鎌倉散策~日蓮ゆかりの地を歩く

今週末のプロボクシング“世界戦ラッシュ”に向けてこのところ、ボクシング取材に動き回る日が続き、なかなか仕事モードを切り替えられないでいました。

が、気分転換には、ブラり散策が一番! と鎌倉好きの例の友人Fと、例によって例のごとく、JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(八幡サマ側)で待ち合わせました。

私は最近、コンビニの100円コーヒーが、安くて美味(うま)い! と好きになり、早めに鎌倉について、駅近くのコンビニでおにぎり&コーヒーの軽いランチを済ませ、約束時間の午後1時に合流しました。

ところで・・・私の自宅から徒歩10分くらいのところに「竜口寺」(神奈川県藤沢市片瀬)というお寺があります。

処刑場があった竜口寺といえば、伝説として知られているのが「竜ノ口法難」でしょう。私も小学生のころ、この話をよく聞かされたものですが〈南無妙法蓮華経〉の日蓮宗の開祖・日蓮をここで斬首しようとしたところ、海から光るものが飛んできて、刀を振り上げた役人の目がくらみ、目的が果たせなかった、という“天候急変”が原因だろう出来ごとです。

ということで今回の鎌倉散策は、日蓮ゆかりの地をぶらつこうか、ということになりました。

鎌倉駅東口前のロータリーを直進、若宮大路の信号を渡ると正面に老舗書店の「島森」があります。向かって右方向に進むと郵便局があり、その角を左折して歩きます。

このあたり、鎌倉市大町の周辺が、日蓮宗のお寺が多数、点在するエリアです。

まず、日蓮宗の本山「妙本寺」(鎌倉市大町)に足を運びました。

このお寺が建つ地は、現在「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれ、資料には鎌倉時代、源頼朝に仕えた御家人・比企能員一族の屋敷があった、とありました。

素晴らしかった「妙法寺」の苔

一族は北条氏と対立し、返り討ちにあって北条時政に滅ぼされ、難を逃れた能員の末子・能本が日蓮の信者となってこの地にお寺を建てた、とのことでした。

境内の片隅には比企一族の苔むした墓があり、そうした悲劇的な歴史を持つ妙本寺で当時の栄枯盛衰を偲(しの)びつつ、ここの境内は、今の時期、うっそうと茂った新緑に包まれて素晴らしい景観を見せており、楽しむことができました。

このお寺を出た後は、バス道の名越街道をブラブラと歩き、街道横の「安養院」(鎌倉市大町)に寄り道して北条政子の供養塔などを見物。さらに歩くとやがて「安国論寺」(鎌倉市大町)が見えてきました。

ここは日蓮関連エリアとして欠かせないところですね。

日蓮が初めて鎌倉に入った際の拠点であり、入り口で配布されている「境内霊場案内図」には、修行を続けた日蓮岩屋とも呼ばれる岩窟「御法窟」が記載され、あの〈立正安国論〉は、この岩窟で書かれた、とされていました。

〈立正安国論〉は、1260年(文応元年)に著した仏教書で、法華経を信じることなく国の安寧は得られない、とするものですが、強烈な主張ゆえに、それから11年後に日蓮は、竜口寺の処刑場に立たされています。

この安国論寺に近い「妙法寺」(鎌倉市大町)は、日蓮が鎌倉で本格的な布教活動に乗り出したときの拠点と言われています。

このお寺に伝えられているのが「松葉ケ谷の法難」です。

妙法寺が配布している資料によると、日蓮が読経しているとき、一匹の白猿が現れて袖を引き、どこかへ導こうとしています。導かれたところが、安国論寺の裏山にある「南面窟」で、この不思議な避難により日蓮は、反徒からの焼き討ちを逃れた、とされています。

まあ、そうした歴史的な出来ごととは別に「高いなァ」と思った300円ナリの拝観料を「なるほどね~」と納得させたのが、石段を緑の絨毯に変えている苔の素晴らしさでした。

この石段は歩行禁止となっていますが、その脇に階段を造っており、さまざまなアングルで苔の石段を観(み)ることが出来ます。

写真好きには、たまらない被写体でしょうね。若い人がローアングルで懸命にシャッターを切っていました。

少々、太ももに筋肉痛を感じつつ・・・こうしてブラり散策は終了しました。

そして恒例の打ち上げの楽しみは、蕎麦屋に入り、私はビールとせいろ、友人Fは日本酒とせいろ、です。

気分転換になったいい一日でしたネ~。
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「大雄山最乗寺」で天狗パワーを浴びた?

