先駆者の勇気を感じていたい

先に終了したUSLPGAツアーの今季メジャー第2戦「全米女子プロ選手権」(現地時間6月10日最終日、米ニューヨーク州ビッツフォード=ローカストヒルCC)は、日本期待の“W宮里”藍&美香の優勝争いで盛り上がりました。

こうした海外での日本人選手の活躍を見るたびに思うことは、それより以前、先駆者が汗と涙で敷いた“レールの重さ”でしょうか。

女子ゴルフで言うなら、スポット参戦で1977年の「全米女子プロ選手権」を制覇した樋口久子(現LPGA相談役)がいて、その後“米国常駐”という形を築き、1987年に賞金女王の座を獲得した岡本綾子がいます。2人の苦労が多かった「道の開拓」は、小林浩美(現LPGA会長)や福島晃子らに受け継がれ、今、宮里藍&美香、上田桃子らが米ツアーに難なく溶け込み、ノビノビと戦える環境をつくり上げるまでに至りました。

それは野球にも、MLBで活躍する日本人選手にも言えることでしょう。思い起こせば1964年9月、日本人メジャーリーガー第1号となった村上雅則がいて、続いた野茂英雄がレールを敷き、イチロー、松井秀喜ら・・・そしてダルビッシュへと受け継がれます。

今や日本人の技術、パワーさえも、本場で欠かせなくなったことを思うと、最初に手を挙げた先駆者の、未知の領域に立ち向かった勇気と決断には、ただただ頭が下がる思いです。

格闘技ファンにとって“永遠”なのは「イチハラなのだ!」と格闘技好きの友人が言いました。

「イチハラ」とは、大道塾の空手家・市原海樹(みのき)のこと。1994年3月に米コロラド州デンバーで開催された米総合格闘技リング「UFC-2」に日本人として初参戦したファイターです。

「イチハラ」こういうサムライがいた!

第2回大会などという草創期のUFCは、現在のような確固たるルールなどなく、UFCのオフィシャル・ブックには「格闘技と暴力は紙一重。史上最も凄惨な大会となった」という、何ともぶっそうな文字が並べられていました。

注目の初参戦・市原は1回戦、よりによって第1回大会覇者のホイス・グレイシー(ブラジル)と対戦、この分野では一枚も二枚も上のホイスに空手で立ち向かい、一本負けしてしまいます。

この勇敢なサムライのチャレンジに思うことは、試合の結果がどうの、などということではなく、今でこそ注釈などなくても、当たり前に通じるようになった「アルティメット(総合格闘技)」だとか「ヴァーリ・トゥード(ポルトガル語で“何でもあり”の意)」だとか、この腫の言葉が、日本ではまだ、よく理解されていなかった時代になぜ、それに向かったのか、ということです。

市原とオクタゴンを結ぶ“橋渡し役”となった作家の夢枕獏氏は、そのリポートでこう記述しています。

〈試合前の恐怖感が大きければ大きいほど、その領域に踏み込むための門は狭くなり、領域の頂(いただき)は、高みを増していく。人は他人によって選ばれるのではない。自らが自らを選ぶのである。市原はすでに、そういう領域に足を踏み入れていた〉

本当にシビレる文章です。出陣に向けて一人、通路にたたずみ、黒帯を締め直す市原の、恐怖心と戦う孤独な姿が見えるようです。

プロ野球でもサッカーでも、あるいはプロゴルフでも、最初に門を開けた先駆者には、しびれるような志の高め方があり、身を切る恐怖と緊張に包まれていたことと思います。

そして、今、後に続いている者は、先駆者の心を常に忘れず、そこにいることが“当たり前”などと思わない、謙虚な気持ちを持って臨んでもらいたいと思います。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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