繰り返された“悪夢”・・・なぜ?

スポーツ記事の中で“悪夢”という言葉は比較的よく使われますが、実際問題、現実的にそうたびたび起きては、たまったものではありません。その悪夢が再び・・・いったいなぜ、この大会でなのか? と不思議に思ってしまいます。

レスリングの国別対抗戦「女子W杯」(5月26~27日=東京・代々木第2体育館)最終日、日本は決勝でロシアを5-2で下し優勝しましたが、55キロ級で無敵の“絶対女王”吉田沙保里(29=ALSOK)が敗れ、連勝が「58」でストップするという、大番狂わせが起きてしまいました。

「トラウマ」という言葉があります。辞書を引くと「ラテン語=trauma(傷、けが)精神的外傷、後遺症を残すような激しい精神的ショック」(コンサイス「カタカナ語辞典」)とありました。

吉田が08年1月、中国・太原で開催された「女子W杯」で敗れ、連勝が「119」でストップした衝撃的な出来ごとはまだ、記憶に鮮明に残していることです。

この大会の1次リーグ第2試合、吉田の相手は、世界的には格下の無名選手マルシー・バンデュセン(米国)でした。吉田は終始、攻めまくりながら、得意の高速タックルを返され、微妙なポイントを奪われてしまいます。結果は0-2の判定負け。吉田は「団体戦での油断」「勝てると軽く臨んでしまったことの油断」などを敗因に挙げていましたが、心に深く傷を残したことは、タックルを返されて敗れたことに対して、でした。

研究され尽くされる“伝家の宝刀”

吉田の必殺タックルは、レスリングを始めた3歳時から元全日本覇者の父・栄勝さんに伝授されたものです。いってみれば、父から娘に継承された“魂”であり、それが連勝を続ける原動力ともなり、だから、それを返されて敗れた悔しさは帰国しても続き、成田空港での会見の場でも号泣する姿は、声を掛けるのがはばかれるほどでもありました。

それが北京五輪前の出来ごと。再起した吉田が北京五輪で04年アテネ五輪に次いで連覇を達成したのは、世界の刺客から研究され尽くされたタックルをさまざまに進化させ、正面から横から、さらには距離の遠近など、多彩なバリエーションを持たせることだったといいます。

屈辱の敗戦から立ち直り、再び歩き始めた連勝街道、積み重ねた白星「58」・・・。近づくロンドン五輪での五輪3連覇の偉業は、吉田に限っては、約束されているような強さを身につけていました。それが・・・。

悪夢のバンデュセン戦以来となる敗戦を振り返ってみると、相手のワレリア・ジョロボワ(ロシア)は19歳の新鋭選手。百戦錬磨の吉田は、タックルで再三、攻め込みながら、ジョロボワの力任せの振り回しに場外に出されてしまいます。

結果は1-2の判定負け。4年前に戻ったような“トラウマ”を感じさせる敗戦。取材に当たったスポニチ本紙の五輪担当キャップは、五輪3連覇の課題として、研究を重ねられている「タックル対策への対応」を挙げるとともに「(この敗戦の気持ちを)どう切り替えられるか」と強調していました。

08年1月の敗戦後、吉田は当初、出場する予定がなかった「アジア選手権」(同年3月=韓国・済州島)に緊急参戦。優勝を飾って気を吐きました。それでも大会開催中、極度の緊張から神経性胃炎や発熱を起こし、また試合でも「1、2回戦の段階では、腰が引けてタックルに行く距離が取れなかった」(吉田)と苦しい状態だったことを明かし、敗戦後遺症の大きさに苦慮していました。

今回はロンドン五輪まで、そうした調整の場がないことが気になります。吉田は08年1月の敗戦時、それを大々的に伝えるスポーツ紙を保存、常に原点を見つめ直して発奮材料としているそうですが、痛恨の「5・27」を今度はどう見つめて、ロンドンに向かってくれるでしょうか。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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