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階級制を考える

「柔よく剛を制す」と言います。辞書を見ると「温柔な者が剛強な者に勝つことができる」(広辞苑)とありましたが、解釈の範囲を広げれば、体の小さい者が大きい者に勝つ、ということにもたとえられるでしょう。

この表現はいかにも武道的です。よく読まれた富田常雄著の柔道小説「柔」の中でも、体が小さくて非力な主人公の矢野浩(後に正五郎)が、理と力の法則で大男を投げ飛ばす術の妙が気持ちよく描かれています。胸のすくような・・・などと言われますが、読み手の心を躍らせる“無差別の戦い”での「柔よく剛を制す」は、格闘技の原点として古くから避けては通れないテーマのようです。

ところで最近の格闘技界は階級制が全盛です。K-1の中量級シリーズ「ワールドMAX」は70キロ以下で魔裟斗(引退)を中心に人気を得てきましたが、今年は5月、それに新階級の63キロ以下が加わり、階級の細分化はこれから、ますます進みそうな流れとなっています。

階級制への着手については、総合格闘技の「修斗」「パンクラス」などが比較的早く、積極的に取り組み始めました。「パンクラス」では、同団体の基本的な方向性が“全方位外交”にあったため、階級制の整備こそが、例えばUFCへの乗り込みを初めとする他団体との交流をスムーズにする、との考えが首脳陣にあったようです。

消滅して今はなくなってしまった「PRIDE」が00年に初開催したGPは無差別でした。が、その後、UFCをお手本にヘビー級(93キロ以上)とミドル級(93キロ未満)を区分け。さらに中軽量級を軸とするシリーズ「武士道」にはウエルター級(83キロ未満)やライト級(73キロ未満)を設け、五味隆典らのスターを生み出しました。継続して開催されている「DREAM」にしても「戦極(現SRC)」にしても階級制は年々、細かくなりつつあります。

原点は最強の追求

階級制の整備は、危険性の回避を含めた安全性、スポーツ的な試合のやりやすさ、などにあることは言うまでもありません。が、一方、競技性を考えれば難問もあった無差別の戦い~例えば桜庭和志vsホイス・グレイシー(ブラジル)の死闘で伝説を築いた00年の「PRIDE・GP」は、出場16人中、最軽量が桜庭の85キロ、最重量が大刀光の135キロでした~には、予測がつかない面白さがつきまといます。昨年大みそかの「Dynamite!!」で理屈抜きに面白かった試合は、注目を集めていた吉田秀彦vs石井慧戦などではなく、むしろ、87キロのミノワマンが100キロのソクジュをKOで下した、劇画チックなスーパーハルク・トーナメントの決勝戦だったのではないでしょうか。

同様の興奮は、プロボクシング界のマニー・パッキャオ(フィリピン)にもつきまとっています。パッキャオの階級を超えた“最強の追求”は、いかにも武道的な戦いであり、誰もが手に汗握り、感服するところでしょう。

階級制という“枠内”の戦いでスポーツ性を追及することは間違いではありません。が、それがすべてではないところが格闘技界に生きる者の宿命でしょう。ファイターにとっては原点回帰、格闘技界は無差別の戦いの面白さをもっと前面に押し出してファンを沸かせてほしいものです。

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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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