません。

ちなみに地名の由来を調べてみると〈北の山に住んでいた人が南の海ぎわの肥えた土地を求めて山の腰を越えるように移り住んできた、との説もある〉とありました。

〈・・・との説〉というからには、他のさまざまな由来もあるのでしょうね。

江ノ電の「藤沢」駅から鎌倉方面に向かい、5駅目が「江ノ島」駅。そのひと駅先が「腰越」駅です。「腰越」駅は、昔ながらの駅で小さく、江ノ電が4両編成で走るようになってから、後部2両は駅をはみ出してしまい、この駅で降りる人たちは、前部2両に乗っていることが、いかにも昔のノンビリ江ノ電を感じさせてのどかです。

満福寺で義経の苦悩を偲びながら・・・

この「腰越」駅から江ノ電の線路に沿って鎌倉方面に約7分ほど歩き、案内板のあるところを左折、江ノ電の踏切を渡った先に「満福寺(まんぷくじ)」(鎌倉市腰越)があります。

744年(天平16)に僧侶・行基が開山した真言宗大覚寺派のお寺ですが、というより、満福寺と言えば、すぐ思い出されるのが源義経ですね。

兄・源頼朝の怒りを買った義経が、1185年(元暦2)5月、鎌倉入りを許されずに腰越の地に足止めを余儀なくされ、頼朝にその心情を訴える〈腰越状〉を書いたお寺、といったほうが、よく知られています。

その〈腰越状〉の下書き~弁慶が書いたと伝えられています~が、満福寺には残されており、また、境内には、弁慶の腰掛け石や手玉石、などもあり〈義経・弁慶 ゆかりの寺〉として最近は、ご婦人たちの拝観コースにも入っていて人気があるようです。

実は、この満福寺の副住職を務めていた執事のI氏は、私たちが日ごろ、行きつけの〈呑み処〉の常連客でした。

“でした”としたのは、今年3月、病により亡くなってしまったのですが、今でもI氏がいつも座っていた店のカウンターの左端に遺影と好きだったタバコが置かれており、元気だったころがしのばれています。

カラオケでは、横浜のご当地ソングをよく歌い、一方、ボクシングが好きな人で、年末になると、私の顔を見るたびに(ボクシングの)カレンダーが入ったらちょうだいね、というのが口グセでもありました。

I氏の名刺に「義経腰越状旧跡」とあるように、この由緒あるお寺を守るのに人知れず、心労も重なっていたのでしょうね。

満福寺をひと通り拝観した後、ブラブラ歩いて江の島に行ってみるのもいいですね。なぜなら、江の島のヨットハーバー側から眺める腰越海岸~小動岬、右方向に遠く七里ケ浜を見渡す景色は抜群だからです。

腰越の地から義経は、鎌倉を見据えて涙したことでしょうが、足止めされているとき、江の島に足を運んだでしょうか。

兄・頼朝とソリが合わない辛さの中、この景色は多少、心の安らぎ、慰めになったのではないか、と思われるような美しい景色が見られます。
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鎌倉散策~東慶寺の「イワガラミ」を観る

イワガラミ」って知っていますか?

鎌倉好きの例の友人Fからメールが入りました。

〈今、東慶寺で「イワガラミ」を特別公開しているよ。行かないか?〉

花好きの方々は、ご存知のことでしょうが、そちらの方面に疎(うと)い私は、ン? 「イワガラミ」って何? ということで百聞は一見にしかず、ヨシ、行こう! と足を運びました。

6月2日午後1時30分-。待ち合わせ場所は、JR横須賀線「北鎌倉」駅の改札口前です。

この日は、天気予報によると“7月上旬の気候”とかで真夏の太陽が照りつける暑さとなりましたが、時折り、サーッと吹き抜ける乾いた風が、心地良さを運んでくれます。

「北鎌倉」駅前から鎌倉街道を八幡サマ(鶴岡八幡宮)に向かって約3~4分ほど歩くと右側に昔・駆け込み寺、今・花の寺「東慶寺」(神奈川・鎌倉市山ノ内)の、手入れが行き届いた山門が見えてきます。

