一般公開された映画「横濱の空の下」

JR根岸線「石川町」駅の中華街側改札口から、山下公園に向かって徒歩約15分のところに「横浜人形の家」(横浜市中区山下町18)があります。

11月26日(土)と27日(日)の両日、その建物の4階にある「あかいくつ劇場」で“ある映画”が上映(各日とも午後3時~と同6時~の計4回)されました。

“ある映画”とは?-。

私が今年の夏、元松竹のカメラマンとして数々の映画製作に携わった知人のNさんに「サトーさん、ちょっと協力してよ」と声をかけられ、Nさんが目下、撮影している映画製作に思いもかけず、加わることになってしまったことは、この欄にも以前、書かせてもらいました。

まあ、単なる、その他大勢のエキストラだろ、と気軽に承諾し、撮影日の7月10日、指定された場所に出かけたところ、何とその場で新聞記者役、津川、稲村、藤原(女性)の3人のうち、稲村を命ぜられ、ひと言ながら、台詞(せりふ)もあり、という、とんでもないことになってしまったのです。

ちなみにそのシーンは、主人公が重大決意をしそうだという情報をキャッチした広告代理店、新聞社、出版社など各メディア関係者が、主人公の住む家に押しかけ、真意を正すという場面でした。

その中で新聞記者役3人の台詞は、主人公が復活すればニュースになる、大騒ぎになる、という状況を受けて-

津川「いや、もうなってますやん。そろそろ取材もやらせてくださいよ」

稲村「おいおい、抜け駆けはやめろよな」

藤原「そうよ。ちゃんと正式な記者会見を開いて下さいよ」

-といったものでした。

スクリーンの中に自分を見る不思議

午前10時から午後5時まで、昼食はコンビニのおにぎりのみで、台本の読み合わせ、台本なしのテスト、と何度も繰り返され、本番! となる中、私は、私の台詞である「抜け駆け・・・」の「ぬ」の発音がなぜか明確にならず、日ごろ、普通にしゃべっているときの言葉と、台詞として構えたときの言葉との違い、難しさを痛感したものでした。

・・・という出来ごとがあり、その映画「横濱の空の下」(脚本・監督=泉谷渉)が、冒頭に記した2日間、ついに一般公開されることになったのです。

となると・・・黙っていてくれないのが、いつもの〈呑(の)み処〉で顔を合わせる常連客の面々です。

旗振り役はもちろん、店を仕切るママです。頼むからやめてくれよ、という私の懇願を無視して「“御一行サマ”の旗持って、みんなで観(み)に行くからね~」と何やら、私にしてみれば相当、プレッシャーのかかる? 雰囲気になってしまいました。

この季節の横浜はいいですね。街路樹の銀杏が散って歩道に黄色の絨毯(じゅうたん)を敷き、集まった私たち5人は、11月26日の土曜日午後、会場に向かいました。

会場で出迎えてくれたカメラマンのNさんが「出番は始まってから1時間2分後だからね。寝てちゃダメだよ」と教えてくれます。

物語は、描く詩の力が労働者層を中心に生きる希望を与えていた、かつては反社会勢力にも身を置いていた伝説の詩人、主人公の〈斎藤のぼる〉が、もう2度と書かない、とペンを折り、引退を宣言しつつも、みんなが望んでいる、という周囲の説得で復帰を決意、しかし、生き方が真っ直ぐゆえに想いを果たせないまま死んでしまう、という結構、重い話~夢はかなえるためにあるんじゃない、夢は追いかけるためにあるんだ~という哀感を全編に漂わせていて余韻を残す内容となっていました。

私は、といえば、一瞬の出番でしたが、客席から見るスクリーンの中の私には、やはり奇妙な感じを抱いてしまいます。そういう姿を直視できない、当たり前のことですが、シロウトの域・・・。

プロの俳優は、そういう自分を直視しながら、第三者的にあ~だ、こ~だ、と修正を加えられる人たちなのだなァ、とつくづく思う、映画出演初体験の恥ずかしさでした。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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