鎌倉散策~衣張山の急坂にあえぐ

「ぼちぼち動こうか?」と私-。

打診の相手は鎌倉好きの例の友人Fです。

「いいね。動こう。Sにも伝えておくヨ」とF-。

ということで即決! 1月19日午後1時。友人FとS、それに私の3人は、JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(鶴岡八幡宮=八幡サマ=側)改札口に顔をそろえました。

2018年の鎌倉散策第1弾、いよいよ開始です。

まずは八幡サマにご挨拶をしないとネ、ということで改札口前のロータリー、バス発着場を抜けて若宮大路に向かい、真ん中の参道「段葛」をブラブラ歩きながら八幡サマに向かいました。

「2礼2拍手1礼」と神妙かつ真面目にやるべきことをやって、さあ次、どこへ行こうか、と相変わらずあてのない、足の向くままま、気の向くまま、の鎌倉散策です。

じゃ、竹寺の「報国寺」(鎌倉市浄明寺)でものぞいてみようか、と私。このとき、Fがいいね、と言いながら、ニヤリとかすかな笑みを浮かべたのを私は気づかず、このニヤリが大変なことになるとは、この段階でまったく、思いもしませんでした。

バスに乗る? いや、歩け歩け! それが原則、ということで金沢街道をバス停の「岐(わか)れ路」「杉本観音」方面に向かって歩きます。「杉本観音」のバス停のちょっと先に「杉本寺」(鎌倉市二階堂)があり、私は、この苔むした石段に情緒を漂わす、鎌倉最古といわれる質素な杉本寺が好きで、ちょいのぞきたかったのですが、Fはそれを無視して先に歩き、金沢街道の右脇に架かる小さな橋「犬懸(いぬかけ)橋」を渡って奥の住宅街方向にどんどん進んで行くのです。

オイオイ、どこへ・・・やがて住宅街の角に標識が立っており、その一つに「平成巡礼道 衣張山まで15分」というのがありました。

高校時代に山岳部だったFは、山というとすぐ登りたがるクセがあり、ここまで来たんだ、ちょっと登ってみるか、わずか15分だ、とそっち方向にもう、進み始めています。

そうか、あの、八幡サマで見せたニヤリは、もうそのとき、杉本寺や報国寺の方角にある衣張山を視野に入れており、私たちをつき合わせるつもりだったのか、それに気づかなかったのはうかつだった。

疲れを癒す「イワタ珈琲店」のホットケーキ

その気がなかった私でしたが、ついつい〈15分〉につられて、じゃ、行ってみるか、となってしまったのです。

「平成巡礼道」と名づけられた衣張山へと至るハイキングコースは、平成になってから整備されたためにそう命名されたそうですが、この道が急坂続きでかなり本格的、どう考えても軽い15分のハイキングコースのイメージからはかけ離れています。

おまけに数日前の降雨で道がぬかるんでおり、滑りそうで気が抜けません。

一歩一歩・・・ぜいぜい、ハーハー、休んではまた、一歩一歩、といった牛歩さながらのノロさ。15分などは、歩き始めてからアッという間に過ぎてしまった感じで、全身汗びっしょりで頂上にたどり着いたときは、時計も見ませんでしたが、30分は超えていたのではないかと思います。

しかし、ここからの眺望は素晴らしいものがありました。薄曇りのために富士山は見えませんでしたが、南に開ける海岸は、右方向には遠く、江の島が頭をのぞかせ、稲村ケ崎→由比ヶ浜が見渡せ、左方向には葉山→逗子方向の森が見下ろせます。

とはいえ、私の両足は、もはや筋肉痛を起こしそうな気配です。下山は複数の道がある中、もっとも無難そうな報国寺へと至る道があり、そこを選びました。

いやはや・・・まあ、終わってみれば良かったにしても、思いもかけなかった2018年の鎌倉散策第1弾となったものだ、と私とSが口をそろえても、Fは当初の目的を達成したといわんばかりに一人、ニンマリとしていました。

帰路は鎌倉駅前に戻り、久々に行ってみるか、と小町通りの入り口にある、老舗の純喫茶「イワタ珈琲店」(鎌倉市小町)に立ち寄りました。

ここは1948年(昭23)に開店した歴史ある店。藤沢市(神奈川県)在住の私は、少年のころ、鎌倉に行くたびにこの店でプリンなどを食べていたことが懐かしく思い出されます。

ここの今の名物は〈ホットケーキ(800円)〉=ちなみにコーヒーは600円=なのだそうで、注文してみると、山盛りといった感じの2段重ねの分厚い生地が迫力満点、ナイフでカットしようとしても、なかなか簡単には切れず、底のオコゲのようなカリカリ感が印象的で、おいしさと食べごたえを満喫させてくれていました。

