金沢八景周辺をブラリ散策

気持ちのいい秋晴れとなった9月某日-。

以前から「金沢八景」方面の散策を主張していた鎌倉好きの例の友人Fの希望を叶えるべく“そっち方面”に出向きました。

私は、自宅(神奈川県藤沢市)の立地的立場? から、三浦半島の“こっち側(相模湾側)”に妙な愛情があり、だから“あっち側(東京湾側)”には、さほど興味がありません。

金沢八景ねェ~。だいたい“あっち側”に見どころはあるのかい? と私。何いってんだい、金沢北条氏の金沢文庫もあるし、歴史的に結構、重い地域だぜ、と友人Fは、いつもの悪いクセを発揮、アカデミックに攻め込んできます。

まあ、こちらは、金沢八景と言えば、その景観の美しさを描いた〈歌川広重の8つの風景画〉くらいしか知識がありませんが、友人Fの、とにかく行ってみなければ話にもならネーだろ、ということで「金沢八景」駅前に時間厳守、午後1時半集合! ということになりました。

だいたいね~。“あっち方面”を走っている京浜急行は“こっち側”から不便なんだよな、などブツブツ文句を言いつつ、私の場合はまず、横須賀線で「逗子」駅に行き、そこから徒歩約10分ほどのところにある京浜急行逗子線「新逗子」駅から「金沢八景」駅に向かいます。

「金沢八景」駅に着き、駅前から周辺を見渡すと、このあたりの風景が一風、変わって見えるのは、駅前を走る幹線道路16号線の信号を渡るとすぐ、目の前に「平潟湾」が広がり、そこに「琵琶島神社」が突き出していたり、その先の海に向かってモノレールの「シーサイドライン」がきれいに弧を描いていたりしているからでしょうか。

フ~ン、なかなかいいじゃないか、と私。だろ、とF。ここから歩いてもいいが、お前の足じゃ、きついだろうから、シーサイドラインに乗ろうじゃないか、と続けます。

ひと言多いのは、この男の常ですが、素直に従ってシーサイドラインに乗車。改札口で手前の「海の公園南口」までなら230円、ひとつ先の「海の公園柴口」までなら260円、じゃ、手前にしとこうか、など、30円を惜しむケチな根性で、あ~だ、こ~だ、と言いながら「海の公園南口」で下りると、埋め立てて整備された人工的な美しさを誇る「海の公園」(横浜市金沢区海の公園)が目の前に広がっています。

悪くはなかった“あっち側”

この横浜市内では唯一、海水浴場のある海浜公園、をウリとする「海の公園」には、周辺に関東学院大や横浜市立大があるせいか、夏の盛りを過ぎても、若い人たちでにぎわっており、ビーチバレーの常設コートやウインドサーフィンなどのスポーツ施設、さらにバーベキュー場などアウトドア施設もあり、これはこれで結構、楽しめる場だなァ、と設備の充実にひとしきり感心・・・。

ここをブラブラと「海の公園柴口」駅まで歩き、そこから「まあ、歩いて15分くらいだろう」と友人Fが言う「神奈川県立金沢文庫」(横浜市金沢区金沢町)に向かいました。

住宅街のダラダラとした上り傾斜の道を「15分」に期待しつつ歩きます。エッ、まだかよ、もう15分経ったぜ、先頭に立つ友人Fは、アレレと道を間違えたりして私たちの足では、まあ、倍の30分、といったところでしたが、まず「称名寺」(横浜市金沢区金沢町)に到着。「神奈川県立金沢文庫」は、このお寺に隣接しています。

「称名寺」は、いい雰囲気ですね~。

北条氏の一族である金沢(“かねさわ”なのだそうです)北条氏の祖・北条実時が開基した北条一門の菩提寺、と資料にありました。

境内には、人懐こい猫が数匹いてノンビリと昼寝をしたりしています。阿字ケ池に大きな太鼓橋が架かる風景は〈浄土式庭園〉と呼ばれるものなのだそうで、境内はそこだけ、時間が止まっていて鎌倉時代、の趣を感じました。

境内の隅にある短いトンネルを抜けると「神奈川県立金沢文庫」です。鎌倉時代中期、北条実時が設けた日本最古の文庫。「武家文化の正倉院」とも呼ばれるそうです。今は神奈川県立の歴史博物館、図書館として運営(観覧料200円)されています。

