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昭和の異能の死を悼む

最初に「明治の女房」さんのコメントへの返信です。

ご指摘、ありがとうございます。

なるほど~そういう経緯があったのですね。やはり稽古は休んではダメですね。大事なやりとりを「知らなかった」では済まネ-だろ、と反省です。

そうしたこととは別に第2幕のカミさんとのやりとり(ぶつかり合い?)は結構、気合が入って面白かったですね。

・・・またヨロシク、とは今の段階で言いませんが・・・ネ。

                        **************

話は変わり-。

手元にかなり古ぼけた取材ノートがあります。

表紙に「昭和45年初場所~」の文字。懐かしいですね。1969年(昭44)春にスポニチ東京本社に入社した私は、1年間の研修期間の後、1970年(昭45)春に編集局の運動部に配属され、いきなり大相撲担当を拝命したのです。

ノートはそのころのもの。このときの大相撲界は、晩年を迎えていた大横綱の大鵬さん(故人)が、体調不良で休場を余儀なくされるなど引退危機に立たされ、一方、それに代わる新勢力として北の富士、玉乃島さん(故人)が横綱を狙う場所として注目を集めていました。

そして・・・もう一つの話題が、2年連続学生横綱など数々のタイトルを引っさげて日大から大相撲界入り、異例ともいえる幕下付け出しでデビューした輪島さん(故人)でした。

駆け出し記者の私は、と言えば、キシャ以前のトロッコ状態で、まだよく分からない大相撲の世界をゴトゴトと走り、右往左往していましたが、取材記者デビューが輪島さんのプロデビューと重なったということで輪島さんには何となく親しみを感じていました。

私の古ぼけた取材ノートにはまた、こんなメモが書かれていました。

初土俵の初場所、次の春場所とも7戦全勝で夏場所は一気に東十両8枚目に躍進した輪島への注目度を受け-。

ファン層が変わる。老若男女が“ワジマー!”の大声援。新しい波の到来か

と-。

ロードワークで始まった朝稽古

当然、朝稽古の取材に走り回る担当記者も、東京・墨田区両国界隈の部屋だけでなく、輪島が所属する東京・杉並区阿佐ヶ谷方面にある「花籠部屋」のマークも手抜きできず厳しさを増します。

しかし、部屋に輪島さんがいることはめったにありませんでしたね。どこに? と探すとたいてい、周辺をジョギングしています。相撲の朝稽古にボクシング並みのロードワークを持ち込んだのは、輪島さんが最初だったのではないでしょうか。

だいたい動きをつかんだ記者たちは、輪島さんをつかまえるのは、部屋ではなく道路で待つなどということが普通となりました。

これまであった大相撲界の常識では把握できない行動でしたね。

私は3年ほどで大相撲担当を外れ、以後はさまざまなジャンルで取材活動を続けてきましたが、輪島さんが大相撲界を引退して1986年にプロレス(全日本プロレス)入りしたなどの動きを遠くで聞き、しかし、輪島さんの確か、東京・後楽園ホールだったと思いますが、国内デビュー戦となったタイガー・ジェット・シンとの試合を取材しています。

輪島さんの体形は、力士にありがちな肥満体でなく、整った筋肉質であり、シャープな動きとともにプロレスラーとしてもなかなかいいのでは? などの印象を受けた記憶があります。

もう一つ、エッ、何でこんなことろに・・・と思ったのは、ヨットの外洋帆走レースに参加したチームの総監督を何と輪島さんが務めていたことです。これにはビックリしましたね。

大相撲界からプロレス界へ。そしてそこを離れた後は、タレント活動などさまざまなところで活躍していたのでしょうが、10月9日午後、テレビのニュースで8日に死去していたことが報じられたときは一瞬、耳を疑いました。

新聞報道によれば、下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱、とのことでしたが享年70、昭和を彩った異能の死は、本当に残念でならない気持ちです。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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