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たかがマスク…されど

新型コロナウイルスの感染拡大で依然、品薄状態が解消されないマスクの、政府による全世帯への「布マスク(2枚)」配布が4月17日、スタートしました。

配布を受け持った日本郵便は、東京都内を皮切りに感染者の多い都市部を優先的に配達、順次、全国へと広げる段取りだそうです。

まあ、この“アベノマスク”と揶揄(やゆ)される政策に対して国民感情はさまざまで「サイズが小さい」とか「厚手の分だけ重い」とかの不満の声が上がり、また、かかった経費466億円には「税金の無駄遣い」など厳しい声も聞こえています。

確かに新聞報道などで繰り返される医療現場でのマスク不足、防護服不足などは深刻な問題でしょうし「もっと必要としているところに…」という指摘は“その通り”でしょう。しかし、その一方、どこの店でも「完売」の張り紙が貼られ、もはや普通の買い方では手に入らなくなったマスクに対する一般人の苦慮も少なくなく、いろいろと政府の後手々々の対応に不満はあっても、とりあえずは「ありがたいこと」と受け止めてもいいのではないかと思います。

関連して私が住む神奈川県下の大和市では、市民にマスク着用の徹底を呼びかける「おもいやりマスク着用条例」を制定、施行しました。罰則はないものの、マスク着用を条例によって義務付けるのは、いかがなものかと思います。それよりもマスクが手に入らない現状の改善のほうが先でしょう。

一般化は大正時代から

個人的な話になりますが、私自身、記憶が薄らいでいますが、子供のころから、ほとんどマスクのお世話になったことがないような気がします。あの頃、私の年代の方々は皆、そうではなかったかと思います(私の周りの方々は…です)が、年月を経て昨今、花粉症の影響もあるのでしょうが、女性を中心にマスクを着用するのが当たり前の社会習慣になっています。

さまざまな個々の事情があるにせよ、顔を半分隠すということは、第一に表情が分からないということで相手への印象が薄まりますね。

余談になりますが、このところテレビへの登場機会が多い、東京都・小池百合子知事のマスク姿は、顔の半分を隠すことで表向き、感染者増加の苦慮を半減させる効果を得ていますが、その分、目の動きに、テレビの画面を通しても、なかなか収束が見えてこない内面の焦りが見え隠れしているような気がします。

日本でのマスクの起源をたどると、資料には、江戸時代の終わりころから明治時代の初期にかけて「銀山での鉱山病対策として防塵(ぼうじん)マスクが使用されていた」とありました。また大正時代に入り「工場用の防塵マスク」としても使用されていたようです。

そのころの市民生活にマスクはほとんど縁がなかったようですが、大正時代に勃発した「スペイン・インフルエンザ」の大流行(1918年~1920年)により、ウイルス感染予防としてのマスク着用が一般化された、とのことでした。

私は今、外出時に外にいるときはマスクを外し、社会的距離が保てないときや電車内、屋内にいるときは着用、と着けたり外したりしています。マスクを着けるとメガネが曇ってしまうこと、呼吸をすることで鼻の周辺がむずがゆくなってしまうこと、何よりも鬱陶しさ、などで出来れば着けたくない気持ちです。

とはいえ…仕方ないですね。飛沫を飛ばさないため、受けないため、自分のため、他人のため、です。

私は、マスクを繰り返し使っているため、今回の「アベノマスク」2枚配布は“結構なこと”と受け止めていますが…。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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