FC2ブログ

テレビドラマ「事件記者」の思い出

週末になると近くのお医者さんの家に近隣の顔なじみが集まりました。

私が小学生だった1950年代前半-。

当時、まだ一般の家庭には“高嶺の花”だったテレビが、このお医者さんの家にはあり、皆で番組を観(み)せてもらうためでした。

テレビの本放送が開始されたのが1953年(昭和28年)2月1日。社会は1955年(昭和30年)ごろから高度経済成長の時代に入り、その象徴の一つが“三種の神器”の普及でした。

神器(じんぎ)とは、どこの家庭でも購入を目的とした家電製品-白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機でした。その中でも白黒テレビは普及度を広め、手が出なかった時代から徐々に手が届く時代へと情勢を変えてきました。

もっぱらお医者さんの家でテレビを楽しんだ小学生のとき、熱中したのがプロレスでした。力道山や木村政彦がシャープ兄弟を相手に大活躍するプロレス中継の人気は凄まじく、繁華街に設置された街頭テレビの前には黒山の人だかりが出来たといいます。当時の状況を伝える資料には「1954年(昭和29年)2月19日、東京・有楽町の日本劇場前に設置された、プロレスを中継する27インチの街頭テレビの前には1万人近くがグギ付けとなった」とありました。

少年たちが憧れた新聞記者の世界

初期のテレビ局にとっては、テレビの面白さを広めるためにプロレスは格好のコンテンツだったわけですね。

一方、1950年代後半に入り、NHKが連続テレビドラマ「事件記者」(原作=島田一男)を開始しました。覚えている方も多いことと思います。この1958年(昭和33年)に始まった第1回の放送は4月3日でした。

今でもテレビドラマは、刑事もの、記者ものが結構多く製作されていますが、それらの原点ともいえる大ヒットドラマとなった「事件記者」は、そのカッコ良さもあり、中学生だった私もそうですが、新聞記者という職業への憧憬を多くの少年たちに抱かせたのではないかと思います。

警視庁詰めの新聞各社の社会部記者たちが、激しい取材合戦を展開させます。主役となる「東京日報」の敏腕事件記者たちは、キャップの永井智雄、べーさんの原保美、イナちゃんの滝田裕介、また他社「中央日報」のガンさんこと山田吾一ら…。

さらに情報を持ち寄って作戦を練る呑み処「ひさご」に集まっては、また散っていく記者たち。彼らを笑顔で迎え、送り出す、店の女将のおチカさんこと坪内美詠子。何もかもが魅力的な新聞記者の世界が描かれていました。

まあ、振り返ってみれば、私事で恐縮ながら、多感な少年期に芽生えた新聞記者への憧れが、先々にまで影響していたのかもしれませんね。

4月3日が開始日だったということでちょっと思い出してみました。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
ランクアップにご協力下さい
↓↓↓↓クリック↓↓↓↓
QRコード
QR