昭和レトロの雰囲気をいつまでも漂わせている「イワタ珈琲店」は、衣張山の急傾斜を歩いたきつさをしばし、忘れさせてくれましたネ~。

ああ、そういえば・・・あの衣張山の頂上は、映画「海街diary」(監督・脚本=是枝裕和)で、綾瀬はるかの香田幸と広瀬すずのすずが語り合う場面のロケ現場でしたね。

スタッフも重いカメラをかついであの急坂を登るのは、さぞ大変だったことでしょう。
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「長寿寺」を包み込む感動的な色彩

オオッ! と思わず、声を上げてしまうほどの鮮やかさでした。

銀杏(いちょう)と紅葉(もみじ)は、これほどまでに色を変えるものなのか、と-。

黄と赤にしばし見入り、思い切り紅葉を堪能してきました。師走に入った12月1日午後、北鎌倉のお寺、臨済宗建長寺派の「宝亀山 長寿寺」(神奈川・鎌倉市山ノ内)です。

実はそれより以前のこと-。

新緑の季節の5月4日、鎌倉好きの例の友人FとS、それに私の3人で「たまには健康的に森林浴でもしようじゃないか」と、そびえ立つ杉木立の迫力に包まれた曹洞宗の寺院「大雄山最乗寺」(神奈川県南足柄市大雄町)に出向きました。

そのとき「こここはまた、紅葉の季節は素晴らしいだろうなァ。秋に来ようか」と話し、今年11月13日、再び足を運んだのです。

が・・・JR東海道線「小田原」駅から伊豆箱根鉄道の大雄山線に乗り換え、終点の「大雄山」駅に向かう途中、気がついたのが車内の空(す)き具合です。これはひょっとして? 案の定、大雄山駅に貼り出されていた紅葉見物のポスターには〈見ごろは11下旬~12月上旬)の文字が。ああ、無情。生い茂る木々は、まだ紅葉には早く、紅葉(もみじ)が一部、色を変えつつある、といった程度なのでした。

早かったな。失敗したな。・・・と帰路の愚痴。では、この悔しさをを鎌倉で晴らそうじゃないか、と今回の鎌倉「長寿寺」散策は、ああ、動機不純! 小田原で味わった敗北のリベンジが目的だったのです。

さて、JR横須賀線「北鎌倉」駅から駅前に走る鎌倉街道を左方向、鶴岡八幡宮に向かって歩き、横須賀線の踏み切りを渡ってしばらく(約10分ほど)行くと、右折して亀ケ谷切通しへ至る角があり「長寿寺」はそこにあります。

これほどまでに色を変えるものか

このお寺は、日ごろ入れずに〈季節限定&曜日限定〉で境内を公開しており、12月は決められた第一週の週末(1~3日)に今回は6日までを加え、その期間が今年最後の拝観チャンスとのことでした。

短い石段を上り、拝観料300円を払って山門をくぐると、目の前に開ける光景が、冒頭に記した、声を上げてしまうほどの鮮やかな色彩です。

いや~ホント、ここの紅葉は素晴らしいですね。庭園内は別世界といった感じです。

思わず見入って、庭園内の敷かれている歩行用の敷石からはみ出して苔むす部分に靴がはみ出ると、すかさず係りの坊さんが、足、足、足に注意してね、と声をかけてくるのが、少々、気にはなりましたが・・・。

もっとも〈拝観の心得〉には、敷石以外は歩かない、苔の中には立ち入らない、があり、非はうっかりのこちらにあるにしても、あまり細かく言われると・・・の気持ちにもなりました。

「長寿寺」は、庭園散策だけでなく、本堂に上がり、座敷や縁側に座ってゆっくりと庭園を眺めることもできます。こうしたアングルの違いがまた、紅葉の美しさを多角的に鑑賞できるのですが、本堂内の各所に〈私語禁止〉の注意書きが置かれており、これもちょっとネ~という気持ちになりました。

まあ、どの程度の私語を禁止しているのかは分かりませんか、人はやはり、いいもの、美しいもの、などに触れれば、いいねえ、と自然に言葉が出てしまうでしょうし、仲間がいれば、黙ってもいられなくなるでしょう。

ここに来る人たちは、誰もこの場で、センベイをボリボリかじったり、大声で騒いだりはしないのですから、あまり注意書きなどはないほうがいいですね。度が過ぎると野暮になります。

