51歳の快挙に思うこと

プロゴルファー・井戸木鴻樹(51=小野東洋GC)の「全米プロシニア選手権」(5月26日=日本時間同27日=最終日、米ミズーリ州セントルイス=ベルリーブCC)での優勝にはビックリさせられました。

米プロゴルフ・シニアツアーの今季メジャー第1戦の大舞台。井戸木は最終日、首位に5打差の5位からスタートし、6バーディー(ボギーなし)奪取の快進撃を演じ、通算11アンダーの273(パー71)で逆転優勝を果たしました。

この快挙にビックリさせられたのは、井戸木が米国初参戦、正真正銘の“スポット参戦”で優勝してしまった、ということでした。

日本の女子プロゴルフ界を例に取ると、樋口久子(現JLPGA相談役)がスポット参戦で臨んだ1977年の「全米女子プロ選手権」で優勝、その後、岡本綾子が1983年から、米国に常駐する形の参戦を敢行、後に続いた小林浩美(現JLPGA会長)ら、さらに今日に至る宮里藍まで、多くの勝利を重ねました。

ちなみに岡本は1987年のシーズン、外国人としては初となるUSLPGAツアーの賞金女王にも輝いています。

スポット参戦で勝ち取った樋口の米メジャー制覇は、偉業中の偉業といっていいでしょう。というのも、日本人選手が米国を含む海外の試合で勝つには、常駐の形が必須、と言われていたからです。

「マスターズ」の常連だった時代の青木功、中嶋常幸らは、日本ツアーとの兼ね合いを考慮しながら、許される範囲で米国ツアーを連戦することで環境に溶け込む努力をし、また日本とは違うコースの芝質などに慣れようとしていました。

“スポット参戦”で勝つことの難しさ

岡本に続いた小林は、1990年のシーズンから米国を主戦場にしていますが、4年目の1993年にやっと米国初勝利を挙げています。

勝利までに時間がかかったのは、米国の芝質に合わせるためにスイングを改造するなど試行錯誤のときがあったことも確かですが、小林自身は、後に振り返り、他人に任せていた試合以外の業務、例えば移動の手配や宿舎の予約など、面倒な事柄を自分でやれる(できる)ようになって試合でもいい成績が残せるようになった、と話しています。

つまり、異国での活躍は、郷に入れば郷に従う、ことができないと、なかなか難しいようで、ポンと行ってポンと勝つ、などはまず、あり得ないことだったのです。

井戸木の日本ツアーの戦績を見ると、1982年のプロ転向後、レギュラーツアーでは1990年に初のシード権を獲得、その後は4度、シード権を失っては取り戻す粘りを見せています。

また、井戸木のゴルフは、飛距離に関しては女子プロといい勝負といわれながらも、フェアウエーキープの正確さに関しては右に出るものがいないほど、といわれました。

そうした派手さはないが堅実なスタイルが、シニアツアー(50歳以上の選手が参加)で生きたのでしょう。そして何より肝心なことは、初めての米国、初めての米ツアーでありながら、自分のスタイルを臆せずに貫いたことが勝因になったのではないかと思います。

井戸木の快挙は、米国に比べれば、まだまだ規模が小さく、人気面でも遅れを取る日本のシニアツアー界に、それにとどまらずレギュラーツアー界にも大きな影響を与えるだろうことです。

国内ゴルフ界は、4月の男子ツアー「つるやオープン」(4月25日最終日、兵庫県川西市=山の原GC山の原C)の第1日にジャンボ尾崎(66)が、実に「62」の驚異的なエージシュートを成し遂げたり、その試合では、プロ転向から2戦目の松山英樹(21=東北福祉大)が優勝を飾ったり、一時の低迷から一気に話題が増えました。

そこに井戸木の快挙も1枚加わって、今シーズンはにぎやかになりそうです。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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