5月4日正午近く-。

自宅から最寄り駅の小田急江ノ島線「片瀬江ノ島」駅は、さすがGWのど真ん中ですね、大混雑でした。

私は、そんな人の大波に逆流しながら藤沢に向かいます。JR東海道本線「藤沢」駅から下り電車に乗って「小田原」駅へ。そこから伊豆箱根鉄道の大雄山線に乗り換えて約25分。終点の「大雄山」駅に着きました。

鎌倉好きの例の友人Fと、この期間、大混雑するだろう鎌倉を避け、たまには違ったところで・・・と、ここで待ち合わせ。駅前から「道了尊」行きのバスに乗ります。約10分ほど、山道を上りながら走って到着です。

ここは凄いですね。

何がって、そうです。曹洞宗の寺院「大雄山最乗寺」(神奈川県南足柄市大雄町)が建つ広大な土地をびっしりと埋めるようにそびえ立つ杉木立の迫力に、です。

特に新緑のこの季節、見上げれば天を突く杉、その間に鮮やかな緑の紅葉、その下を歩く人々は、それらが放つエネルギーに包まれて、森林浴効果、とでも言うのでしょうか、行き交えば和(なご)やかな表情で「コンニチハ」と挨拶をかわし、なかなかいい光景が繰り広げられていました。

「大雄山最乗寺」を紹介したパンレットにこうありました。

〈開山・了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師。(略)ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び、大松(袈裟掛けの松)の枝に掛ける出来事が起きた。その啓示によって、この山中に大寺を建立。大雄山最乗寺と号した。応永元年(1394年)3月10日のことである〉

建立のいきさつからして、何やら“神秘的”ですが、ここは神秘のオンパレード地域で、杉木立の神秘に続いて「天狗の神秘」が語り継がれています。

バスの停留所名にある「道了尊」は、了庵慧明禅師を助け、大寺の建立に尽力した修験道の行者(山伏)名です。

このとき、道了尊は、天狗と化して500人分の力を発揮、神通力により、わずか1年あまりでこの大寺を完成させた、と伝えられています。天狗というところがいいですね。

広大な境内を、それこそ汗ばみながらウオーキングすると、奥のほうに「結界門」があり、門の両サイドに建つ、山伏姿の天狗の像が目を引きます。

頭上を覆う杉木立の迫力

向かって右側が「鼻高天狗」の像。

左手に巻物を、右手にウチワを持つ、あの天狗の姿です。

左側には「烏(からす)天狗」の像。

〈烏(からす)天狗〉=「鳥のような嘴(くちばし)や羽を持つと想像された天狗」(広辞苑)

友人Fが言いました。

〈ホラ、牛若丸の話。鞍馬山の鞍馬天狗は烏天狗だよな。剣術が滅法、強くて牛若丸の先生だった、という話・・・〉

こういう話は、面白いですね。

この「大雄山最乗寺」に満ちている、不気味と言えば不気味な天狗パワー。

その極めつけが、とんでもない石段を上り切らなければたどりつけない「奥の院」です。

見上げれば、どこまでも延々と続く石段の下で、行こうか行くまいか、と迷う面々が集まっています。

「どうしますか?」「ここまで来たら行かないと・・・ネ」「でも上に何があるのかなァ」-他人同士の会話。みんなが顔を見合わせながら「では思い切って」と一人が上り始めると、それに続く光景は、まさに天狗パワーに後押しされているようで、この階段には、本当にパワーが宿っているのではないか、と思ってしまうから不思議です。

まあ、しかし・・・この石段の長さは凄いものがありました。あえぎあえぎ、途中何度も休憩しながら、上から下りてくる人に「もう少しですよ。頑張って」と掛けられる声が、烏天狗の声のようにも聞こえてきて・・・でした。

こうして一日を終え、帰路、小田原駅前の蕎麦店に入り、いつものように、ちょい呑みで乾いたノドを潤しながらの打ち上げです。

早くも筋肉痛気配の両足にビールがしみ込むよう・・・と思ったそのとき、携帯電話の呼び出し音が鳴りました。

出るとスポニチ本紙に勤務している後輩のボクシング担当記者です。

〈サトーさん、ステーキもいいですが、ホラ、村田(諒太=帝拳)の世界戦が近いですからね。頼みますよ〉

そうですね。「いきなり!ステーキ」で栄養を補給しつつ、いつまでも働く身・・・現実に戻されながら、ああ、烏天狗の神通力が永遠に欲しい! と、つくづく思った次第でした。

