「箱根駅伝」が発進するメッセージ
第89回を迎えた新春恒例の「東京~箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」が終わりました。
1月2~3日の2日間-。この熱戦を見届けてからでないと始まらないヨ、という根強いファンも数多くいて、もはや「箱根駅伝」は、テレビの前で、あるいは沿道に出て小旗を振りながら、頑張れよ! と声援を送る“正月の風物詩”として定着しています。
強風に見舞われる悪条件となった1月2日の往路(5区間108・0キロ)では、最終5区(23・4キロ=小田原=箱根町芦ノ湖駐車場入り口)の山上りで日体大がトップに立ち、実に26年ぶりという往路優勝(通算10度目)を成し遂げました。
一夜明けて一転、好天気に恵まれた1月3日の復路(5区間109・9キロ)では、6区(20・8キロ=箱根町芦ノ湖駐車場入り口~小田原)の山下りから安定した走りを見せる日体大が、最終10区まで後続に約3分強の差を縮めさせずにトップを守り、古豪の名にふさわしい貫禄の走りで総合優勝(復路優勝は駒大)を達成しました。
陸上競技のマラソン、あるいはトラックの長距離走などは、基本的に「個人競技」でしょう。が、駅伝は、走る選手が「タスキ」を背負った瞬間から個人競技ではなくなります。それも、母校のため、皆のため、汗と涙がしみこんだタスキのため、という、言って見れば、大時代的な“滅私奉公”劇を、若い大学生たちが、延々と続く箱根路に繰り広げます。
なぜか日本人は、こういう耐え忍ぶ姿が好きなようです。復路の10区(23・1キロ=鶴見~大手町)中継地点。あと数分、いやもう、数秒でしたか、遅れれば、繰り上げスタートとなってしまう上武大が、必死にタスキをつなごうと気力を振り絞る滅私の姿にはつい、目が潤んでしまい、沿道の観客も我を忘れて“頑張れ!”と拳を振り上げて後押ししてしまうのです。
屈辱の敗北が生む栄光の勝利
日体大の優勝が、何と30年ぶり! といった出来事もドラマチックでしたが、この「箱根駅伝」が秘める、人気の原動力にもなっている“劇的性”は、それだけにとどまりません。
日体大は昨年大会、9区でタスキをつなげず、屈辱の繰上げスタートとなり、今年は、その栄光の歴史を刻む同校初の予選会からの出場を余儀なくされた、というストーリーがあったのです。
栄光の勝利があればまた、屈辱の敗北もあるのが、スポーツに生きるものの宿命でしょう。屈辱の敗北から立ち直り、次にどうつなげるか-。
例えば、レスリング女子の吉田沙保里(ALSOK)は08年1月、中国・北京で開催された国別対抗戦「女子W杯」で敗れ、連勝記録を「119」でストップさせられたとき、悔しさのあまり号泣が止まらない状態でしたが、その後、その敗戦を報じる新聞記事を額に入れて部屋に飾り、2度とこういうことを起こすまい、と言い聞かせながら、世界大会V13、国民栄誉賞の受賞という栄光に結びつけています。
日体大もまた、昨年大会の9区でつなぐことが出来なかったタスキを飾っているとのことでした。創部初の屈辱を、監督やコーチの指導者も、選手たちも、タスキを見るたびに発奮材料としていたのでしょう。
出直しを余儀なくされた日体大が、今大会までの一年間、肝に銘じてやり抜いたことは、中継するテレビで報じられた内容によると、走りの技術がどうの、などということより、まず規則正しい生活などの日常面をすべて、初心に帰って見直すこと、だったそうです。
当たり前のことを当たり前にやれるようになれば、自ずとレースにも結果が表れる、ということを示してくれた日体大の圧勝に、連覇を狙った東洋大とはまた違った、文字通り「古豪復活」の重さを感じとりました。
無念にも往路の5区で力尽きた(棄権)中大と城西大も、順位なしのオープン参加を余儀なくされた屈辱の復路を走り通し、来年はまた、何かをつかんで立ち直ってほしいものです。