山門をくぐり抜け、拝観料200円を払って境内へ。お目当ての「イワガラミ」は、本堂の裏にある、ということでそちらに向かいました。

私はまず、知ったかぶりはナシに案内係の方に「イワガラミって何なのですか?」と質問しました。案内係の方が、さすがですね、待ってましたとばかり、胸を張って教えてくれます。

〈そうですね~。「イワガラミ」(岩絡み)はですね、学術的に言うと「アジサイ科(旧ユキノシタ科)の蔓(つる)性の植物なんですよ。白い花が可憐です〉

フムフム、そうですか。やっぱり、百聞は一見にしかず、ですね。で、本堂に上がらせてもらいました。

特別公開ということで見物料がまたいるのかな? と思いましたが、無料(昨今の鎌倉各所は、拝観料ばかりでイヤになるときがありますネ)ということで感心感心! でした。

本堂の裏手に壁のような岩があり、その岩肌を「イワガラミ」が覆い尽くしています。その名の通り、もともとは1本の蔓が成長して岩肌に絡みつき、次第に這い上がって一面に広がっていく、という植物なのですね。

岩肌一面を覆う緑の葉と白い花

緑の葉の中に可愛い白い花が浮かび上がり、なるほど、これは見に来て良かったな! の感です。

友人Fに言わせると、毎年6月上旬の季節限定で行われるこの特別公開は人気があり、長蛇の列ができてなかなか入れないといった混雑ぶりとなるのだそうです。そんな中でこの日は、予想外にすいており、ゆったりと観(み)ることができて、ツイていたな、となりました。

それにしても・・・ときの執権・北条時宗の没後、1285年(弘安8)に夫人の覚山尼が創建し、縁切り寺法によって女性を救済してきた駆け込み寺の尼寺「東慶寺」は今、そうした生々しさ、封建時代の女性の悲しさ、がまったく感じられない(当たり前のことではありますが・・・)こぎれいな花の寺として存在感を増しています。

そのせいか、境内にはご婦人たちのグループが、多く見られました。

山門を出て帰り道、じゃ、ちょっと寄ろうか、と近くの「明月院」(鎌倉市山ノ内)に向かいました。“アジサイ寺”としてあまりにも有名になってしまったこの寺は、また長蛇の列でにぎわう季節が近づいて今は、その日に備えているかのように、ひっそりとしていました。

中には入らず、入り口周辺でひと休みした後、テクテクと歩いて八幡サマへ。ここは今、修学旅行の季節なのでしょうか、少年・少女たちの行列で大にぎわいでした。

暑さの中、よく歩き、ノドも渇き、さあ帰ろうか、ともう、目の前にビールがちらついています。鎌倉から私の地元・藤沢に戻り、居酒屋に飛び込んでグビグビと渇きをいやします。

ああ、うまい!

友人Fの鎌倉への誘いも、それに応える私も、最近は何か、散策を終えた後の、この打ち上げが主目的の様相を呈してきた感じです。

やがて・・・むし暑く、憂鬱な雨の季節となって、それが終われば夏-。着物の四季で言うなら、単衣(ひとえ)から薄物へ、と移り変わっていくのですね。

いやいや、そんな情緒に浸っている場合じゃありません。思い出しました。まだ、たまった冬ものを洗濯屋に出していませんでしたっけ。

鎌倉散策~日蓮ゆかりの地を歩く

今週末のプロボクシング“世界戦ラッシュ”に向けてこのところ、ボクシング取材に動き回る日が続き、なかなか仕事モードを切り替えられないでいました。

が、気分転換には、ブラり散策が一番! と鎌倉好きの例の友人Fと、例によって例のごとく、JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(八幡サマ側)で待ち合わせました。

私は最近、コンビニの100円コーヒーが、安くて美味(うま)い! と好きになり、早めに鎌倉について、駅近くのコンビニでおにぎり&コーヒーの軽いランチを済ませ、約束時間の午後1時に合流しました。

ところで・・・私の自宅から徒歩10分くらいのところに「竜口寺」(神奈川県藤沢市片瀬)というお寺があります。

処刑場があった竜口寺といえば、伝説として知られているのが「竜ノ口法難」でしょう。私も小学生のころ、この話をよく聞かされたものですが〈南無妙法蓮華経〉の日蓮宗の開祖・日蓮をここで斬首しようとしたところ、海から光るものが飛んできて、刀を振り上げた役人の目がくらみ、目的が果たせなかった、という“天候急変”が原因だろう出来ごとです。

