没後50年に息づく“世界の小津調”

日本映画界の名匠・小津安二郎監督(1963年=昭38=没、享年60)は、今年が没後50年、生誕110年のメモリアル・イヤーにあたることもあり、現在、南仏で開催中の「第66回カンヌ国際映画祭」では、同監督作品の「秋刀魚の味」(1962年=昭37=公開、松竹配給)が特別上映され、世代と国境を超えた“世界の小津”が、改めて認識されたことが伝えられました。

さて、こちらは小規模な地域の話ではありますが、私が住む藤沢市内(神奈川県)の映画ファンが集まって構築する「カワマタ・キネマサロン」の5月例会では、やはりこの、小津監督の遺作となった「秋刀魚の味」が上映されました。

私が「秋刀魚の味」を観(み)るのは、これが2回目でしたが、小津監督作品に接していつも思うことは、あの代表作「東京物語」(1953年=昭28=公開、松竹配給)同様、今の社会を暗示するかのように核家族化、高齢者の孤独、などが、当時の映画で描かれていることです。

「秋刀魚の味」では、妻に先立たれた初老のサラリーマン・平山周平(笠智衆)が、それでも長女・路子(岩下志麻)と次男・和夫(三上真一郎)との3人暮らしに、取り立てて不満のない日々を送っています。長男の幸一(佐田啓二)・秋子(岡田茉莉子)夫婦も“団地住まい”で安定した毎日、周平に心配はありません。

ここで時代背景を考察すると、日本に住宅公団が設立され、公団住宅が誕生したのは、昭和30年のことでした。

資料には、入居第1号は、昭和31年4月の大阪府堺市の金岡団地、ついで同年5月の千葉県稲毛市の団地、とありました。

人間の哀感を淡々と描き切る小津美学

“三種の神器”と言われたテレビと冷蔵庫、洗濯機の電気製品を備えた団地暮らしは、当時の人々が憧れの的とした時代であり、小津監督作品には、意外にこうした“いい(裕福な)生活”が描かれているケースが多く、慎ましやかに暮らす庶民の憧れが意識されているのでは? と感じさせられました。

そして、その庶民が憧れた団地生活はまた、社会に核家族化をもたらした第一歩と言われてもいるのです。

周平は時折、中学時代の旧友たちと飲んで楽しいひとときを過ごす中、彼らから、娘をこのままにしていていいのか、と諭され、また、中学時代の恩師・佐久間清太郎(東野英治郎)が、娘の伴子(杉村春子)が父親の世話をしているうちに婚期を逸してしまったことなどを知り、真剣に娘の嫁入りを考え始め、途中、口論もありましたが、ついには嫁がせます。

そして、その後・・・周平は重かった肩の荷を下ろしたものの、いて当たり前だった娘がいなくなった家の中は、
和夫と2人、男同士の会話も弾まず、寂しさと虚しさが入り混じり、父親が娘を嫁に出した後の老いと孤独感が重くのしかかる思いとなりました。

小津監督の作品は、これが最後となりましたが、それを惜しむように独特の“小津調”は随所に目立っていました。何度も反復されるセリフに、その日集まった目の肥えた「カワマタ・・・」のメンバーは「ちょっと不自然、しつこいね」などの意見を出し、また、会社の後輩が先輩を「あんた」と呼ぶ“タメ語”にも違和感があり、ブルジョア志向も気になるなァ、などの意見も出ました。

が、小津監督の美学は、誰もが根幹に抱えているだろう、人間の寂しさ、孤独感、理不尽な思い、などを淡々と描き切る“情緒性”なのだろう、などと感じ、私自身も帰路、それにしても、秋刀魚が一匹も出てこない「秋刀魚の味」のタイトルの意味合いは? と必死に模索した次第でした。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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