思い出す「地下水道」の強烈な印象

その映画のタイトルを耳にすると、なぜか、地下水道の暗闇の中、水しぶきを上げて激しく走り回る男女たちの、悲壮感あふれるモノクロのシーンが、いまなお浮かび上がります。

その映画のタイトル-それはアンジェイ・ワイダ監督によるポーランド映画「地下水道」(1957年4月=日本では1958年1月=公開)です。

冒頭に“なぜか”と記したのは、この映画のシーンが頭の中に浮かび上がるのは、確かに観(み)ているのだろうけど、日本公開年の1958年(昭33)といえば、私はまだ、14歳の中学生だったし、これを観に行ったのだろうか? と、どうにも思い出されないのです。

映画好きだった私の母親が、私が小学生の頃、よく映画館に連れて行ってくれたものでしたが、そのときでは年齢が合わないなァ、とか、あるいは後日、名画上映館でかな? など記憶は曖昧(あいまい)であっても、いまなお、1シーンが思い出されるということは、それだけ、この映画の印象が強烈だったということなのでしょう。

確かに「地下水道」は、どうにも救いようがない、すべてに強烈な映画でしたよね。

第2次世界大戦の末期、1944年のポーランド(ワルシャワ)で、ドイツ軍に追い詰められるレジスタンスの悲壮な~いやむしろ“悲惨な”ですか~戦いを描いたものです。

ドイツ軍の包囲に八方ふさがりとなったレジスタンス軍は、中央へ向かう道を地下水道に求め、地下の暗闇に潜り込んでいきます。が、そこで離れ離れになり、漆黒の闇と溜まった汚水の悪臭に耐えきれず、地上に這い出た者は、ドイツ軍に容赦なく射殺されてしまいます。恐怖心、発狂、裏切り・・・極限に追い込まれた人間の行動。そして、やっとたどりついた出口は、非情にも鉄柵で塞がれ、爆薬が仕掛けられていたりするなど、夢と希望を求めた反ナチスの抵抗運動は、まったく、夢も希望もない明日なき抵抗運動と化してしまいます。

90歳で死去したワイダ監督の遺志は?

ワイダ監督が1950年代に製作した、監督デビュー作の「世代」(1954年)、それに続く第2作の「地下水道」(1956年)、さらに「灰とダイヤモンド」(1958年)は、ワイダ監督の名前を世に知らしめ、評価を高めた〈抵抗3部作〉として、映画ファンたちの記憶に残されています。

それにしても「地下水道」を製作したとき、ワイダ監督は31歳だったといいますから、その若さで、これだけ暗く、明日がない作品をなぜ? と思ってしまいます。

10月12日付の新聞各紙でワイダ監督の死去が報じられました。

死亡記事は-。

〈ポーランド映画界の巨匠で自国の激動の歴史をふまえて、人間の自由や尊厳を問う作品で知られたアンジェイ・ワイダ氏が10月9日、死去した。90歳だった。(略)〉

-とありました。

支配を強いられた第2次大戦中、また戦後の母国の共産主義政権への苦悩、それらを後世にどう知らせ、動かせない歴史を認識させるか、などの重いテーマを根っこに置いた反骨の映画活動・・・。

某一般紙は、ワイダ監督の「私は作品の中で、人間の運命を通してポーランドを語る努力をしてきた」とのコメントを掲載していました。

日本も戦後71年を経て、被爆国としての悲劇を忘れてはならない、どう後世に伝えるか、などの運動が活発化しており、ワイダ監督の遺志と、どこか共通点があるような気もします。

合掌
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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