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地震、津波、台風・・・その対策

この項を書き始めたのは9月21日の、あと10分ほどで正午といったときです。私が住む藤沢市(神奈川県)も、この時間帯、台風15号の接近の影響を受け、外は断続的な強い風雨に見舞われ荒れ模様、時折、雷さえも鳴り響き、上陸後は北上、日本列島縦断が予想される夕刻以降に向けて無気味な雲を垂れ込めさせています。

台風襲来の代名詞でもある「二百十日」は、辞書によると「立春から数えて210日目、9月1日ころに当たり、ちょうど中稲の開花期で台風襲来の時期となるため、農家では厄日として警戒する」(広辞苑)とありました。

暦の上で夏の終わりのこの季節は、古くから台風襲来のときなのですが、それにしても昨今の自然災害の規模の大きさには、昔の“厄日として警戒する”などという域を超え、すさまじいものを感じます。余談ですが、夏の暑さにしても、以前の30度が最近は40度近くにまではね上がり、暑さの度合いが違うことも同様の例でしょうか。

台風12号による豪雨に台風15号の影響が追い討ちをかけ、東海以西の水害・・・名古屋市内では住宅地まで浸水してゴムボートで救出される光景などを見るにつけ、3・11東日本大震災を含め、その厳しさと惨状は、日本列島はもはや、完全に自然の猛威のターゲット下に置かれているとしか思えないところがあります。

自然災害の規模に追いつかない対策

河川の堤防決壊による住宅街への冠水、自宅の床上浸水を経験したのは、古い話ですが1959年(昭34)9月の「伊勢湾台風(台風15号)」のときでした。紀伊半島の潮岬から上陸し日本列島を横断したこの台風は、中心となった東海地方だけでなく、ほぼ日本全域に被害を及ぼした、歴史に残る大型台風となりました。

このときの記憶(ちなみに私は15歳でした)を思い起こすと、自宅近くの川が氾濫して住宅街が冠水、町内会(・・・だと思いますが)が用意したボートがあちらこちらに浮かび、住民の緊急の移動の手段にされていた光景が、いまだに目に浮かびます。

床下ギリギリ、あるいは床上にまで達した浸水は、数日後に引いたときが大変で、水が運んできたゴミの清掃、さらには市の保健所による消毒作業と、悪夢がウソのような台風一過の好天の下、人々は額に汗していたものでした。

この伊勢湾台風は、犠牲者を含む被害の大きさで戦後最大級とされ、襲来後は多くの反省点、今後の対応策が練られ、日本の防災対策を根本から変えた、と言われています。その象徴が、高潮による被害が大きかった反省から、全国の防潮堤、河川の堤防の改修だった、とも言われています。

それから50余年が経ちました。途中、1995年(平7)には、阪神・淡路大震災が起こり、伊勢湾台風の最大級の被害を基準としてつくられたさまざまな防災対応策は、見直しが求められます。それもまた、次に起こった災害が、地震による津波と原因を変えたとき、これまでにつくられたものは、またゼロに戻され、やり直しを強いられてしまいます。

忘れたころにやってくる災害と、その都度、求められる対応策は、何やら“いたちごっこ”の様相で、簡単に結論が出ませんが、とともに対応策に苦慮する原因として、自然の猛威の規模、荒れ狂う度合いが年々、容赦なくふくらむことのなぜ? も、しっかりと考え直す必要がありそうです。

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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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