海の家の“クラブ化”自粛に思うこと

藤沢と鎌倉(神奈川県)を結ぶ「江ノ島電鉄(通称=江ノ電)」に乗って「江ノ島」駅で降り、みやげもの店などが並ぶ「洲鼻(すばな)通り」を江の島に向かってブラブラ歩くと海が開けます。

江の島を中心とする「片瀬海岸」がここ。島に渡る桟橋の左側が東浜、右側が西浜、となっています。

最近、人気の片瀬海岸は、季節を問わず、多くの観光客でにぎわっていますが、7月1日に“海開き”したこの夏、浜辺に並び立つ「海の家」に向けて、一つの問題が提起され、そのあり方に警鐘が鳴らされました。

数年前から重低音を響かせた大音響で音楽を流し、水着姿の若者たちが、ひしめき合ってダンスに興じるという、クラブ化した海の家が出現、うるさいという近隣住民の苦情もあり、神奈川県が、クラブ形態の海の家は認めない、などを盛り込んだガイドラインをつくり、規制に乗り出したのです。

これを受けて県下の各海水浴場は、自主規制の徹底を打ち出し、藤沢市の江の島海水浴場協同組合も、西浜の海の家で音楽を流すことを禁止する、という事態に至ったのです。

「エッ! 海の家で音楽禁止?」「行き過ぎでは?」など、この問題に対する意見は、様々、あると思います。が、すべては“程度の問題”にあり、あの一部海の家が行っている、大音響を響かせるクラブ化の異様な光景は、周囲への迷惑もさることながら、家族連れが近づくことも出来ず、海は誰のもの? という素朴なテーマを根本から見直してもらわなければならない思慮分別のなさです。

役割の第一は「脱衣所」であること

この片瀬海岸の西浜まで、歩いて10分ほどのところに家があった私は、幼年時から、海は庭の延長線上的な気分で遊んでいました。小学生だった1950年代、海岸には“よしず張り”された海の家が、ポツリポツリと建っており、地元の人たちは、それぞれ行きつけの海の家で雑談しつつ、ノンビリとくつろいだものでした。

面白かったのは、各家庭それぞれのパラソルが、行きつけの海の家に預けられており、それを立てる場所が、だいたい決まっていることでした。それが自宅の庭の延長線上的な気分にさせており、まあ、とことん、のどかな時代だったと思います。

私が毎夏、西浜の海の家でアルバイトをするようになったのは、大学生だった1960年代後半のときでした。友人の父親が夏になると海の家を出し、そこでのアルバイトでしたが、その友人の父親は当時、江の島海水浴場共同組合の組合長を務めており、アルバイトの私たちにも、口癖のように言っていたことは「居心地の良い場所の提供」であり、目指すものは、若者たちがバカ騒ぎする海ではなく、子供連れの家族が海水浴を楽しむ海でした。

そのころから長い年月を経て“海も変わったものだ”とつくづく思います。あの、大音響を響かせて若者たちがひしめき合って踊る、海の家の異様な光景を初めて見たときは、あっけに取られるとともに「これが西浜か」と嘆きたくなり、地元住民にしてみれば、もう夏の海に来るのはやめよう、という気持ちにさえ、させられてしまうのも仕方のないことかもしれません。

別に行政が、夏の海で音楽禁止、などの規制を出す必要などないと思います。むしろ何故、そうした規制を出さなければならなくなったのか、ということを考えなければならず、そこに憤りを感じます。

それは、言うまでもなく、一部海の家業者の非常識が起こしているからであり、この場にクラブ化の必要性などあるわけもないでしょう。海の家の役割は、のどかに穏やかに海を楽しむための場の提供が第一であり、遠隔地から片瀬海岸を楽しみに来た人たちの、まず「脱衣所」であることを忘れてしまっては、おかしなことになってしまいます。

おかしなことが起きれば、行政による規制もやむを得ず、何もそこまで、とか理不尽だ、などとヘソを曲げている人たちにしても、自分たちが起こしていることが、結局は自分たちの首を絞めているのだ、ということに気がつかなければならないと思いますが・・・どうでしょうか。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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