没後26年・・・命日に思うこと

私が住む藤沢市(神奈川県)の江ノ島から、海岸道路の134号を鎌倉に向かい、その先の逗子から海に沿った県道207号に入ると、ヨットハーバーの「葉山マリーナ」や、マリンスポーツでにぎわう森戸海岸が見えてきます。

森戸海岸の沖合いに浮かぶ小さな島「名島(なじま)」の“赤い鳥居”は、よく知られていますが、その横手に建つ灯台が葉山灯台、通称「裕次郎灯台」です。

戦後の日本映画界の国民的大スターだった石原裕次郎さんは、1987年(昭62)に肝細胞がんのため他界しました。この「裕次郎灯台」は1989年(平1)に、故人の3回忌を偲んで兄・石原慎太郎氏(現・衆議院議員=日本維新の会代表)によって建設されたものです。

そうです。7月17日は、裕ちゃんの命日(今年は没後26年になります)なのです。

そして毎年、この夏の季節、このあたりを通過するときに「裕次郎灯台」を目にし、そのたびに“あのころ”が鮮烈に思い出されてしまうのは、私たちの世代が思春期のころ、憧れの存在だった裕ちゃんに多くの影響を受けたからなのでしょうか。

1944年(昭19)年8月生まれの私は、別に“サユリスト”という意識はまったくありませんが、1945年(昭20)3月生まれの女優・吉永小百合が、17歳で主演した「キューポラのある街」(浦山桐郎監督=1962年公開)以後、彼女には、ともに同年代を歩んできた、歩んでいく、という、何か“同志的”な意識を勝手に抱いてしまいます。

「太陽の季節」に思い出すタフガイの流儀

それに対して裕ちゃんは、いろいろな悪さ? を教えてくれる“兄貴的”な存在だった、と位置づけられるでしょうか。石原慎太郎氏の芥川賞受賞作「太陽の季節」の映画化(古川卓巳監督)に伴い、まだ大学生のときに脇役で映画デビューしたのが1956年(昭31)でした。

そのころ・・・中学生になったばかりの私は、古く色褪(あ)せた当時のモノクロ写真を探し出して見ると、髪型を「慎太郎刈り」にしています。つまり、全体に短く、両サイドを刈り上げて、前髪(当時は豊富でした・・・念のため)を雑に横に流した「太陽族」スタイル。

同年公開の第2作「狂った果実」(中平康監督)では、早くも主演を務め、太陽族の不良っぽさが若者風俗を駆り立てます。真夏の湘南ビーチは、サングラスにアロハシャツ姿の若者でにぎわったものでした。

私が、数々の“裕ちゃん流”の中で、最も大きな影響を受けたのが「くわえタバコのカッコ良さ」だったでしょうか。父親が愛用していた「ピー缶」からこっそり、2~3本をくすね、夜の海岸に突っ走ります。火をつけ、吸い込んでクラクラッと立ちくらみ・・・気持ちが悪くなって立ち上がれず、何じゃこれは! こんな“初体験”は、誰もが持っているのではないでしょうか。

このとき、私、中学3年生・・・銀幕では「嵐を呼ぶ男」や「錆びたナイフ」の裕ちゃんが、くわえタバコで相変わらずの勇姿を見せていました。

そんなときから長い年月を経て今、世の中から「タバコはカッコ良い」のイメージが消えました。くわえタバコやポイ捨てなど言語道断の公衆マナー違反です。ホラ、灰が飛ぶ! 火が飛ぶ! 煙が・・・などと厳しく糾弾され「カッコ悪さ」の代表みたいなもので吸う場所がありません。

私自身、タバコを辞めてもう、2年以上が経過しますが、だからといってタバコを嫌っているわけではなく、裕ちゃんのカッコ良すぎたくわえタバコ姿には、いまなお、シビレています。

時代がどう変わろうと、その中で価値観がどう変わろうと、人々が多感な思春期のときに受けた影響は、ある意味、永遠なのだ、と思います。海に向かって光を照らす「裕次郎灯台」は、だからそれを見るたびに、私たちに裕ちゃんの流儀を思い出させてくれるのでしょうね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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