響き合う名人と名人の心

“バット名人”の久保田五十一(いそかず)さん(70)が、バット作りの第一線を退き、今春4月に所属する「ミズノ」の子会社「ミズノテクニクス」社(岐阜県養老町)を退社することが、このほど発表されました。

久保田さんは、中学卒業後の1959年(昭34)3月、ミズノテクニクスの前身である「ミズノ養老工場」に入社。バット部門に配属となり、1965年からプロ野球選手のバットを担当して以来、この道一筋、社内最高の技術職「プロバットマイスター」としてプロ野球選手の活躍を裏で支えてきた「名工」です。

久保田さんの引退を報じるスポニチ本紙にこんな記述がありました。

〈1995年のオフ、落合博満(当時ロッテ)が2本のバットを手に工場を訪れ「こっちのグリップが違う」とクレームをつけた。そのグリップは“0・2ミリ”細かった。(久保田さんが)老眼で眼鏡をかけ始めたころだった〉

ウ~ン・・・言葉を失ってしまいます。プロ中のプロと言っていい落合やイチロー、松井秀喜・・・らが、久保田さんの削るバットに信頼を得てきていますが、一方、プロ選手は“0・1ミリ”単位の感触に勝負を懸け、それを受ける「匠(たくみ)」もまた、そのレベルで真剣勝負をしているのだなァ、と-。

久保田さんが老眼鏡をかけ始めて生まれた落合の一件が、引退への助走となったのかどうか、それは後日談・・・ですが、私はこういう話に接するたびにプロゴルファーの中嶋常幸(59)を思い出してしまいます。

吹けば飛ぶよな将棋の駒、ならぬ「1円硬貨」-。アルミ材質で直径2センチ、厚さ1ミリ、重量1グラム、で成っています。

今もツアーの最前線で熟練の技を見せる59歳の中嶋ですが、全盛のころ、クラブもまだパーシモン・ヘッドのころ、あるトーナメントの会場で新しいクラブを使って練習ラウンドをした後、中嶋は所属するクラブメーカーのサービス・カーに向かい、担当のスタッフにこう言いました。

〈1円玉分重い!〉

落合の0・2ミリと中嶋の1グラム

わずか1グラムの微調整をどうしようか、と担当メカニックは頭を抱えましたが、しかし、その注文に全体のバランスを考慮しながら、しっかりと応え、中嶋はそのニュークラブを全面的に信頼して初日を迎えた、という、ある意味で感動的な出来事でした。

比較などはムチャというものですが、一般的なアマチュアが察知出来るのは、せいぜい5グラムくらい? からでしょうか。ゴルフショップなどに行くと重量を調整する鉛や、交換用の太いグリップ、細いグリップなどが売られおり、そうしたもので感覚を微調整する上級者の方々もいることでしょう。

しかし、中嶋の1円玉に代表される、トッププロの研ぎ澄まされた感覚というものは、これほどまでに繊細なものなのか、と当たり前のことですが、プロのしていることとアマチュアのレベルの大差をつくづくと感じてしまいます。

もっともそれは、小さなミスでもごまかしが効かずにそのまま出て、250ヤード先では大きなミスになってしまう、パーシモンの時代ならではのことかもしれません。

なにしろ中嶋は、同じ感覚が2日と続かない厄介なフィーリングの「自律」を求め、人間離れした猛練習で“サイボーグ化”を目指したこともある、ストイックな選手だったのですから・・・。

余談になりますが、パーシモン・ヘッドの時代、開いて閉じる、捻る、返す・・・など、出来て当たり前だったプロの高度な技術が、慣性モーメントの大きいメタル・ヘッドの時代に移行して邪魔になってしまいました。

「新しい道具は、ベテランの寿命を延ばした。でも、ベテランの技術を消したね」-。中嶋はかつて、新時代への対応に「10年かかったよ」と言ったこともありました。

落合にしても松井にしても、また中嶋にしても青木にしても、戦う選手とそれを裏で支える「名工」がいて・・・木製バットやパーシモン・ヘッドだからこそ、そこにあった「阿吽の呼吸」や「心意気」が、時代の流れの中で薄らいでしまうのは、どこか寂しい気がします。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
ランクアップにご協力下さい
↓↓↓↓クリック↓↓↓↓
QRコード
QR