異常を感じる「ながら歩き」

昨今、街中を歩いていて不快な思いをする出来事が、以前に比べて格段に多くなったような気がします。

例えば、歩道いっぱいに広がって歩き、人々の通行を妨げているのに気がつかない高校生たち、とか、駅の自動改札機の前でおしゃべりに夢中になっているご婦人たち、とか、その後ろについてしまった不運? でイライラさせられるのは、私だけのことではないでしょう。

そうした公衆的マナー違反が横行する中、なぜ今、そうしなければならないのか? そうすることが今、ホントに必要なのか? と思ってしまうのが、スマホ(スマートホン=多機能携帯電話)や携帯電話を、歩きながら操作している「ながら歩き」に対してです。

している当人たちは、今しなくてはならない理由がそれぞれ、あるのでしょうが(別に歩きながら今しなくてはならない緊急の理由などありはしないと思いますが・・・)彼&彼女たちは、それによる他の歩行者との“衝突危機”をどう感じているのでしょうか。

某月某日の夕刻、歩いていた私は、約1時間ほどの間に3度、この「ながら歩き」連中との“衝突危機”に見舞われました。何と20分に1度の頻度ですよ。ホント、腹立たしいことです。

そのときの彼&彼女たちの反応を振り返ってみましょう。

向こうから下を向いて歩いてくる「ながら歩き」連中を、こちらは早くから視野に入れています。どんどんと接近! こうしたとき、腹立たしさもあって、こちらから避(よ)けてあげる気持ちは起こりませんが、思うことは〈連中は常に相手が避けてくれることを当たり前と考えているのだろうか〉ということです。

約1時間に3度の衝突危機!

実際、不思議なことですが、衝突はいつも“あわや”の段階で回避されます。なぜ? と考えてみるとやはり、間一髪でこちらが譲歩、避けていることに気づきます。

その際、彼&彼女たちからまず、謝罪の言葉は聞かれません。それどころか、接触寸前となったこちらに非があるような目つきをされることもあります。そして彼&彼女たちはまた、当たり前のように自分の道を真っ直ぐ歩き、下を向いて携帯ツールの操作に夢中になるのです。

こうした姿を見るにつけ、彼&彼女たちの言い分は、こうあるべきだという公衆的マナーからの思考ではなく、別に誰にも迷惑を懸けているわけではないからいいじゃん、といったところから始まる自己中心的な思考によるものなのでしょう。

そうです。「ながら歩き」などする理由は、単純に自分が楽しいから、面白いから、だけのことなのです。

とはいえ、自己チュウ、の問題だけではすまなくなっているのが最近多く、新聞各紙の社会面で報じられるようになった「ながら歩き」による事故の多発です。

JR東日本や東京メトロが「ながら歩き」への注意を、駅構内で放送したり、掲示板のポスターで喚起したりし始めたのは、実際に携帯電話を操作しながら駅のホームを歩いていた小学生が線路脇に転落する事故が起きたりしたからです。

こういう事故が増えるようになると当然、喫煙の問題や自転車の暴走問題のようにまた、公衆的マナーのジャンルに行政が介入して「禁止!」のお触れを出してくるのも時間の問題のような気がします。

私は、公衆的マナーの問題は、自分で規制するもの(当たり前の話ですが・・・)と常々、自分に言い聞かせていますが、お上の規制によってやっとやらなくなるというのは、何やら自立出来ない人間のようで情けない話です。

緊急の連絡や調べものがあれば、ちょっと立ち止まって人々の邪魔にならないところで操作すればいいだけのことでしょう。

「ながら歩き」ではないにしても、例えば電車の中で8~9割の乗客が一斉に携帯ツールを操作している光景は、何か異常を感じてしまうのですが・・・どうでしょうか。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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