新緑の「常立寺」から「大船観音寺」へ

日本の四季は、本当に情緒的で、その都度(つど)人の気持ちを変えるものですね。

「桜」で和(なご)んだ心が、今度は「新緑」のエネルギーに沸き立ちます。

1年の内で一番、心地よく過ごしやすい、この季節-。

吹く風で肌寒さはあったものの、好天に恵まれた4月25日午後、鎌倉好きの例の友人Fと「久しぶりに歩こうか」ということになって小田急片瀬江ノ島線の「片瀬江ノ島」駅前で合流しました。

友人Fの「『常立寺』をのぞいてみたいなァ」との希望で足を運びます。

江ノ島電鉄(江ノ電)の「江ノ島」駅から徒歩で4~5分程度のところに日蓮宗の「常立寺」(神奈川県藤沢市片瀬)はあります。

この地は、私の地元であり、これまでさんざんお寺の前を通りながら、中に入ることもなく“興味の外”にありましたが、友人Fは「季節は終わったが、来年は観(み)に来たい」という梅の下見、そして何よりも、元寇(げんこう)により処刑された「元国史の塚」に興味を引かれていたようです。

〈元寇〉=「鎌倉時代、元の軍隊が2度にわたって日本に来襲した事件。蒙古来襲。文永(1274年)・弘安(1281年)の役」(広辞苑)

すぐ近くに罪人の処刑場があった「龍口(りゅうこう)寺」(神奈川県藤沢市片瀬)があり、処刑された人たちの埋葬地が「常立寺」だったようですが、元国史たちも同様だったことが伝えられています。

そういえば、大相撲の巡業が藤沢市で行われる際、朝青龍(元横綱=引退)や白鵬らモンゴル出身力士が常立寺を訪れ「元国史の塚」を参拝する出来事が話題となっていました。

実はこの「常立寺」の娘さんが、私と高校時代の同級生だった、ということもあって、会ってしまったらなァ・・・などの気遣いもあり、境内散策は友人Fに任せ、私は外の道で待機していましたが、友人Fは「全体的に整っている、いいお寺だよな。梅の季節にはぜひまた来たい」と満足そうでした。

“灯台もと暗し”だった「観音サマ」

さて・・・このあたりは他に特に見るべきものもなく、どうしようか? と、いつものように“足の向くまま”の態勢に入り、その結果、大船に出て「観音サマ」を観(み)よう、ということになりました。

「常立寺」からは目と鼻の先、徒歩1分程度のところに湘南モノレール江ノ島線「湘南江ノ島」駅があります。それに乗って約20分ほどで「大船」駅に着きます。

「大船」駅から徒歩5分程度で「観音サマ」に到着します。拝観料300円を払って中に入り、配布された資料に目を通してみると、私は、近くに住んでいながら、この「観音サマ」について、本当に何も知らなかったことに気づきます。

1960年(昭35)4月に完成したということで、私は15歳のときから、東海道線に乗ったときにたびたび窓の外に見たりしていたのに・・・です。

だいたいこれまで、勝手に「観音サマ」などと呼んできましたが、正式名称は「大船観音寺」(神奈川県鎌倉市岡本)「白衣観音像」であり、配布された〈大船観音寺のあゆみ〉には、1929年(昭4)4月14日、建造に着手されたものの、途中、資金不足でつくりかけのまま23年間放置され、その後、第2次世界大戦後に再出発して完成に至った、という経緯が記されていました。

この「大船観音(白衣観音)像は、近づいてみると凄いですね。高さ25メートルの巨大な胸像、見上げる私たちに柔和な顔が真上からド~ンと迫ってきます。

〈大船観音寺のあゆみ〉に彫刻家・山本豊市氏の寄稿があり、氏はこう記述しています。

〈(略)私は寺に行くたびにの像の前に立つ。立っているとちょっと動けなくなってしまう。(略)〉

実際、その通りで私も、しばらく動けない状態になりました。

今の季節、ソメイヨシノは葉だけになりましたが、八重桜がほっこりした花を咲かせていました。像の白とソメイヨシノの葉の緑、八重桜のピンクの対比・・・。なかなか風情がありましたネ~。

