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逃した魚は大きかった・・・か?

サッカーの日本代表が、5大会連続5度目の出場を決めたW杯(ワールドカップ)の2014年ブラジル大会は、節目の「第20回大会」を迎えます。

4年ごとに開催されるこの大会が、今や、五輪と並ぶ世界最高峰のビッグイベントに上り詰めていることを考えると、第1回大会を開催しようとした構想、そして着手は、まさに“歴史的”だったなァ、とつくづく思ってしまいます。

その第1回大会は、83年前の1930年、ウルグアイで開催されています。開幕戦を行ったのが7月13日。2014年ブラジル大会の最終日が、偶然かどうか分かりませんが、7月13日に予定されていることも、何かの因縁を感じます。

開催国のウルグアイは、このイベント開催が「建国100周年」を記念する国家的事業であり、主催者のFIFA(国際サッカー連盟)ともども、成功には必死の思いだったことでしょう。

実際、この当時、欧州諸国が南米に向かうには、約2週間はかかる船旅を余儀なくされ、資料によると、参加国はすべて招待で“行ける国だけ?”の13カ国、欧州勢は4カ国だけだった、とありました。

さて、このとき、日本はどうだったのでしょうか。日本のサッカー史をひもとくと、1921年(大10)に「大日本蹴球協会」が設立され、1929年(昭4)にFIFAに加盟しています。

日本は千載一遇のチャンスを逸したか

加盟が認められた翌年の大会開催とあり、日本も招待されていた、という話も聞きます。(事実関係は不明ですが・・・)が、そういう事実があったとしても、まあ、サッカーの試合のために延々、地球の裏側まで遠征、などという発想はなく、まず、とんでもないこと、と退けられたのではないでしょうか。

何しろ、その当時(1930年=昭5)の世相は、関東大震災(1923年)の痛手からようやく立ち直り、東京の地下鉄開通(昭2)や当時・国鉄の特急「燕(つばめ)」の運転開始(昭5)を象徴とする「鉄道の繁栄」が注目を集めた年代、と言われています。

「燕」は、東京~大阪間を8時間20分で走り、超特急! と称賛された時代です。海の向こうに目を向けて「ウルグアイまで2週間の船旅」などの英断は、経費などを含めて及びもつかなかったことでしょう。

とはいえ、もし日本が、この記念すべき第1回W杯に参加していたら、その後の展開はどうなっていただろうか、ということも考えてしまいます。

同大会の優勝は、決勝でアルゼンチンと激突した地元ウルグアイが勝ち取りました。もし、この場に日本がいたとしたら、初戦で負けようが、どうしようが、その経験を積んだこと、世界のサッカーの価値観を把握すること、だけでも収穫は大きかっただろう、と思います。

日本は1998年フランス大会の本戦出場にまで「68」年の長きを要していますが、何しろ第1回大会に参加した世界13チームの一つ! ともなれば、その後の取り組み方が違ってくるでしょう。

その意味では「日本のサッカー界は、千載一遇の歴史的チャンスを逃したのだなァ」と毎夏、7月13日が近づくたびに“逃がした魚は大きい”的な発想をしてしまいます。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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