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心にしみる「誰もいない海」の哀愁

自宅から近い片瀬海岸西浜(神奈川県藤沢市)周辺の海沿いの道が、私の日ごろのウォーキング・コースとなっています。

まあ、日課にしたいという気持ちはあるのですが、そこまでには至らず、それでもせっせと、マジメに歯を食いしばり、嫌がる体にムチ打って歩いています。

これまでも結構多く、ウォーキングをテーマにあれこれと雑文を書いてきましたが、毎年のことですが、8月から9月へ移行するこの季節、歩いていて感じることは、海辺の空気がガラリと変わることですね。

目に見える部分では、立ち並ぶ〈海の家〉の解体が8月31日に開始され、9月上旬のこの時期は、ほとんど骨組みが残されているだけとなり、海岸が広く感じられ、風通しがよくなった気もします。

何よりも、あの夏の喧騒(けんそう)が一気に消え、代わって、やたら多く飛び交い始めた赤トンボとともに、こちらも一気に秋の気配が漂い、8月は体中、汗だくになったのに9月に入った今、汗ばむだけになったことに対しても、何やら寂しさを感じてしまいますね。

私はたいてい、好きなラジオ局〈84・7〉の「FMヨコハマ」をイヤホンで聴きながら歩いていますが、この季節、何故か自然に口ずさんでしまうのが「誰もいない海」(作詞・山口洋子、作曲・内藤法美)なのですね。

今は~もう秋 誰も~いない海
知らん~顔して 人が~ゆき過ぎても・・・

この「誰もいない海」は、1970年(昭45)にトワ・エ・モアが歌ってヒットしていますが、私の中の「誰もいない海」は、シャンソン歌手の大木康子さん(2009年2月死去=享年66)が歌った「誰もいない海」で、そこにたまらない哀愁が感じられて好きですね。

「銀巴里」があり「蛙たち」もあり・・・

資料によると「誰もいない海」の初レコード化は、トワ・エ・モアが歌う以前、1968年(昭43)なのだそうですが、それを大木さんが歌っているのです。

私がこの歌に何故か愛着を感じるのは、この歌が世に出てきたころの1969年(昭44)に私はスポニチ本紙に入社しており、ファンの方はご存知でしょうか、その頃、東京・銀座にシャンソニエ(シャンソンを聴かせるライブハウス)の「蛙たち」があり、大木さんは金子由香利たちと歌を聞かせており、若き日の私もライブで聴いているのですね。

ああ、懐かしい! ですが・・・。

あの頃の銀座には、1951年(昭26)に開店した日本初のシャンソン喫茶「銀巴里」(東京・中央区銀座7丁目)があり、愛好者を楽しませていました。「蛙たち」は、それより遅れて1965年(昭40)に開店。「銀巴里」が閉店した1990年(平2)以降、頑張って今に至り、2015年3月には〈創業50年記念コンサート〉を開いています。

私が「蛙たち」に時々、出入りしていた頃、ちょっと記憶がハッキリしないのですが、店は確か、ホテル日航の地下にあッたような気がしますが、店内に入るとスタッフが「かえるのうたが~きこえてくるよ~」と童謡の「カエルの合唱」を歌って歓迎してくれて、心を和ませてくれたものでした。

海辺のウォーキングから柄にもなくシャンソニエの思い出まで、何やら話が次々に飛びましたが、要は、短い夏が終わって次第に秋の気配が漂い、夏の喧騒が消えた秋の海には〈大木康子さんの「誰もいない海」〉が似合うね、というだけの話がしたかったのです。

まあ、若き日を懐かしむオヤジの感傷といったところですかね~。

思い出の「蛙たち」は、そうですか、今でも健在なのですね。

機会を見て行ってみたくもなりました。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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