良き記者仲間“ヤマちゃん”との交流

携帯電話にメールが入りました。4月16日の日曜日、午前10時30分-。

送信者は“ヤマちゃん”です。

〈おはようございます。4月18日に「NHK BSブレミアム」で「クラッシュ・ギャルズ」特集があり、ちょっと出ます。見れたら見て・・・〉

-とのことでした。

放送開始時間が記されていないのが、いかにも、ヤマちゃんらしい、アバウトなところですが、そこはいつも通り、こちらの手間。調べてみると、ああ、これかな? 同局で4月18日放送の「アナザーストーリーズ」(午後9時~)です。

記者仲間のヤマちゃんは、私より年齢が3つ下なのでこんな呼び方をしていますが、実は山崎照朝さん、そうです、極真空手の「第1回オープントーナメント~全日本空手道選手権大会」(1969年9月)を制覇した伝説の男〈極真の龍〉なのです。

過去にあった一つの出来事を軸にして、それが及ぼした側面を追っていく「アナザーストーリーズ」の今回のテーマは、女子プロレスの会場を、10代の少女たちが熱狂する、まるで宝塚の会場のように変えたクラッシュ・ギャルズに焦点を当てていました。

1980年に「全女(全日本女子プロレス)」入門の同期生、長与千種とライオネス飛鳥は当初、単独で点と点の活動していました。

しかし、強くはないが、何か新しいことをやりたい、と悶々とする長与。強いけど面白くない、と評価の低い飛鳥。この2人が対戦することになり、点と点が線で結ばれたことを機にコンビを組むことになり、1983年、今では伝説と言われるクラッシュ・ギャルズが生まれました。

2人を結びつけたアイディアは、全女の先見の明だったでしょうが、クラッシュ・ギャルズのファイト・スタイルをその名の通り、激しい衝突、流血も辞さず! に導いたのは、コーチ役を要請された山崎さんでした。

山崎さんがインタビューに答えます。

〈2人の良さは、純粋さ、素直さ、でしたね。私は、極真で教えられた稽古をそのままやってもらいましたが、それは大変だったと思いますよ。でも、2人は“聞く耳”を持っていましたね〉

“極真の龍”とタイソン報道で競り合う

もっとも、特訓中の2人は「もう限界というところから本格的な稽古が始まるんですよ」(飛鳥)「明日(山崎さんを)殺してやろう、と毎日思っていました」(長与)と相当にきついものだったようです。

空手着に“風林火山”の4文字を縫い込んだ山崎イズムを全女のリングに持ち込んだクラッシュ・ギャルズは、ダンプ松本らの「極悪同盟」とシ烈な抗争を展開させ、それはついに1985年8月大阪城ホールのダンプ松本vs長与千種の敗者髪切りマッチへと至ります。

負けた長与。ダンプの非情な髪切りに会場を埋めた少女たちの悲鳴と涙・・・。

誰がそういうストーリーを仕組んだか。ブームをつくったか。そしてその熱狂は、私も強くなりたい、という少女たちの志願者を生み、底辺の拡大という意味で今の日本の女子レスリングの強さにも結びついている、と番組は、クラッシュ・ギャルズへの熱狂を軸とした「アナザーストーリーズ」を力説します。そうした流れにひと役買った山崎さん-。

私が、それまでのゴルフ担当からボクシング担当を命ぜられたのは、1987年(昭62)のことでした。その年の7月、プロボクシング界は、WBC世界ジュニアウエルター(現スーパーライト)級王者・浜田剛史(帝拳)が、王座を奪ったレネ・アルレドンド(メキシコ)と再戦して返り討ちに合い王座を陥落しています。

ボクシング取材の現場で「トウチュウ(東京中日スポーツ)」のボクシング記者として活躍していたヤマちゃんに会い、初対面時の名刺交換で、ああ、この人が“極真の龍”と呼ばれた山崎さん、と知り、ビックリしたことを覚えています。

1988年(昭63)3月に当時、統一世界ヘビー級王者として全盛を誇ったマイク・タイソン(米国)が東京で防衛戦をすることが決まり、このタイソンを巡る各社担当記者の取材合戦は、かなり激しいものになりました。

こうしたことがあると、記者の間に紙面上の競り合いはあっても、そのひとときが過ぎれば、お互い、ねぎらいのようなものが生まれ、私とヤマちゃんの間にも、何か連帯感のようなもの、親しみがあったかもしれません。

お互いに現役を終え、紙面で競り合った日々が懐かしくなった今、ヤマちゃんとは定期的に横浜でランチタイムを持ち、あ~だ、こ~だ、と相変わらず、言いたい放題の歓談のひとときを過ごしています。

いろいろな意味で精神論を尊ぶ空手家ゆえに政治的なことが嫌いな人です。そうでなければ、とうの昔に極真会館の要職に就いていてもおかしくない人・・・でしょう。

もっとも、だからこそ・・・色に染まらない記者の立場を貫いているからこそ、2020年東京五輪で初採用された空手の競技成功、そして継続に向けて関係者から相談を持ちかけられることも多いのではないかと思います。

それに応えつつ、ヤマちゃんは、いつまでも私たちの、良き記者仲間でいてほしいですね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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