本堂から出て再び、庭園内を歩き、観音堂を包み込むように茂る紅葉(もみじ)の、言葉で表せないような“深い赤”が、観(み)る側の声を失わせます。

私たちは、これで十分に小田原(大雄山最乗寺)の悔しさを鎌倉で晴らせた、と皆、機嫌よく帰路につきました。

途中、敬意を表して鎌倉五山の第1位「建長寺」(神奈川・鎌倉市山ノ内)ものぞき、ああ、よく歩いたなァ、と地元の藤沢に戻り、打ち上げの“ちょい呑み”です。

そろそろ、ビールより熱燗の季節にもなり、速過ぎるときの経過にせかされながら、師走開始の1日を終えた次第でした。

金沢八景周辺をブラリ散策

気持ちのいい秋晴れとなった9月某日-。

以前から「金沢八景」方面の散策を主張していた鎌倉好きの例の友人Fの希望を叶えるべく“そっち方面”に出向きました。

私は、自宅(神奈川県藤沢市)の立地的立場? から、三浦半島の“こっち側(相模湾側)”に妙な愛情があり、だから“あっち側(東京湾側)”には、さほど興味がありません。

金沢八景ねェ~。だいたい“あっち側”に見どころはあるのかい? と私。何いってんだい、金沢北条氏の金沢文庫もあるし、歴史的に結構、重い地域だぜ、と友人Fは、いつもの悪いクセを発揮、アカデミックに攻め込んできます。

まあ、こちらは、金沢八景と言えば、その景観の美しさを描いた〈歌川広重の8つの風景画〉くらいしか知識がありませんが、友人Fの、とにかく行ってみなければ話にもならネーだろ、ということで「金沢八景」駅前に時間厳守、午後1時半集合! ということになりました。

だいたいね~。“あっち方面”を走っている京浜急行は“こっち側”から不便なんだよな、などブツブツ文句を言いつつ、私の場合はまず、横須賀線で「逗子」駅に行き、そこから徒歩約10分ほどのところにある京浜急行逗子線「新逗子」駅から「金沢八景」駅に向かいます。

「金沢八景」駅に着き、駅前から周辺を見渡すと、このあたりの風景が一風、変わって見えるのは、駅前を走る幹線道路16号線の信号を渡るとすぐ、目の前に「平潟湾」が広がり、そこに「琵琶島神社」が突き出していたり、その先の海に向かってモノレールの「シーサイドライン」がきれいに弧を描いていたりしているからでしょうか。

フ~ン、なかなかいいじゃないか、と私。だろ、とF。ここから歩いてもいいが、お前の足じゃ、きついだろうから、シーサイドラインに乗ろうじゃないか、と続けます。

ひと言多いのは、この男の常ですが、素直に従ってシーサイドラインに乗車。改札口で手前の「海の公園南口」までなら230円、ひとつ先の「海の公園柴口」までなら260円、じゃ、手前にしとこうか、など、30円を惜しむケチな根性で、あ~だ、こ~だ、と言いながら「海の公園南口」で下りると、埋め立てて整備された人工的な美しさを誇る「海の公園」(横浜市金沢区海の公園)が目の前に広がっています。

悪くはなかった“あっち側”

この横浜市内では唯一、海水浴場のある海浜公園、をウリとする「海の公園」には、周辺に関東学院大や横浜市立大があるせいか、夏の盛りを過ぎても、若い人たちでにぎわっており、ビーチバレーの常設コートやウインドサーフィンなどのスポーツ施設、さらにバーベキュー場などアウトドア施設もあり、これはこれで結構、楽しめる場だなァ、と設備の充実にひとしきり感心・・・。

ここをブラブラと「海の公園柴口」駅まで歩き、そこから「まあ、歩いて15分くらいだろう」と友人Fが言う「神奈川県立金沢文庫」(横浜市金沢区金沢町)に向かいました。

住宅街のダラダラとした上り傾斜の道を「15分」に期待しつつ歩きます。エッ、まだかよ、もう15分経ったぜ、先頭に立つ友人Fは、アレレと道を間違えたりして私たちの足では、まあ、倍の30分、といったところでしたが、まず「称名寺」(横浜市金沢区金沢町)に到着。「神奈川県立金沢文庫」は、このお寺に隣接しています。

「称名寺」は、いい雰囲気ですね~。

北条氏の一族である金沢(“かねさわ”なのだそうです)北条氏の祖・北条実時が開基した北条一門の菩提寺、と資料にありました。

境内には、人懐こい猫が数匹いてノンビリと昼寝をしたりしています。阿字ケ池に大きな太鼓橋が架かる風景は〈浄土式庭園〉と呼ばれるものなのだそうで、境内はそこだけ、時間が止まっていて鎌倉時代、の趣を感じました。

