映画化第一弾「恋の花咲く 伊豆の踊子」を観て・・・

 〈伊豆の踊子(いずのおどりこ)〉 川端康成の短編小説。1926年(大正15年)に発表された。川端が19歳時に伊豆であった実体験をもとにしている。孤児根性で歪んだ性格と悩む20歳の「私」=一高生の川崎=が、伊豆の旅に出て旅芸人と出会い、彼らや14歳の踊り子・薫との“階級格差”を超えた交流を通じて人の温かさを感じ、淡い恋の中、自身の息苦しい憂鬱から解放されていく。(ウィキペディア参考)

映画ファンの方々は、どの時代にどの「薫」と出会ったことでしょうか。そうです。「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら・・・」の書き出しで知られる名作「伊豆の踊子」は、実にこれまで、6度にわたって映画化されているのです。

ざっと振り返ってみると・・・。

①1933年 松竹 五所平之助監督 田中絹代  大日向傳
②1954年 松竹 野村芳太郎監督 美空ひばり 石濱朗
③1960年 松竹 川頭義郎監督  鰐淵晴子  津川雅彦
④1963年 日活 西河克己監督  吉永小百合 高橋英樹
⑤1967年 東宝 恩地日出夫監督 内藤洋子  黒沢年男
⑥1974年 東宝 西河克己監督  山口百恵  三浦友和

・・・といった具合です。

それぞれの年代の作品を1944年(昭19)生まれの私に当てはめてみますと、誕生前の①は別にして②以降、10歳、16歳、19歳、23歳、30歳、となります。実際に映画館でライブで観(み)たのは④くらいのもので⑥などはテレビでの鑑賞ですが、私たちの年代は原作に影響されており、中伊豆に感じるロマン、旅情、何かへの出会いの期待・・・10代のころ、文庫本を懐に友人と伊豆半島一周無銭徒歩旅行に出かけたりしているのは、すべて「伊豆の踊子」の影響によるものでした。

サイレントならではのドタバタ喜劇ふう

さてさて・・・そんな折に「カワマタ・キネマサロン」(このシリーズは「文化・芸能」の項に収めてあります)から新年初開催の連絡が入り、何と①を上映するというので昨1月29日、心躍らせて出かけました。

この記念すべき映画化第一弾の「伊豆の踊子」は「サイレント(無声)映画」です。公開された1933年(昭8)時、すでに日本の映画界は「トーキー(発声映画)」に移行していましたが、資料によると、1938年(昭13)ころまでは剣戟(けんげき)映画を中心にサイレント映画が製作・公開されていた、とのことでした。

しかし、この五所平之助監督(1981年没)による最初の「恋の花咲く 伊豆の踊子」は凄い内容でした。

いきなり、中伊豆・湯ヶ野の温泉町で芸者がいなくなった! という、警察官まで出動する騒動から始まり、この町の鉱山でしこたま儲けた旅館の主人や、その鉱山を二束三文で売ったことを悔やむ、踊り子・薫(田中絹代)の兄に当たる芸人、それにだいたい、仲裁役を仰せつかる一高生の川崎(大日向傳)がからみ、ゆすりがあったり、猟銃が持ち出されたり、薫をこの温泉町の芸者として置いていけ! などがあったり、とにかく俗世的な話題満載に仕上がっており、これを原作者の川端康成がよく認めたものだなァ、といった感じなのでした。

とはいえ、サイレント映画をこれほどジックリ観たのは初めてのことでもあり、無声というのは無声ゆえに俳優の優れた演技力、たとえば表情の変化、ものをいう目の動き・・・などが、いつも以上に求められるものなのだ、ということを認識させられました。

さらに・・・です。無声ゆえに観る側はスクリーンの中の俳優の口に合わせて自由にセリフをつくりあげます。(もちろん、プライベートなサロンならではのことですが・・・)いやはや、そのにぎやかなこと。

とにかく川端文学の名作「伊豆の踊子」映画化第一弾は、最後の舞台となる下田港から大島を結ぶ、沈没しそうな連絡船(大丈夫か? と笑いが起きました)を含めて“文学性”とはほど遠いできばえ。コマの早送りもあり、サイレント映画ならではのドタバタ喜劇ふう、プラス、ちょい“淡い恋”もあり、でした。
スポンサーサイト
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
ランクアップにご協力下さい
↓↓↓↓クリック↓↓↓↓
QRコード
QR