この日は、スタートが午後3時と遅かった分、夕暮れが早く来ました。

では・・・といつもの通り、藤沢に戻り、打ち上げは“ちょい飲み”と終わりなき歓談です。

ビールのうまさが、ことのほかノドにしみわたる、いいひとときとなりました。

“もうひとつ”の鎌倉の魅力

“竹の寺”として人気のある「報国寺」(鎌倉市浄明寺)に沿った道を奥に進むと、風格のある木造建築の洋館が見えてきます。

それが「旧華頂宮(かちょうのみや)邸」(鎌倉市浄明寺)ですね。

「報国寺」へは、JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(鶴岡八幡宮側)前から出ている京急バス「金沢八景行き」に乗り「浄明寺」バス停で下車、で行くことが出来ます。そこから「旧華頂宮邸」までは徒歩約4~5分です。

3月8日午後、どちらかというと季節感は桜に向かっている雰囲気の中、ノーテンキな私たちは「梅を観(み)に行こうか」と「瑞泉寺」(鎌倉市二階堂)に向かいました。

ブラブラと歩いて「瑞泉寺」に着き、入り口で200円の拝観料を払おうとすると、何と受け付けのオヤジさんは、ノンキなものです、机の上に両足を投げ出して居眠りの真っ最中でした。

声をかけても目を覚まさず、この状態だけでも、今は梅の最盛期が過ぎて訪れる人たちが少ないのだろう、花の寺も小休止に入ったんだろうな、ということが分かり、まあ、拝観料など払わないで入っちゃおうか、とも思いましたが、一応ルールは遵守しようと、オヤジさんを起こしたところ、何やら不機嫌そうに「梅? もう終わったよ」と鼻先で笑われてしまいました。

まあ、ある程度は予想して来ているので別にガッカリもしませんが、この「瑞泉寺」はどうやら私たちにとって鬼門のようで、これまで再三、訪れていながら、前回は早過ぎて“もうちょいだな”と言われるなど、ここで見頃の梅を観たことがありません。

・・・で、そこから戻って金沢街道を歩き、なぜか和服姿の娘さんが多かった「報国寺」をのぞいた後、足を延ばして「旧華頂宮邸」に向かったのです。

点在する「旧宮邸」「旧侯爵邸」

ここの見どころでもあるフランス庭園の一般公開は、3月まで「午前10時~午後3時」とあり、私たちが着いたとき、ちょうど管理人さんが、門を閉めようとしているときでした。

声をかけると「瑞泉寺」のオヤジさんとは、こうも違うものか! の応対。イヤな顔もせず、いいですよ、庭を見てきて下さい、門は開けときますから、と言われ、思わずうれしい気持ちになりました。

「華頂宮」は、資料によると、大政奉還後の慶応4年(1868年)に伏見宮邦家親王の第12王子・博経親王によって設立された宮家、とあり、その「旧華頂宮邸」は1929年(昭4)に元皇族・華頂博信侯爵邸として建てられたもの、とありました。

現在は、鎌倉市が1996年(平8)に建物を譲り受け、庭園部分を一般公開、建物内部は春と秋の年2回、それぞれ2日ずつの計4日間、公開されています。

昨今、ここを訪れる人たちが多くなったのは、やはり、テレビドラマの舞台になったことが影響しているようです。昨年10月からTBS系列で放映された織田裕二主演の「IQ246~華麗なる事件簿~」で、この「旧華頂宮邸」が主人公の邸宅、という設定になっていました。

こうした「旧宮邸」「旧侯爵邸」は、鎌倉市に結構、点在しています。

江ノ電(江ノ島電鉄)の「長谷」駅から由比ヶ浜大通りを鎌倉方面に向かい、途中、案内板のある交差点を左折した奥に「鎌倉文学館」(鎌倉市長谷)があります。

この建物も、その一つですね。3階建ての本館と敷地は、加賀百万石藩主・前田利家の系譜である旧前田侯爵邸の鎌倉別邸としてあり、1890年(明23)ごろ、第15代当主の前田利嗣(貴族院の侯爵議員)によって建てられた、と記されていました。

この建物の、知る人ぞ知る快感? は、夏の暑い日、2階のベランダに出ると、目の前に広い庭園とバラ園が広がり、遠くには海が見渡せますが、そこから吹いてくる風の心地よさ、にあります。

