厳しさを求めて・・・

ボクシングに関する古い取材ノートをパラパラとめくっていたとき、今なお私の記憶に残る「本道栄一(セキ・ジム)」という、無名のプロボクサーの名前が出てきました。

と同時に当時、セキ・ジム(東京・品川区大井町)を率いた、今は亡き関光徳会長の、本当に困惑した顔もまた、浮かんできて懐かしくなりました。

本道クンがセキ・ジムの門を叩いたのは1988年(昭63)春のことでした。当時19歳。東大理科Ⅱ類に在学する現役大学生という、この世界では異色の肩書きを引っさげてやってきたのです。

ある時期のプロボクシング界には結構、国・公立大学生、私立大医学部学生などが出現して注目を集めたりもしましたが、当時はまだ、そのハシリというか、まったく珍しい存在でした。ちなみに1988年の国内プロボクシング界は、低迷が続いて“冬の時代”とか“暗黒の時代”などと言われ、起爆剤として帝拳ジムの本田明彦会長がマイク・タイソン(米国)の招聘(へい)=トニー・タッブス戦、東京ドーム=を実現させるなど、違った角度からファンを喜ばせる時代でもありました。

そういうときに本道クンはプロボクサーを目指し、約8カ月でプロテストに合格し、その年の秋にプロデビュー(4回戦)して1回KO勝ち、続く2戦目(同)も2回KO勝ちして周囲の目を引きます。「ン? 赤門ボクサーの出現か」話を聞いてみようと、私がセキ・ジムを訪ねたのもそんなときでした。

「高校(東京・開成高校)時代はラグビーをしていたんですが、団体競技は合わないことがわかって2年のときに辞めました。なぜボクシングを? 自分の意志に挑戦したいと思いました」

私の質問にハキハキと答える本道クンでしたが、次第に並みの頭脳の持ち主ではないことが明らかにされていきます。高校卒業後、一浪して東大、東京理科大、早大(政経、理工学部)、慶大といった一流どころをを受験して全部合格してしまいます。本道クンが言いました。

「頭の方はだいたい納得できる結果が出たと思いました。後の課題は自分の意志はどうか、ということです。自分が楽な状態にある中では、意思の強さなど分からないでしょう。ボクシングというスポーツの中でドロ試合になって“もうダメ”というところからどれだけ前に出られるか試したい」

私はそのとき、こういう形を“ニュー・ハングリー世代”と名付けました。つまり、当時、低迷を続けていたボクシング界ですが、世の中が豊かになって、大場政夫(帝拳=故人)らに代表される、かつてあったハングリー精神を持つ若者たちが次第に消えて行く時代の流れにも原因の一端がありました。

が、その一方、本道クンのように、現状に甘えず、自分の意志で、自ら求めてその中に身を置くような若者も出現してくるのです。彼らにとって、強さも弱さも、勝ちも負けも、すべてを自分一人が背負うボクシングのようなスポーツは、自己鍛錬面では最高の手段、とする、ストイックなタイプです。

あれから何年もが過ぎ、本道クン(いやもうクンではないでしょうが)が今、どうしているかは分かりません。しかし、若き日にボクシングを通して自分を試した試行錯誤は、決してムダにはなっていないことでしょう。

もっとも、ヒヤヒヤし通しだったのは、将来ある大事な若者を預かる関会長でした。
試合もいいが、万が一、その身に何かあっては・・・と、見てはいられない様子だったのが、今でも印象に残っています。

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名古屋大学の教授先生で女性教員にハラスメントして現在不明。

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本道クンは名古屋大学の教授先生で活躍しています!
プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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