「何を目指したか?」を見たい

プロボクシングの「亀田祭り」(12月3日=大阪・ボディメーカーコロシアム)では、亀田3兄弟の次兄でIBF世界スーパーフライ級王者の大毅(24)が、WBA世界同級王者リボリオ・ソリス(ベネズエラ)と王座統一戦(ともに初防衛戦)を、末弟でWBO世界バンタム級王者の和毅(22)が初防衛戦をそれぞれ行います。

この舞台に加わり、トリプル世界戦の一翼を担うのが、IBF世界ミニマム級王者・高山勝成(30=仲里)ですが、同選手が日本のリングで試合を行うのは、09年7月以来、実に4年5カ月ぶりとなります。

「賢“弟”愚“兄”」となるかな? など弟2人の戦いぶりも気になりますが、私がこの日、注目したいのは、やはり、高山です。

高山のもっとも記憶に残る試合、というか出来事は、07年4月(東京・後楽園ホール)に行ったWBA世界ミニマム級王者・新井田豊(横浜光=当時)とのWBA世界同級王座統一戦(高山はWBA世界同級暫定王者=当時)でしょうか。

この試合、両選手は持てる力を出し尽くす激闘を展開させましたが、結果は、初回にダウンを喫した(スリップ気味でしたが)新井田が、紙一重の2-1判定で勝利、負けた高山は、納得できず、一夜明けても怒りは収まらずに「ボクシングに失望した!」と、引退を示唆する言葉を口にするほどとなりました。

スポニチ本紙の世界戦評論でおなじみの元世界王者・浜田剛史氏も、このときの採点は、11回を終えて104-104のイーブン、勝負は最終12回の結果に懸けられましたが、この回がまた、互角の打ち合いで10-10としてもおかしくない微妙なものとなり、審判泣かせの内容となったことは確かでした。

4年5カ月ぶりに立つ日本のリング

その後、高山は再起したものの、09年7月、新井田からベルトを奪った、あのローマン・ゴンサレス(ベネズエラ=帝拳)への挑戦(0-3判定負け)を最後に、JBC(日本ボクシングコミッション)に引退届けを提出して日本のリングを去っています。

フリーのプロボクサーとして海外に活動の場を求めてものでしたが、そうした行動の伏線として新井田戦での不服が根強くあったようでした。

メキシコのグアサベから、とんでもない朗報がもたらされたのは、今年3月のことでした。忘れかけていた高山の名が躍り、IBF世界ミニマム級王者のマリオ・ロドリゲス(メキシコ)を3-0の判定で下し、世界王座を獲得したという快挙でした。

高山は過去、WBC世界ミニマム級王座、WBA世界同級暫定王座を獲得しており、今回のIBF王座獲得で世界の主要4団体中、日本人で初めて3団体までを制したことも大きな話題となりました。

が、この時点でJBCは、IBFを承認しておらず(承認は4月1日付からという直前の出来事)高山の快挙への対応は「現時点では国内で防衛戦は出来ない。日本の歴代世界王者にもカウントされない」とされました。

高山は、日本のJBC公認のジムに所属し直して、JBCにライセンスを再申請、資格審査委員会の承認を得てやっと、日本のリングに立てることになるのですが、今年7月、ライセンスの再発行が認められ、12月3日の試合が実現することになりました。

JBC離脱、活動の拠点を海外に移し、そして復帰、へと至った道は、楽な道であったはずがありません。しかし、過去の悔しさをバネとして、ベルトを腰に巻いての凱旋は、いかにもボクシングというコブシ一つのスポーツに人生を懸けた男らしさ、が漂います。

世界王者として4年5カ月ぶりに立つ日本のリングでは、高山が「何を目指したかったのか」「何をやりたかったのか」を存分に発揮、高山ありき! を日本のファンに示してもらいたいと思います。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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