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映画「俺たちの時」を観て・・・

さわやかな青春映画を、私自身も若返って観(み)てきました。

1月15日午後、映画愛好家たちが集まった定例研修会の新年第一弾で上映された松竹映画「俺たちの時」(1976年製作=水川淳三監督)です。

例会には、この映画をつくった水川監督や調音(録音)を受け持った松本隆司氏も姿を見せ、会場に熱気がこもりました。

主人公の矢島鉄男は、田舎から出てきて都内の私立大学に通う、何となく毎日を行き当たりばったりに、怠惰に過ごしている大学生です。

これを中村雅俊が実にうまく演じているのですね。

映画が公開されたのが1976年(昭51)11月。1951年2月1日生まれの中村は、当時25歳。長髪で着古したチェック柄のシャツ、無責任で失敗を繰り返す映画の中のドタバタ青年は、オッ、ああいうヤツ、いるよなァ、と観る側を思わず笑わせてしまうほどハマっていました。

映画が製作された時代背景として昭和50年前後は、人々の生活意識が大きく変化し始めた時期だったでしょうか。象徴するものは、コンビニ、ウォークマン、カラオケ、と言われました。

つまり日本人全体が一丸となって前を向いた高度経済成長期が小休止、ひと息ついて、人々がそれぞれに〈個の好み〉を求め始めたときでした。言い換えるなら生活の多様性-。

過熱していた学生運動も、仲間内での大量リンチ事件(内ゲバ)が明らかになって日本中を震撼させた1972年(昭46)2月の「連合赤軍あさま山荘事件」を機に社会が豊かさを増すとともに急速に衰退化しており、典型的なノンポリ学生の鉄男、イコール中村雅俊、と役柄がピタリとハマっていたのですね。

時代背景にマッチした中村“鉄男”の好演

女のコを軟派して借りた車で軽井沢に出かけたまでは上々だったのですが、ドジの連続で女のコに逃げられ、出会った金持ちのお嬢さんたちに絵画のヌードモデルにさせられたり、あげく車をぶつけてしまい、高い修理代のために空き巣に入ったり・・・と中村“鉄男”の日々は、あっちへぶつかり、こっちにぶつかり、と落ち着きません。

しかし、空き巣に入った家の主である柳田老人(笠智衆)に見つかり、あわてて縛って逃げたものの、妻と死別し子供たちとも離れ、厭世的に一人暮らし続ける柳田老人を、鉄男は見放すことが出来ず、これを機に交流が始まります。

柳田老人の世話を焼く人々の中に薬屋の娘・由起子(檀ふみ)がいて鉄尾は恋心を抱きます。

ちなみにこの中村雅俊&檀ふみのコンビは、松竹が“ふれあいコンビ”として世に送り出し、若者たちの共感を呼び、この映画でもそれが微笑ましく描かれていました。

・・・やがて柳田老人は、次第に亡き妻の幻覚に惑わされるようになり、幻影に招かれるままに外に飛び出し、車に轢(ひ)かれて死んでしまいます。

さらに鉄男をムチ打つ、由起子の婚約が明らかになってしまう出来事-。

傷心のあまり、なお自堕落になり、生きる望みを失ったのではないか、と思われた鉄男は、しかし、嬉々として大学に顔を出し、嬉々として退学届けを提出します。

その理由を聞かれて・・・「失恋のため大学を退学いたします」-。

それは、鉄男の内面に、死に至った柳田老人との心の交流、由起子を初めとする様々な人々との交流によって、真剣に生きることの素晴らしさが湧き上がってきたことによるものでした。

水川監督は、映画づくりに際してこう話しています。

〈面白い映画をつくるためには自由が必要です。表現上の自由、経済上の自由、いろいろありますが、一番欲しいのは、つくる人々が作品の中に、主人公の立場にのめり込んでいけるいけるような作品しかつくらない自由です。作品を選ぶ権利とも言えます。それなくして面白い作品は出来上がりません〉

なるほど、ホントになるほど、ですね~。素晴らしい言葉です。映画づくりの真髄は、こういうところにあるのでしょうね。

中村“鉄男”は、水川監督に言わせれば、それはキミ、俺だよ、ということになるのかもしれませんね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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