還暦を迎える“邪道”最後の戦い

「オーニタです」-。

1月23日夕、携帯電話の着信音が鳴り、耳を当てると、受話器を通して野太い声が聞こえてきました。

「サトーさん、ご無沙汰してます。オーニタです」

声の主はプロレスラーで元参議院議員の大仁田厚(59)でした。

そのとき、私は友人たちと、ちょい飲み&食事でにぎやかなひと時を過ごしており、大仁田からの突然の電話にびっくりしてしまいましたが、用件は、ボクも今年の秋(10月25日)に還暦を迎えます、ついてはこれまでやってきたことに区切りをつけたい、スポニチにご挨拶したいので段取り頼みます、ということでした。

・・・ということで段取りをつけ、1月27日午後、スポーツニッポン新聞東京本社(東京・江東区越中島)の編集局に大仁田が足を運び、編集局長、担当記者、そして、間に入った私も加わり、対応するに至りました。

スポニチと大仁田とは、不思議と言えば不思議な縁があるのです。地元・長崎の中学を卒業した大仁田(当時)少年は、日本一周徒歩旅行を計画、出発時にふと「スポーツニッポン新聞社」(当時の西部本社でしょうね)の看板が目に入り、編集局をぶっつけで訪ねたそうです。

なかなかできないことですが、大仁田少年の話を聞いて、それを記事にした西部本社もユニークですね。大仁田の、新聞と言えばまずスポニチ、の意識は、ここから始まっています。

私自身は、1993年に米国で総合格闘技リング「UFC」が始まり、日本では同年に立ち技打撃系格闘技の「K-1」が産声を上げ、1997年には総合格闘技リング「PRIDE」が立ち上げられ、格闘技の人気が高まるにつれ、このジャンルも専門誌だけでなく、スポーツ紙にも欠かせなくなり、私が担当を命ぜられました。

関連してプロレスの興行も取材するようになり、こんなときに接触したのが、プロレス団体「FMW」を率いる大仁田だったのです。

根底に脈打つ“弱者へのエール”

あるときの東京・後楽園ホールでの興行-。

リング上の過激なパフォーマンスに目を奪われていた私は、ふとリング下に目をやると車椅子の少年が目を潤ませ、両手を突き上げていました。

リング上の“邪道”大仁田は、既成の理不尽な体制を打破すべく、一寸の虫にも五分の魂、の戦いを見せています。

なるほど。大仁田ワールドは“弱者へのエール”なんだな。あの車椅子の少年は、大仁田に勇気をもらい、大仁田厚になって帰っていくんだな。これは、我慢に我慢を重ねた末に「死んでもらいます」と堪忍袋の緒を切らす、唐獅子牡丹の高倉健ワールドじゃないか、と一気に大仁田の目指すものに興味が沸いてきてしまったのです。

ちなみに大仁田の好きな言葉は〈少年よ 大志を抱け〉なのでした。

まったく、いろいろなことをやってくれる人でした。1999年(平11)4月に駿台学園高校(東京・北区王子)の定時制第3学年編入試験に合格して“41歳の高校生”になったり、2001年(平13)には、7月に実施された参院選に当選してしまったり・・・このとき、私が当選に至る苦労話を手記にまとめ上げたことを覚えています。

売り物とした「電流爆破マッチ」の集大成は、私自身は、2000年7月30日に行われた「新日本横浜アリーナ」大会での長州力とのノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチだった、と思っています。

「インディーはプロレスにあらず」との長州の発言で勃発したポリシー戦争は、4年のときを経てやっとたどりつき、邪道は容赦なく巨大な体制の壁に叩き潰され、虫の息となりました。

・・・さて、元に戻り、スポニチの編集局-。

1階下の会議室に向かうとき、階段を下りる大仁田は、ヒザが痛むようでスムーズに足が運べませんでした。長年の酷使がズシリと重い還暦間近の体・・・。

「年内、頑張ります。そして・・・辞める。引退します」

これまで何度となく聞かされた引退発言。そのたびに現役復帰。「いやいや、こんどこそホントに辞めますヨ」

確かに・・・“涙のカリスマ”は、やっと、それこそやっと、辞めどきを見極められたのかもしれませんね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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