逸材を待ち受ける米国での課題
女子プロゴルファーの畑岡奈紗(17=茨城・ルネサンス高3年)が、来シーズンは米国を主戦場に新たな戦いに挑むことなりました。
畑岡は、来季の米女子プロゴルフ・ツアー出場権を懸けた「最終予選会(QT)」(現地時間12月4日最終日、米フロリダ州デイトナビーチ=LPGAインターナショナル・ヒルズコース)で14位に入り、同ツアーの出場資格を獲得したものです。
今年10月の「日本女子オープン」を史上初となるアマチュアで、しかも、史上最年少で、と初ものづくしで制覇したスーパー女子高生。逸材のプロ転向後の視線は、ああ、やっぱり、というか、国内を回避して米国を見据えました。
日本人女子選手の米国への道は、スポット参戦の樋口久子(現・JLPGA相談役)が、1977年の「全米女子プロゴルフ選手権」優勝で開き、その後、岡本綾子が米国常駐で参戦という形を築き、小林浩美(現・JLPGA会長)たちが後に続いています。
岡本は、1986年に外国人選手として初めてUSLPGAツアーの賞金女王になるなど存在感を示し、そうした先駆者の開拓精神の元、今は宮里藍たちが、当たり前のように年間を通して米国ツアーにチャレンジするようになっています。
そうした情勢の中、日本の将来性のある若手選手は、畑中のようにこれからどんどん、日本を飛び越えて米国に夢を馳せる傾向が強くなることと思います。
それはそれでいいのですが、ひとつの考え方として、日本のプロツアーを1年でも2年でも経験してからでも遅くはないのでは? という指摘があります。
最大の難関はコンディションづくり
例えば男子プロの石川遼(25=CASIO)や松山英樹(24=LEXUS)は、プロ転向後、石川は2009年、松山は2013年、それぞれ国内ツアーの賞金王の座を獲得しており、その後、米国に渡っています。
ちなみに女子プロで、畑中のように国内ツアーを回避して直接、米ツアーにチャレンジする形を取った選手に宮里美香(27=NTTぷらら)がいます。
宮里美は2008年、米女子ツアーの最終予選会を12位で通過、翌2009年の出場資格を得ています。
当初は、日本のプロテストを受けることも選択肢にあったようですが、同年代のアジアのライバルたちが米国で活躍するのを見るにつけ、大きな刺激を受けて「世界で戦いたいという気持ちが強くなった」と話していました。
まず、日本のツアーを経験してから、という考えは、アマとプロの差はどこにあるか、という違いからくるものです。
年間を通して試合数が限られるアマは、その試合に備えたコンディションづくりが、その都度、可能となりますが、年間を通して毎週のように試合が続くプロは、コンディションづくりが相当に難しいと言われます。
中嶋常幸プロは、コンディション作りに関してこう語っています。
〈年間を通してすべて好調などということはなく、必ず好・不調の波というのは訪れる。僕たちはその波を小さく、短い期間で終わらせたいわけだが、それにはシーズンオフに、体力づくりを初めとして何をしたか、が問われることになる〉
つまり、調子を落とした時、それを長引かせないこと、シーズン中にはなかなか直せないこと、などが、アマにはないプロの厄介な面なのですが、そうした感覚をまず、日本のツアーでつかんでおくことも無駄ではないだろう、ということですね。
来シーズンに向けて畑岡は、まずシード権の獲得、1勝、ルーキー・オブ・ザ・イヤー、などの目標を掲げました。
が、その前に広大な米国を大移動しながらの転戦、米国内での時差、気候の差など、コンディションづくりにどれだけ早く慣れるか、感覚をつかむか、ということが課題となるでしょうね。
それらを乗り切って活躍に結びつけてもらいたいものです。
畑岡は、来季の米女子プロゴルフ・ツアー出場権を懸けた「最終予選会(QT)」(現地時間12月4日最終日、米フロリダ州デイトナビーチ=LPGAインターナショナル・ヒルズコース)で14位に入り、同ツアーの出場資格を獲得したものです。
今年10月の「日本女子オープン」を史上初となるアマチュアで、しかも、史上最年少で、と初ものづくしで制覇したスーパー女子高生。逸材のプロ転向後の視線は、ああ、やっぱり、というか、国内を回避して米国を見据えました。
日本人女子選手の米国への道は、スポット参戦の樋口久子(現・JLPGA相談役)が、1977年の「全米女子プロゴルフ選手権」優勝で開き、その後、岡本綾子が米国常駐で参戦という形を築き、小林浩美(現・JLPGA会長)たちが後に続いています。
岡本は、1986年に外国人選手として初めてUSLPGAツアーの賞金女王になるなど存在感を示し、そうした先駆者の開拓精神の元、今は宮里藍たちが、当たり前のように年間を通して米国ツアーにチャレンジするようになっています。
そうした情勢の中、日本の将来性のある若手選手は、畑中のようにこれからどんどん、日本を飛び越えて米国に夢を馳せる傾向が強くなることと思います。
それはそれでいいのですが、ひとつの考え方として、日本のプロツアーを1年でも2年でも経験してからでも遅くはないのでは? という指摘があります。
最大の難関はコンディションづくり
例えば男子プロの石川遼(25=CASIO)や松山英樹(24=LEXUS)は、プロ転向後、石川は2009年、松山は2013年、それぞれ国内ツアーの賞金王の座を獲得しており、その後、米国に渡っています。
ちなみに女子プロで、畑中のように国内ツアーを回避して直接、米ツアーにチャレンジする形を取った選手に宮里美香(27=NTTぷらら)がいます。
宮里美は2008年、米女子ツアーの最終予選会を12位で通過、翌2009年の出場資格を得ています。
当初は、日本のプロテストを受けることも選択肢にあったようですが、同年代のアジアのライバルたちが米国で活躍するのを見るにつけ、大きな刺激を受けて「世界で戦いたいという気持ちが強くなった」と話していました。
まず、日本のツアーを経験してから、という考えは、アマとプロの差はどこにあるか、という違いからくるものです。
年間を通して試合数が限られるアマは、その試合に備えたコンディションづくりが、その都度、可能となりますが、年間を通して毎週のように試合が続くプロは、コンディションづくりが相当に難しいと言われます。
中嶋常幸プロは、コンディション作りに関してこう語っています。
〈年間を通してすべて好調などということはなく、必ず好・不調の波というのは訪れる。僕たちはその波を小さく、短い期間で終わらせたいわけだが、それにはシーズンオフに、体力づくりを初めとして何をしたか、が問われることになる〉
つまり、調子を落とした時、それを長引かせないこと、シーズン中にはなかなか直せないこと、などが、アマにはないプロの厄介な面なのですが、そうした感覚をまず、日本のツアーでつかんでおくことも無駄ではないだろう、ということですね。
来シーズンに向けて畑岡は、まずシード権の獲得、1勝、ルーキー・オブ・ザ・イヤー、などの目標を掲げました。
が、その前に広大な米国を大移動しながらの転戦、米国内での時差、気候の差など、コンディションづくりにどれだけ早く慣れるか、感覚をつかむか、ということが課題となるでしょうね。
それらを乗り切って活躍に結びつけてもらいたいものです。
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