「巣立ちの季節」に思うこと

巣立ちの季節です-。

〈巣立ち〉=「ヒナ鳥が成長して巣を離れること。転じて、子が親の養護を離れて独立し、または学業を終えて実社会に出ること」(広辞苑)

このところ、私の近い周辺にも、高校に入学して通学のための自転車を購入したんだよ、とか、新社会人として、あれやこれや、準備に忙しかったり、とかいう人たちが多くいて、ニッポンの春、一瞬の桜の季節は、何かと慌ただしく、それでいて希望や新しい夢に満ちあふれているようです。

厚生労働省と文部科学省が、このほど公表した2017年3月卒業予定の大学生の就職内定率は、2月1日時点で前年同期比2・8ポイント増の「90・6%」とのことでした。

これまでの最高は、1998年3月卒の「84・4%」だったそうですから、結構な数字ですね。かつてあった就職氷河期にぶつかった学生たちの苦闘を思い起こすと、昨今の“売り手市場”には、世の中の景気回復、労働環境の改善による人手不足を感じます。

もっとも、本当に景気が回復しているのか? とその実感はありませんが・・・。

それはともかく、89万人と見積もられている希望に満ちた新社会人、若手戦力の加入で企業は、攻撃に出るのか、あるいは守備を強化するのか、難しい時代に入ったのではないでしょうか。

企業の長時間労働が問題化され、それを解消するには、どうしても人手がいるでしょうし、安倍政権も“働き方改革”を推進するなど、日本の企業がこれまで実施してきた労働環境の在り方が、改めて問われるときに入ったのかな? という気がします。

TVドラマ「事件記者」に憧れた時代

突然! ですが、かつてNHKが放送していた連続テレビドラマ「事件記者」を覚えている方は今、どれだけいるでしょうか。

1958年(昭33)から1966年(同41)まで8年間にわたり、週1回、計339回放送され、視聴率も40%超を連発する、当時の大人気番組でした。その第1回が放送されたのが、奇しくも今日「4月3日」でした。

放送がスタートした当時、私は14歳の中学生でした。テレビの本放送は1953年(昭28)に開始され、そのころ、家にテレビがなかった私たち、小学生のグループは、週末になると近所のお医者さんの家に集まり、テレビを見せてもらうのが習慣となっていました。お目当てはもっぱら、力道山が大活躍していたプロレスでした。

「事件記者」も初期の頃、このお医者さんの家のテレビで見せてもらっていたと思います。そのうち、私の家にもテレビが入り、このドラマに夢中になりました。

警視庁に詰める社会部の新聞記者たちが、夜討ち朝駆けの激しい取材合戦を繰り広げ、ひと息つく場の居酒屋「ひさご」がまた、いい雰囲気を漂わせています。

また、キャップ、ベーさん、ヤマちゃん、など、名前の呼び方にも、苦楽をともにする記者仲間との連帯意識が感じられ、このドラマに熱中して新聞記者になりたいと思った方々は多かったのではないかと思います。

中学生の私も、このとき、あるいは気持ちの片隅にそんな熱いものが宿ったかもしれません。

ドラマの中の事件記者たちは、空いた時間はたいてい、ネクタイを緩めて記者クラブの長椅子に寝転がって休息をとっており、まあ、それがドラマの中であるとはいえ、今のように休日はしっかり休んで家族とともに過ごし、男も妻のために産休が取れるようになった、恵まれた社会人生活を送ってはいません。

そして・・・私も現役の頃は、休日など度外視の、長時間労働を当たり前と思って過ごしてきた年代の一人です。

そんなことは誇りにもなりませんが、よりよく整えられた労働環境の中で理にかなって仕事をする一方、しかし、あるときはそれにかなわない事態が起きることもあり、そのときはともに汗を流さなければならないことを、若い人たちには知っていてほしいですね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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