・・・ということで金沢八景周辺をブラリ、散策してきました。

な、いいだろ、と友人F。まあ、確かに、行かないより、行ってみれば、必ず新鮮な出会いがあるものです。それはそれで“あっち側”も悪くはありません。

で、恒例の打ち上げを、知らない街の金沢文庫でやろうじゃないか、ということになり、駅前を探したところ、まだ陽が高く開店前の店ばかりです。そんな中にありました、営業中の居酒屋が-。

それも、学生の街、ならではでしょうか。

初秋の陽がまだ落ちず、外はまだまだ明るい中でビールをグビッ! ああ、何という贅沢、を反省しつつ、1日を終えた次第でした。
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鎌倉散策~鎌倉文学館に“涼”を求めて

突然の雷雨にご注意! など大気の状態が不安定な曇り空が続いた8月の天候不順-。

空気もカラッとせずに澱(よど)んだムシ暑さが体にまとわりつきます。

そんなある日、もう“あそこ”の“あれ”しかないねェ、と8月22日午後1時半、鎌倉好きの例の友人Fと私、それに友人Sが加わった3人が、江ノ島電鉄(通称=江ノ電)の「由比ヶ浜」駅に集まりました。

「由比ヶ浜」駅は、藤沢~鎌倉を走る江ノ電の「鎌倉」駅から2駅目です。

今回の散策も、続く雨模様の天候のため2度、流れており、3度目の正直に「やっと実現したな」という感じ。3人は“あそこ”の“あれ”を味わいに歩き始めました。

「由比ヶ浜」駅の改札口を出て左側が海岸、由比ヶ浜の海水浴場です。この季節、左方向に向かう人々が多い中、私たちは逆の右方向に向かい、しばらく歩いて突き当たった由比ヶ浜大通りの信号を渡ってその奥に歩を進めます。

その奥・・・そうです。目指した“あそこ”は、正門から玄関へのアプローチを木立のトンネルがうっそうと包んで情緒を漂わす「鎌倉文学館」(鎌倉市長谷)ですね。

配布されている「鎌倉文学館のしおり」には、本館と敷地は、加賀百万石藩主・前田利家の系譜である旧前田侯爵家(前田利嗣)の鎌倉別邸だった、と記されています。

「・・・しおり」によると、鎌倉別邸は1890年ごろに建てられ、火事によって1910年(明43)に焼失したが、その後、1936年(昭11)に前田利為が全面改築、今に残る3階建ての洋館に至っている、とのことでした。

現在、鎌倉市が運営する「鎌倉文学館」は、非公開の3階以外、1、2階は全面公開され、2階には、鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆の原稿用紙などが展示されています。

思い切り心地よい風に吹かれた

それらを見渡すと結構、あの作家は几帳面な書き方だね、とか、一方、乱雑な書き方をしている作家もいて、原稿用紙の執筆は、やっぱり性格出るねえ、と今はPCでの執筆が主流になってしまっただけに、紙にペンでモノを書くことの良さ、を興味のある方々はじっくりと味わえています。

そうした中で“あれ”をそろそろ、明かさなくてはなりませんね。

私と友人Fは、ここは2度目なのですが、最初に来たとき、その日はやはり、暑い日だったのですが、2階に設けられた、訪問者が休憩したり、読書もできたりする談話室から一歩、バルコニーに出たときにササーッと吹き抜けた“あれ”~つまり“涼風”が、ウウー、気持ちいい~と感動的だったわけです。

鬱陶(うっとう)しい日が続いたこの時期、気持ちをさっぱりさせるには、やはり“天然クーラー”の“あの風”しかないだろう、というのが、今回の散策のメーン・テーマ? でもありました。

バルコニーはからは、前面に芝生の庭が広がり、その奥に季節が来れば美しい花を咲かせるバラ園が見渡せます。その向こう、遠くに水平線が空に浮かび、一陣の涼風をここにまで運んできてくれています。

この日は、さすがにカラッとした風というわけにはいかず、南からの風は湿り気を帯びていましたが、それでも額から、首筋から、汗がスッと引いていく心地よさは感じられました。

この風を味わうだけでも、どきどき、ここには来たいものですね。

8月21日から27日まで、鎌倉の長谷・極楽時エリアでは〈魅惑の7日間~幻想的な夜の鎌倉〉として寺社・施設がライトアップされる企画が行われていました。

「鎌倉文学館」もライトアップされ、散策の後はビール優先の私たちは、それは見ませんでしたが、夜にあのバルコニーで涼風を味わうのもいいかもなァ、と次の機会があれば・・・と宿題にしてその地を離れました。