スーッと引いていく汗の気持ちよさに当時の生活をしのびながら、さすが、こういう人たちは、いいところに居を構えるものだなァ、とつくづく感じるひとときでもあり、一瞬の贅沢に浸るのも悪くはありません。

春一番が吹く小田原周辺を散策

私が住む藤沢市(神奈川県)のJR東海道線「藤沢」駅から、下りの各駅停車に乗って24分ほどで「国府津」駅に着きます。

そこからJR御殿場線に乗り換えてひと駅目が「下曽我」駅です。

〈ノンビリと梅でも観(み)に行かないか〉

鎌倉好きの例の友人Fに声をかけたら、こんな返事が来ました。

〈そうだね。今回は鎌倉を離れて「曽我梅林」はどうだい〉

-ということで、関東地方などに春一番の強風が吹き荒れた2月17日午後、下曽我駅の改札口で待ち合わせとなりました。

初めて降りる下曽我駅でしたが、ヘエ~、この駅はこんなに混むんだ、と少々、ビックリしました。狭いホームは、平均年齢は相当に高いなァ、といった高齢者男女群であふれ、ゆっくりとした歩行に身を任せて出口に進みました。

おかげで・・・友人と合流した後、駅から徒歩約10分くらいの梅林への道は、皆さんの後をついて、迷わずに到着することが出来ました。

「曽我梅林」(神奈川県小田原市曽我)は、皆さん、ご承知の通り、中河原、原、別所、の3会場があり、総本数約3万5000本が植えられており、観るものを楽しませている梅林です。

もっとも、風景としては、梅林は梅林なのですが、田んぼの中に梅の木がひしめき合っている、といった感じで、健気(けなげ)にひっそりと咲いているのが似合う梅のイメージが好きだなァ、という人たちにとっては“風情”という点で物足りなさがあります。

小田原城で戦国の世に思いを馳せる

それは、この梅林の歴史をたどれば、理解できます。日本を代表する戦国大名の小田原北条氏(後北条氏)が、梅の実を兵糧用にするために植えたのが始まりとされ、つまり、観賞用より実用優先の梅林なのであり、現在も梅干し専用の「十郎」や梅ジュース、梅酒など加工用の「白加賀」など実用を目的とする梅の木が植えられている“梅の畑”なのですね。

そんな中でも、唯一、観賞用の「枝垂れ梅」が、濃いピンクの花を咲かせて垂れ下がっており、ちょっと写真を撮っておこうか、と思わせる満開の華やかさでした。

ザックリと歩き、では、と「曽我梅林」に別れを告げ、次の目的地「小田原城」(神奈川県小田原市城内)に向かいます。

JR東海道線「小田原」駅に着いたとき、春一番が吹き荒れる気候は、南の空を不気味に覆う黒雲が雨も呼んできて、足止めを余儀なくされてしまいました。約30分ほどのコーヒータイムで時間をつぶすと雨が上がり、今度は虹が出るなど、目まぐるしく変わる空模様です。

小田原駅前から徒歩約15分くらいで小田原城に到着。この城は“難攻不落の名城”として名を成していますが、小田原城址公園として整備されている周辺を含め、堅固さが今でも漂う風格を有していました。

入場(城)料金500円を払って城の中に入ります。城内には神奈川県の戦国時代史が分かりやすく展示、解説され、勉強させられます。

小田原城を巡る攻防戦のハイライトは、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原北条氏との対決です。いわゆる“小田原合戦”ですね。これについては、城内で映像で詳しく解説されていました。

結末は、敵に籠城を強いて兵糧不足による無血開城させた豊臣勢の勝利。これで秀吉は天下統一を成し遂げています。

天守閣に上ると、強風が吹き付ける中、海側には、右に箱根方面、左に江の島方面、が見渡せます。そして虹が淡い色を空に描いていました。

なかなか中身の濃い小田原周辺の散策となりました。

仕上げはもちろん、小田原駅前の居酒屋に飛び込み、ちょい飲みのひととき。注文した「金目鯛の煮つけ」が、安い値段の分、煮つけがもうひとつ緩いねェ、などと文句を言いつつ・・・心地よい酔い具合となりました。

しかし、風は、夜になっても、相変わらず、やまずに吹きつけていました。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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