ということで今回の鎌倉散策は、日蓮ゆかりの地をぶらつこうか、ということになりました。

鎌倉駅東口前のロータリーを直進、若宮大路の信号を渡ると正面に老舗書店の「島森」があります。向かって右方向に進むと郵便局があり、その角を左折して歩きます。

このあたり、鎌倉市大町の周辺が、日蓮宗のお寺が多数、点在するエリアです。

まず、日蓮宗の本山「妙本寺」(鎌倉市大町)に足を運びました。

このお寺が建つ地は、現在「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれ、資料には鎌倉時代、源頼朝に仕えた御家人・比企能員一族の屋敷があった、とありました。

素晴らしかった「妙法寺」の苔

一族は北条氏と対立し、返り討ちにあって北条時政に滅ぼされ、難を逃れた能員の末子・能本が日蓮の信者となってこの地にお寺を建てた、とのことでした。

境内の片隅には比企一族の苔むした墓があり、そうした悲劇的な歴史を持つ妙本寺で当時の栄枯盛衰を偲(しの)びつつ、ここの境内は、今の時期、うっそうと茂った新緑に包まれて素晴らしい景観を見せており、楽しむことができました。

このお寺を出た後は、バス道の名越街道をブラブラと歩き、街道横の「安養院」(鎌倉市大町)に寄り道して北条政子の供養塔などを見物。さらに歩くとやがて「安国論寺」(鎌倉市大町)が見えてきました。

ここは日蓮関連エリアとして欠かせないところですね。

日蓮が初めて鎌倉に入った際の拠点であり、入り口で配布されている「境内霊場案内図」には、修行を続けた日蓮岩屋とも呼ばれる岩窟「御法窟」が記載され、あの〈立正安国論〉は、この岩窟で書かれた、とされていました。

〈立正安国論〉は、1260年(文応元年)に著した仏教書で、法華経を信じることなく国の安寧は得られない、とするものですが、強烈な主張ゆえに、それから11年後に日蓮は、竜口寺の処刑場に立たされています。

この安国論寺に近い「妙法寺」(鎌倉市大町)は、日蓮が鎌倉で本格的な布教活動に乗り出したときの拠点と言われています。

このお寺に伝えられているのが「松葉ケ谷の法難」です。

妙法寺が配布している資料によると、日蓮が読経しているとき、一匹の白猿が現れて袖を引き、どこかへ導こうとしています。導かれたところが、安国論寺の裏山にある「南面窟」で、この不思議な避難により日蓮は、反徒からの焼き討ちを逃れた、とされています。

まあ、そうした歴史的な出来ごととは別に「高いなァ」と思った300円ナリの拝観料を「なるほどね~」と納得させたのが、石段を緑の絨毯に変えている苔の素晴らしさでした。

この石段は歩行禁止となっていますが、その脇に階段を造っており、さまざまなアングルで苔の石段を観(み)ることが出来ます。

写真好きには、たまらない被写体でしょうね。若い人がローアングルで懸命にシャッターを切っていました。

少々、太ももに筋肉痛を感じつつ・・・こうしてブラり散策は終了しました。

そして恒例の打ち上げの楽しみは、蕎麦屋に入り、私はビールとせいろ、友人Fは日本酒とせいろ、です。

気分転換になったいい一日でしたネ~。

「大雄山最乗寺」で天狗パワーを浴びた?

