“ドン”杉原輝雄氏が残したもの

年の瀬に例年、なぜか訃報は多く届けられるものですが、プロゴルファーの杉原輝雄氏が“ついに”その一人となってしまいました。前立腺がんがリンパに転移して悪化したため、12月28日午前に死去、享年74でした。

“ついに・・・”としたのは、杉原氏は1998年(平成13)に前立腺がんの宣告を受けたことを公表しており、現役続行のために手術を拒否、投薬治療でツアーに参戦していたからです。

それから13年の闘病と現役続行の日々は、まさに不屈の闘魂なくしてあり得ないことであり、ついに力尽きたという形には、頭が下がるとともに、心からご冥福をお祈りします。

私はスポニチ本紙に在職中、1980年代前半から後半にかけてゴルフ担当記者を拝命していました。その当時の男子プロゴルフ界は、ジャンボ尾崎将司が低迷期に入っており、青木功と中嶋常幸が全盛期の活躍を見せていました。

そのために、ということではありませんが、杉原氏は“いぶし銀”のゴルフで「AN(青木&中嶋)」に斬り込む名脇役的な立場をキープしており、賞金ランクも毎年、トップ10入りするなど、その存在感には独特のものがありました。

手元にその当時のゴルフ取材ノートがあります。

「ド~ンと金字塔」と“関西のドン”杉原氏のドンを捩(もじ)った見出しで紙面を大きく割いた記事は、1986年7月、杉原氏が「関西プロ」で優勝、国内最多(当時)となる50勝を挙げたときの快挙を報じたものです。

大きい存在感は消えず・・・

この勝利で達成した関西プロ9度の優勝は、同一大会最多優勝の日本記録、さらに関西プロは、この大会で区切りの第50回を迎えており、このときの杉原氏の優勝コメントは「こういうときに勝たずしていつ勝つのかね。ここで勝たねば甘く見られるからね」と、いかにもドンらしく、ライバルたちを悔しがらせたものでした。

杉原氏らしい金字塔は、中日クラウンズで樹立されています。この大会は1960年に第1回大会が開催されていますが、杉原氏は、その第1回大会から昨年大会まで、実に連続51回出場という国内記録を飛び越して世界記録を打ち立てています。

長く現役生活を続けていなければ成し遂げられないこうした記録こそ、杉原氏の真骨頂でしょう。

ひそかに来年の連続52回出場をも狙っていたのでしょうが、それもかなわず、きっとあの、鋭い目つきで口元に皮肉っぽい笑いを浮かべる、独特の杉原流“ドヤ顔”で「51回を破るヤツはおらんか」とうそぶいている姿が目に浮かびます。

杉原氏は1937年(昭12)6月14日、大阪府茨木市出身。中卒時に既に“稼げる職種”としてプロゴルファーを志し、高卒後に茨木CCに就職しています。洗濯係などを経て1957年にプロとなりましたが、その当時、プロの地位は低く、クラブハウスへの立ち入り禁止(現在もそういうところはありますが)など、苦節の時代を経た苦労人でもあります。

歯に衣着せぬ毒舌、両肘(ひじ)を曲げた独特のスイング、横殴りにうなりをあげる長尺ドライバー・・・などが杉原氏の強烈なイメージですが、その姿ももう、見られないと思うと限りなく寂しさを感じます。

54年間の現役生活、本当にご苦労さまでした。

合掌-。

スポンサーサイト
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
ランクアップにご協力下さい
↓↓↓↓クリック↓↓↓↓
QRコード
QR