篠田正浩監督の「暗殺」を観て・・・

地域の映画好きによって構成される「カワマタ・キネマサロン」の7月例会(7月20日開催)では、司馬遼太郎原作(小説「奇妙なり八郎」)の「暗殺」(篠田正浩監督=1964年7月公開、松竹作品)が上映されました。

内容は幕末(江戸時代末期)の“憂国の士”清河八郎(1863年没=享年33)の生涯を描いたものですが、忠実な史実の再現というよりは、この強烈な策士の“外伝”的描写が、観(み)る側の興味を引きずり出していました。

この映画が公開された1960年代前半といえば、松竹では大島渚監督(故人)の「青春残酷物語」(1960年=昭35=公開)が大ヒット、これを機に従来の松竹カラーを打ち破る“新しい波”として「松竹ヌーヴェルヴァーグ」が起こり、大島監督と並んで篠田正浩監督、吉田喜重監督が“三羽烏”として、その旗手となっています。

この時代劇でそれが実践されたかどうかは、観る側それぞれの感性によるもので、私にはちょっと分かりかねましたが、清河八郎を演じる丹波哲郎のあくの強さ、倒幕・尊皇攘夷を掲げ、あげく“清河幕府”をつくる! とまで言い切る野望、志の高さに、歴史書にある幕末の動乱期という時代には、こういう人たちが、そこら中にゴロゴロいて天下国家を論じていたのだろうなァ、と唸ってしまいます。

稀代の策士の短くも中身の濃い生

清河八郎という人物が来る! 京の都にそのウワサが走ります。北辰一刀流免許皆伝、剣の達人だそうな。文武両道の賢人でもあるそうだ。後ろ盾もない一匹狼とか・・・。

そんな清河とまず、佐々木只三郎(木村功)が接触します。風心流の剣の達人・佐々木は、浪士取扱・松平主税介(岡田英次)に清河を斬ることを命じられますが、その前、最初の接触で2人は道場で対峙、佐々木は完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされてしまいます。

このときの屈辱を佐々木はどう受け止めたのか。上司に命じられた政治的な暗殺より、剣の道に励むものとしてのリベンジ魂、を胸中に重く宿らせただろうことをまず、感じておくことがストーリーを分かりやすくします。

「桜田門外の変」(1860年=万延元年)に衝撃を受けた清河は、掲げた倒幕・尊皇攘夷の思想をさらに強め、彼の元には続々と憂国の浪士が集まり、一大勢力を築き上げます。が、策士・清河の本領発揮はこれからです。この“浪士軍団”を幕府に差し出す(後の「浪士組」=新撰組の前身)など、才覚と変わり身の早さで敵・味方の間を泳ぎ渡り、天下取りにまで“あと一歩”のところまでこぎつけます。

万事が上手く運んだかに見えたある日、清河の前に立ち塞がったのが、あの佐々木でした。緊迫の場面。清河の抜刀の前に佐々木の刀が一閃! 絶命へと至りました。

策士ゆえに清河の周辺には、敵・味方の区別がつきにくくなっていましたが、佐々木のリベンジには、先に述べたように私は、政治的“暗殺”より、むしろ、道場で受けた借りを返した剣士の意地のほうが重く感じられました。

全編を通して篠田監督のヌーヴェルヴァーグ意識も強かったと思いますが、私は、この映画の最後の場面、丹波“八郎”と木村“只三郎”の「瞬殺勝負」が、1964年公開の映画にしては“今ふう”だな、と余韻を残しました。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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