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もうひとつのレース

マラソンの「ペースメーカー」について考えてみました。

というのも…1月31日に開催された「大阪国際女子マラソン」(長居公園南西口発~長居公園周回路~ヤンマースタジアム長居着)で優勝を飾った一山麻緒(23=ワコール)を最後まで引っ張ったペースメーカー(男子)の存在が際立っていたからです。

【ペースメーカー】レース序盤~前半にかけての無用な選手間の争いを防ぎ、記録が出やすいように走る先導役(風よけの役割も)。一般的には30キロ付近で外れることが多い。高橋直子や野口みずきがベルリンで出した日本記録もペースメーカーの存在が大きかった。ガードランナーとも呼ばれる。

このレースをアシストしたペースメーカーは以下の6人-。

川内 優輝(33=あいおいニッセイ同和損保)
岩田 勇治(33=三菱重工)
田中 飛鳥(31=ひらまつ病院)
竹ノ内佳樹(28=NTT西日本)
奥谷 裕一(29=大塚製薬)
梶原 有高(32=ひらまつ病院)

まず大会前、東京五輪代表組の一山と前田穂南(24=天満屋)には、野口みずきが持つ2時間19分12秒の日本記録を更新する大目標があり、ペースメーカーもそれを受けた的確なリードが必要となる重責を背負ったものとなりました。

レースはスタート直後から一山と前田が飛び出し並走。この2人を川内、岩田ら3人のペースメーカーがアシストします。目標ペースは「1キロ=3分18秒」。これで42キロを走れば2時間18秒36秒、残りを「36秒」で走れば日本記録に並ぶ、という計算です。

一周2・8キロのフラットな周回コースとあって、そのペースは不可能ではないだろう、とも言われましたが、14キロ手前で前田が脱落、一山も25キロを過ぎて失速。一山の優勝タイムは2時間21分11秒となり「3分18秒のペースがこれほど苦しいものとは…」という残念な結果となりました。

ペースメーカーの熱い貢献

が、それはともかく終始、目を引いたのがペースメーカーの誘導でした。前田が遅れ、その後は一山のひとり旅となった中、一山には川内と岩田がついてサポートします。

特にメーンの川内は、遅れがちになる一山を「頑張れ」と声をかけて励ましたり、あるいはコースに段差があれば、指で注意を促したり、触れることはもちろんなくても“エア手取り足取り”の形で一山をリードしていました。

トップを走る一山に川内と岩田がつき、では遅れた前田はどうしているか、というとき、テレビの画面に映し出された前田は後続の位置ながらペースメーカーに引っ張られていました。

ここで観(み)る側にちょっと「?」が生じます。一般的にペースメーカーが先導役としてトップ集団を引っ張るのは、正しい役目でしょう。しかし、そこから落ちた選手にもペースメーカーがつくのかどうか、これはあまり見ない光景ですね。

こうした例を資料で見てみると…。

外国の、これは特別な例だと思いますが、レースに招待された有名選手が専属のペースメーカーをつけるという条件で参加し、徹底した風よけなど、さまざまな“過剰サービス”が功を奏して優勝。特定の選手への行き過ぎたサービスに批判が渦巻いた、などという例がありました。

マラソンのペースメーカーが過去、途中から独走で突っ走ってしまった、などの例はあるものの、常識の範囲で特別なルールはないようですが、他選手に不公平感を与えるようなアシストになってしまうことには要注意の感もしますね。

一山の走りをサポートし続けた川内と岩田は、当初は40キロ付近で離れる予定でいたそうですが、ここまで来たのだから、と考えたかどうかは分かりませんが、ゴールの競技場直前まで走って離れました。

東京五輪に向けて日本記録を更新しておきたいという一山本人とそれを熱くサポートし続けたペースメーカー2人の“ほぼ完走”状態は、まさに一丸となった「チーム・ジャパン」を思わせました。

ちなみに大会規定にもよるでしょうが、ペースメーカーがそのままゴールしても問題はないようです。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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