日本初の駅伝が行われた日

日本で生まれた陸上競技の長距離リレー「駅伝(Road relay)」は、今や世界的な人気となっており「Ekiden」の名称が、国際的になっていることは周知のことです。

新春恒例の「東京~箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」(主催=関東学生陸上競技連盟)は、私自身、スポニチに入社早々のときに大会を取材していることもあり、若い大学生たちが繰り広げるドラマチックな2日間には、今でも魅了されています。

その「箱根駅伝」の記念すべき第1回大会は、1920年(大正9)の2月14日に行われています。日本の「マラソンの父」とされた故・金栗四三(しそう)氏が模索した「アメリカ大陸横断駅伝」構想の元、ロッキー山脈越えを箱根の山に見据え、箱根駅伝が着想された、とされています。(「ウィキペディア」参考)

さてさて・・・です。では、この「箱根駅伝」の“前身”ともいうべき駅伝レースは、それ以前にあったのでしょうか。

そう、あったのです。それが、京都~東京間で争われた「東海道五十三次・関東関西対抗駅伝競走」です。資料によると、日本初(もちろん世界初)の駅伝であり、行われたのは、1917年(大正6)の今日「4月27日」でした。

このレースは、京都・三条大橋を午後2時にスタートし、昼夜を問わずに約508キロ(実際は約516キロだったともいわれているとのことです)23区間を走り続け、2日後の4月29日午前11時34分に関東軍のアンカー・金栗氏がゴール地点の東京・上野不忍池に到着しています。

「駅馬」「飛脚」そして「駅伝」へ

こういう出来事があったことに接して思うことは、大正の時代、京都から東京まで走ってみようか、という着想の凄さ、やってのけてしまうことの凄さ、でしょうか。

「箱根駅伝」にしても、今でこそ、正月の風物詩として、往路ゴールの箱根では「これが来なければ正月も来ない」などと大歓迎され、車も箱根登山鉄道も道を譲りますが、長い歴史の途中には、道路の混雑との兼ね合いや中継点の設置場所の困難などから、継続の危機に直面したこともあり、困難はあって当たり前なのです。

日本史をめくっていると「駅馬」という言葉が出てきます。大宝律令が制定(701年)され、奈良に新しい都(平城京)がつくられた710年頃、律令国家の構築により、中央の地方支配が徹底化されていきます。そのために都と地方を結ぶ交通網がつくられて「駅馬」が置かれた、とありました。

ちなみに「駅馬」とは「律令制で駅に用意しておいて官用に供した馬」(広辞苑)とあります。「駅」は、宿泊場所などの施設があるところですが、駅から駅へ馬を走らせる形を原点として、さらに時代が進み「定置的な通信機関として江戸時代に発達」(広辞苑)した「飛脚」の形が「駅伝」の発想にもっとも近いものと思われます。

こうしてみると日本の駅伝には、歴史的なものが感じられますが、面白いことは、精神的なものも今に引き継がれていることでしょうか。例えば“伝令”を担って走りまくる飛脚の大事な役割は、第一に何があろうと「途中棄権をしないこと」だったと思いますし、その意味では、今の駅伝にしても、何があろうと「タスキを繋ぐ」ことが最大の使命となり、それゆえのドラマが各所で展開されます。

それにしても、日本初の駅伝である「東海道五十三次・・・」で優勝した関東軍のアンカー・金栗氏は、数々の経験を生かし、その後の「箱根駅伝」の開催に尽力するなど、いまさらながら、その偉業には敬服してしまいます。

日本初の駅伝が行われた日・・・改めて駅伝というものを振り返ってみました。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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