悲喜こもごもの「滅私奉公」劇

今年もまた、若い大学生たちによる「滅私奉公」劇を堪能させてもらいました。新春恒例の「東京~箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」です。

1920年(大正9年)に第1回大会が開催され、今年で第88回を迎えたこの大会の面白さは、長い歴史を持つ大会そのものに伝統に裏づけされた重さがあり、選手たちが肩にかけた襷(たすき)を、他の9人のため、母校のため、最後までつなごうと一人一人が自己犠牲的な走りに徹し、加えて、そんな過酷なレースを展開させるロケーションに新春の東京・箱根間を健脚で往復するというロマンがあること、などが挙げられると思います。

そうした人気の要素の中で私が毎年、最も熱い気持ちにさせられるのは、全長217・9キロ、2日間計10区間に展開される、個の時代に生きる大学生の「滅私奉公」劇です。

「滅私奉公」という言葉を辞書で引いて見ると「封建社会で主家に対して従者が軍役などの義務で奉仕すること」「他家に住み込んで家事・家業に従事すること」(いずれも広辞苑)とありました。ちなみに「滅私」は「私欲・私情を捨てること」「個人の利害を考えないこと」(同)で今の社会、言葉としては薄れ行くものがあるのではないでしょうか。

だいたい陸上競技の長距離レースは“個の競技”です。マラソンなどにしても、体調を含む能力の限界は、自己の責任で判断されるものであり、脱水症状などレース中に起きたアクシデントにより、撤退するかどうかの決断は、個人競技に臨む選手に欠かせない自己管理力です。

しかし、駅伝となると、ただひたすら襷をつなぎ通すという行為により、個の競技が一転、ラグビーで言う「One For All(ワン・フォア・オール)All For One(オール・フォア ・ワン」(1人は皆のために、皆は1人のために)といったチーム重視の団体の競技に変わります。

駅伝が持つ日本人好みの自己犠牲的要素

そうなった時点で、体調などの多少の具合の悪さは隅に追いやられ、皆のために、母校のために、と気力を振り絞り、無理無理な状態でも走り続けることを余儀なくされて歯を食いしばります。

1月2日に行われた往路最終区、山登りの5区で東農大の津野浩大(2年)が途中、脱水症状を起こして蛇行、フラつき始めました。津野は当日朝から体調が万全でなかったとのことですが、いつ棄権してもおかしくないジョギングのような走りで、それでも何とかゴールにたどりつきました。

監督が何度もやめさせようとしたという緊急事態でしたが、津野が最悪の状態でも何とか走り通したことで、同校にとっては第2日が生きたものになり、津野にとっても襷をつなげたことは、残り2年間の大学生活の一筋の光明となったことでしょう。

1月3日に行われた復路では、東洋大が優勝に向けて快調な走りを見せる中、8区から9区の戸塚中継所で悔しい出来事が起きました。先頭を行く東洋大のタイムが早すぎるため、後続の東海大、上武大、日体大の3校が間に合わず、繰上げスタートとなってしまったのです。

繰り上げ用の襷で走り始める3者の悔しさもさることながら、仲間のいない9区中継所に必死に走り込んできた8区走者の気持ちはいかばかりか、と見ているこちらも思わず、目頭が熱くなってしまいます。

さらに復路10区の鶴見中継所では壮絶なシーンがありました。神奈川大の9区走者・鈴木駿(3年)が、中継点を目前にして意識を失い、足をもつれさせて2度、3度と転倒してしまいます。それでも、フラつきながら差し出された襷を間一髪、最終10区走者・高橋俊光(4年)がもぎとって走り始めましたが、この場面で襷をつなげたか、つなげなかったか、の差は、天と地ほどのものがあることを皆が体に叩き込んでいるのでしょう。

日本人にとって「忠臣蔵」が永遠であるのと同様、箱根駅伝で展開される今どきの若者たちの自己犠牲劇、滅私奉公劇もまた、日本人は大好きなのでしょう。

だからこそ、彼らも、沿道を埋めたこれだけの観衆の熱い声援を受けて歯を食いしばる、悲壮な日本人なのです。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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