境内の隅にある短いトンネルを抜けると「神奈川県立金沢文庫」です。鎌倉時代中期、北条実時が設けた日本最古の文庫。「武家文化の正倉院」とも呼ばれるそうです。今は神奈川県立の歴史博物館、図書館として運営(観覧料200円)されています。

・・・ということで金沢八景周辺をブラリ、散策してきました。

な、いいだろ、と友人F。まあ、確かに、行かないより、行ってみれば、必ず新鮮な出会いがあるものです。それはそれで“あっち側”も悪くはありません。

で、恒例の打ち上げを、知らない街の金沢文庫でやろうじゃないか、ということになり、駅前を探したところ、まだ陽が高く開店前の店ばかりです。そんな中にありました、営業中の居酒屋が-。

それも、学生の街、ならではでしょうか。

初秋の陽がまだ落ちず、外はまだまだ明るい中でビールをグビッ! ああ、何という贅沢、を反省しつつ、1日を終えた次第でした。

鎌倉散策~鎌倉文学館に“涼”を求めて

突然の雷雨にご注意! など大気の状態が不安定な曇り空が続いた8月の天候不順-。

空気もカラッとせずに澱(よど)んだムシ暑さが体にまとわりつきます。

そんなある日、もう“あそこ”の“あれ”しかないねェ、と8月22日午後1時半、鎌倉好きの例の友人Fと私、それに友人Sが加わった3人が、江ノ島電鉄(通称=江ノ電)の「由比ヶ浜」駅に集まりました。

「由比ヶ浜」駅は、藤沢~鎌倉を走る江ノ電の「鎌倉」駅から2駅目です。

今回の散策も、続く雨模様の天候のため2度、流れており、3度目の正直に「やっと実現したな」という感じ。3人は“あそこ”の“あれ”を味わいに歩き始めました。

「由比ヶ浜」駅の改札口を出て左側が海岸、由比ヶ浜の海水浴場です。この季節、左方向に向かう人々が多い中、私たちは逆の右方向に向かい、しばらく歩いて突き当たった由比ヶ浜大通りの信号を渡ってその奥に歩を進めます。

その奥・・・そうです。目指した“あそこ”は、正門から玄関へのアプローチを木立のトンネルがうっそうと包んで情緒を漂わす「鎌倉文学館」(鎌倉市長谷)ですね。

配布されている「鎌倉文学館のしおり」には、本館と敷地は、加賀百万石藩主・前田利家の系譜である旧前田侯爵家(前田利嗣)の鎌倉別邸だった、と記されています。

「・・・しおり」によると、鎌倉別邸は1890年ごろに建てられ、火事によって1910年(明43)に焼失したが、その後、1936年(昭11)に前田利為が全面改築、今に残る3階建ての洋館に至っている、とのことでした。

現在、鎌倉市が運営する「鎌倉文学館」は、非公開の3階以外、1、2階は全面公開され、2階には、鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆の原稿用紙などが展示されています。

思い切り心地よい風に吹かれた

それらを見渡すと結構、あの作家は几帳面な書き方だね、とか、一方、乱雑な書き方をしている作家もいて、原稿用紙の執筆は、やっぱり性格出るねえ、と今はPCでの執筆が主流になってしまっただけに、紙にペンでモノを書くことの良さ、を興味のある方々はじっくりと味わえています。

そうした中で“あれ”をそろそろ、明かさなくてはなりませんね。

私と友人Fは、ここは2度目なのですが、最初に来たとき、その日はやはり、暑い日だったのですが、2階に設けられた、訪問者が休憩したり、読書もできたりする談話室から一歩、バルコニーに出たときにササーッと吹き抜けた“あれ”~つまり“涼風”が、ウウー、気持ちいい~と感動的だったわけです。

鬱陶(うっとう)しい日が続いたこの時期、気持ちをさっぱりさせるには、やはり“天然クーラー”の“あの風”しかないだろう、というのが、今回の散策のメーン・テーマ? でもありました。

バルコニーはからは、前面に芝生の庭が広がり、その奥に季節が来れば美しい花を咲かせるバラ園が見渡せます。その向こう、遠くに水平線が空に浮かび、一陣の涼風をここにまで運んできてくれています。

この日は、さすがにカラッとした風というわけにはいかず、南からの風は湿り気を帯びていましたが、それでも額から、首筋から、汗がスッと引いていく心地よさは感じられました。

