“奇才”の死に思うこと

悲しい訃報が報じられました。1月15日午後、闘病生活を強いられていた映画監督の大島渚さんが死去(享年80)した、というニュースです。

大島さん夫妻(夫人は女優の小山明子さん=77)は、私が住む藤沢市内(神奈川県)に在住していることもあって、身近に感じていた映画人でもあり、テレビを通して知った悲報には少なからず、衝撃を受けました。

大島さんが1996年2月、渡航先の英国ロンドンで脳梗塞に見舞われ、その後、一時的な復帰はあったものの、病状の悪化、リハビリ生活、の繰り返しを強いられていたことは知られていることです。

夫の介護を優先させた小山さんの近年は、女優業を後回しにして、介護をテーマにした講演会や執筆を中心に活動する一方で、地元のスーパーで買い物する姿などが見られ、そうした場所で出会った誰とでも、気さくに会話を交わす庶民的な姿勢が、好感を持たれてもいました。

そんな小山さんを、私がお見かけしたのは、昨年の5月13日、江の島島内の「神奈川女性センター・ホール」で開催された映画&講演のイベントで、でした。

大島渚&小山明子夫妻を題材に「つながり生きる力~その夫婦の絆」をテーマに掲げたそのイベントでは、大島監督の「少年」(1969年公開=小山明子ら出演)と“戦メリ”こと日英など他国合作「戦場のメリークリスマス」(1983年公開)の2作品が上映され、その後、小山さんの講演会がセッティングされていました。

夫人・小山明子さんの献身に支えられて・・・

「少年」は、わが子を車の前に飛び出させる“当たり屋”稼業で全国を転々としながら生計を立てる、救いのない家族の姿を描いたものですが、情緒的なイメージを打ち破って非情な母親を演じる小山明子の熱演には、また違った魅力を見る思いでした。

大島監督と言えば、松竹の代名詞でもあった“女性メロドラマ”もの、や小津安二郎監督が描く“庶民的人情”もの、から一転、先鋭的なテーマ&描写を路線とする「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の旗手としての存在が印象に残ります。

第1作の「愛と希望の街」(1959年)、そして大ヒットした第2作の「青春残酷物語」(1960年)、第3作の「太陽の墓場」(同)など・・・。が、1961年に松竹を退社後、あの「愛のコリーダ」(1976年)が国際的な評価を受けつつも、国内では“芸術か猥褻(わいせつ)か”の論議を巻き起こして一躍、そちらの方面での脚光を浴びています。

しかし、昨年五月の江の島のイベントで観(み)た「戦場のメリークリスマス」は、出演者にデヴィッド・ボウイ、ビートたけし、坂本龍一ら役者がそろい、東洋と西洋の宗教観、道徳観、組織観、という難しいテーマを展開させていく重々しさが、上映終了後も、心にズシリとのしかかってくる大作でした。

2作品の上映終了後に行われた小山さんの講演会では、夫へ続ける献身的な介護の体験談が披露され、自身、一時はうつ病になって自殺を考えたことも、今は過去のものとして淡々と語られ、そうした過酷な日々を余儀なくされている多くの方々へ「とにかく前を向いて頑張ること」との応援メッセージが力強く送られました。

振り返れば、その日から8カ月後、大島さんは帰らぬ人となってしまったのですが、今も記憶に鮮明な、そのときの夫人の、凛(りん)と背中を伸ばした姿勢を思い出すにつけ、大島渚という、日本映画界の一時期をセンセーショナルに彩った“奇才”は、愛妻に支えられながら、いかにも“らしく”戦いを終えたのかもしれません。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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