名門ジムの今夏閉鎖を惜しむ

手元に古ぼけた私の取材ノートがあります。

その中のプロボクシング関係をメモした「ヨネクラジム」「大橋秀行」の項目にこんな記述がありました。

〈「左だね。出れば行けると思っていたよ」と会長。「孫がチャンピオンになった感じだネ」と目を細める〉

会長は「ヨネクラジム」(東京・豊島区目白)の米倉健司会長。1990年(平2)2月7日、同ジム所属の大橋秀行が、東京・後楽園ホールでWBC世界ストロー級(現ミニマム級)王者・崔漸煥(韓国)に挑んで王座を獲得したときのものです。

大橋はそれまで2度、WBC世界ジュニアフライ級(現ライトフライ級)王者・張正九(韓国)に挑戦して敗れており、今度こそは! と、1階級落とした“3度目の挑戦”を何とかものにしたい気持ちでいました。

一方の米倉会長は、ジム3人目の世界王者であるWBC世界ジュニアフライ級(現ライトフライ級)王者の中島成雄が1980年(昭55)3月24日の防衛戦で敗れ、それから10年が経過しており、久々の名門復活となっただけに、思わず「孫が・・・」と米倉会長らしい言葉が飛び出したのだと思います。

そうした印象的な出来事が思い出されるヨネクラジムが、今年8月末を持って閉鎖されることが発表されました。

現在82歳の米倉会長が、高齢による体調不良により、選手の指導が十分に出来なくなったため、とされています。

かねてから公言していた〈ジム経営は“一代限り”の方針〉を貫いた形の決断となったようです。 

JR山手線の「目白」駅を降り、線路に沿って「池袋」方面向かって約10分ほど歩くとヨネクラジムに到着します。横切って走る西武池袋線の車窓から建物を見ることができます。

“天然ふう”の会長が記者を和ませた

ヨネクラジムは、1963年3月、元日本フライ級王者、元東洋太平洋バンタム級王者、として活躍した米倉健司氏が、現役引退後に開設しました。

1970年にWBC世界フェザー級王座を獲得した柴田国明を初め、ガッツ石松、中島、大橋、川島郭志ら5人の世界王者を輩出している名門ジムで、私たちボクシング担当記者は、帝拳ジム、協栄ジムとともにヨネクラジムも、定期的に顔を出して“いい話”を仕込むルーティンとしていました。

ジムに入り、声をかけると、米倉会長はいつもニコニコと笑顔で対応してくれましたが、この会長は、どこか“天然ふう”のところがあり、記者連中の名前を覚えるのがどうにも苦手のようで、顔と名前が一致せずに戸惑う様子に“ここで何枚名刺を配ったことか”“いつになったら覚えてくれるのか”と苦笑する記者が続出したことを覚えています。

WBC世界ストロー級王者となった大橋は、1990年10月、2度目の防衛戦で最強の挑戦者リカルド・ロペス(メキシコ)と顔を合わせます。

「スキなし、ソツなし、目も勘もいい」と米倉会長は、公開スパーで相手を再三グラつかせた敵のロペスを絶賛します。これも米倉会長の“らしさ”です。

一発のパンチでは大橋、カウンターの威力ではロペス、と評価された試合は、2回以降、ロペスに足を使われ、追い切れない大橋が4回に1度、5回に2度、と計3度のダウンを奪われて5回TKO負けを喫し、王座から陥落しました。

再び、私の取材ノート-。

〈会長、戦績通りすごい選手だ、とロペスをほめる〉〈大橋、やっぱり世界は広い。上には上がいる、と完敗宣言〉

ジムの会長は、こうして戦う選手と苦楽を共にして日々を過ごしているのでしょうね。

私たちが定期的に接触する時間があっても、それだけでは推し量れない気苦労を背負っているのでしょう。

ジムの閉鎖は残念ですが、会長には、54年間、本当にご苦労様でした、と言いたい気持ちです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
ランクアップにご協力下さい
↓↓↓↓クリック↓↓↓↓
QRコード
QR