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どこへ行く~「甲子園の土」の価値

この出来事を単なる「価値観の多様化」現象で済ませいいいものかどうか-。

8月17日付のスポニチ本紙社会面を含む新聞各紙にちょっと目を引く記事が掲載されていました。

甲子園の土」が、個人間で品物を売買するフリマ(フリーマーケット)アプリ「メルカリ」に出品され、実に1000円~3500円といった価格で購入されている、というのです。

高校野球の甲子園球場を舞台とした全国大会で、敗れたチームが「甲子園の土」を記念に持ち返る光景は、昨今、当たり前のように見られます。

持ち帰った土は、どう役立てられているのだろうか。瓶などに詰められて学校に飾られているのだろうか。あるいは選手個々が自宅に思い出として飾っているのだろうか。友人たちに配っているのだろうか。涙で顔をくしゃくしゃにしながら懸命に土をかき集める高校球児たちの姿に接し、それを見る側も、いい思い出になってくれればなァ、後輩たちが母校に飾られた土を見て発奮してくれればなァ、など好意の目を向けます。

それが・・・どこでどういう経路をたどってこうなったのかは分かりませんが、まさかネット上で売りに出されるとは・・・。出品する側、場を提供する側(アプリ運営会社)、さらに購入する側にも、こういうものが売買されていいものかどうか、という問題意識、自主規制が必要なのではないか、と思います。

高校球児にとって地区予選を勝ち抜き、甲子園で戦うことは夢であり、だから敗者は、3年間の精進、夢を実現させた証(あかし)にと、土を拾って持ち帰ります。

それを最初にやったのは誰か?

長い歴史を持つ高校野球ゆえにさまざまな説があり、資料もそのあたりはあいまいで、後にプロ野球の世界で“打撃の神様”を呼ばれた、あの川上哲治氏だったとか、また、福岡・小倉北高のエース・福島一雄投手だったとか、言われています。

それがネット上で売られるなんて!

が、やはり、私たちがよく知る「甲子園の土」に関する出来事は、沖縄・首里高ナインの悔しさと悲しみですね。

1958年(昭33)夏、戦前・戦後を通じて初となる沖縄代表の勇姿が甲子園にありました。沖縄予選を勝ち抜いた首里高です。

当時の沖縄は、米軍統治下に置かれており、本土は“外国”であり、すべてにパスポートが必要だった沖縄勢。同年の大会は、全国都道府県各代表に沖縄勢が加わったことで、初めて47校が顔をそろえて争われた記念すべき大会。注目の首里高は初戦、初の甲子園で善戦むなしく0-3で敗退します。ちなみに相手は福井・敦賀高-。

首里高ナインは帰路、鹿児島から船で那覇港に到着。事件はそこで起こります。植物防疫法により、持ち帰った「甲子園の土」が“外国の土”として没収され、海へ捨てられてしまった、という出来事です。

土を持ち帰ることも許されなかった時代が沖縄勢にはあり、そうした反骨はやがて本土復帰、沖縄尚学高や興南高に代表される強い沖縄県勢を生んでいきました。

先日のこと-。

友人たちとの雑談で「甲子園の土」を拾う高校球児たちの話題となり、負けたチームの選手たちが、シューズケースなどにまさにかき集めるといった感じで大量の土を詰め込んでいるのはいかがなものだろうか、ということが話題となりました。

いつのころからそうなったのか、確かに・・・その光景は、かつてあった、惜敗した投手がマウンドの土をひとつまみ、こっそりとユニホームのポケットに忍ばせた、など心温まる姿とまったく趣を違えています。

そうする彼らを別に糾弾する気などありません。まだ好意の目は残っています。

が、しかし、ですよ。それがネット上の売買の場に出されるような出来事が起きると、エッ? キミたち、そうなの? とあらぬことを詮索されても仕方のないこととなってしまうでしょう。

もっとも、出品された瓶詰の「甲子園の土」が、果たして本物なのかどうか、それもハッキリしませんが、悪ふざけだとしたらなお、これらの行為は救いようがありません。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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