この風を味わうだけでも、どきどき、ここには来たいものですね。

8月21日から27日まで、鎌倉の長谷・極楽時エリアでは〈魅惑の7日間~幻想的な夜の鎌倉〉として寺社・施設がライトアップされる企画が行われていました。

「鎌倉文学館」もライトアップされ、散策の後はビール優先の私たちは、それは見ませんでしたが、夜にあのバルコニーで涼風を味わうのもいいかもなァ、と次の機会があれば・・・と宿題にしてその地を離れました。

鎌倉から藤沢に戻り、街中は相変わらずムシ暑い中、ドド~ン! の音が鳴り響き、江ノ島では夏の花火大会が行われていました。

遅ればせながら、夏真っ盛り、を思わせる風情・・・。8月23日は猛暑復活になり、海岸の海の家もやっと勢いを取り戻し、最後の追い込みになることでしょうね。

鎌倉散策~義経・弁慶 ゆかりの寺へ

「江の島」(神奈川県藤沢市)に向かう弁天橋をはさんで左側の海辺が「片瀬海岸東浜」です。ここは海水浴のシーズンが終わると一転、ウインドサーフィンでにぎわうエリアです。

その先は鎌倉市となり「腰越(こしごえ)海岸」「腰越漁港」(鎌倉市腰越)を経て「小動岬(こゆるぎみさき)」(同)へと至ります。

「小動岬」の先は、江ノ島電鉄(通称・江ノ電)の線路に沿った、いい波が来てサーファーでにぎわう七里ケ浜の海岸→稲村ケ崎、そして鎌倉です。

〈腰越って面白い地名だよね〉

友人が言いました。

地元の人間は、昔から馴染んでいる地名で“面白い”とも思いませんが、そうですね、言われてみると“面白い”かもしれません。

ちなみに地名の由来を調べてみると〈北の山に住んでいた人が南の海ぎわの肥えた土地を求めて山の腰を越えるように移り住んできた、との説もある〉とありました。

〈・・・との説〉というからには、他のさまざまな由来もあるのでしょうね。

江ノ電の「藤沢」駅から鎌倉方面に向かい、5駅目が「江ノ島」駅。そのひと駅先が「腰越」駅です。「腰越」駅は、昔ながらの駅で小さく、江ノ電が4両編成で走るようになってから、後部2両は駅をはみ出してしまい、この駅で降りる人たちは、前部2両に乗っていることが、いかにも昔のノンビリ江ノ電を感じさせてのどかです。

満福寺で義経の苦悩を偲びながら・・・

この「腰越」駅から江ノ電の線路に沿って鎌倉方面に約7分ほど歩き、案内板のあるところを左折、江ノ電の踏切を渡った先に「満福寺(まんぷくじ)」(鎌倉市腰越)があります。

744年(天平16)に僧侶・行基が開山した真言宗大覚寺派のお寺ですが、というより、満福寺と言えば、すぐ思い出されるのが源義経ですね。

兄・源頼朝の怒りを買った義経が、1185年(元暦2)5月、鎌倉入りを許されずに腰越の地に足止めを余儀なくされ、頼朝にその心情を訴える〈腰越状〉を書いたお寺、といったほうが、よく知られています。

その〈腰越状〉の下書き~弁慶が書いたと伝えられています~が、満福寺には残されており、また、境内には、弁慶の腰掛け石や手玉石、などもあり〈義経・弁慶 ゆかりの寺〉として最近は、ご婦人たちの拝観コースにも入っていて人気があるようです。

実は、この満福寺の副住職を務めていた執事のI氏は、私たちが日ごろ、行きつけの〈呑み処〉の常連客でした。

“でした”としたのは、今年3月、病により亡くなってしまったのですが、今でもI氏がいつも座っていた店のカウンターの左端に遺影と好きだったタバコが置かれており、元気だったころがしのばれています。

カラオケでは、横浜のご当地ソングをよく歌い、一方、ボクシングが好きな人で、年末になると、私の顔を見るたびに(ボクシングの)カレンダーが入ったらちょうだいね、というのが口グセでもありました。

I氏の名刺に「義経腰越状旧跡」とあるように、この由緒あるお寺を守るのに人知れず、心労も重なっていたのでしょうね。

満福寺をひと通り拝観した後、ブラブラ歩いて江の島に行ってみるのもいいですね。なぜなら、江の島のヨットハーバー側から眺める腰越海岸~小動岬、右方向に遠く七里ケ浜を見渡す景色は抜群だからです。

腰越の地から義経は、鎌倉を見据えて涙したことでしょうが、足止めされているとき、江の島に足を運んだでしょうか。

兄・頼朝とソリが合わない辛さの中、この景色は多少、心の安らぎ、慰めになったのではないか、と思われるような美しい景色が見られます。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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