“ラストサムライ”の意志力

「意志の強さ」に関して言うなら、プロボクシングの元世界王者・浜田剛史氏(49=帝拳プロモーション代表)の右に出る人は、そうそういるものではないでしょう。

WOWOWや日本テレビのボクシング番組解説者、スポニチ本紙の世界戦評論としてもおなじみの浜田氏とは時折り、彼と親しいマスコミ関係者が集まって、わいわいがやがやとスコア度外視のにぎやかな懇親ゴルフを楽しんだりします。

現役時代に右ひざを痛め、それが原因で引退を余儀なくされた浜田氏ですが、引退後約20年経った今も依然、ひざの痛みは消えていません。が、それらしいそぶりなど一切見せずにゴルフを楽しむ浜田氏です。その精神構造は一体、どうなっているのか、時々、のぞいてみたくもなります。

「浜田さん、ひざ、痛いんでしょう? 大丈夫なんですか?」

こう聞くと決まって、ニコニコと笑いながら、こういう答えが返ってきます。

「自分の体は常に痛いんですよ。痛いのが自分の体だと思っていますから大丈夫です」

思えば浜田氏のボクサー人生は、ケガとの戦い、痛みとの戦いの連続でした。
まず左拳の骨折。KOパンチャーとして最強の武器である左拳が、強烈なパンチ力ゆえに折れてしまう。ボクサーは普通、パンチ力をもっと増そうと、さまざまに工夫し、練習を重ねるものでしょうが、浜田氏の場合は、自分のパンチ力の強さで自分の拳の骨が折れてしまうのですから、これほどの絶望感はなかったのではないか、と思います。

その痛み、苦痛との闘いは1986年(昭和61年)7月、WBC世界ジュニアウエルター級(現スーパーライト級)王者レネ・アルレドンド(メキシコ)への挑戦の3カ月前にピークに達します。この伝説として残る出来事は、浜田剛史という琉球士族の血筋を受け継ぐ一人の男の、壮絶な内面をのぞき見ることにもなります。

そのとき浜田氏は悪化した右ひざの検査を病院で受けていました。
ひざを切開して関節鏡を入れ、その結果、半月板の損傷が確認され、医師は後日、この除去を行うことを浜田氏に告げました。

が、ここで浜田氏は「今すぐやってほしい」と懇願します。後日では時間がない、間に合わない。
しかし、だからといって、そのまま手術に移行すれば、検査時間だけを予定した麻酔が途中で切れるのは目に見えています。
それでも敢行。今なお語り継がれる「途中で麻酔切れの手術」ですが、浜田氏の口からは最後まで“痛い”という言葉は聞かれなかったそうです。

こういう話は、聞いているだけで自分のひざが痛くなってしまいますが、次元の低い禁煙ひとつ、ままならない私など、こうした並大抵ではない意志の力にはただただ感服するばかりです。

我慢とか忍耐などという言葉が次第に薄れ行くご時勢。あのネイサン・オールグレン大尉(映画「ラストサムライ」=トム・クルーズ)が、覚悟を持ったこんな男と出会ったら、どんな反応を示しただろうか、とふと、思ってしまいました。


 ◆浜田剛史(はまだ・つよし)氏 1960年(昭35)11月29日生まれ。沖縄県中城村出身。沖縄水産高でボクシングを始める。卒業後、帝拳ジムからプロデビュー。強打を武器に左拳骨折の試練を乗り越え15連続KOの日本記録を樹立した。1986年7月、レネ・アルレドンド(メキシコ)を1回KOに下しWBC世界ジュニアウエルター(現スーパーライト)級王座獲得。V1後、アルレドンドとの再戦で敗れ、再起を目指したが、右ひざの悪化で引退した。帝拳プロモーション代表。解説者として活躍。

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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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