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思い出す「インビクタス」の感動!

米映画「インビクタス(Invictus)/負けざる者たち」(2009年製作・公開=クリント・イーストウッド監督)を観(み)たのは、確か3年ほど前の春先ころだったと思います。

といっても劇場に足を運んだわけではなく、観た友人の「いい映画、やってるよ。観ておいて損はないと思うよ」との勧めがありながら、機会を失しており、半ば忘れかけていたのですが、たまたまスイッチを入れたテレビのWOWOWで放映しており、これは・・・となった次第でした。

画面にグイグイと引き込まれていきます。

舞台は1994年の南アフリカ共和国。反アパルトヘイト(人種隔離政策)の反体制活動家として長年(27年余とのことです)投獄されていたネルソン・マンデラ氏がその年、解放され、黒人で初の大統領に就任します。

が、アパルトヘイト撤廃後も依然、白人と黒人の間がギクシャクする国情を1995年、自国開催となったラグビーの第3回ワールドカップ(W杯)の場を利用し、南ア代表「スプリングボクス」の快進撃を力として、国を無差別の熱狂の渦に巻き込んでいく、というのがストーリーの概略です。

この映画では、差別の象徴として「ラグビー」と「サッカー」のあり方が描写されていました。英国発祥のエリート層のスポーツであるラグビーが、白人の富裕層を中心に広まっているのに対し、サッカーは黒人の貧困層に広まっています。アパルトヘイト撤廃後にも、依然として残る白人と黒人のしこりは、ラグビーとサッカーのグラウンドを分ける「柵」の存在が表してもいました。

白人の象徴ラグビーに託した団結心

そして・・・モーガン・フリーマン演じる、知的で思慮深さがにじみ出る黒人のマンデラ大統領の存在は最高なのですが、彼の着眼-つまり、黒人のスポーツであるサッカーを選択したなら、それは、旧体制への復讐だったでしょうが、白人のスポーツであるラグビーを選択してことに、差別のない新しい国づくりに向けた団結、協力の意が見え、マンデラ大統領の奥深い人格がにじみ出ていて感動的でした。

ラグビーのW杯は、1987年に第1回大会が行われ、その後、4年に1度開催、1995年の第3回大会が南アで開催され、南ア代表「スプリングボクス」が初優勝を飾っています。

南ア代表は過去、アパルトヘイト政策のためW杯に参加できなかった時期もあり、このときの快挙は、改革を目的として自国開催に全力を尽くしたマンデラ大統領とともに歴史に残るものとなっています。

映画の中で“モーガン”マンデラ大統領は、マット・デイモン演じる「スプリングボクス」主将のフランソワ・ピナールを個人的に招待してW杯での優勝を義務付け、さらに国家を斉唱することの重要性、団結による国威の発揚を説き、勇気づけます。

「スプリングボクス」の快進撃が続きました。それを架け橋に次第に白人と黒人との間に応援を通した熱い共通項が生まれていきます。そして・・・ニュージーランド代表「オールブラックス」との決勝戦前、両国国歌の斉唱のシーンで南アの白人と黒人は、やっと国歌の元に気持ちを一体化させることが出来たのでした。

思わずジーン・・・のシーンです。

原作者のジョン・カーリン氏(ノンフィクション作家)も監督を務めたクリント・イーストウッド氏も、またマンデラ大統領も、スポーツが持つ力に着目し、これまであった国情の弊害克服に大きな役割を果たさせています。実際にあった話だけに感動的、心を熱くさせました。

そのネルソン・マンデラ(元)大統領が12月5日午後(日本時間同6日午前)、ヨハネスブルグの自宅で死去した、との訃報がもたらされました。

「不屈の闘志」の人は、2010年のサッカーW杯南ア大会の決勝戦の会場となったヨハネスブルグの競技場で追悼式が執り行われる、とされました。

改めて「インビクタス」の数々の名シーンが思い出されるマンデラ大統領の逝去ですが、今やっと、白人と黒人の象徴であるラグビーとサッカーの区別なく、肩の荷を降ろしたことでしょう。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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