1月2~3日の2日間-。この熱戦を見届けてからでないと始まらないヨ、という根強いファンも数多くいて、もはや「箱根駅伝」は、テレビの前で、あるいは沿道に出て小旗を振りながら、頑張れよ! と声援を送る“正月の風物詩”として定着しています。
強風に見舞われる悪条件となった1月2日の往路(5区間108・0キロ)では、最終5区(23・4キロ=小田原=箱根町芦ノ湖駐車場入り口)の山上りで日体大がトップに立ち、実に26年ぶりという往路優勝(通算10度目)を成し遂げました。
一夜明けて一転、好天気に恵まれた1月3日の復路(5区間109・9キロ)では、6区(20・8キロ=箱根町芦ノ湖駐車場入り口~小田原)の山下りから安定した走りを見せる日体大が、最終10区まで後続に約3分強の差を縮めさせずにトップを守り、古豪の名にふさわしい貫禄の走りで総合優勝(復路優勝は駒大)を達成しました。
陸上競技のマラソン、あるいはトラックの長距離走などは、基本的に「個人競技」でしょう。が、駅伝は、走る選手が「タスキ」を背負った瞬間から個人競技ではなくなります。それも、母校のため、皆のため、汗と涙がしみこんだタスキのため、という、言って見れば、大時代的な“滅私奉公”劇を、若い大学生たちが、延々と続く箱根路に繰り広げます。
なぜか日本人は、こういう耐え忍ぶ姿が好きなようです。復路の10区(23・1キロ=鶴見~大手町)中継地点。あと数分、いやもう、数秒でしたか、遅れれば、繰り上げスタートとなってしまう上武大が、必死にタスキをつなごうと気力を振り絞る滅私の姿にはつい、目が潤んでしまい、沿道の観客も我を忘れて“頑張れ!”と拳を振り上げて後押ししてしまうのです。
屈辱の敗北が生む栄光の勝利
日体大の優勝が、何と30年ぶり! といった出来事もドラマチックでしたが、この「箱根駅伝」が秘める、人気の原動力にもなっている“劇的性”は、それだけにとどまりません。
日体大は昨年大会、9区でタスキをつなげず、屈辱の繰上げスタートとなり、今年は、その栄光の歴史を刻む同校初の予選会からの出場を余儀なくされた、というストーリーがあったのです。
栄光の勝利があればまた、屈辱の敗北もあるのが、スポーツに生きるものの宿命でしょう。屈辱の敗北から立ち直り、次にどうつなげるか-。
例えば、レスリング女子の吉田沙保里(ALSOK)は08年1月、中国・北京で開催された国別対抗戦「女子W杯」で敗れ、連勝記録を「119」でストップさせられたとき、悔しさのあまり号泣が止まらない状態でしたが、その後、その敗戦を報じる新聞記事を額に入れて部屋に飾り、2度とこういうことを起こすまい、と言い聞かせながら、世界大会V13、国民栄誉賞の受賞という栄光に結びつけています。
日体大もまた、昨年大会の9区でつなぐことが出来なかったタスキを飾っているとのことでした。創部初の屈辱を、監督やコーチの指導者も、選手たちも、タスキを見るたびに発奮材料としていたのでしょう。
出直しを余儀なくされた日体大が、今大会までの一年間、肝に銘じてやり抜いたことは、中継するテレビで報じられた内容によると、走りの技術がどうの、などということより、まず規則正しい生活などの日常面をすべて、初心に帰って見直すこと、だったそうです。
当たり前のことを当たり前にやれるようになれば、自ずとレースにも結果が表れる、ということを示してくれた日体大の圧勝に、連覇を狙った東洋大とはまた違った、文字通り「古豪復活」の重さを感じとりました。
無念にも往路の5区で力尽きた(棄権)中大と城西大も、順位なしのオープン参加を余儀なくされた屈辱の復路を走り通し、来年はまた、何かをつかんで立ち直ってほしいものです。
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