鎌倉から藤沢に戻り、街中は相変わらずムシ暑い中、ドド~ン! の音が鳴り響き、江ノ島では夏の花火大会が行われていました。

遅ればせながら、夏真っ盛り、を思わせる風情・・・。8月23日は猛暑復活になり、海岸の海の家もやっと勢いを取り戻し、最後の追い込みになることでしょうね。

鎌倉散策~義経・弁慶 ゆかりの寺へ

「江の島」(神奈川県藤沢市)に向かう弁天橋をはさんで左側の海辺が「片瀬海岸東浜」です。ここは海水浴のシーズンが終わると一転、ウインドサーフィンでにぎわうエリアです。

その先は鎌倉市となり「腰越(こしごえ)海岸」「腰越漁港」(鎌倉市腰越)を経て「小動岬(こゆるぎみさき)」(同)へと至ります。

「小動岬」の先は、江ノ島電鉄(通称・江ノ電)の線路に沿った、いい波が来てサーファーでにぎわう七里ケ浜の海岸→稲村ケ崎、そして鎌倉です。

〈腰越って面白い地名だよね〉

友人が言いました。

地元の人間は、昔から馴染んでいる地名で“面白い”とも思いませんが、そうですね、言われてみると“面白い”かもしれません。

ちなみに地名の由来を調べてみると〈北の山に住んでいた人が南の海ぎわの肥えた土地を求めて山の腰を越えるように移り住んできた、との説もある〉とありました。

〈・・・との説〉というからには、他のさまざまな由来もあるのでしょうね。

江ノ電の「藤沢」駅から鎌倉方面に向かい、5駅目が「江ノ島」駅。そのひと駅先が「腰越」駅です。「腰越」駅は、昔ながらの駅で小さく、江ノ電が4両編成で走るようになってから、後部2両は駅をはみ出してしまい、この駅で降りる人たちは、前部2両に乗っていることが、いかにも昔のノンビリ江ノ電を感じさせてのどかです。

満福寺で義経の苦悩を偲びながら・・・

この「腰越」駅から江ノ電の線路に沿って鎌倉方面に約7分ほど歩き、案内板のあるところを左折、江ノ電の踏切を渡った先に「満福寺(まんぷくじ)」(鎌倉市腰越)があります。

744年(天平16)に僧侶・行基が開山した真言宗大覚寺派のお寺ですが、というより、満福寺と言えば、すぐ思い出されるのが源義経ですね。

兄・源頼朝の怒りを買った義経が、1185年(元暦2)5月、鎌倉入りを許されずに腰越の地に足止めを余儀なくされ、頼朝にその心情を訴える〈腰越状〉を書いたお寺、といったほうが、よく知られています。

その〈腰越状〉の下書き~弁慶が書いたと伝えられています~が、満福寺には残されており、また、境内には、弁慶の腰掛け石や手玉石、などもあり〈義経・弁慶 ゆかりの寺〉として最近は、ご婦人たちの拝観コースにも入っていて人気があるようです。

実は、この満福寺の副住職を務めていた執事のI氏は、私たちが日ごろ、行きつけの〈呑み処〉の常連客でした。

“でした”としたのは、今年3月、病により亡くなってしまったのですが、今でもI氏がいつも座っていた店のカウンターの左端に遺影と好きだったタバコが置かれており、元気だったころがしのばれています。

カラオケでは、横浜のご当地ソングをよく歌い、一方、ボクシングが好きな人で、年末になると、私の顔を見るたびに(ボクシングの)カレンダーが入ったらちょうだいね、というのが口グセでもありました。

I氏の名刺に「義経腰越状旧跡」とあるように、この由緒あるお寺を守るのに人知れず、心労も重なっていたのでしょうね。

満福寺をひと通り拝観した後、ブラブラ歩いて江の島に行ってみるのもいいですね。なぜなら、江の島のヨットハーバー側から眺める腰越海岸~小動岬、右方向に遠く七里ケ浜を見渡す景色は抜群だからです。

腰越の地から義経は、鎌倉を見据えて涙したことでしょうが、足止めされているとき、江の島に足を運んだでしょうか。

兄・頼朝とソリが合わない辛さの中、この景色は多少、心の安らぎ、慰めになったのではないか、と思われるような美しい景色が見られます。

鎌倉散策~東慶寺の「イワガラミ」を観る

イワガラミ」って知っていますか?