5月4日正午近く-。

自宅から最寄り駅の小田急江ノ島線「片瀬江ノ島」駅は、さすがGWのど真ん中ですね、大混雑でした。

私は、そんな人の大波に逆流しながら藤沢に向かいます。JR東海道本線「藤沢」駅から下り電車に乗って「小田原」駅へ。そこから伊豆箱根鉄道の大雄山線に乗り換えて約25分。終点の「大雄山」駅に着きました。

鎌倉好きの例の友人Fと、この期間、大混雑するだろう鎌倉を避け、たまには違ったところで・・・と、ここで待ち合わせ。駅前から「道了尊」行きのバスに乗ります。約10分ほど、山道を上りながら走って到着です。

ここは凄いですね。

何がって、そうです。曹洞宗の寺院「大雄山最乗寺」(神奈川県南足柄市大雄町)が建つ広大な土地をびっしりと埋めるようにそびえ立つ杉木立の迫力に、です。

特に新緑のこの季節、見上げれば天を突く杉、その間に鮮やかな緑の紅葉、その下を歩く人々は、それらが放つエネルギーに包まれて、森林浴効果、とでも言うのでしょうか、行き交えば和(なご)やかな表情で「コンニチハ」と挨拶をかわし、なかなかいい光景が繰り広げられていました。

「大雄山最乗寺」を紹介したパンレットにこうありました。

〈開山・了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師。(略)ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び、大松(袈裟掛けの松)の枝に掛ける出来事が起きた。その啓示によって、この山中に大寺を建立。大雄山最乗寺と号した。応永元年(1394年)3月10日のことである〉

建立のいきさつからして、何やら“神秘的”ですが、ここは神秘のオンパレード地域で、杉木立の神秘に続いて「天狗の神秘」が語り継がれています。

バスの停留所名にある「道了尊」は、了庵慧明禅師を助け、大寺の建立に尽力した修験道の行者(山伏)名です。

このとき、道了尊は、天狗と化して500人分の力を発揮、神通力により、わずか1年あまりでこの大寺を完成させた、と伝えられています。天狗というところがいいですね。

広大な境内を、それこそ汗ばみながらウオーキングすると、奥のほうに「結界門」があり、門の両サイドに建つ、山伏姿の天狗の像が目を引きます。

頭上を覆う杉木立の迫力

向かって右側が「鼻高天狗」の像。

左手に巻物を、右手にウチワを持つ、あの天狗の姿です。

左側には「烏(からす)天狗」の像。

〈烏(からす)天狗〉=「鳥のような嘴(くちばし)や羽を持つと想像された天狗」(広辞苑)

友人Fが言いました。

〈ホラ、牛若丸の話。鞍馬山の鞍馬天狗は烏天狗だよな。剣術が滅法、強くて牛若丸の先生だった、という話・・・〉

こういう話は、面白いですね。

この「大雄山最乗寺」に満ちている、不気味と言えば不気味な天狗パワー。

その極めつけが、とんでもない石段を上り切らなければたどりつけない「奥の院」です。

見上げれば、どこまでも延々と続く石段の下で、行こうか行くまいか、と迷う面々が集まっています。

「どうしますか?」「ここまで来たら行かないと・・・ネ」「でも上に何があるのかなァ」-他人同士の会話。みんなが顔を見合わせながら「では思い切って」と一人が上り始めると、それに続く光景は、まさに天狗パワーに後押しされているようで、この階段には、本当にパワーが宿っているのではないか、と思ってしまうから不思議です。

まあ、しかし・・・この石段の長さは凄いものがありました。あえぎあえぎ、途中何度も休憩しながら、上から下りてくる人に「もう少しですよ。頑張って」と掛けられる声が、烏天狗の声のようにも聞こえてきて・・・でした。

こうして一日を終え、帰路、小田原駅前の蕎麦店に入り、いつものように、ちょい呑みで乾いたノドを潤しながらの打ち上げです。

早くも筋肉痛気配の両足にビールがしみ込むよう・・・と思ったそのとき、携帯電話の呼び出し音が鳴りました。

出るとスポニチ本紙に勤務している後輩のボクシング担当記者です。

〈サトーさん、ステーキもいいですが、ホラ、村田(諒太=帝拳)の世界戦が近いですからね。頼みますよ〉

そうですね。「いきなり!ステーキ」で栄養を補給しつつ、いつまでも働く身・・・現実に戻されながら、ああ、烏天狗の神通力が永遠に欲しい! と、つくづく思った次第でした。

