オレもオメーもプロだろ!

「選手たちとお付き合いできていいですねェ」
「いつも試合を見ることができて楽しいでしょう」

スポーツ新聞の記者などをやっているとしばしば、周りからこういうことを言われます。
まあ、確かにそう言われればそうなのでしょうが、何ごとも仕事となればルンルンと楽しいことばかり、というわけにはいかず、当然、苦しいこともあります。きょうは私が経験した苦闘の取材活動のひとつを、もう時効にもなっていることでもあり、ちょっと振り返ってみましょう。

それはある年の春先のことでした。
当時、ゴルフ担当記者だった私は、4月の「マスターズ」に備えて海外出張の日程づくりをしていました。そこに上司から声がかかります。

「オイ、アレな。アレもひとつ、頼むよ」

アレ? ン? アレ・・・。ああ、アレね。

何を頼まれたのかよく分かりませんが、新聞社の指示などはだいたい、こんなもので瞬時、これを呑み込まなければやっていけません。

その当時のこの時期、プロ野球界では大物A投手が日本のB球団を退団後、最後のひと働きをMLBに求め、アリゾナで行われていたC球団のスプリングキャンプに参加していました。そのA投手はB球団に在籍中、スポニチの担当記者が書いた記事に激怒しており、スポニチの野球記者には、取り付くシマもない取材拒否の状態が続いていました。そこでA投手とは面識のないゴルフ記者の私に「アレ、頼むよ」と、イヤなお役目が回ってきた、というわけでした。

さて、アリゾナです。ようやくたどりついたキャンプ地で私はA投手と面会。「よろしく頼みます」と名刺を差し出すと、A投手はウンでもなければスーでもなく、しばらくイヤな沈黙の後、こう言いました。

「サトーさんだっけね。アンタに恨みはないがスポニチにはある。オレを取材したかったらスポニチの肩書きを外してくれ!」

とまあ、こんな感じで確執は相当に深く、そのときから私は苦闘のど真ん中に叩き込まれてしまったのでした。

何しろ私がそこにいると、A投手はひと言も話さず、他社の記者にも影響を及ぼしてしまいます。バックネット裏に設置された記者シートにこっそり座っているだけで、マウンドのA投手にはそれが見えるようで「アイツがいるから・・・」と口にチャック。ついに私は他社の記者からも冷たい視線を浴びる始末となり、居場所がなくなってしまいました。

そこで外野席へ。といっても地方球場のこと、外野に席はなく、フェンスの後ろはもう砂漠です。そこに陣取ったものの、照りつける灼熱の太陽で額と両腕に日焼けを超えた火傷状の火ぶくれができる始末。

おいおい、サソリは大丈夫だろうなァ、などと惨憺(たん)たる状況に孤独感は深まる一方。A投手のコメントのない状況だけの記事を日々、送り続ける中、もうヤダ! 東京に帰ったら辞める! とスポーツ記者の限界さえ感じてしまったものでした。

もちろんその間、A投手との説得交渉は2度、3度ではありません。が、さすが大物、この人の頑固さは並ではなく、あの手この手で何をどう言おうと最後までダメでした。

そのうちオープン戦が始まり、振るい落としのサバイバル戦の中で、A投手は大事な試合で打たれて解雇され、私とA投手との泥仕合はやっと終わります。ホッとひと息つくと同時に精神的な疲労がドッと出て腰痛さえも起きてしまう始末。重い体を引きずりながら、本職のゴルフに戻り「マスターズ」へと向かいます。

会場のオーガスタで当時、マスターズの常連だった青木功プロに会ったとき、私はA投手との苦闘のやり取りを話し、ついグチをこぼしてしまいました。青木プロは最後まで聞かず、こう言いました。

「オイ、グチをこぼすなよ。Aもオレもプロだ。オレたちを取材するなら、オメーもプロでなくちゃならない。プロに泣き言は通用しネ~んだよ」

このひと言は今でも記憶に鮮明です。帰ったら辞めよう、なんて気持ちは、このひと言で吹っ飛び、グチなどをこぼす自分の甘さをつくづくと反省させられたことを覚えています。

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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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