鎌倉好きの例の友人Fからメールが入りました。

〈今、東慶寺で「イワガラミ」を特別公開しているよ。行かないか?〉

花好きの方々は、ご存知のことでしょうが、そちらの方面に疎(うと)い私は、ン? 「イワガラミ」って何? ということで百聞は一見にしかず、ヨシ、行こう! と足を運びました。

6月2日午後1時30分-。待ち合わせ場所は、JR横須賀線「北鎌倉」駅の改札口前です。

この日は、天気予報によると“7月上旬の気候”とかで真夏の太陽が照りつける暑さとなりましたが、時折り、サーッと吹き抜ける乾いた風が、心地良さを運んでくれます。

「北鎌倉」駅前から鎌倉街道を八幡サマ(鶴岡八幡宮)に向かって約3~4分ほど歩くと右側に昔・駆け込み寺、今・花の寺「東慶寺」(神奈川・鎌倉市山ノ内)の、手入れが行き届いた山門が見えてきます。

山門をくぐり抜け、拝観料200円を払って境内へ。お目当ての「イワガラミ」は、本堂の裏にある、ということでそちらに向かいました。

私はまず、知ったかぶりはナシに案内係の方に「イワガラミって何なのですか?」と質問しました。案内係の方が、さすがですね、待ってましたとばかり、胸を張って教えてくれます。

〈そうですね~。「イワガラミ」(岩絡み)はですね、学術的に言うと「アジサイ科(旧ユキノシタ科)の蔓(つる)性の植物なんですよ。白い花が可憐です〉

フムフム、そうですか。やっぱり、百聞は一見にしかず、ですね。で、本堂に上がらせてもらいました。

特別公開ということで見物料がまたいるのかな? と思いましたが、無料(昨今の鎌倉各所は、拝観料ばかりでイヤになるときがありますネ)ということで感心感心! でした。

本堂の裏手に壁のような岩があり、その岩肌を「イワガラミ」が覆い尽くしています。その名の通り、もともとは1本の蔓が成長して岩肌に絡みつき、次第に這い上がって一面に広がっていく、という植物なのですね。

岩肌一面を覆う緑の葉と白い花

緑の葉の中に可愛い白い花が浮かび上がり、なるほど、これは見に来て良かったな! の感です。

友人Fに言わせると、毎年6月上旬の季節限定で行われるこの特別公開は人気があり、長蛇の列ができてなかなか入れないといった混雑ぶりとなるのだそうです。そんな中でこの日は、予想外にすいており、ゆったりと観(み)ることができて、ツイていたな、となりました。

それにしても・・・ときの執権・北条時宗の没後、1285年(弘安8)に夫人の覚山尼が創建し、縁切り寺法によって女性を救済してきた駆け込み寺の尼寺「東慶寺」は今、そうした生々しさ、封建時代の女性の悲しさ、がまったく感じられない(当たり前のことではありますが・・・)こぎれいな花の寺として存在感を増しています。

そのせいか、境内にはご婦人たちのグループが、多く見られました。

山門を出て帰り道、じゃ、ちょっと寄ろうか、と近くの「明月院」(鎌倉市山ノ内)に向かいました。“アジサイ寺”としてあまりにも有名になってしまったこの寺は、また長蛇の列でにぎわう季節が近づいて今は、その日に備えているかのように、ひっそりとしていました。

中には入らず、入り口周辺でひと休みした後、テクテクと歩いて八幡サマへ。ここは今、修学旅行の季節なのでしょうか、少年・少女たちの行列で大にぎわいでした。

暑さの中、よく歩き、ノドも渇き、さあ帰ろうか、ともう、目の前にビールがちらついています。鎌倉から私の地元・藤沢に戻り、居酒屋に飛び込んでグビグビと渇きをいやします。

ああ、うまい!