新緑の「常立寺」から「大船観音寺」へ

日本の四季は、本当に情緒的で、その都度(つど)人の気持ちを変えるものですね。

「桜」で和(なご)んだ心が、今度は「新緑」のエネルギーに沸き立ちます。

1年の内で一番、心地よく過ごしやすい、この季節-。

吹く風で肌寒さはあったものの、好天に恵まれた4月25日午後、鎌倉好きの例の友人Fと「久しぶりに歩こうか」ということになって小田急片瀬江ノ島線の「片瀬江ノ島」駅前で合流しました。

友人Fの「『常立寺』をのぞいてみたいなァ」との希望で足を運びます。

江ノ島電鉄(江ノ電)の「江ノ島」駅から徒歩で4~5分程度のところに日蓮宗の「常立寺」(神奈川県藤沢市片瀬)はあります。

この地は、私の地元であり、これまでさんざんお寺の前を通りながら、中に入ることもなく“興味の外”にありましたが、友人Fは「季節は終わったが、来年は観(み)に来たい」という梅の下見、そして何よりも、元寇(げんこう)により処刑された「元国史の塚」に興味を引かれていたようです。

〈元寇〉=「鎌倉時代、元の軍隊が2度にわたって日本に来襲した事件。蒙古来襲。文永(1274年)・弘安(1281年)の役」(広辞苑)

すぐ近くに罪人の処刑場があった「龍口(りゅうこう)寺」(神奈川県藤沢市片瀬)があり、処刑された人たちの埋葬地が「常立寺」だったようですが、元国史たちも同様だったことが伝えられています。

そういえば、大相撲の巡業が藤沢市で行われる際、朝青龍(元横綱=引退)や白鵬らモンゴル出身力士が常立寺を訪れ「元国史の塚」を参拝する出来事が話題となっていました。

実はこの「常立寺」の娘さんが、私と高校時代の同級生だった、ということもあって、会ってしまったらなァ・・・などの気遣いもあり、境内散策は友人Fに任せ、私は外の道で待機していましたが、友人Fは「全体的に整っている、いいお寺だよな。梅の季節にはぜひまた来たい」と満足そうでした。

“灯台もと暗し”だった「観音サマ」

さて・・・このあたりは他に特に見るべきものもなく、どうしようか? と、いつものように“足の向くまま”の態勢に入り、その結果、大船に出て「観音サマ」を観(み)よう、ということになりました。

「常立寺」からは目と鼻の先、徒歩1分程度のところに湘南モノレール江ノ島線「湘南江ノ島」駅があります。それに乗って約20分ほどで「大船」駅に着きます。

「大船」駅から徒歩5分程度で「観音サマ」に到着します。拝観料300円を払って中に入り、配布された資料に目を通してみると、私は、近くに住んでいながら、この「観音サマ」について、本当に何も知らなかったことに気づきます。

1960年(昭35)4月に完成したということで、私は15歳のときから、東海道線に乗ったときにたびたび窓の外に見たりしていたのに・・・です。

だいたいこれまで、勝手に「観音サマ」などと呼んできましたが、正式名称は「大船観音寺」(神奈川県鎌倉市岡本)「白衣観音像」であり、配布された〈大船観音寺のあゆみ〉には、1929年(昭4)4月14日、建造に着手されたものの、途中、資金不足でつくりかけのまま23年間放置され、その後、第2次世界大戦後に再出発して完成に至った、という経緯が記されていました。

この「大船観音(白衣観音)像は、近づいてみると凄いですね。高さ25メートルの巨大な胸像、見上げる私たちに柔和な顔が真上からド~ンと迫ってきます。

〈大船観音寺のあゆみ〉に彫刻家・山本豊市氏の寄稿があり、氏はこう記述しています。

〈(略)私は寺に行くたびにの像の前に立つ。立っているとちょっと動けなくなってしまう。(略)〉

実際、その通りで私も、しばらく動けない状態になりました。

今の季節、ソメイヨシノは葉だけになりましたが、八重桜がほっこりした花を咲かせていました。像の白とソメイヨシノの葉の緑、八重桜のピンクの対比・・・。なかなか風情がありましたネ~。

この日は、スタートが午後3時と遅かった分、夕暮れが早く来ました。

では・・・といつもの通り、藤沢に戻り、打ち上げは“ちょい飲み”と終わりなき歓談です。

ビールのうまさが、ことのほかノドにしみわたる、いいひとときとなりました。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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