箱根路から消えた「白地に赤のC」

栄枯盛衰世の習い」「無常の風はときを選ばす」-。

盛んなときと衰えるときがあるのは人生の常である。あるいは・・・風が花を散らすように何ごとにも常はなく、人間にもいつ何が起きるかわからない。人の世は・・・いつも、ああ、無情、なのです。

新春恒例の風物詩「東京箱根間往復大学駅伝」(箱根駅伝=例年1月2~3日開催)の予選会で中大が11位に沈み、来年の本大会への出場権を失うという、かなり衝撃的な出来ごとが起きました。

予選会は、この10月15日に行われ、10位で本大会出場権を得た日大に44秒差の11位となった中大に対しては、私の周りの駅伝ファンからも結構、残念だったねェ、と失望の声が多く聞かれました。

茅ケ崎市(神奈川県)の海岸近く住む友人は、例年、海沿いの道路に出で声援するのが正月のお楽しみになっており、往路、東京から下って来た各校の選手たちが、海沿いの134号線に出て箱根に向かうとき、友人が応援する場所は、ちょうど中大の応援エリアにあたっているのだそうで、配布された「白地に赤のC」の小旗を振るのが〈いつの間にか楽しみになっていた〉と言いました。

箱根駅伝が、新春の風物詩として人気を高め、次第にビッグイベントに成長する中、この駅伝での活躍で学校名を高め、存在感を示そうとする新しい大学群が出てきます。

そうした中で6連場を含む、過去最多14回の優勝を誇る中大は、近年の低迷はあっても、やはり“古豪”としての揺るぎない伝統を背負って健闘してきました。

「栄枯盛衰・・・」とはいえ残念!

1920年(大9)に第1回が行われたこの大会。中大の連続出場は、1925年(大14)から始まり、延々、87回(出場回数は90回)に及んできましたが、それがついに途切れてしまいました。

私が、箱根駅伝での中大の印象を強く焼き付けたのは、1959年(昭34)に8度目の優勝を成し遂げたとき、それが6連覇開始の優勝となったとき、あたりからだったでしょうか。

同年の私は中学3年生の15歳。当時、陸上競技の中・長距離を走っていたことによる興味だったと思います。特に6連覇に大きく貢献した横溝三郎選手(現在は「箱根駅伝」の解説者としておなじみですね)の走りは、憧れでもあり、今なお記憶に残っています。

あの、1960年(昭35)の大会、雪が降る山登りの5区で苦闘していた姿など・・・。

私が中大を選んだのは、そうしたことが結構、影響していたのかも知れません。

1969年(昭44)にスポニチ本紙に就職。まだ駆け出し記者だった翌1970年(昭45)年の第46回大会、1971年(昭46)の第47回大会、と2年連続して箱根駅伝の取材を命ぜられました。

このときは日体大の全盛時で1969年(昭44)から5連覇を達成する勢いでした。

日大、中大、早大、明大、日体大、順天堂大など伝統校、強豪校が競り合う中、新興校の台頭は1975年(昭50)の第51回大会を制した大東文化大が始まりだったでしょうか。

それに1992年(平4)の第68回大会で初優勝した山梨学院大が続き、次第に箱根駅伝で優勝を争う顔ぶれが変わってきます。

それも長い歴史にあっての〈無常の風〉であり〈栄枯盛衰世の習い〉でしょう。

来年の本大会出場権を逸した中大は、強い危機感を持って、既に復活に向けての練習を開始していると聞きました。

どこが勝っても、それはそれで新時代構築への強い力となります。が、古豪・強豪の不在となると寂しいことです。

「白地に赤のC」は、残念ながら来年の箱根路に見られませんが、伝統校群は、何とか頑張ってもらいたいものですね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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