友人Fの鎌倉への誘いも、それに応える私も、最近は何か、散策を終えた後の、この打ち上げが主目的の様相を呈してきた感じです。

やがて・・・むし暑く、憂鬱な雨の季節となって、それが終われば夏-。着物の四季で言うなら、単衣(ひとえ)から薄物へ、と移り変わっていくのですね。

いやいや、そんな情緒に浸っている場合じゃありません。思い出しました。まだ、たまった冬ものを洗濯屋に出していませんでしたっけ。

鎌倉散策~日蓮ゆかりの地を歩く

今週末のプロボクシング“世界戦ラッシュ”に向けてこのところ、ボクシング取材に動き回る日が続き、なかなか仕事モードを切り替えられないでいました。

が、気分転換には、ブラり散策が一番! と鎌倉好きの例の友人Fと、例によって例のごとく、JR横須賀線「鎌倉」駅の東口(八幡サマ側)で待ち合わせました。

私は最近、コンビニの100円コーヒーが、安くて美味(うま)い! と好きになり、早めに鎌倉について、駅近くのコンビニでおにぎり&コーヒーの軽いランチを済ませ、約束時間の午後1時に合流しました。

ところで・・・私の自宅から徒歩10分くらいのところに「竜口寺」(神奈川県藤沢市片瀬)というお寺があります。

処刑場があった竜口寺といえば、伝説として知られているのが「竜ノ口法難」でしょう。私も小学生のころ、この話をよく聞かされたものですが〈南無妙法蓮華経〉の日蓮宗の開祖・日蓮をここで斬首しようとしたところ、海から光るものが飛んできて、刀を振り上げた役人の目がくらみ、目的が果たせなかった、という“天候急変”が原因だろう出来ごとです。

ということで今回の鎌倉散策は、日蓮ゆかりの地をぶらつこうか、ということになりました。

鎌倉駅東口前のロータリーを直進、若宮大路の信号を渡ると正面に老舗書店の「島森」があります。向かって右方向に進むと郵便局があり、その角を左折して歩きます。

このあたり、鎌倉市大町の周辺が、日蓮宗のお寺が多数、点在するエリアです。

まず、日蓮宗の本山「妙本寺」(鎌倉市大町)に足を運びました。

このお寺が建つ地は、現在「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれ、資料には鎌倉時代、源頼朝に仕えた御家人・比企能員一族の屋敷があった、とありました。

素晴らしかった「妙法寺」の苔

一族は北条氏と対立し、返り討ちにあって北条時政に滅ぼされ、難を逃れた能員の末子・能本が日蓮の信者となってこの地にお寺を建てた、とのことでした。

境内の片隅には比企一族の苔むした墓があり、そうした悲劇的な歴史を持つ妙本寺で当時の栄枯盛衰を偲(しの)びつつ、ここの境内は、今の時期、うっそうと茂った新緑に包まれて素晴らしい景観を見せており、楽しむことができました。

このお寺を出た後は、バス道の名越街道をブラブラと歩き、街道横の「安養院」(鎌倉市大町)に寄り道して北条政子の供養塔などを見物。さらに歩くとやがて「安国論寺」(鎌倉市大町)が見えてきました。

ここは日蓮関連エリアとして欠かせないところですね。

日蓮が初めて鎌倉に入った際の拠点であり、入り口で配布されている「境内霊場案内図」には、修行を続けた日蓮岩屋とも呼ばれる岩窟「御法窟」が記載され、あの〈立正安国論〉は、この岩窟で書かれた、とされていました。

〈立正安国論〉は、1260年(文応元年)に著した仏教書で、法華経を信じることなく国の安寧は得られない、とするものですが、強烈な主張ゆえに、それから11年後に日蓮は、竜口寺の処刑場に立たされています。

この安国論寺に近い「妙法寺」(鎌倉市大町)は、日蓮が鎌倉で本格的な布教活動に乗り出したときの拠点と言われています。

このお寺に伝えられているのが「松葉ケ谷の法難」です。

妙法寺が配布している資料によると、日蓮が読経しているとき、一匹の白猿が現れて袖を引き、どこかへ導こうとしています。導かれたところが、安国論寺の裏山にある「南面窟」で、この不思議な避難により日蓮は、反徒からの焼き討ちを逃れた、とされています。

まあ、そうした歴史的な出来ごととは別に「高いなァ」と思った300円ナリの拝観料を「なるほどね~」と納得させたのが、石段を緑の絨毯に変えている苔の素晴らしさでした。

この石段は歩行禁止となっていますが、その脇に階段を造っており、さまざまなアングルで苔の石段を観(み)ることが出来ます。

写真好きには、たまらない被写体でしょうね。若い人がローアングルで懸命にシャッターを切っていました。

少々、太ももに筋肉痛を感じつつ・・・こうしてブラり散策は終了しました。

そして恒例の打ち上げの楽しみは、蕎麦屋に入り、私はビールとせいろ、友人Fは日本酒とせいろ、です。

気分転換になったいい一日でしたネ~。
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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