友人が嘆く囲碁界の“外高内低”傾向

囲碁好きの友人から先日、私の携帯に“外高内低”を嘆くメールが入ってきました。要約するとこんな内容です。

〈朝日新聞社主催の「囲碁アマ名人戦」の観戦に出かけました。優勝者は韓国人。日本人選手の不甲斐なさにまたまた、落ち込んで帰りました。大相撲界などでも話題になっていますが、我が愛する囲碁界も、プロの上位者は、ほとんどが外国人です。高額賞金が大変な魅力なのでしょう。この傾向は、もう長い間、2~30年にもなるでしょうか、続いています。そして今回、アマのタイトル戦までが・・・〉

お断りしておきますが、囲碁・将棋の類に関して私は、まったく守備範囲外の門外漢でして、棋士を果たして“選手”と呼ぶものかどうか、というところからして違和感を覚えてしまいますが、奇しくも今年7月4日付の産経新聞で「日本の囲碁の実力」というテーマの特集が組まれ「世界の囲碁界を牽引してきた日本も、近年は韓国と中国に差を広げられるばかりだ」と書かれており、友人の嘆きとともに囲碁界も、そうした傾向にあることをあらためて知らされました。

「囲碁の発祥・起源は、はっきりと分かっていないが、中国と考えられている」(ウィキペディア参考)とありますから、相撲や柔道などのように、日本のお家芸が外国人勢に席捲される、という見方は、必ずしも的確ではないように思われます。

が、産経新聞の特集には「(略)一方で1970年代から藤沢秀行名誉棋聖(故人)らトップクラスが韓国や中国に出向いて若手を指導するなど、先進国の役割を果たしてきた」とあり、そういう立場にあったのでしょう。日本人囲碁棋士を踏み台として羽ばたいたアジア勢の飛躍は、だから“恩返し”的である一方、男子柔道界などが抱える“居場所を奪われた”焦りや悩みが、日本棋院にも同様にあるのかもしれません。

競技化に伴う弊害はあるか?

“体育会系”スポーツに携わってきた私が、少なからず驚かされたのが、2010年の中国・広州アジア大会で、囲碁が初めて競技種目に採用されたことでした。既成の概念として「囲碁がスポーツといえるのか」が、論議の分かれ目となるところですが、流れとしては2008年10月、オリンピックを終えた中国・北京で「第1回ワールド・マインドスポーツ・ゲームズ」が開催されたことにありました。

ブリッジ、チェス、チェッカー、囲碁、シャンチー(中国象棋)の5競技計35種目を争うこの大会で、日本勢はブリッジ(シニア)で金、囲碁の男女団体戦で各銀、を獲得したとのことでした。

この「マインドスポーツ」は、中国語に置き換えると「智力運動」となるのだそうですが、スポーツが「心技体」を競い合うなら、そこに「智」が加わってもいいだろう、というのが「マインドスポーツ」とされる根拠なのでしょうか。

一方、柔道など「道」を追求する武道のスポーツ化の前に立ちはだかるのが「競技性」です。つまり「返し技」に代表される“勝ちは勝ちだろう”の勝負。相手を投げて横倒しにながら9分9厘、勝った体勢にあっても、相手が倒れ際に放つ捨て身の返し技に、日本選手はどれだけ泣かされる場面が増えたことでしょうか。

産経新聞の特集の中で「スポーツか伝統芸能か」と題した項に「ドーピング検査が課せられたことに反発する棋士」また、広州アジア大会では「劣勢に立たされている者が、相手の時間切れを狙って無意味な地点に着手し続けたケースがあった」とし「そこまでして勝つ必要があるのか、との考えが、日本の棋士の体勢を占めている」で結ばれています。

スポーツ化にともなう弊害は、道を求める武道系ジャンルには必ず、出てきます。それによって本来の姿が損なわれるなら、スポーツ化に求めた“発展”は逆のものになってしまうことでしょう。

友人が囲碁の世界の“外高内低”を嘆く気持ちも分かりますが、とってかわって強者となった他のアジア勢が、どんな囲碁の打ち方をもって“良し!”としているのか、それが問題なのではないでしょうか。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
ランクアップにご協力下さい
↓↓↓↓クリック↓↓↓↓
QRコード
QR