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“先駆者の勇気”を忘れてはならない

テレビの画面を通して米プロバスケットボール「NBA」のコートで躍動する日本人選手の姿に接し、拍手を送りつつ、また感慨も覚えました。

10月27日(日本時間同28日)、米テネシー州メンフィスで行われた対サンズ戦でNBAデビューを果たしたグリズリーズの渡辺雄太(28)です。

渡辺は高校卒業後に米国留学。ジョージワシントン大を今年5月に卒業、7月にグリズリーズと、下部チームに所属しながら一定期間NBAに出場が可能なツーウエー契約を結び、今回のデビューにこぎつけています。

日本人離れした身長2メートル6のビッグサイズに時代の流れを感じるとともにまだ、記憶に鮮明なのが、身長1メートル75ながら2004年、サンズでプレーしたNBAの日本人選手第1号・田臥勇太(38=現・Bリーグ「栃木ブリックス」)です。

デビュー戦では、大男たちの中で田臥の小さな体が切れ味鋭く動き回り、ノールックパスや3人を抜くバウンドパスなど高い技術で注目を集めました。

あれから実に14季ぶりにNBAに登場した2人目の日本人選手。渡辺は自ら獲得した2本のフリースローを手堅く決めるなど2得点2リバウンドの結果を残し、存在をアピールしました。

こうした出来事に触れるにつけ、いつも思うことは“先駆者の勇気”です。

自らが自らを選んで・・・

渡辺の前に田臥がいて、しかし、田臥のNBAへの道は、登録されては解雇が繰り返され、苦闘の連続でした。支えたものは熱意と夢-。今回の渡辺の出現は、田臥のそれを受け継ぐものともいえるでしょうか。

“先駆者の勇気”について言うなら、MLBにも1964年9月に日本人メジャーリーガー第1号となった村上雅正がいて野茂英雄がレールを敷き、イチローや松井秀喜らの活躍。今や日本人選手の存在が本場・米国でも欠かせないものとなっています。

USLPGAツアーでも1977年、樋口久子(現・JLPGA相談役)が全米女子プロゴルフ選手権を制覇し、その後、岡本綾子が米国に常駐する形でのツアー参戦を果たし、1987年に外国人選手として初の賞金女王となる快挙を成し遂げ、今の若手選手たちに米国への道を切り開いています。

岡本が米国常駐を実行した1983年当時、国内ツアー界は、大会を支援するスポンサーの意向が強く、トッププロの米国行きは、今のように簡単なものではありませんでした。

総合格闘技のUFCに参戦にした日本人選手第1号が大道塾の空手家・市原海樹(みのき)でした。

1994年3月、前年に発足したばかりのUFCの第2回大会に参戦。ホイス・グレイシー(ブラジル)と戦って敗れました。

当時のUFCは、今のようにウエートもルールも整備されておらず、バーリ・トゥード(ポルトガル語で何でもあり)が曲解されてケンカさながらの戦いが繰り広げられていた時代。市原とオクタゴンを結びつけた作家の夢枕獏氏は、そのリポートでこう記述しています。

〈試合前の恐怖感が大きければ大きいほど、その領域に踏み込むための門は狭くなり、領域の道は高みを増していく。人は他人によって選ばれるのではない。自らが自らを選ぶのである。市原はすでにそういう領域に足を踏み入れていた〉

凄いですね。この市原だけでなく、スポーツ各界の先駆者たちには、しびれるような志の高め方があり、それこそ身を切るばかりの緊張に包まれていたことと思います。

今、後に続くものは、それを忘れてはならないとつくづく思います。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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